3月4日(水)東京出発269日目、ガボン13日目 ンデンデ
この日はとにかく昨日に置き去りにしたテネレさんを回収しに行かなければなりません。
幸いなことに地元警察が手伝ってくれるというので大変ありがたいです。
朝起きてからすぐに宿からほどない場所にあるイミグレーションに行きました。
昨日にここで出国手続きをしてしまったのでその取り消しをします。ここで働いている警察の方からリョウさんも呼ぶように言われたのでそのようにしました。
この日もこのイミグレーションで入出国手続きをする人が多く、朝の早い時間にも関わらずたくさんの人がいて、警察の方たちも忙しそうです。
8時少し過ぎたところでイミグレーションに行ったのですが10時過ぎまで待たされてしまいました(もちろん我々の処理なんて後回しに決まっていますから仕方ありませんが)
するとコンゴ側から一台の大変汚れたトヨタランドクルーザーがやってきました。
中から現れた白人男性はコンゴからガボンに入国するようで、手続きを待っている間に私たちに話しかけてきました。
白人男性:「君たちはオートバイ乗りかい?いやぁ、ここから250km以上の道が大変酷かったよ。とんでもない悪路だった。ここから少し行ったところに大きいバイクが置き去りにされていたよ。もしかしてこれって君たちのだったりするの?」
そう言って見せてくれた写メは紛れもなく私のテネレさんでした。
あぁ…、テネレさん、置き去りにしてしまってごめんよ。こんなにも泥だらけになってしまって…。
私:「そうです。これは私のバイクです。昨日そこで転倒して足首を怪我してしまいバイクを置いてこの村に戻って来たのです」
白人男性:「そうか…。怪我は大丈夫かい?怪我してしまったのならバイクには乗れないと思うのだけれどもこれからどうするんだい?」
私:「思ったよりも怪我は酷くなかったようなので1週間もすればバイクにはなんとか乗れるようにはなると思います。でも、さすがにあの悪路は難しいと思います。どうにかバイクごと運んでくれる輸送業者を探してコンゴの大きめの町まで行ければ、そのあとは舗装路を走れるので…」
白人男性:「そこまで大事じゃなかったみたいで何よりだ。幸運を祈るよ」
そう言って去って行きました。
私はアフリカではこのガボン-コンゴ国境を走るのを一番楽しみにしていました。以前この区間を走ったことのある方から写真を見せてもらったことがあり、この区間はとても苦しかったけれども、どこに行ってもとても優しい現地人がいて、最高に楽しかったと聞いていたからです。そしてその写真がまさに私がイメージしていたアフリカの風景だったのです。
でも、私はここを走ることは叶わないでしょう。
私はアフリカの西側ルートに敗北したのです…。
しばらくするとイミグレーションの警察官がバイタク(東南アジアのトゥクトゥクを小型にして屋根なしにしたようなもの)を呼んでくれ、これでバイクを回収に行ってこいと言います。
いやいやいや…。どうやってもこれにバイクは積めないし、私はそもそもバイクの運転ができないから昨日あそこに3時間もいたわけですよ…。
するとその警察官がリョウさんに行ってもらって運転して帰って来てもらえば良いだろと言います。
いやぁ…。あの悪路をもう一度リョウさんに走ってもらうのは大変申し訳ないです。でも確かにテネレさんを積めるような車なんてすぐに手配できないでしょうしそれしかないのかもしれません。
私:「リョウさん。すみません。お願いすることってできますか?」
昨日、あの道は二度と走りたくないと言っていたのに本当に申し訳ないです。
リョウさん:「は、はぁ…。わかりました」
本当に申し訳ないです…。
さすがにリョウさん一人に行かせるのは申し訳ないので、何の役にも立てないですが私も一緒にバイタクの後ろに乗って行きます。
とにかく帰りはテネレさんはこかしても良いのでリョウさんが怪我をしないように気を付けてくださいと言います。危ないと思ったらバイクを投げて自分が怪我しないようにしてくださいと。
幸いなことにこの日は昨日からずっとカンカン照りが続いていたためか多少道路状況も良かったこと、テネレさんの走破性、同じ道を3回目の走行ということもあってか、リョウさんは一度も転倒することなく無事に村に帰ることができました。
とにかくテネレさんが手元に戻って来たことで私は少し安心しました。
これからのことを考えないといけないのですが、肉体的にというより精神面の疲労がずっと続いていたため、部屋でゆっくりしていました。
夕方、リョウさんが部屋をノックして呼んでくれました。
リョウさん:「今、フランス人のライダー二人が来て、バイクを運べる業者を呼んでもらえるように宿の人に言ってくれて、通訳とか交渉とかの手伝いをしてくれるみたいです」
どうやらこのフランス人ライダーはここに来るときに警察から、日本人ライダーが昨日コンゴに行く途中の道で転倒して怪我をして、バイクに乗れないからバイクを運んでくれる輸送業者を探していると聞いたということのようです。
そして私たちを助けようとわざわざ我々の宿泊している宿に来てくれたようでした。
この小さな村でほとんど英語も通じず、本当に輸送業者を探せるのだろうかと心配していたのですが、本当にありがたいことです。


私は最初彼らに、「ここから先の道は悪路なので気を付けてくださいね」なんて言ってしまいましたが、とてつもなく恥ずかしいことだったと後程知りました。
と言うのも、彼らはフランスにて通過する国のビザはすべて取得して、5週間前にノルウェーの最北端ノールカップを出発してもうここまで来てしまったというのです。しかも彼らの走って来た道は想像を絶する道です。いや、道ではないのです。モーリタニアではバイクが3分の2以上埋まってしまうのではないかというような砂漠地帯を敢えて通過し、そのあとの道も歩くのだって難しいのではないかと思うような大きな岩だらけの渓谷や、昨日我々が走った道とは比べ物にならないドロドロの密林地帯などを通過してきているのです。車どころか地元の人たちも歩いてさえいないような場所と言っていました。
リーブルビル方面からこのンデンデの村に来るまでの道は大変綺麗な舗装路なのですが、この日彼らが走って来たと言う道は、昨日に私が転倒して怪我をした道とは比べ物にならないくらい酷い密林地帯でした。
それらの道をたったの5週間で…。
そしてこのンデンデ(今私たちがいる村)からコンゴのドルジー(悪路の終着地)まで、我々は3日かけて行こうと思っていたのですが、彼らは1日で走ると言っていました。
さらに、彼らはサーキットでも走るようで鈴鹿の8耐にも何度か出場したことがあり、どこかのチームに所属していると言っていました。プロなのです。
この日、宿の方が呼んでくれると言っていた輸送業者ですが、20時過ぎから降り始めた激しい雨のためにこの日は来られなくなりました。明日の早朝にやって来てくれるそうです。
このフランス人ライダーの二人には大変お世話になってしまいますが、大変ありがたいことに出発前に一緒に立ち会ってくれるということでした。
アフリカの西側ルートに敗北した私ですが、この結果次第では旅はまだ続けられるかもしれません。
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