なんかずっと体調が良くないんですけど

Facebook にシェア
Pocket

2022年8月11日(木)2回目東京出発7日目、この旅トータル292日目、アンゴラ2回目6日目 首都ルアンダ

この日は朝食からジョージさん宅に招かれます。
せっかくだから朝食も一緒に食べようとジョージさんが誘ってくださったのです。

私はというと実はここ数日あまり体調が良くなく(原因は後に判明しました)、ゆっくり寝ていたかったのですが、せっかくのお誘いを断るのも申し訳なく、朝の9時頃にジョージさん宅に伺います。

この日は奥様もお仕事はお休みだそうですが、疲れてまだ眠っているとおっしゃっていました。実はジョージさんの奥様は裁判官のお仕事をされていらっしゃるということで、きっと優秀な反面、大変お忙しい方なのでしょう。

ジョージさんが手配してくださっている税関書類につきましてはここ首都ルアンダだけで処理ができず、私が2年半前にアンゴラに入国したカビンダにおいても処理が必要とのことでした。そのため、カビンダ側で処理が終わってその返事が来てルアンダで処理する必要があるので、どんなに早くても今日、もしくは明日になってしまうとのことでした。

この日は特にやることも無いので朝食を終えるとジョージさんが買い物がてらドライブに連れて行ってくださいます。

ジョージさんは熱帯魚を買うのが趣味なようで、ペット用品店に買い物に行きます。
やはりこの国ではそのような趣向品は値段が高いです。犬用のシャンプーなどは小さなボトルで4~5,000円程度します。
人間だってそんな高いシャンプーを使う人は稀だと思うのですが、ペットを飼ってシャンプーするなどという家庭は相当お金持ちなのでしょう。

次に大きなスーパーマーケットに立ち寄りました。
アンゴラでは小さな商店で買い物はしたりしていますが、このような大型のスーパーに行くのは初めてです。

世界一物価が高いと言われるアンゴラでは「食パン一斤800円くらいで売られていますよ」なんて話を聞いたことがありましたが、確かに物価は高いです。
というより輸入品の値段が以上に高いのです。ポテトチップス一袋800円とかとにかく輸入品と思われるものが以上に高くて、一方で国産品と思われるものはむしろ安いくらいでした。ビールも国産ビールは300ml瓶が70円程度ですしパイナップルひと玉も100円程度です。一方で外国産はその10倍くらいします。

きっとアンゴラ政府は自国の産業をなんとか発展させようと輸入品には高い関税をかけているのかもしれません。しかし、それにしても自国の産業がそれほど多くないこの国の人たちからしたらたまったものではないと思うのですが…。

買い物を済ませて、ルアンダの中で比較的治安もよさそうな綺麗なビーチをドライブしてジョージさん宅に帰宅します。
するとジョージさんの奥様も起きていてご挨拶してくださいます。

ジョージさんの奥様は驚くような美人でした。黒人ではありますがスーパーモデルかハリウッド女優なのではないかと思うような美人です。
娘さんたちが美人なのも頷けます。

しかも裁判官と伺っていますが、20代半ばくらいに見えます。しかし娘さんが二人、19歳と17歳ということなので、少なくとも30代後半であるとは思うですが。

ジョージさんがふざけて「妻は日本語も話せるんだ」と言ったので「本当ですか!?」と聞くと「そんなわけないでしょ」と言います。

すると今度は下の娘さんが「日本語なら少ししっているわ。『こんにちは』『さようなら』でしょ」と言ったので、奥様が「あんたなんで知っているのよ?」と聞きます。

次女:「え、だって私たまに日本のアニメ見るもの。あとはー、『了解しました』」と言って敬礼のポーズを取ります。

アフリカでは正直、日本という国はほとんど認識されていないと思っていました。TOYOTAやHONDA、HITACHI製品などは良く目にしますが、現地の人たちはそれが日本製であるという認識はあまりないという印象を受けていたからです。中には日本は中国の一部くらいに思っている人も大勢いると思います。

ジョージさんあたりは日本製、韓国製、中国製などはそれぞれ違うという認識をお持ちのようであったので、娘さんもある程度ご認識されいているのかもしれません。

昼食を終えると少しゆっくりジョージさんのお話を伺います。

ジョージさんは今は税関職員ではありますが、実はすでに60歳で定年退職をし現在は有期雇用だそうです。もともとは国営の石油企業につとめていらっしゃったようで、当時の給料も大変高く、本当に幸せな生活を送れているとおっしゃっていました。

とは言ってもここアンゴラは2002年(わずか20年前)まで内戦をしていた国です。当時のことについて聞いて良いのかどうかずっと迷っていたのですが思い切って聞いてみました。

私:「アンゴラはたった20年前まで長い内戦をされていましたが、そのときの生活はやはり大変だったのではないですか?」

ジョージさん:「あぁ、あの頃は本当に大変だった。とにかく不自由だった。人々はみんな都市部に集められてそこから出ることは許されなかった。そして、着るものも、眼鏡も、食料も無かった」

ジョージさん:「実は私には私のほかに6人の兄弟がいる。父がポルトガル人(ジョージさんのお顔を拝見すると少し白人の血が混じっているのだろうなと思っていましたがハーフでした。お父様の肖像画も部屋に飾られていました)で母がアンゴラ人。内戦が激化して家族みんなでポルトガルに避難しようということになった。でも、私は私一人この国に残ることにしたんだ。祖国のために私ができることがあると思ったんだ」

