• カテゴリー別アーカイブ 004_モンゴル
  • モンゴル編 総括

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    次回からロシア2回目のお話に入りますが、その前に一旦、モンゴル編を総括したいと思います。

    前半は味戸さんのゲストハウスでバイクのメンテナンスと自分自身の体の休養をしました。その後ゴビ砂漠に行き、再び味戸さんのゲストハウスで準備を整えた後西モンゴルを通過してロシアに入るという経路でした。

    味戸さんには本当に良くしてもらい、このゲストハウスではルイージさんスーザンさん夫妻韓国人のカンさんパークさんコンビ、このブログには登場しませんでしたが兵庫から来ていたセロー乗りの宮崎さんといった方々との素敵な出会いと涙の別れがありました。

    味戸さんとルイージさんの感動の別れ
    パークさん(中央)、カンさん(右)と一緒に

    そしてモンゴルではなんと言ってもその雄大な自然に圧倒されっぱなしでした。ときにはその雄大さに感動し、ときにはその厳しさにヘコタレそうになりました。

    雄大な砂丘

    【モンゴル人】

    都市部(ウランバートル)にいる若者たちのパッと見のファッションや雰囲気は日本人にかなり近いものを感じます。見た目に関しては日本人とかなり近いのですが、少し(数百km )都心部から離れると一気に生活様式が変わり、ゲルで生活をしていたり民族衣装を着ていたりします。

    私の前に突如現れた遊牧民。
    その出で立ちに誇り高き騎馬民族の片鱗を感じます

    私の出会ったモンゴル人は総じて親日的な印象を受けました。

    優しく親切にしてくれる方が多いのですが、ロシア人に比べてしまうと、一つ一つことに対する緻密さや丁寧さは欠けるのかもしれません。ただ、その点はロシア人が優れ過ぎているため、比較対照がいけないと思われます。

    貧富の差が大きく、ウランバートルではレクサスやベンツといった高級車がたくさん走る一方で、昔ながらの生活をしている人もいます。

    外国人というだけでお金持ちと見なす人も多いらしく、なんとかお金を取ろうと考える人もいるので、その点は気を付けるようにとはあらゆるところで言われました。

    英語についてはロシアよりは全然通じると言われましたが、ウランバートル以外ではあまり通じませんでした。

    英語を話したい少女

    たまに英語ができると言って通訳を買って出てくれる人もいるのですが、30代以上の方は訛りがキツすぎて何を言っているのか聞き取るのに苦労することが多かったです。20代前半以前の方で英語を話せる方はとてもキレイな英語を話す印象を受けました。

    【食事】

    田舎の食堂ですと、ほとんどがツォイバンという焼きうどんのようなものしか食べることができません。麺はコシがなくパサパサしていて、油がキツいです。

    美味しいお店は美味しいのですが、ヒドイところですと食べるのはかなりキツイときもありました。

    トソンチェンゲルの食堂のおっちゃんは優しかったし、料理も美味しかったな(o^O^o)

    アシムはコレがダメで、モンゴルに対する印象はかなり悪かったようです。

    この国もコーヒーよりも紅茶文化です。紅茶には大量のミルクが入っていることがあり、最初はお茶とは違う飲み物が出てきたのではないかと見間違うほどでした。

    何だ?この白い液体は…?まさか馬乳酒じゃないだろうな…(-_-#)
    と心配しましたが、ミルクティでした(^o^)

    さらに塩が入っていることも多く、お店によってはミルクと塩のせいで、お茶というよりもスープかと思うようなものもありました。

    モンゴルの伝統的な飲み物で馬の乳を発行させて馬乳酒という飲み物があります。

    もしモンゴルに行かれる方がいらっしゃいましたら、是非ともこれにはチャレンジしてみていただきたいです。

    私はあまりの酸味の強さに噴き出すかと思いました。ただしアルコール度数も高いということでしたので、お酒が飲めない方は特に気を付けてください。

    【物価】

    日本の5割くらいの印象でしょうか?サービスレベルを考えると全然安くありません。

    味戸さんに聞くと、肉や牛乳といった食品は日本の方が安いくらいだとおっしゃっていました。

    食堂で食事をしても300円~くらいになるので、5~600円で食べられる日本の定食屋ってむしろスゴいなって思ってしまいます。

    【治安】

    日没が遅いせいか、私がモンゴルにいた時期は夏休みでもあったことから夜遅くまで子供が外で遊んでいました。

    モンゴルで初めて泊まったホテルでは夜遅くまでたくさんの子供たちが遊んでいました

    モンゴルでも特段トラブルに巻き込まれるということもなかったので、治安の悪さを感じることはありませんでした。

    ただ、ナーダムに出掛けたときは、スリやひったくりに気を付けるように再三の注意を受けました。急速に発展しているウランバートルでは貧富の格差が大きく、その辺りであまり治安が良いとは言えないのかもしれません。

