10/29(火)東京出発143日目、イタリア2日目 ベネチア
この日は朝からベネチアの街をプラプラ散歩することにしました。
アントニオとノラはベネチアで2年に1回開かれる美術の祭典を見るためにここを訪れているそうです。
そういえばアントニオは美術史の先生をしていると言っていて、旅をしながら同時に本の執筆もしていると言っていたので、もしかしたらそれもあってここに来ているのかもしれませんね。
ノラとのデートも邪魔しては悪いので私は朝から一人でコーヒーでも飲みに散歩に出かけました。
しかしこの日は朝からずっとしとしとと悲しい雨が降っています。決して激しく降ってはいないのですが、その降り方はまるでさめざめと泣いているかのようでした。

ここベネチアは非常に物価が高くてどこのお店に入っても驚くような金額です。東ヨーロッパの安い物価にどっぷり浸かってしまっていた私は特に高く感じてしまいました。
事前に調べていた安くてしっかり食べられる地元の人が集まるというお店に昼食を摂りに行きました。
15ユーロでしっかりとした料理を食べられたのは大変満足でした。ロシアから中央アジア、トルコ、東ヨーロッパとほとんどが肉料理主体だったので、魚料理が食べられたのも嬉しかったです。


ベネチアの街はまるで迷路のように入り組んでいて歩き疲れたため17時頃に一旦アントニオのアパートに戻りました。

夕飯は一緒に食べようとアントニオとノラと約束していたので、一旦アパートに戻っていることを連絡して、再度二人から連絡があるまでブログを書いたりしながらゆっくり過ごしました。
1時間ほどすると、アントニオからすでにお店に入っているからそこまで来てくれという連絡が来ました。
準備をして歩いてそのお店まで行きます。
お店に到着するとすでにワインを飲んでいるアントニオは完全に酔っぱらっています。ノラに支えられないと歩けないくらいです。
本当にどうしようもないオヤジですよ。まったく…。
私が席に着くとアントニオが、
「昨日、『ヒデと再会した』ってパミールチームのメンバに連絡送ったよ。ダニエルとアルティナから返事がきて、ヒデに『くれぐれも無事に旅を続けて』って伝えてくれってさ。」と言います。
そして、少し間をおいて続けます。
「それから…。ヒデに伝えないとならないことがある。どう伝えたら良いのか…。」
アントニオは少し言い淀んだ後、信じられないことを口にしました。
「マイケルが死んだ…。」
は…?何を言ってるんだこのクソオヤジは…?若い彼女とイチャ付いている間に脳みそ沸いちまったんじゃねぇのか?
それともベネチアに来て急に物価が上がってしまったもんだからビックリして私の耳がおかしくなってしまったのか…?
一瞬の沈黙ののち私が口を開こうとしたのを遮るようにアントニオが言いました。
「信じられないのも無理はない。私だって信じられないさ。誰だって信じられるはずがない。でも、マイケルが死んだのは事実なんだ…。マイケルに連絡したら家族から返事があったんだ。交通事故だそうだ。」
隣を振り向くと、ノラが目を赤くして鼻をすすっています。
そのあと、アントニオとノラが何か話していましたが私には何を話しているのか全く分かりませんでした。
しばらくするとノラが私に何か言ってきたので「うん。」とだけ答えました。
ノラ:「どれにするの?」
どれにするってなんだ??あぁ、そうか、今はアントニオとノラと一緒に夕飯を食べに来ていたんだ。メニューを見てるんだったな。えぇとどれにするんだ??
あれ?英語で書いてあるはずなのに読めない…。
私がメニューのページを行ったり来たりしているのを見て、ノラが
「大丈夫?メニューは読める?」
と聞いてきます。
読めるはずなのにおかしいな。読めない。
ノラ:「ここがパスタ。こっちがリゾット。リゾットはわかる?お米を使ったイタリアの伝統的な料理よ」
私:「あぁ、リゾットが良いや。えっと、このキノコのリゾット。これが良いや」
料理が運ばれてきて食事をしているとき、アントニオがパミールハイウェイを走ったときの写真を見せ始めます。
そう、この写真はワハーン回廊の川原でみんなで持ち寄った食材で自炊したときだね。

マイケルが火を起こして、みんなでご飯食べたんだ。
本当に楽しかったよね。このときのことは私には本当に輝きに満ちた大切な思い出なんだ。アントニオにとってもそうだったんだね。
このあと日が沈んで来て、アントニオが転倒して足を捻ったんだよね。
ノラの前では格好付けたいだろうから、そのことは黙っててあげるよ。
食事を終えてしばらくするとアントニオが「外にタバコを吸いに行こう」と言います。
私はほとんどタバコは吸わないのですが、このとき何故アントニオがタバコを吸いに行こうって誘ってくれたのかその意味はわかるので応じました。
そう、マイケルはタバコをこよなく愛していたから。
よく咥えタバコでバイク弄りをしてたよね。

外に出ると昼間あれだけ降っていた雨は上がっていました。
昼間はきっと私とアントニオの替わりにこのベネチアの空が泣いてくれたんだと思います。
そして今はもう降っていません。これはきっと私たちに泣くなと言っているんだと思います。
何故なら私もアントニオもまだ生きているんだから。マイケルだって私たちの泣いてる姿なんて見たくないはずです。
人生で最も苦いタバコを吸った後、私たちはアパートに戻りました。
アパートに戻るとFacebookのマイケルのページをそっと覗いてみました。
たくさんの人たちから哀悼の言葉が寄せられています。マイケルが亡くなったっていうのは本当でした。それも昨日に起きたことだったようです。
その中にアルティナのコメントを見つけました。
「一体何が起きているの?どなたか教えてください。私はパミールで彼と一緒に過ごした者です」
すると一人の方がそれに返事をしてくれていました。
「不幸な交通事故で彼は亡くなりました。パミール…。彼は今『パミールの道』についての本を執筆しているところでした。」
マイケル…。
私にとってはみんなで過ごしたあの『パミールの道』は光輝く黄金の道です。
マイケルの目にはどんな風に見えていたの?その本、読んでみたかったよ。
いなくなってしまったなんて信じられないよ。ポーランドに会いに行ったら「ヒデー!」って言って両手を広げて笑顔で迎えてくれるんじゃないかって…。
俺はあと1か月もしないうちにアフリカに入ると思うよ。恐らく今までよりも大変なことが待ち受けていると思う。でも困難に出会ってもマイケルみたいに笑って乗り越えてみせるからね。
マイケル、あなたと一緒に過ごした最高に素敵な時間をありがとう…。

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