2月20日(木)東京出発256日目、ベナン8日目 コトヌー
朝9時
我々はバイクを貨物船に積載するために宿でスラデュさんを待っていました。
朝9時にスラデュさんは迎えに来てくれると言っていたのですがなかなか来ません。
9時40分になってもスラドゥさんはやってこなかったのでこちらから電話をしてみます。
私:「おはようございます。スラデュさん、大丈夫ですか?」
スラデュさん:「あぁ、申し訳ないです。今からすぐにそちらに伺いますので少々お待ちください」
うーん。電話の声を聞いた感じ、今起きたような雰囲気です。船はこの日の午後に出港するということなのですが本当に大丈夫なのでしょうか?
11時頃になりスラデュさんがやっとやってきました。
ちょっと2時間の遅刻はいかがなものかと思ったのですが、後で聞いた話によると腰痛で動けなかったそうです。スラデュさんはすでに現役を引退しているということでしたので見た目以上にご高齢なのでしょう。そして連日猛暑の中我々のために一生懸命動き回ってくれ、疲れが出てしまったのかもしれません。
港に到着してウンゲ氏のところに行くとこの日の流れをスラデュさんが説明してくれます。
支払いをした時点で港への入館証を作ってくれるということですが、スラデュさんがまず先にCASSANGA(今回我々が使用する船)を見に行こうと言います
恐らく私が発注する前に船を見せろと強く主張していたのでその約束を守ろうとしてのことだと思います。しかしもうすでに発注済みですので今更見ても仕方ないとは思いつつ、せっかくの善意でしたので船を見に行くことにしました。
しかし、やはりまだ我々には入館証が無かったため、入り口で入港を拒否されてしまいました。スラデュさんは何やら交渉してくれようとしてくれたのですが、私たちにとって今更船を見ることには大きな意味はなかったので、難しいなら見なくて構わないと伝えました。
ウンゲ氏の所に戻ると早速支払いを済ませました。
支払いを済ませるとバイクをトラックに積み込む(貨物となるバイクは港内を走れないそうで、一旦トラックに積む必要があるとのことでした)ためにウンゲ氏の会社の倉庫のような所に移動しました。
倉庫まで行くとリョウさんが
リョウさん:「ちょっと飲み物を買ってきます」
と言って近くの商店に買い物に行ったのですが、そのときの顔色が大変悪かったので、多少心配ではありました。
そして、戻ってきた後も倉庫の日陰で休んではいましたが大変体調が悪そうです。
少ししてスラドゥさんとウンゲ氏がこれから昼食を取りに行くけれども一緒に行くか?と声を掛けてくれました。
私:「私はぜひご一緒したいと思うのですが、彼があまり体調が良くないようです」
私:「リョウさん、大丈夫ですか?もしあまり良くないなら無理しなくても大丈夫ですよ。」
リョウさん:「ちょっとダメです。気持ち悪いです」
そう言ってえずいたので、これは本格的にまずそうだなと思いました。
それを見てスラドゥさんもウンゲ氏も驚いたようで慌てて近くの食堂の日陰に連れて行ってくれました。
私は朝食もしっかり取っていてそこまでお腹が減っていたわけでは無かったので
私:「すみません、スラドゥさん。彼をここに一人置いて行くのも心配なので私もお昼は遠慮させてください」
そう言って私はここでジュースを注文してゆっくりすることにしました。
この場所は日陰ではありましたが、湿度が高く大変不快な暑さです。リョウさんの症状を見ると恐らく熱中症だと思われます。
リョウさんは椅子に座っていてもダルそうで、何度か立ち上がると壁際の方に歩いて行ってえずいていました。
そして遂には座っていることもままならなくなり、そのまま地面に横になってしまいました。
本当にスラドゥさんはどこまでも優しいです
体を冷やせれば体調はある程度は回復するとは思うのですが、外にいる限り厳しいのではないかと思います。
この日、これからバイクの積み込みがあります。例え少し回復したとしても作業ができるのか不安です。リョウさんの分も私が代わりにやることは全然構わないのですが、船の積み込みはリョウさん自身が自分で納得できるようにやりたいだろうからどうしたものかと考えていました。
リョウさんはギニアのコナクリ辺りからずっと体調を崩していました。マムーでは夜中に高熱を出し病院にかかりましたし、ガーナのアクラでもずっとお腹を壊している様子でした。ここコトヌーに入ってもマックスから食事の誘いがあった時なども体調不良で動けなかったりしていました。
ビザ取りで長期の滞在となることが多くゆっくりする時間は十分にありました。大都市での滞在だったため宿の環境もそこそこ良かったのですが、それでも体調を崩したままということはアフリカの環境がリョウさんには合わないのかもしれません。
心配なのがこの先の行程です。
今までは時期的にも乾季であり、思ったよりも全然環境的は良かったように思うのですが、ガボンからは雨季に入り、さらにその次のコンゴは今までとは比べ物にならないくらい環境は悪いと思われます。
雨季ともなればマラリアのリスクは今まで以上に高くなります。コンゴでは最近再びエボラが流行の兆しを見せているようです。
エボラも普通にしている分には問題ないと思っているのですが、もし病院にかからないとならないような事態になった場合に院内感染という面から怖いものとなります。
そんなことを鑑みて、次に行くガボンでは船が到着するのを待つために数日滞在するので、体調を整えてもらう意味でも少し良い宿に滞在しようと思うのでした。
スラドゥさんとウンゲ氏が戻ってきて、我々のバイクをトラックに積み込みます。日陰で横になっていたリョウさんもだいぶ体調が回復したようでなんとか動けそうとのことです。
屈強な男たちが数人がかりでトラックにバイクを積み込むのですが、倒してしまわないか大変心配です。

