1月26日(日)東京出発231日目、ギニア18日目 ヌゼレコレ
私たちのコートジボワールビザの有効開始日が1月27日だったため、この日は調整のため一日ヌゼレコレに滞在となります。
昨日はここミッションカトリックという宿泊施設の部屋がいっぱいだったため、我々は敷地内でテント泊をさせていただくことにしました。
明け方頃はギニア特有の気候で大変冷え込むのですが、日が昇ると一気に気温が上昇します。
テントの中にいると暑くて仕方ありません。
私は日が昇るとすぐにテントを片付け始めてこの宿泊施設のリビングに移動しました。
昨日一緒に遊んだパトリス、ソーリ、セシルのうち、ソーリだけがリビングで何やら一人遊びをしていました。
恐らくこの三人はある程度裕福な家庭の子供たちなのでしょう。アフリカの子供たちはだいたいが茶色く変色した同じ洋服を毎日身に纏っていますが、ソーリは昨日とは違うこの日もきちんと洗濯された清潔な洋服を着ていました。

私がリビングで溜まっていたブログを書こうとPCを取り出すと、昨日は見なかった子供たちが数人私のところにやってきました。
こうなるとブログを書いている場合ではありません。
仕方なく私はPCをしまい、子供たちの相手をします。
この数人の中の一人の男の子がギニアでは大変珍しく、とても流暢な英語を話しました(こんな風に英語を話せるのは大人でもほとんどいないと思います)。
彼は自分のことをマイケルと名乗りました。ギニアっぽくない名前なので多少は気にはなったのですが、外国人の名前はよくわからないのでそれほど気に留めることもありませんでした。

非常に聡明で賢い男の子でした
マイケルは大変賢く、聡明な男の子でした。
年齢は12歳で将来は科学者になりたいそうです。学校の勉強でも理科と算数が好きだと言っていました。
周りの大人たちが話す内容を聞いて喋っているだけなのかもしれませんが、ギニアの社会構造の問題や大統領の政策についての批判など、この年齢の子供とは思えない話をするのです。
大変流暢な英語を話すので外国に住んでいたことがあるのか?と聞くと、外国には行ったこともないけれど近いうちにアメリカに行くんだと言っていました。
今年の2月20日からアメリカのワシントンDCに行くと言っていました。
マイケルが流暢な英語を話せるのでこちらもいろいろと質問するのですが、後々考えてみると少しアレって思うようなこともありました。
彼の回答の仕方がいつも曖昧なのです。私が質問をしたことに対してそのままズバリの返答をするのではなく、まるで日本人のような言い回しで、どこかはっきりしないのです。
日本人である私にはそこまでの違和感はなかったのですが、恐らく外国人が彼と話をした場合には違和感を感じるのではないでしょうか?
しばらくマイケルと会話をした後、今度はリビングに置いてあったチェスをしようと言い始めました。
私はチェスのルールが分からないと答えると、他の子とやってみせるから見ててねと言います。
二人がやっているのを見て何となくのルールはわかってきたのですが、マイケルは敢えて負けるようなコマの動かし方をします。
早く私と対戦したいからワザと負けて早く終わらせようとしているのかとも思いました。
しかし私と対戦したときも同じようにワザと負けるようなコマの動かし方をするのです。もし、彼はゲストである私を接待するためにワザと負けたのなら驚くべき12歳です。
そんなこんなしているとそろそろお昼の時間になったので、リョウさんにランチに行きましょうか?と声を掛けました。
するとマイケルも一緒に来ると言います。
私たちが立ち上がってリビングを出ていこうとしたときに、この施設を現在管理しているフランス人の男性がマイケルに向かって「あれ?君の名前は何て言うんだい?」と聞いていました。マイケルが自分の名前を答えると「マイケル?!君はギニア人だろ?ギニアの名前は何て言うんだい?」と聞きました。
私はマイケルが答えたギニアの名前を聞き取ることはできませんでしたが、私はてっきりここにこんな風にいるマイケルのことは施設の人も知っているものだと思って少し訝しく思いました。
リビングを出ると、リビングで遊んでいた他の子供たちもみんな私たちについてきます。
何人いるのだろうか?みんなついて来るの?
