3月3日(火)東京出発268日目、ガボン12日目 ンデンデ~ 走行距離15km
この日は遂にこの旅一番の難所と言われるガボン-コンゴ国境にかけての約300kmに渡る最悪のマディ(泥道)への挑戦となります。
朝7時半過ぎにはバイクに荷物を積み込み、イミグレーションに行き、出国の手続きをします。
イミグレーションは朝の7時半から開いているということでしたが8時少し前に行った時点でたくさんの人が並んでいました。
その中に白人の男性が混じっていて、フレンドリーに話しかけてきます。
どうやら彼はバックパッカーとして世界中を回っているブラジル人のようです。
すでに90か国近くを旅していて、アフリカの次はロシア、東アジア、東南アジアを旅する予定だと言っていました。ブラジルには日系人が多く住んでいることから日本人に対して親近感があると言っていました。
母国の言葉であるポルトガル語にそれに似ているスペイン語、その他にもフランス語と英語を話せることから世界中のかなりの地域で言葉によるコミュニケーションが取れるようです。
彼の出国印とほぼ同時に我々の出国印も貰えたので、お互い挨拶をしていざ出発します。
ンデンデの村を出ると、すぐに未舗装路が始まります。
始めの幾つかの酷いマディ(泥)の水たまりはなんとか必死に乗り越えます。


村を出てから10kmほど走るとだいぶ大きな水たまりとトラックや車のタイヤで掘り返された難関が現れます。
一旦バイクから降りてどこを走るべきかを確認します。
私は一番左側の掘り返されて酷い状態の場所では無く真ん中の比較的凹凸の少ない場所を選んで通ろうとしました。
この場所は凹凸は少ないのですが見るからにドロドロで滑りそうです。
こういった場所は思い切っていかないといけないと思ってその場所を通る瞬間にアクセルを開けて一気に通過してしまおうとしたのですが、アクセルを開けた瞬間にタイヤが滑ってバイクの制御が全く効かなくなり、隣の大きな水たまりに転落…。転倒してしまいました。
一瞬足首を捻って多少痛みは感じたものの、なんとかなりそうです。後ろから車とトラックとバイタク(東南アジアのトゥクトゥクを小型にして屋根なしにしたようなもの)がやってきたのですぐに助けてもらえるかと思いました。
しかし車の男たちは自分たちが汚れるのが嫌なようで、車から降りてくると転倒しているテネレさんを写メで撮るだけで一向に助けてくれる気配がありません。
トラックの男が降りてきてくれてなんとかテネレさんを引き上げることができました。
しかしこの場所は大変難しい場所で三輪のバイタクですらスリップしてあわやスタックしてしまうという状態でした。
リョウさんのバイクは私とトラック運転手の二人が後ろで支えながら走り、一回軽く転倒しましたが、なんとか通過することができました。

私が転倒した後、後ろから来た人たちはリョウさんに、写真向かって右側の水溜まりの中を走るのが一番マシだと教えてくれました
このときいたトラックも車も三輪のバイタクも先に行ってしまい、私たちは水分補給だけをしてゆっくりと運転を再開しました。
そこから更に5kmほど進んだ場所でまた難所が現れました。
どうにも無事に渡れる気がしません。しかしここを通過しないと先には進めないのです。
思い切って行くしかありません。
少し斜めに落ちている個所はヌルヌルになっていてどう見て滑ってしまいそうです。
勇気を出して思い切ってアクセルを開けて渡ろうとした瞬間…
制御の効かなくなったテネレさんは派手に転倒し私の左足を巻き込みながら倒れました。
アクセルを開けたまま転倒したバイクは地面に対して回転し、巻き込まれた左足にはバキバキバキと聞いたことの無いような音と激痛が襲います。
この瞬間私の旅は終わったと思いました。どう考えても簡単な怪我とは思えませんでした。
バイクの下敷きになり立ち上がることすらままなりません。
リョウさんにお願いして少しバイクをずらしてなんとか這い出ることができました。

左足を地面に着こうとするだけで激痛が走ります。どう考えてもこれ以上走ることはできません。歩くことすらまともにできないのですから…。

歩くこともままなりません…
リョウさんが一人でテネレさんを起こそうとしてくれるのですがこんな足場の悪いところではまず無理です。
私:「無理しないでください。この足場では一人では無理です。誰か通りかかるまで待ちましょう」
このときまで私はすごく簡単に考えていたのです。
朝の時点でもイミグレーションのたくさんの人がいましたし、先ほどの難所でも車やトラックやバイタクがいて車通りだってそれなりにあるだろうと思っていました。
それに我々は二人いるのですから、バイクを倒したら起こせばいいくらいに考えていました。こんなマディの道ではバイクを倒しても走行不可になるような壊れ方はしないだろうと思っていたのです。
しかし、まさか自分が怪我をしてしまうとは…。
時刻は11時少し前。
15分かそのくらい待てば車が通ると思っていました。空荷のトラックが通ったらこのままコンゴの大きめの街までバイクごと乗せてもらおうなんて楽観的に考えていたのですが甘かったです。
全く車が通らないのです。
そしてこの暑さ…。
数百メートル歩けば木陰らしきものがありそうなのですが、私はバイクの傍を離れてしまって、いざ車が通ったときに助けてもらえないのが嫌で(恐らくそんなことはないでしょうけれども)日陰まで移動する気になれませんでした。
リョウさんには日陰に行くように言うのですが、心の優しいリョウさんは私の傍にいてくれます。
私はもともと泥道の走り方が全く分からないのです。どうやったら走れるのか?走れるイメージが全然ありません。
そのことをリョウさんに言うと
リョウさん:「俺は怖いからアクセルは開けないで半クラか惰性だけで走ります」
と言いました。
それでした…。
私は怖いから一気に渡ってしまおうと思ってアクセルを開けてスリップして転倒しているのです。何でもっと慎重になれなかったのか後悔しかありません。
それを聞いて、もう一度挑戦したいという気持ちとこの道を走り切れなかった悔しさが込み上げてきます。しかしこの足では再挑戦は不可能でしょう…。
転倒から1時間が経ちました。
全く車の通る気配がありません。
そして2時間が経過しました。
それでも車は通りませんでした。
最初はコンゴの大きめの都市まで行くトラックに乗せてもらおうなんて考えていましたが、こうなってしまった以上、最悪自分たちだけでもンデンデに引き返すなりしないと危険です。
段々と焦ってきます。
夕方になれば朝方にコンゴを出発して夕方にガボンに着く車が来るだろうからそれを待つしかなさそうです…。
続く
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