大切な人を守る人が勇気をくれる

Pocket

カンボジアに私の大切な友人がいる。

私は以前にカンボジアのある孤児院と関わる機会をいただくことがあり、その友人はその孤児院出身で私と同い年で、現在はトゥクトゥクの運転手をして生計を立てている。

初めて彼に会ったのは今からおよそ9年前だったかと思う。

私が初めて観光でアンコールワットのあるシェムリアップを訪れたとき、日本人の友人にシェムリアップにある孤児院に届け物をお願いされた。

その時に孤児院までトゥクトゥクで連れて行ってくれ、その後もアンコールワットの案内をしてくれたのがその彼、チャイリェンだった。

チャイリェンはトゥクトゥクの運転手という客商売にもかかわらず、押しが弱くて引っ込み思案で、さらには外国人の観光客を相手にする機会も多いだろうに英語でのコミュニケーションが覚束ないことなどが心配に感じたのを覚えている。

しかし一方でチャイリェンは本当に純朴でとても優しい青年だった。見ず知らずの外国人で言葉での意思疎通もあまりできない私にとても親切にしてくれた

また彼が孤児院の子どもたちと一緒に遊んでいる姿は純粋な少年のようでとても微笑ましいものだった。

チャイリェンと一緒に子供たちと遊ぶ

チャイリェンと私は言葉での意思疎通が覚束ないからうまく過ごせたのかもしれないとも思う。

親切にしてくれる彼に感謝の気持ちを伝えたいけれどいろいろと言葉で伝えるのは難しいため、私はわざとおちゃらけてみせたりオーバーアクションをしたりして彼を楽しませようとした。

言葉が通じないから余計に仲良くなれたのかもしれないなんて思ったりもする。

言葉は社会生活を営む上で重要なツールであることは間違いないが、こういう経験をすると言葉ってなんなのだろうかと考えてしまう。

言われてうれしい言葉もたくさんあるが、人を傷つけたり貶めたりする言葉もたくさんあって、言葉を発したが故に誤解を生んでしまったりすることもある。私なんてしょっちゅういろいろな人に喋らなければ良いのにって呆れられることがあるくらい。

人間はもしかしたら、伝わらなかったり伝えられなかったりする方がもどかしく感じ、人を愛おしく思ったりするのかもしれないとも思う。

今回のバイク旅行でも言葉での意思疎通よりももっと人間の根源的なところでいろいろな人たちと交流できたら嬉しい

初めてチャイリェンと会ってから何度かシェムリアップを訪れているが、数年前にチャイリェンと会った時に彼は結婚し2児の父親になっていた。

チャイリェンの幸せな家族

父になったチャイリェンは私が初めて会った時の優しい性格は変わらないままに、あの頃と比べて大変たくましくなり、英語も私なんて足元にも及ばないくらい流暢になっていた。

守るべきものができて、努力をしたんだろうなって思ったら不意に目頭が熱くなった。

誰かを大切に思って頑張る人の姿は勇気をくれる。

若いころ孤児院で育ち、私にはわからないような苦労もたくさんしただろうけれど、彼のように優しい人間には幸せになって欲しいと切に願う。

Pocket

このギャラリーは、2 枚の画像があります  写真 他