    【道路】

    予想以上に舗装路が多いです。舗装路でも穴ボコだらけのところもあるので、そういったところは注意して走る必要があります。

    また、急に工事が始まりメイン道路が走れなくなって迂回しないとならなくなることがあるので、その辺りは情報を集めながら進む必要があるかもしれません。

    ウランバートルを含む東側の大きな道はかなり舗装されていますが、西側および南に位置するゴビ砂漠の辺りはまだまだ舗装されていません。

    幾つにも別れた轍を選択しながら走る必要があるので、慎重に走る必要があります。特に雨が降ると一気に道路状況は変わるので注意が必要です。

    私は後半の西モンゴルでは、豪雨に見舞われ、相当に苦しめられました。

    モンゴルの西側は山がちで、天気が急変することも多いのでなかなか読めないのですが、それでも極力雨の日の移動は避けた方が良いかもしれません。

    雨が激しく降ると、周りに車も見ることが無くなったので、地元の人ですら運転を控えるのかもしれません。

    私は正直命の危険すら感じました。

    【夏の気候】

    湿度が低くカラっとしているので、そこまでの暑さは感じません。味戸さんが言うにもウランバートルではだいたい30℃くらいまでしか上がらないので、比較的過ごしやすいですよとのことでした。

    今までは夏の間は雨もほとんど降らなかったそうですが、ここ2~3年は毎年のようにスコールのような雨が急に降ったりするようになったそうです。

    また朝晩は冷え込みますので、特にゲル泊等をされる方は防寒をしっかりした方が良いです。

    ゲルは寒いので夏でも朝晩は焚き火をします

    モンゴルの西側は標高が高く、昼間でも寒いです。雨が降れば一桁代の気温も普通にあると思います。

    これにはサスガに参りました。雨の日にモンゴルの西側を走る方は防寒をしっかりしないと大変な思いをするかもしれません。

    アルタイより西側は寒くて寒くて日本から持参したスキーウェアを着てなんとか凌ぐことができました

    【総評】

    なんと言っても雄大な自然に圧倒されます。モンゴルはそれに尽きます。

    山があって牧草地帯にヤギや羊、馬がいてといった皆さんが想像するモンゴルの景色だけでなく、南に行けばゴビ砂漠、西に行けばこれでもかと言うほど大きな岩山など、どんどん移り変わる景色に圧倒されます。

    近年ではウランバートルの治安が悪くなってきているなんて言われているようですが、それ以外の地域では比較的治安も良いので、そういった意味でも旅行しやすい国かもしれません。

    夜営するときは、私は人よりも野生動物に気を付けるように言われました。

    ゴビ砂漠で夜営したときも、最初に選んだ場所は、ガイドから、ここは野生動物が出るからやめましょうと言われました。

    ヤギや羊といった家畜が多いので、狼といった野性動物もいるようです。

    その辺りは素人には判断ができないので、食べ物のゴミなどは、テントから離れた場所に置いて、出発の時に回収するなどの対策をする必要があるのかもしれませんね。

    後半、特に苦しい思いをしたので、モンゴルも思い出深い国になりました。

    いつかゴビ砂漠などもバイクで走ってみたいとは思うのですが、開発がどんどん進み、後になればなるほどこの国も変わって行ってしまうのかなぁなんて思うと少し寂しく思います。

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  • モンゴルから再びロシア 二度目の国境越え

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    7/27(土)東京出発49日目、モンゴル23日目、ロシア2回目1日目 ウルギー~コシアガシュ 走行距離

    朝早い時間に出発した私たちは国境が開く8:00ちょっと前に国境に到着することができました。

    天気にも恵まれ、ダートでもトラブルなく国境まで来られたのは、アシムと洋介さんの普段の行いのお陰かもしれません。

    モンゴル側の国境ではモンゴルに入国したときと同様にオートバイは先に通してくれます。

    出国手続きではパスポートコントロールをしたくらいで、30分程度で終了しました。

    ここから先30kmくらいはモンゴルでもロシアでもない干渉地帯です。

    ここでゆっくりと休憩を取った後、ロシア側の国境を目指します。

    モンゴル-ロシアの干渉地帯。ホッと一息。ここで休憩を取ります

    洋介さんもアシムも西モンゴルでのダートで大変苦労したことや、食事が合わなかったことなどから、ロシアが相当恋しくなっていたようです。

    モンゴルを抜けて、楽しそうな洋介さんとアシム\(^_^)/

    私も西モンゴルに入ってからは大雨の中のダート走行や寒さなど、モンゴルの洗礼を受けて大変苦しい思いをしましたので、ロシアに戻れるということで非常に安心していました。

    ロシア側の国境に着き手続きを開始したのですが、どうしてそんなに時間がかかるの?って思うくらい紙切れ一枚の処理に時間がかかります。

    アシム、洋介さん、私の前に地元の方と思われる二人が並んでいました。

    すると後から来たふてぶてしい態度の男が割り込みをしてきます。

    アシムが抗議します。

    「私たちは並んで待ってるんだ。あなたも後ろに並びなさい!」

    するとその男は「次は私だ!」と言います。

    どうしてそういう発想になるのか全く意味がわかりません。アシム、洋介さん、私で猛非難します。

    こういうとき洋介さんは偉いなと思うのが、怒っていても英語でちゃんと抗議をするところです。私は怒りに任せて日本語で暴言を吐くだけです。

    「どうしたらそういう発想になるのか意味がわからない。お前頭悪そうな顔してるもんな(`Δ´)恥ずかしい人間は恥ずかしいみっともない顔してるんだな(`Δ´)とにかく顔がムカつく。」

