7/29(月) 〜31(水)東京出発51、52、53日目、ロシア2回目3、4、5日目 ラッカクラウディオからバルナウル 走行距離309km

川のほとりで目を覚ますと、あたりはすごい霧でテントもバイクカバーもびしょびしょでした。私たちがテントを張っていた場所はちょうど木陰で日が当たらない場所だったので、テントをたたみ、日の当たる場所に移動してテントを乾かしてから出発することにしました。



この日はアシムがタイヤを手配している大きな都市バルナウルを目指します。
前日とは打って変わって綺麗な景色から単調なハイウェイを走ります。
途中大きな麦畑やひまわり畑などがありました。6月の上旬の大雨の中、東京を出発して、朝晩は冷え込むロシア、モンゴル(標高の高い西モンゴルから2度目のロシアに入ったばかりの時は昼でも寒い)を経て来ていたので、季節の感覚が全く狂ってしまっていたのですが、この大きなひまわり畑を見て、季節は夏になっていたんだということを知らせてくれました。



日本ではなかなか見る機会のない広大なひまわり畑を横目に遂に目指していた大都市バルナウルに到着しました。
ウラジオストクからロシアに入って、ウラジオストク、ハバロフスク、ブラゴヴェシチェンスクなどロシアの大きな都市は見て来ましたが、ここバルナウルはそれらの大都市と比べても大きく清潔で美しい都市でした。
広大なロシアですが、本当に同じ国なのかと思うほど生活水準が違います。洋介さんがしきりに「ここは本当にあの呪われた町オブルチエと同じ国なのか!?」と言います。
次の日の朝、バイクの整備をしていると三菱の電気自動車に乗った男がやってきて何やらアシムと話しをしています。
誰かも良く分からなく、通りすがりのロシア人かとも思ったのですが、フレンドリーに話しかけて来てくれたので、挨拶をして握手をします。彼の英語はネイティブのように流暢というわけではないですが、一つ一つの単語をしっかりとはっきり言うので非常に聞き取りやすいです。
どうやら友人が日本で働いているらしく日本に大変興味を持っているようでした。
しかし、あとで聞くと実はこの男がアシムがタイヤを手配していたロシアのバイカーズクラブのアンドレでした。
それを知り私もリアタイヤを交換したいこと、サイドケースのステーを修理したいこと、チェーンカバーが飛んで無くなってしまったので代わりになるものを付けて欲しいことを伝えました。するとアンドレは「タイヤはすぐに手配する。サイドケースのステーも私が直そう。でも、チェーンカバーは不可能だ」と言います。「ロシアにはバイクに乗る人が少なく、部品は海外から取り寄せになる。そうなると早くても1〜2ヶ月かかってしまう」ということです。私は「何でも構わないので、何か覆えるものを何かあるもので付けてもらえないか?」とお願いすると「とりあえず何か考えてみるよ」と言ってくれました。
午後になりアンドレの自宅に行きました。バルナウルの中心地から少し離れた舗装されていない道路脇の花壇に花が植えられているとても美しい通りにアンドレの家はありました。

家に着くと中に招いてくれお菓子と紅茶を用意してくれていました。
アンドレの自宅のガレージでそれぞれのバイクの整備をしてくれます。

私のバイクもまずはサイドケースのステーの補修から始めてくれました。モンゴルで補修した所をアンドレが見ると「誰がやったんだ!このヒドイ溶接は!」と怒りをあらわにします。そ、そうですよね(>人<;)これはいくらなんでもヒドイですよね(>人<;)
アンドレが丁寧に綺麗に直してくれました。


そしてチェーンカバーについては鉄板からイチから作ってくれました。タイヤについては奥様が街に探しに行っているので次の日には届くから、明日交換しようと言ってくれます。



アンドレは数年前に事故に遭い、右腕に力があまり入らないそうです。
アンドレは言いました。「事故で仕事もお金も友達だと思っていた人たちもたくさん失った。でも、唯一、本当に友達だと思える人たちが残った。だから事故に遭ったことは悪いことではなかったのかもしれない。」
本当に強い人だと思いました。
右腕に力が入らないと言いながらも一生懸命作業してくれました。あまりの手際の良さと丁寧さに心からお礼を言ってお金は幾らか?と聞きました。
するとアンドレは答えました。「バイカーズクラブの壁にはこういう張り紙がある。ツーリストが来たら助けてやれ。でも、部品代以外のお金は請求してはならない。と」
この日、アンドレは私たちのために仕事は午前中までにして切り上げて、私たちのバイクの整備をしてくれました。そして次の日も。
私はとりあえずタイヤの代金を渡し、それでも財布の中に残っていた1,200ルーブル(約2,000円。これしか手元になかったことが悔やまれます)をアンドレに追加で渡すと、深々と頭を下げて「ありがとう、ありがとう」と言うのでした。
私とアシムのバイクは次の日にタイヤ交換をするので、アンドレの自宅にバイクを預けて車で宿泊している所まで送ってくれました。
帰りの車の中でもアンドレは日本の話ばかりします。この街に来るまではアンドレとはアシムがずっとメールでやり取りをしてくれてくれていたのに、アンドレは日本の話ばかりするのでなんだかアシムに申し訳ない気持ちにもなってしまいます。
ロシア人は本当に日本と日本人に対する思い入れが強いように感じます。
我々はロシア人のことをあまり良く知りません。なので冷たく怖い印象を持ってしまいがちですが、彼らは本当に親切で勤勉で仕事も丁寧です。科学、芸術、スポーツなどあらゆる分野で世界を代表する人を多く輩出するのも頷けます。皆さんもイメージするようにロシア人は男女ともに容姿も淡麗で美しい人が多いのですが、決して人種差別をするようなこともなく、我々が買い物などで言葉が通じず困っていると、たくさんの人が助けようとしてくれます。
ロシア人は日本人をとても尊敬してくれていますが、今の日本人の姿を見たら同じように尊敬してくれるでしょうか?少なくとも私という人間は彼らに尊敬されるほどの人間だとは思えません。反省しないといけませんね(>人<;)
帰りの車の中でアンドレが言います。「何て言ったっけ?日本の伝統的な古くからあるバイクチームの名前は?大きな旗を掲げて彼ら独自のファッションで走るチームは?」
日本のバイクチーム??(*´-`)私はそういうのは疎いし有名なバイクチームがあっても知らないなぁと思ったのですが、待てよ…と気づきます。それってもしかして「暴走族??」と聞くと、「Yeh!!BOSOZOKI!!」と言います。
そして「今、ロシアではそのBOSOZOKIを真似したバイクチームがあって活発に活動しているよ(*´ω`*)」と楽しそうに話します。
日本を尊敬してくれるのは嬉しいけれど、暴走族は人様にたくさん迷惑もかけているのであまり良いものではないと教えてあげないといけなかったのかもしれません(>人<;)
強く誠実で優しいロシア人には日本の悪いものは真似して欲しくはないです。
一度宿泊先に戻ってから、アンドレは今度はこの街にあるバイカーズカフェに連れて行ってくれたり、街中を車で案内してくれたり、本当に心からのもてなしをしてくれました。


私もアンドレのように強く優しい誠実な人間になりたいと思うのでした。
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