その後

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日本に帰国して約10か月が経とうとしています。

その後の私は日本を離れる前とほとんど変わらない生活をしていて(コロナで世界全体の生活はだいぶ変わりはしたものの)、あの9か月間は実は夢だったのではないかと思うほどです。

私の人生においてこれからやりたことはなんだろうかと考えたとき、正直コレだ!と思うものは思い浮かびません。
でも、漠然としてであれば誰かのために私ができることを精一杯やりたいということが思い浮かびます。

そう思うきっかけはいろいろあります。
約10年ほど前、人生に迷い落ち込んでいたとき、出会ったカンボジアの孤児院の子供たち
あのときこの子たちにできることはいろいろしていあげたいと思い、その後も実際に何度か子供たちに会いにも行きました。

世界をバイクでまわったとき世界中のたくさんの子供たちにも出会いました。
そのときは私自身、思い知らされました。

私ってそんなに優しい人間ではないんだなぁって。

中央アジアや東ヨーロッパの子供たちは純粋にかわいいと思いました。
しかし西アフリカの田舎の子供たちに出会ったときに正直私はかわいいと思うことができませんでした
目もうつろで、健康状態が著しく悪く、みすぼらしいあの子たちの姿と臭いなどを私は受け止めてあげることができませんでした。。

本当に助けを必要としているのはより厳しい環境にいる子たちのあるはずなのに私はやさしくしてあげることができませんでした。

あのとき、あぁ、私は黒柳徹子にもマザーテレサにもなれないんだということを悟りました。

そうすると私の人生に残されたものってなんだろうかと考えます。

このままサラリーマンとしてやっていく人生も悪くないと思います。
出発前に手放すのが惜しいと思ったこの環境を再び手にして、大きな不満を抱えることもなく、むしろ環境的にはかなり恵まれていると思います。それに今の仕事全然嫌いじゃない、というよりむしろ好きって言って良いものだと思っていますし。

でも、私は人生において、一歩踏み出せばすぐそばに冒険の扉が開いて待っていることを知ってしまいました。

じゃ、やりたいことをやらなきゃもったいないって思うわけですよね。
うん?…、でも私がやりたいことってなんだろう…。

捻り出した結果、それはやっぱり、弱い立場の人たちの役に立ちたいってことくらいしか思い浮かびませんでした。

そしてそんなに優しくない私ができることを考えた結果はとても汚い話、「お金で解決する」でした。それが一番誰も傷つかずに手っ取り早くみんなが満足する方法なのではないかという安易な結論にいたりました。

このままサラリーマンを続けてたかが知れている収入を得て、自己満足(どうせ満足はしないでしょうが)程度のお金をどこかに援助し続けるというのはなんとも心が躍りません。

であれば一発起業でもして、サラリーマンでは到底得られない大金を手にして、派手に支援してやろうじゃないかっていうこれまた安易な発想に至ったわけで…。

そうです。私の次なる挑戦は起業です。

成功確率って万が一?もっと低いのですかね?
失敗しても私一人生きていくならなんとかなるだろうってまたまた安易な発想です。

最悪、私がホームレスになって野垂れ死んだところで、この世界にとっては何の影響もないと考えると何とも気が楽になります。

そう思ったら挑戦してみる以外の選択肢がないように思えました。

ま、そんなこと言いながら、今までの例に漏れずビビりな私はとりあえずは会社員という守られた立場に身を置きながら細々とできることをチマチマやっていくことにするわけですが。

今後どうなるかはわかりません。
このブログに再び記録を残していくかどうかも決めていません。

でも最初に描いたこの感情を書き残すことで、迷子になりそうになったときに帰ってくる場所を作っておきたい、そう思って再び筆をとりました。

※中途半端に上げた国境およびビザ情報、止まっていてごめんなさい。コロナ後の世界で大きく変わってしまうかもしれませんが、もしかしたらいつかどこかの誰かの役に立つことがあるかもしれませんので、時間を見つけて追加してくようにします。

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