言葉より大切なもの

Facebook にシェア
Pocket

3月10日(火)東京出発275日目、コンゴ共和国3日目 ドリジー

私はここで出会ったクリスというスイス人がとても好きになりました。知的で優しい物腰のこの男と話しているととても安心します。

聡明で優しいスイス人ライダー、クリス

実際にクリスは大変なエリートなのだと思います。スイスでは司法試験に合格し今は就職前のバケーションを楽しむためにアフリカ大陸縦断の旅に出たそうです。

彼は6種類の言語を操ります。スイスドイツ語(ドイツで話されるドイツ語とはだいぶ違うみたいです)、ドイツ語、英語、フランス語、スペイン語、中国語。

スペイン語を話せるのでポルトガル語もだいたいわかるそうです。

そんなクリスが私に聞きました。

クリス:「ヒデは日本語と英語とあと他に話せる言葉はあるの?」

私:「それだけだよ。英語だってヘタクソだし」

クリス:「俺の知っている日本人の中ではヒデが一番英語上手だよ」

それを聞いて私は少し安心しました。安心したというのは私の英語は少しはマシだって言ってもらえたことではありません。私の英語がヘタクソなのは私自身が良くわかっています。発音も酷いですし、感情を伝えたいときは文法無視で話します。ただ単にコミュニケーションを取るのに困らないという程度のレベルです。

私が安心したというのは過去に少し嫌な話を聞いたことがあったからです。

昔の日本人は英語ができなかったのであまり積極的に発言することはなかったけれども、たまに発言するその内容がキラリと光るものが多かったので「日本人は賢い」と言われることが多かった。しかし、最近はワーキングホリデーや語学留学で単に英語圏に行って生活をして英語を話せる日本人が増えた一方で、ペラペラと中身の無い話ばかりする日本人が多いので「日本人は中身が無くてバカばっかりだ」と言われるようになった

というものです。

そして私も以前、上記のようなことを感じるような場面に出くわしたことがあるのです。語学留学をしていた人やワーキングホリデーに行っていた人たちが英語を忘れないようにと英語を話すサロンに参加したときです(といっても私は海外生活をしたことは一度も無いのでその中では異質でとりわけ英語がヘタクソな人でした)。

彼らはとにかく自分たちが英語を話せるということだけがアイデンティティであり、そのことだけで自分たちは他の日本人よりも優れていると考えているようでした。そして海外生活をしていた自分たちは特別な経験をしていて人とは違って優れていると思っていたようです。

クリスは海外にもたくさんの友人がいて日本人の友人も何人かいるようなのですが、そういった「英語は話せるけれども中身の無い日本人」に出会っていないということに安心したということです(クリスはたくさんの言語を操り、話す内容もジョークもとても洗練されていてめちゃくちゃ魅力的な男です)。

もちろん私も英語はできないよりかはできた方が良いと思いますが、一方で英語を本当に必要とする日本人は限られた職業に就いている人もしくは就きたい人だけだと思います。

なのに何故か日本人は英語コンプレックスがあり、目的も無いのに単に英語の勉強を優先的にしている人が多いように見受けられます。

私も今回の旅で英語でのコミュニケーションが取れたおかげで幾つかの場面で楽に旅をすることができたことは否定しませんが、結局は語学って小手先の技術にしか過ぎないと思うのです(それに世界で英語が通じる地域なんて日本人が思っている以上に少ないです)。

また、ほとんどの日本人は中高の6年間英語の勉強をしていて、街中にも外来語が溢れているのですから、必要に迫られればコミュニケーションを取れるくらいの英語なんてほとんどの人がそれほど時間をかけずとも話せるようになると思います。

語学は結局は「どのように」伝えるかという手段でしかなく、私はそれよりも「何を」伝えるかの方がよっぽど大切だと思うのです。

例えば私のカンボジアの大切な友人であるチャイリェンと仲良くなれたのは、言葉でのコミュニケーションがうまく取れなかったからこそ余計に仲良くなれたと思っています。

例えばギニアでリョウさんが少年マイケルにしてあげたことって、言葉で何かを伝えるよりもよっぽど素敵で価値のあることだったのではないでしょうか?

もちろん語学留学やワーキングホリデーを否定はしませんが(そこで語学よりももっと他のことにも積極的に経験するのであれば価値のあることだと思いますが、語学だけを目的にするのであればちょっともったいないかなぁとは思ってしまいますけど)、私はそれよりもよっぽど「何をして」「何を考えて」「何を表現するか」という人間としての感性を磨くことの方が大切だと思うのです。

それって別に海外に行く必要どころか、極端に言ってしまえば家から一歩も出なかったとしてもできることではないでしょうか?

例えば「オタク」と呼ばれる人たちが自分が心から好きだと思うことを徹底的に追究していたら、その人ってその分野においてとても深い知見を持ち、人としての深みがありおもしろいと思います。

誰かにスゴイねって言われたいとか、英語が話せるとかよりも、「私はコレが好き」って言って楽しそうに笑っている人の方がよっぽど魅力的だと思います。

目的が明確になっている勉強なら(例えばこの仕事をするためにどうしても英語が必要という明確なものがあるということ)十分に価値はありますが、そこがはっきりしない(単に英語が話せるようになりたいって聞くと何のため?って思います)のであれば、私は今目の前にあることやそれにつながることに全力で取り組むことや、自分が本当に好きだと思うことに時間を割きたいと思うのです。

そっちの方がよっぽど楽しい人生で、そういう魅力的な人になりたいと思うからです。

好きなこと、興味があること、自分が楽しいと思うことを笑いながら、歯を食い縛りながら思いっきりやっている人は素敵ですよね。

Facebook にシェア
Pocket

このギャラリーは、1 枚の画像があります  写真 他