多分お金は足りるとは思うのですが、これだけの人数の子供をつれていくのは大変だし、どこかではぐれてしまっても顔も名前もわからない子もいるのでちょっと不安だなぁと思いました。
しかし、実際は我々が施設の敷地の外に出ていくとわかるとマイケル以外の子供たちはそれ以上はついてきませんでした。
食堂に向かう途中、歩いているとマイケルが手を繋いできます。子供とは言え、12歳の男の子と手を繋ぐのは日本人である私にとってはだいぶ違和感があり、正直さすがに少し気持ち悪いと思ってしまいました(もっと小さな子供であればそんなことはないんですけどね…)。
食堂に着いて注文をします。
マイケルはフランス語も当然話せるので料理を注文するときも大変助かります。
私とマイケルは同じ料理を注文し、リョウさんだけ違うものを注文しました。
私とマイケルの料理が先に運ばれてくるとリョウさんが「先に食べてください」と日本語で言いました。
なので私がナイフとフォークを取ってマイケルに渡そうとすると、「ダメだよ。リョウの料理がまだ来ていない。僕は待つよ」と言います。
マイケルは本当に12歳とは思えないしっかりものです。
私は先日捻った左足首がまだ良くなっていなかったので、食事を終えると薬局に包帯と痛み止めの薬を買いに行くことにしました。
マイケルまで私につきあわせるのも申し訳なかったことと、リョウさんとマイケルが仲良くなるチャンスかなと思ったので、二人には先に戻ってもらうように言いました。
しかし英語が苦手なリョウさんは「通訳としてヒデさんに一緒にいてもらったほうが良いので一緒に行きます」と言って結局私について来てくれることになりました。
結果、薬局でもマイケルがフランス語の通訳を買って出てくれたおかげでスムーズに買い物することができたので大変助かったのですが…。
宿泊施設に戻ると子供たちの相手はリョウさんに任せて私はブログを書き始めました。
リョウさんには大変申し訳なかったのですが、私の足首の痛みがまだ全然残っていたため、子供たちと遊んで更に痛めてしまうことを避けたかったのです。
リョウさんも疲れていて休みたかっただろうに大変申し訳なかったです。
そんな風にしていると、いつも子供に大人気のリョウさんはここでも子供たちに好かれます。
マイケルも例外ではなく、だいぶリョウさんになついているようでした。
夕方になりマイケルがリョウさんに「テントの張り方を教えてよ」と言ったようです。リョウさんは私のところに来て「マイケルがテントの張り方を知りたいらしいんですよ。俺はすでにテントしまっちゃったからヒデさんお願いしますよ」と言ってきました。
私は正直面倒くさかったことと、マイケルはリョウさんにお願いしたかったような様子が伺えたので「私は面倒なので嫌ですよ。リョウさんやってあげてください」と答えました。
リョウさんも面倒だったようですが、そこは心根の優しいリョウさん。マイケルのためにテントの立て方を教えてあげたようです。

そして更にしばらくするとまたマイケルが私のところにやってきて「ヘルメット貸して」と言ってきます。
私:「構わないけど何に使うんだ?」
マイケル:「リョウと二人でバイクに乗るんだ」
私:「おいおい。気を付けるんだぞ」
マイケル:「大丈夫。わかってるよ」
そういうと私のヘルメットを持ってマイケルはリョウさんの所に行きました。
リョウさんの運転するNC700の後部座席に乗って敷地内を走るマイケルは本当に楽しそうでした。

後ろに載ってるのはパトリス
日も沈みリョウさんと一緒にまた夕飯を食べに行こうとすると、当然のようにマイケルもついてきます。
午後の時間でリョウさんとマイケルはだいぶ仲良くなったようで、特にマイケルはリョウさんに大変なついていました。
するとリョウさんが言いました。
