3月13日(金)東京出発278日目、コンゴ共和国6日目、アンゴラ1日目 ポワントノワール~カビンダ 走行距離182km
この日はコンゴからアンゴラの飛び地であるカビンダへの移動となります。
ビザを取得するのも面倒だったアンゴラですから入国手続きも面倒そうです。
朝起きるとあまり体調が良くありません。宿泊していた宿が少し高級でしっかり冷房が効いていたのは良いのですが、そこはコンゴクオリティであって、リモコンが無く、効き過ぎていた冷房の温度調整ができなかったことと、冷房の風が直接私の顔面に当たった状態で寝ないとならなかったことが原因です。
だるいなぁ、どうしようかなぁなんて思いながらダラダラと時間だけが過ぎて行きます。
ただここでこうしていても仕方ありません。えいやっと立ち上がり出発することにしました。
朝10時
ギラつく太陽は相も変わらずです。
カビンダの中心部までの距離は140km程度ですので国境越えを考えても十分時間はあります。
ポワントノワールから国境にかけては空港の西側を南下していくのが一番早そうなのですが、私の地図アプリでは西側のルートは途中で道が途切れていて東側から迂回するように示していています。
それに従い私は空港の東側に迂回していくのですがそれは誤りでした。
空港の東側には市場がありコナクリを思い出させるような悪路の大渋滞の中を進んで行きます。
やっとの思いで市場を抜けたと思うとそこからが大変でした。ガボン-コンゴ間を彷彿させるとんでもない悪路が始まります。私の足首の状態を考えるととてもではありませんが走れるような道ではありません。
迂回路を必死に探すのですがどこに行っても悪路悪路悪路の連続です。
どうしたものかと考えます。
ここを通らない限りアンゴラに行けないのであれば行くしかありません。でも本当にこんな悪路を走らないとならないのでしょうか?
歩いている人に声をかけてみても英語を話せる人は皆無です。
私が何に困っているのかすら理解してもらえません。
するとあるおじさんが英語を話せる若い青年を呼んできてくれました。
青年:「お前は何に困っているんだ?」
私:「アンゴラとの国境に行きたいんだ。でもこの悪路だろ。足を怪我していてこんな道を走って行くのは難しいんだ。どうにか整備された道から国境まで行けないか?」
青年:「なるほどな。こっちからじゃどこに行ってもとんでもない悪路しかないな。国境に続く整備された道まで案内することはできるけど俺には『足』がないんだ。もし俺を必要とするなら、俺がお前を案内する方法を提案してくれないか?」
私:「ここからそこまでは遠いのか?」
青年:「そこそこあるな。10kmか20kmか」
私:「そうか。わかった。俺がタクシー代を払うからそれに乗って先導してくれないか?」
青年:「それで良いならそうするよ。タクシーを見つけるからちょっと待っててくれ」
そう言ってその青年はタクシーを見つけてきてくれました。
ここから国境に続く国道までの往復のタクシー代で4,000XAF(約800円)ということだったので、彼へのお礼を含めてもこの日の国境越えを諦めてもう一泊するよりも全然安いため、彼にお願いすることにしました。
彼の乗るタクシーの後をついて行くとなんて事の無いことでした。単に私が滞在していた宿から素直に空港の西側のルートに行けばよかっただけでした。
この青年は大変丁寧な男で、何かあったらいつでも電話してくれと言って、私に電話番号を教えてくれてそのまま去って行きました。
私の地図アプリでは途中で道が途絶えてしまうのでしたが、こちらの道は綺麗に舗装された道が国境まで続いていました。
国境に着くとイミグレーションに行く前に体温チェックがあります。
私の国籍が日本ということと、たくさんの国を通過してきていることからコロナの心配をして、担当医官も嫌そうな顔をします。
この女性担当医官はブツブツと何か言いながら怪訝な顔をしています。
私が日本を離れたのは9か月前で、スペインからモロッコに渡ったのも3か月前なのでコロナの流行地には直近ではいないということを伝えるのですが、蔑んだ目で私を見るだけです。
近くにいるアホどもも「コロナ、チナ(チャイナ)、コロナ、チナ」と馬鹿にしたように言ってきます。
こいつらは自分たちが差別的な扱いを受けることには敏感なくせに、人を差別するのは平気な民族なのですね。
イラつくのはイラつくのですが文句を言って揉めても仕方ないので「お前らはストロングだからコロナにはならないんだな」と言うと、「そうだ!俺たちはストロングなんだぜ!」と大盛り上がりになって握手まで求めてくる始末です。