無事になんとかバイクをトラックに積み終えると興奮した男たちが「俺たちのパワーはスゴイだろ!」といわんばかりに筋肉アピールをしてきます。
トラックが港に向けて出発したのち、私たちもバイタクに乗り港に向かいました。
港に到着するとリョウさんのバイクはすでに船に積まれていて、私のバイクがちょうど積み込まれている途中でした。

綺麗な船ではないですけど、大きな船です。以前は貨物船ではなくフェリーとして人も運んでいたそうですが、最近貨物船になったとスラドゥさんが教えてくれました。それに伴い、コトヌーにはフェリーは無くなったそうです。
ここでも屈強な男たちが数人がかりで運んでいるのですが、船の上には他の積み荷もたくさん置かれていて、足場も悪く、狭い場所を運ばないとならないのでなかなかてこずっています。

私のテネレさんはこの旅で今まで何度も転倒させているので、今更多少の傷がついたところでそんなに気にはしないのですが、雑に扱われて変なところを壊されたりするのも嫌なので、少しでもヨロメク度に私は大きな声で「オイオイオイ~!」と声を掛けました。
するとそれに反応して現場のリーダーっぽい人が「おらぁ!ちゃんとやれー!」と声を掛けてくれるのでした。
我々が港にいるときにウンゲ氏が
ウンゲ氏:「私たちの仕事は完璧ですか?何か不備はありますか?何かあれば遠慮なく言って欲しい」
と言ってきました。
これまでウンゲ氏と会話をするときは常にスラデュさんが通訳に入ってくれていたため、私はてっきりウンゲ氏は英語は話せないものだと思っていました。
ウンゲ氏に対するかなり厳しい発言を本人がいる前でスラデュさんに対して言っていたので、もしかしたらその内容をそのまま理解していたかもしれません。(どこまで通訳するかは完全にスラデュさんに任せていたので、私の言っていることを理解していなくてもスラデュさんが通訳していた可能性はありますが)
ウンゲ氏は大きな体で態度もふてぶてしいですが、はっきりと厳しいことを言われて一生懸命この仕事を完遂しようとしてくれていたようです。
私が半分ははったりで「今年さらに4人の日本人ライダーがここに来る予定がある。今回の対応次第では彼らにはコトヌーには来ないように勧める」と言ったことも効果があったのかもしれません。
スラデュさんが一生懸命対応してくれていることはわかりますが、恐らくこの男もその裏で短い時間の中で一生懸命対応してくれていたのでしょう。
私:「大丈夫ですよ。ありがとうございます」
と返事をしました。
事務所で作業をしていたというスラデュさんも様子を見に駆けつけてくれました。
スラデュさんは元々船のメカニックであり、世界中のたくさんの港で仕事をしていたそうです。日本でも横浜、茨城、大阪、福岡で仕事をしたことがあるので挨拶程度の日本語も話せるとのことでした。
いつもは民族衣装のようなものを着ているスラデュさんですが、港に来たときは作業服を着てヘルメットを被っていました。
すでに引退されているということでしたが、スラデュさんの立っている姿や歩いている姿だけであってもその立ち振る舞いは他の作業者に比べても圧倒的に洗練されていてカッコいいものでした。
もちろん人間は中身が伴っていることは大前提ですが、その立ち振る舞いもカッコイイということはとても大切だなと感じました。

無事、船への積み込みが完了したのは17時を少し回ったところでした。
大変お世話になったスラドゥさんに挨拶をします。
私:「本当にお世話になりました」
スラドゥさん:「どういたしまして。そういえば飛行機は明日でしたね。空港まではどうされますか?もし必要でしたら車で送りますよ」
それは大変ありがたいです。お言葉に甘えてお願いすることにしました。
相手が日本人ではないということで本当に大丈夫なのかとドキドキヒヤヒヤの一週間でしたが、スラデュさんという大変素敵で誠実な方の協力のおかげで、無事にバイクを船に積み込むことができました。
当たり前ですけれど人間はどう頑張っても社会で生きていく限り誰かに助けてもらわないと生きていけません。
「たくさんの人たちに出会って、笑って、怒って、そしてたくさんの人たちの優しさに涙する」
結局はそれがこの旅なんだと、この日、あらためて強く感じるのでした。
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