9/11(水)東京出発95日目、ウズベキスタン6日目、カザフスタン2回目1日目 ヌクス〜ベイナウ 走行距離553km
この日はウズベキスタンからカザフスタンへの国境越えも含めて550km近く走行する必要があります。
というのもこのヌクスから先、国境までの約450kmの区間は砂漠地帯でありほとんど人も住んでおらず、なおかつウズベキスタンではレジストレーションと言ってどこに宿泊したのかをホテルに証明書として発行してもらう必要があり、野宿などもできないためです。
しかもこの区間はガソリンの補給もできず、多くのライダーが予備タンクとして携行缶を携えて走行するという難所です。さらには先日ガスステーションでお世話になったアントンさんの話によるとウズベキスタン側の国境付近100kmは非常に道路状況が悪いということでした。

ロシア語でガススタンドの人にいろいろと聞いてくれます
道路状況が悪いという区間を夜間走行するのは危険なため、朝も早めに出発します。

何故かこんな格好をさせられました。
他のツーリストも写真を撮られたりしてましたけど、こんな格好をさせられたのは私だけなのですが…(;´д`)
何故…?!
ただ私の場合は旅の相棒であるテネレさんが非常に優れたバイクであり、90km/h程度で走った場合、リッター30km近くの燃費を発揮し、さらにはタンク容量23リットルというビッグタンクのため、うまくすれば連続巡行距離650kmを超えるという、現存するオートバイでは考えられないような素晴らしい旅バイクなのです。
もちろんスピードを出し過ぎたり、未舗装路の走行などがあるとその燃費もガクンと下がってしまうので気は抜けないのですが、他のライダーたちに比べると圧倒的に有利な条件で走れることは間違いありません。
ヌクスの街を抜けるとやはりあまり道路は綺麗ではありませんでしたが、それでも悪いというほどではなく、丁寧に運転しても90km/h巡行が可能です。
朝も早い時間に出発したため気持ちの余裕もあり、とにかく燃費を意識しながら走ることができます。
昼過ぎには唯一の途中の町ジャスリクを通過することができ、順調に進むことができました。

しかし、この先が大変でした。聞いていた通り酷い悪路です。穴ボコだらけのアスファルトで酷い振動がテネレさんに加わります。
このような悪路で粕谷さんのオートバイはパミールハイウェイに入る前のアスタナからアルマトイ(カザフスタン)でフレームに亀裂が入ってしまったのです。
私がパミールハイウェイを走っているときにも、BMW GS1200乗りのライダーが同じように振動でフレームを損傷して、どうにもならず無念のリタイヤをしたという話を聞いていました。
頑強なフレームを持つテネレさんだってこれだけの振動が加わり続ければいつそうなってもおかしくありません。
この道を走っているときでした。
突如テネレさんがガランガランと嫌な音を立て始めたのです…。
なんだろうと思って停車して見てみると、またもやサイドステーの後方部分が折れてしまっていて、垂れ下がったナンバープレートが後輪にぶつかっていたのです。

今度はこんなところが(;´д`)
危うくナンバープレートが吹っ飛んで無くなってしまうところでした。そんなことになったら下手をすればこの先旅を続けられなくなってしまいます。
慌ててビニールテープでぐるぐる巻きにして補強します。
国境までの残りの数十キロはなるべく振動が加わらないようの慎重に走ります。
朝早く出たおかげで冷静な対処ができます。
やっとの思いで国境に辿り着いたのはなんだかんだで夕方頃になってしまっておりました。
この国境も厳しいことはなく無事通過することができ、カザフスタンに入りやっと給油できると思い、国境を越えて30kmほどの地点にあるガソリンスタンドに立ち寄りました。
しかしこのガソリンスタンド酷いのです。
値段の表示が無く、私が停車するなりいきなり強引にガソリンを入れてこようとしてきたので、まずは金額を確認しました。
すると私が知っているカザフスタンのガソリンの金額の倍近い値段を言うではないですか!?
私が断っても無理矢理10リットルだろ!とか訳のわからないことを言ってガソリンを入れて来ようとします。
私が外国人だから相場を知らないと思ってふっかけてきているのか、それともウズベキスタンからきたライダーならそのくらいの金額でも入れるのが当たり前だとでも思っているのでしょうか?
すでに無給油で500km以上走っているテネレさんでしたが、燃費を意識した走りが功を奏して、まだまだ余裕で100km以上は走ります。
とにかくこの強引な店員を振り払って先に進みました。
この日目指していたベイナウの町に到着すると私が認識していた価格でガソリンが販売されています。
テネレさんだったからこのような対処ができました。
西モンゴルでもソンクルでもパミールハイウェイでも、テネレさんだから私は走り抜くことができたと思っています。テネレさんでなければ転倒していただろうことは何度もありました。
私の実力を超えて私をここまで連れて来てくれたのは紛れもなくテネレさんです。
もちろん、洋介さんやアシム、フェリーで一緒だったジュンジさん、大澤さん、粕谷さん、ハバロフスクで出会ったチアキさん、ウランバートルの味戸さん、味戸さんのゲストハウスで出会ったルイージさんとスーザンさん夫妻、兵庫出身のセロー乗りの宮崎さん、バルナウルのアンドレ、カザフスタンで出会ったマルチナ、ブライアン、ビシュケクのさくらゲストハウスで出会った清水さん、サチさんを始めとする日本人ツーリストやフランス人のレジスさん、パミールハイウェイを一緒に走ったマイケル、アントニオ、ダニエル、アルティナ、ドゥシャンベで優しくしてくれたアナとマーティン、そして日本から励ましのメッセージをくれる方々、その他にもたくさん力を貸してくれたり励ましてくれたりした方々がいたからこそ私はここまで来ることができました。
そしていつもそばにいてくれて、私の下手くそな運転にも耐えてくれて一生懸命走ってくれているテネレさん。
ここまで連れてきてくれて、ありがとう。
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