どうしようもないおサルさんたちだよ、と心な中で毒づくのですが、こんな奴らと争ったところで何も生まないどころか、こいつらと同じになってしまうと思いグッと我慢するのでした。
この女性担当官もどうにかパスポートを返してくれ(熱もなければコロナウィルスのハイリスク国を通過してきたわけでもないので当然なのですが)、どうにか出国手続きを続けることができました。
コンゴの出国手続きはとても簡単でイミグレで出国印をもらい、道路を挟んで向かいの税関でカルネにスタンプをもらうだけです。国境での手続きは何度経験してもストレスのたまるものですが、自分のペースで自分で動けることを考えると一人になったことはだいぶ気楽なものでした。
アンゴラの入国手続きに入ると予想していた通り大変面倒です。
私が日本人であるということを知ると私一人だけ別の場所に行くように言われます。そこで紙を渡されて通過してきた国を書けと言います。
コノヤロウとは思うのですがやるなら徹底的にやってやろうじゃねぇか!と思い、日本出国からアンゴラ入国までの全ての入国日と出国日、陸路なのか船なのか飛行機なのかをすべて記載して出してやりました。
すると嫌がらせなのか何なのか「続きが無い」と言って突っぱねてきます。
続きってなんだよ!お前らの目的は何なんだ?あ?自国にウィルスを持ち込んでほしくないからこうやって調べてるんじゃないのか?
適当に南アフリカから日本に帰るまでの今後の予定を追記して再度提出すると「待っていろ!」と言われてそのまま放置されました。
1時間経っても2時間経っても放置されたままです。職員の中に一人ご年配の男性がいて、その方だけは私と目が合うとニコっと笑ってくださっていました。そういう人が一人いるだけでイライラであったり不安はだいぶ解消されるものでした。
一方でこのとき私が一番心配していたのが、夜暗くなってからの移動が嫌だなというものでした。
どこまで信用できるものなのかはわからないのですが、外務省が出している渡航安全情報によるとここから向かうカビンダの治安に多少の不安があったのです。
カビンダはアンゴラ内において面積としてはあまり大きくはありませんが、石油が産出され、アンゴラにとっては非常に重要な地域だそうです。一方でカビンダの人たちはアンゴラからの独立も目指していてそのあたりの意識により治安が不安定になっているということでした。
17時を過ぎても手続きが終わらない場合はここでテントを張って明日の出発にしようかとも考え始めていました。
手続きを開始して3時間ほど経過し時刻は16時ちょうどを指した頃でした。ようやく職員に呼ばれ
「パーフェクト(完璧だ)。ノープロブレム(問題ない)」
と言われ、やっとパスポートに入国印を押してもらえました。
そして今度は税関でのバイクの一時通行許可書の発行です。こちらもなかなか面倒な手続きと聞いていたのですが、思ったよりも難しいことはなく、税関に併設されている銀行に6337クワンザ(約1300円)を支払い、バイクの写真を撮影して所長の印をもらうだけで終わりました。
時刻は16時半を少し回ったところですので、ここから約100km先のカビンダの中心地までは日没までには十分行けそうです。
アンゴラは資源が豊富に産出され経済的にも豊かであるとは聞いていたのですが、田舎の方はまだまだ発展しているとは言い難いようでした。
日没の少し前にどうにかカビンダの中心街に到着すると綺麗に整備された街並みは大変落ち着いていて治安の悪さはあまり感じるような雰囲気ではありませんでした。
実際に宿の人たちに聞いてみても、「この辺りは治安はだいぶ良いよ。心配するようなことはほとんどないと思う」という返事でした。
外務省もすべての地域に実際に行って調査することは不可能でしょうし、事件や事故を未然に防ぐ意味でも厳しめの評価をせざるを得ないと思います。ですので、実際にはどうなのかというのははっきりとした情報が無い限り、自分の目で見て確かめるしかないのだろうと思います。
さて、私はここカビンダに隣接しているコンゴ民主共和国(旧ザイール)のビザを持っていません。そのためカビンダから南下していくにはアンゴラ本土に向けての船を探さないとなりません。それについては国内船ですし、そこそこ情報があるのでそこまで困難なものだとは思ってはいないのですが、西アフリカのルートはバイクで走っているよりもそういった事務作業ばかりになってしまうのでウンザリします。
それでもアンゴラに入ったという安心感は私の中では大きいものでした。