1月27日(月)東京出発232日目、ギニア19日目、コートジボワール1日目 ヌゼレコレ~マン 208km
結局私たちはマイケルときちんとしたお別れをすることができずに出発することになりました。
この日はコートジボワールへの国境越えが待っています。
予想としてはだいぶ道路状況は悪いと思っていたのですが、この日も予想に反して道路自体はだいぶ整備されていました。ときおり通過する町中は未舗装路となっていたのですが、深いクラックがあるわけでもなく、そこまで難なく走ることができます。
ヌゼレコレの町から70kmほど走るとギニアのカスタムがありました。
カルネを見せるように言われたので鞄から取り出すと、出国の印が無いのでここを通すことはできないと言われます。
ちょっと待ってくれよ!普通カルネの出国印はここで貰うものなんじゃないのか?!
するとこのじいさんは、「今日はボスがここにいないんだ。今日ボスはロラという町にいるからそこまで戻ってもらって来い!」と言います。
地図アプリで調べてみるとロラの町は40kmも手前にあります。我々が通過したときには何も言われませんでした。
往復80kmの道をもう一度走るのは大変億劫なのでここで何とかしてくれないか?と言うのですが、このじいさんは「ダメだダメだ!戻った戻った!」と言ってどうにもしてくれません。
仕方がないので我々は再度ロラの町まで戻ることにしました。
ロラの町の出口辺りに確かに事務所のようなものがあったのでそちらに行ってカルネの出国印が欲しいと言うと、「ここじゃないぞ!ここから40kmくらい言ったところにカスタムがあるからそこで貰え」と言います。
私が「おいおい、我々は今その40km先のカスタムに行ったらロラで貰って来い!って言われたんだ」と言うのですが、新たにもう一人ふてぶてしいやつがやって来て「ここじゃない!」と言います。
めんどくせぇなぁ。こいつら。
しかし、最初に話をした担当官が中で確認してくれて、やっぱり今日はここで印が貰えると言って中に通してくれました。
印をもらって再び先ほどのカスタムまで戻ると、今度は先ほどのじいさんがニコニコ顔で「セボン(OK)」と言って道を通してくれました。
その先にギニアのイミグレーションがあってパスポートに出国印をもらうのですが、ギニア人はほとんで英語が話せないので非常に疲れます。
やっとのことでギニア出国の手続きをすると、国境を越えたすぐの所にコートジボワールの警察の建物がありました。
ここがコートジボワールのイミグレーションになるのかと思い中に入って行くのですが、中にいた警察官が一旦我々を外に追い出そうとしました。かと思うとすぐに呼ばれて奥の偉そうに座っている男がいる部屋に通されました。
我々がこの男の前に置いてある椅子に腰かけてもなかなか手続きをしようとしません。
そして、「ここは警察の施設だ。イミグレーションは我々の仕事ではない。我々はこの目の前の道の道路工事のためにここにいるんだ」と言います。
ならばなぜパスポートの提示を求める???
「ここを通る人間がどんな人間なのかを監視する必要がある。」そう言うとのらりくらりとパスポートの情報を書き写しながら我々に質問してきます。
「職業は何だ?日本の住所と電話番号を教えろ。コートジボワールに来た目的は何だ?今日はどこから来たんだ?今日はどこに行くんだ?」
本当にのらりくらりと手続きをします。
あまりにも手際が悪く、手続きが終わってもパスポートを返してくれないので賄賂の要求かと思うほどでした。
すると、この偉そうな態度の男は我々のパスポートを持ったまま部屋を出ていき我々に着いて来るように言いました。
そしてある部屋の前で待っているとパスポートを返してくれ、そこにはコートジボワールの入国印が押されていました。
私が「あれ??ここはイミグレーションですか?」と聞くと「そうだ。イミグレーションだ」と言います。
最初に自分たちはイミグレーションの仕事をするわけでは無いと言ったのは何だったんでしょうか?私の聞き間違えということは無いと思います。と言うのも最初この男が言っている意味が分からなかったので「ここはイミグレーションではないのですか?」と聞いたら「そうだ。イミグレーションでは無い」とはっきり答えたのです。
本当に全く意味がわかりません。
警察署の建物の入り口まで出ると、白衣を着た医師らしい人に来るように言われたのですが、先ほどの偉そうな警察官にその前にバイクの前に立つように言われました。
何かと思ったらただの記念撮影でした。日本からバイクで来た我々が珍しかったようです。
その後先ほどの医師らしき人に黄熱病の予防接種の証明書を見せると、無事コートジボワール入国となりました。
手続き自体は大したことは無いのですが、なんだか非常に疲れる国境越えとなりました。
国境での手続きが予想以上に時間がかかり、この日の目的地であったマンの町に到着したのは午後5時頃でした。
宿に到着すると中は冷房が効いていました。
そしてまだ夕方の時間帯にも関わらず電気も点きますし(ギニアは夜7時~朝6時の間しか電気は使えず更には頻繁に停電していました)お湯のシャワーも出ます!!
しばらくギニアにいた私にとっては感動よりも違和感の方が強かったです。
確かに快適です。快適ですし嬉しいです。でも…、でもなんか違うって思ってしまうのです…。
たったほんの100kmほど手前の国境を越えただけで、あの人懐っこくて気のいいギニア人たちはあんなに不便な生活をしていると言うのに…。
それがコートジボワールに入った私の最初の感想でした。