リョウさん:「こいつと仲良くなったけど、英語がわからないからこいつの言っていることがわからないんだよなぁ」
それを聞いてマイケルが私に聞いてきます。
マイケル:「ねぇ。リョウは何て言っているの?」
私:「彼はあまり英語が得意じゃないんだ。だから君が言っていることを理解するのが難しいって」
マイケル:「そんなのわかってるよ。だから僕の言いたいことはヒデに説明してるんじゃないか」
そんなやりとりを傍目で見ていたリョウさんはさらに悲しい顔をしていました。でも、マイケルは最後にこう付け足しました。
マイケル:「言葉は通じないかもしれない。でも、リョウは僕に僕の知らなかった新しい世界をたくさん見せてくれたよ」
それを通訳してリョウさんに伝えると、リョウさんは嬉しそうな顔をするのでした。
言葉なんて道具の一つにしか過ぎないじゃないですか。リョウさんだってマイケル以外の、英語を話せない子供たちとも普段普通に遊んでるじゃないですか。なぜ英語だけは理解できないといけないって思うんですか?
日本人には英語コンプレックスが根強くありますけど、私はここまで旅をしてきて、海外では予想以上に英語を話せる人は少なかったです。それでも私は全く言葉の通じない人たちとコミュニケーションをとってやってきましたよ。全く英語を話せない子供たちと一緒に遊んできましたよ。リョウさんだって同じはずです。
マイケルの言った「リョウは僕に僕の知らなかった新しい世界をたくさん見せてくれたよ」という言葉。言葉を交わすよりも二人にとってはずっとずっと大切なことだったんじゃないですか?もちろん仲良くなった子とうまく言葉での会話ができないことはもどかしいのかもしれませんが、私はリョウさんがマイケルにしてあげたことを誇りに思い、大切にしてほしいと思います。
二日間通い詰めた食堂で食事を済ませると、マイケルがお店の人と一緒に写真を撮りなよと言って写真を撮ってくれました。せっかくだからマイケルも一緒に入った写真も撮りました。
適当に変な格好させられてるんじゃないの?!
明日は私たちはこの地を離れてコートジボワールに向かいます。
マイケルが帰り道に「ねぇ、僕のお父さんとお母さんはガーナに住んでるんだ。ヒデとリョウのことを話したら近いうちに僕もガーナに行って良いって言われたからガーナでも会おうよ。僕は今おばさんと住んでいて、明日の朝、おばさんからヒデにガーナのお父さんの連絡先を教えてもらうようにするからさ」と言いました。
ガーナのアクラではアンゴラビザの取得が必要で、なかなか面倒な手続きが必要です。我々のビザの期間を考えると本当にアンゴラビザがその期間で取得できるかも不明なため、ガーナ在住者と知り合えるのは大変ありがたいです。さらにはマイケルのお父さんはガーナで船会社を営んでいるということでした。
我々はナイジェリア入国がほぼ絶望的なので、ベナンから船でガボンへバイクを輸送しようと考えています。もしかしたらマイケルのお父さんからベナンの船会社を紹介してもらえるのではないかと淡い期待も抱きました。
夕食の時間が少し遅かったため宿泊施設に戻ったのは21時頃でした。
マイケルを夜遅くまで連れまわしてしまったので家まで送ると言ったのですが、マイケルは「まだ僕はリョウと一緒にいるよ」と言いました。
それを通訳するとリョウさんは「えぇー!お前もう帰れよ。俺はもう寝るんだから」と言うのですが、そこは優しいリョウさん。なんだかんだで部屋にマイケルを入れてあげていました。
私はというと、明日の朝、リョウさんは果たして寝坊しないできちんと起きてくるのか心配しつつゆっくりと一人部屋で眠りに就くのでした。
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