ジョージさん:「『銃を持って戦って得られるものは何もない』。そう私は思って知識を用いて政治の力で戦うことを決めた。なので軍にはわずか8か月しかいなかった。私は軍が嫌いだ。軍を出て私は当時の首相(prime ministerとおっしゃったのでそう訳すのが良いのか??)に遣えて戦うことにした。(アンゴラ内戦は典型的な米ソ代理戦争だったので)多国間との交渉をするために私は公用語のポルトガル語以外に、フランス語、英語、スペイン語、ロシア語、ドイツ語を学びそれらを身に付けた。そうしている間に銃を取って戦った友人がどんどん死んでいった。私の選択が正しかったのかは今でもわからない」

そう言うとジョージさんは口を閉ざしました。

一般的に考えればジョージさんの「銃を持って戦って得られるものは何もない」という考え方は正しいと思うけれども、一方で銃を持って戦った友人がどんどん死んでいくのを見たら、自分も銃を持って戦場に立つべきなのではないかと思ってしまうのも無理はないと思います。

物事はそう簡単に割り切れるものでもなく、そこに人の感情が加わればより複雑になってしまうのだと思います。

だからこそ、人は自分で考えて自分で選び、自分の道を歩んでいくしかないのだと思いました。

午後2時くらいになるとジョージさんが用事があるのででかけると言います。私にはついてきても良いし、ここで休んでいても良いと言ってくださいます。
私はとにかくすこぶる体調が悪いので少し休ませていただくことにしました。

胸のあたりがすごく苦しいのです。コロナでないことを願わずにはいられないのですが、風邪薬も持って来ているのでそれを飲もうかと考えます。しかし、私は現地に入るにあたりマラリアの予防薬を飲んでいます。風邪薬との併用が大丈夫なのかをネットで調べます。

するとマラリアの予防薬の副作用に私の感じている不調に合致するものが出てきました…。な、なんと…。
でも確かに風邪薬うんぬんの前に、マラリアの予防薬を飲みながら毎日のように大量のビールを飲んでいればそれは危ないに決まっていますよね…。

私はこの日からマラリアの予防薬の服用を止め(ビールはやめない…)たことによりこの症状は急速に緩和していきました。

夕方になってもソファから立ち上がらずボケっとしている私を見て、娘さんたちが心配したのか私に声をかけてくださいます。

次女:「私たちこれからすぐ近くにあるジム行くけど一緒に来る?ママが車を出してくれるわ」

私:「ありがとうございます。でも少し疲れているのでここで休ませてください」

次女:「本当に大丈夫?何かあったら言ってね」

そういうと娘さんたちは出かけていき、この家には私以外にはお手伝いさんと先ほど帰宅したばかりの息子さん(6歳くらい?)だけになりました。

しばらくするとジョージさんから電話があり、「今基地にみんな集まっているからヒデも来な」と連絡がありました。
急いでバイクに乗る準備をしてマンションの階下まで下りると、そこには奥様が車で待っていてくださり私を基地まで連れて行ってくださいました。

基地に着くとジョージさんから「これからマサドの通夜に行くけどヒデも来るかい?」と聞いてくださいます。

もちろん行きますと答えると、今度は別の車に大男が大勢ぎゅうぎゅう詰めで乗り込みます。
1時間くらいの走行ではありましたが、体調不良のあった私は相当に応えました。

通夜の会場に着くとたくさんの人で溢れています。
しかし、日本の通夜とは違いあまり重々しい雰囲気はなく、みんな酒をのみタバコをふかし歓談しています。

建物の中に入ると、そこに足にギブスを嵌めたライダーズクラブの基地で見たことのある男が座っていました。どうやらマサドさんと一緒にバイクに乗っていて彼も一緒に転倒して怪我を負ったようです。事故の様子を当然彼も知っているので、その様子を他の人たちに話していました。

ポルトガル語なので内容はわからないのですが、何人かにその事故は防げたのではないのか?というようなことを言われているようで少し気の毒でした。

その少しマイケルジョーダンを悪くしたような顔立ちの彼は私の姿を認めると、

ワルケルジョーダン:「ヘイ!ジャパニーズ!お前のバイクの状態はどうだい?」

と話しかけてくれました。「大変絶好調だよ」と伝えると

ワルケルジョーダン:「そうか!良かったな!とにかく良い旅にしてくれよ」

と言ってくれるのでした。
さらに周りにいた年配の女性方が私が何者なのかをそのワルケルジョーダンに質問したようで、2年半前に私がコロナの影響で帰国せざるを得なくなり、また今回ここに戻って来て旅を続けるということを説明したようでした(ポルトガル語なのでなんとなく)。

すると年配の女性の中の一人が
「なんだって?バイクがコロナにかかって日本に帰ったのかい?」(ポルトガル語なのではっきりはわからないですがモト(バイク)という単語とCOVIDという単語が聞こえたのでそんなことを言ったのでしょう)
というと、周りの年配の女性たちが一斉に笑って「そんなわけないでしょう」というようなことを言います。

とにかくババアが言わなくても良いしょうもない冗談を言ってババアたちが笑うという構造は世界共通のようです…。

アンゴラの通夜では特に日本のように線香をあげるような特別なことをするわけではなく、故人に縁のある人が集まり個人を偲ぶだけのようです。
参列者の中にあの私の税関書類を処理してくださっている恰幅の良い男もおり

税関職員:「お前の書類遅くなってて悪いな。明日の午前中くらいまでにはなんとかするから」

と言ってくれました。

そうしてこの日、私たちはこのままお暇をし、この日は遅いので私はそのままジョージさんのご自宅に泊めていただくことにしました。

Facebook にシェア
Pocket