2月3日(月)東京出発239日目、ガーナ4日目 アクラ
2月2日は日曜日ということで大使館が休みだったため、アンゴラビザの取得のための書類の最終チェックと足りなかったものを作成しました。
そうして満を持してこの日はアンゴラ大使館に向かったのですが、我々には一つの懸念事項がありました。
それは2月4日(火)がアンゴラの祝日で、日曜日と祝日に挟まれた月曜日も休みになるという話も聞いていたのです。
なのでこの日ももしかしたら大使館は休みではないかという予想もあったのですが、アンゴラビザの申請ができるのは月曜日と火曜日の午前中だけという情報もあり、この日に申請できないと来週まで身動きが取れなくなってしまうので、とにかく行ってみることにしました。
アンゴラ大使館に到着しバイクを停めて受付に行くと、恐れていた通りこの日は大使館は休みということでした。そして当然翌日も休み…。
マジかぁ…。
すると「水曜日はやっているわ」と受付の女性。
「水曜日でもビザ申請の受付をしてくれるのですか?」というこちらの質問に対しても「えぇ、やっているわ」との返事でした。
これは非常にありがたいです!一週間やることも無く待つ必要は無さそうです。
そして実は我々は必要な書類の大部分は用意していたのですが、実は一つ作成しないとならない書類がありました。
それは在ガーナアンゴラ大使館のホームページにも書かれているのですが、自己紹介文(なぜアンゴラに行きたいのか。どこから入国しどこを経由してどこから出国するかなどを記載したもの)をアンゴラの公用語であるポルトガル語に翻訳したものを作成しないとなりません。
そしてさらに厄介なことに、そのポルトガル語への翻訳はアンゴラ大使館の指定するGhana Institute of Languages というガーナの語学学校で作成されたものでないとならないのです。
我々はその書類を持っていなかったので、例えこの日アンゴラ大使館がやっていたとしてもビザの申請は受け付けてもらえなかったでしょう(それでも必要書類の確認だけでもできないかという思いもあって訪問したわけですが)。
ですので我々はその足でその指定された語学学校に行くことにしました。
アンゴラ大使館からその語学学校までは6~7kmの距離でバイクでそこまで時間はかかりませんでした。
学生たちが歩いている中をバイクで入って行くのに多少気後れする部分もありましたが、受付らしきところに行き、アンゴラビザ申請のために書類をポルトガル語に翻訳してほしいと言うと、すぐに理解してくれて担当の先生の所に案内してくれました。
事前に調べていた通り書類一枚当たりの翻訳料金は150セディ(約3,000円)です。
こんな程度の書類の翻訳でその値段はぼったくりにしか思えませんが、指定されている以上従うしかありません。
しかも仕上がりは翌日だと言われました。書類が準備できたら電話をするということで電話番号の記載を要求されたため、宿の電話番号を記載します。果たして本当に電話をくれるか不明ですが、12時頃に電話するということだったので、電話が無くてもそのまま取りに来ようと思いました。
この書類が手に入ればホームページに記載されているアンゴラビザ申請に必要な書類は揃うことになります。
ただし、必要書類が多いことと、形式も果たして本当に大丈夫なのかわからないものもあるため、書類の再提出などを求められた場合に果たしてビザ取得までにどれくらいの時間がかかるか不明です。
我々のガーナビザもコナクリの大使館では2月15日までと言われていたのですが、ガーナ入国日には検問の警察官に2月末まで有効だとも言われました。
これは死活問題にかかわるので、私はこのまま警察署に行き、我々のガーナビザの有効期限が本当はいつなのか確認することにしました。
リョウさんは昨日の書類作成で夜遅くなっていたことなどからだいぶ疲れているように見えたため、先に宿に戻ってもらうようにお願いしました。
警察署に着くと、受付で二人の男性が警察官に何かを訴えていましたが、そこにいた警察官が私の姿を認めると何の要件か聞いてきます。
私が「私のガーナビザの有効期限を知りたい」と言うと、私のパスポートに貼られたガーナビザを確認し始めます。
私の前にいた二人の男性も一緒になってビザを確認します。
私が「このビザを取得した大使館では2月15日までと言われましたが、昨日に検問していた警察官には2月末まで有効だと言われました。実際はどうなんですか?」と尋ねると、先に警察官ではない男性二人が「これは2月末まで有効だろう」と言います。
警察官の方はだいぶ悩んでいましたが「そうですね。あと27日間は有効です。なので2月末までは大丈夫です」と言いました。
それを聞いて多少安心はしたのですが、私はとことん人を信用できないので、念のためこの警察署の名前がわかるように入り口の写真などを撮り、万が一2月16日以降に出国となり、何か文句を言われたら、「私はきちんとここの警察署に行って確認している」と主張できるようにしておきました。

さて、この日はこれで必要な用事は済ませたのですが、私はテネレさんのエンジンオイルの交換をしたく、またアンゴラ大使館のすぐ近くにハーレー(ダビッドソン)ショップがあるという情報を得ていたため、そこでできないか行ってみることにしました。
私がハーレーショップに到着し店の中に入って行くと、大変な厚遇をしてくれます。
「どこから来たんだ?」と聞かれたので「日本から」と答えると「ちょうど一年くらい前に日本人二人組が来たけど、知り合いか?」と聞かれました。
時期と二人組の日本人と聞いて、もしかしたら昨年南アフリカまでの旅を終えたメタボンさんと竹森さんのことを言っているのかと思い、二人の写真を見せたところ「そうだ!そうだ!この二人だ!」と言いました。
そして「今彼らはどうしているんだ?」と聞かれたので「二人は無事に南アフリカまでの旅を終えて、メタボンさんは日本、竹森さんは再び南アフリカから旅を再開した」と伝えると、みんな大喜びでした。
残念ながらここではハーレー専用のエンジンオイルしか置いていないということでエンジンオイルの交換はできなかったのですが、冷たい飲み物をご馳走になり、さらにはこの店オリジナルのピンバッジまでいただいてしまいました。


お礼にと私の旅のステッカーを差し上げるとすぐにノートPCに貼ってくれて「ここに貼っておけば仕事の度に君のことを思い出すよ」と言ってくれました。
宿に戻るとリョウさんがすぐに迎えてくれました。疲れてそうだったのでてっきり寝ているかと思っていたのですが、リョウさんは私に冷たいジュースを買って待っていてくれました。
きっと私一人に警察署に行かせてしまったことを申し訳なく思っていたのかもしれません。
むしろ気を使わせてしまったようで申し訳なかったです。
この日お願いしたポルトガル語に翻訳する書類も難しいものではないので、明日きちんと仕上がってくることでしょう。
それを持って水曜日にはまずはビザの申請が受理されることを願うばかりです。
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