    なんてお下品な言葉でしょう(>_<)怒りに身を任せた私は彼と大差ないのかもしれません。

    何故か前に並んでいた地元の方と思われるおっちゃんはおとなしいです。

    洋介さんが元々前に並んでいたおっちゃんにどこの国の人か訪ねると「カザフスタン」と答えます。

    洋介さん、「カザフスタンの人はちゃんとしてますね」と言います。

    そんな風に和気あいあいとおっちゃんと話していると、ふてぶてしいクルクルパーが話に入ってきて「俺はモンゴルだ」と言います。

    どういう神経をしているのか全くわかりません。

    サスガにイラついていた洋介さんも「お前はそうだろうな(`Δ´)そんな顔してる」と日本語で嫌みを言います。

    私も洋介さんもたくさんのモンゴル人に優しくされてきたのに、この男一人のせいでモンゴル人の印象が悪くなってしまいます。

    ま、私からすればこういうヤツはなに人とかどうでも良くて、私にとってはただのチンパン人でしかないのですけどね。でも、こういうヤツがいるからアジア人が差別の対象になってしまうのも仕方ないよなって悲しく思うのです。

    アシムと洋介さんと私でヤイノヤイノ抗議をしていたら、いつの間にかこの男もいなくなって問題はなかったのですが、胸くそ悪くなったことには変わりありません。

    前に並んでいた気のいいおっちゃんも、そのクルクルパーがいなくなると、親指を首に当てて横に引きます。

    ま、もしあのクルクルパーが割り込みをしたなら俺がケチョンケチョンにしてやったんだけどな(^o^)/って言わんばかりです。

    でも聞くとこのおっちゃん、元ウェイトリフティングの選手だったらしく、50歳手前くらいの年齢かな?って思っていたら、71歳だと言うのです。

    本当に強い男ってのは私のようにピーチクパーチク言わないで、このおっちゃんのように黙ってドンと構えているのかもしれません(>_<)

    そして、私の番になり無事手続きを終えると後ろに並んでいたオーストリア人のイケメンが「welcome to russia\(^_^)/」と言って握手してくれます。

    後半、辛くて仕方なかったモンゴルを抜けてロシアに舞い戻った私は心からホッとするのでした(>_<)

    再びロシアに入り、アシムと一緒に喜びを表現\(^_^)/
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  • 旅の目的…

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    7/27(土)東京出発49日目、モンゴル23日目、ロシア2回目1日目

    ウルギー~コシアガチ 走行距離163km

    ウルギーからコシアガチ

    この日はモンゴルから再度ロシアに入る国境越えです。この日は土曜日で、日曜日は国境は休み、月曜日はその反動で大混雑するという話ですので、この日に行かないと国境越えが火曜日になってしまう恐れがあります。

    我々とは反対方向のロシアからウルギーに来たツーリストの話によるとこの国境で11時間待たされたという話もあったそうです。

    国境で長時間取られてしまうと、通過後に宿探しなどが大変なため、国境が開く8:00までに到着できるように行こうと、朝5:00に起床して出発します。

    まだ日が昇りきらないうちに荷物をバイクに積むと出発します。

    このとき、まだ朝早いにも関わらず、ゲストハウスのおばちゃんが出てきてくれ、洋介さんところに来て笑顔で見送ります。本当にこの男はどこに行っても誰からも好かれて感心するばかりです。

    冬の装いで出発しますが、先頭を走るアシムも手がかじかんでしまい、こまめに休憩を取りながら進んで行きます。

    アシムと洋介さんと一緒に走ってみて、心から二人の走りに感心します。

    二人ともバイクがオフロードを走るように作られていないものですので、ダートに入ると、ゆっくり細心の注意を払って進みます。バイクに負担がかからないようにゆっくりと、そして地面に穴があれば丁寧に避けて走ります。

    舗装路でも決して無理はしません。

    スピードも控え目で、こまめに休憩を挟み、キレイな景色があればバイクを停めて写真を撮ります。

    キレイな景色があると立ち止まって写真を撮ったりします

    コレが彼らの旅のスタイルであり、彼ら自身は無意識のうちに自分たちの旅の目的をきちんと把握しているのでしょう。

    アシムは自身のルーツであるインドまで、洋介さんは旅の最終目的地である南アフリカまで無事に到着することを大切にしています。そのために不要なリスクは取らず、バイクに負担をかけず、決して急がず慌てず、それでいて景色を楽しみながらゆったりと(o^O^o)

    一方の大澤さんは大澤さんで海外のオフロードを走るという明確な目的を持って大陸に渡り、結果は途中リタイアを余儀なくされてしまいましたが、それは自身の目的のために果敢に攻め続けた結果であり、首尾一貫して旅の目的を貫き通していたと感じます。

    私は全てが中途半端でした。

    オフロードを走り始めると楽しくなり始めて、テネレに無駄な負荷をかけていたり、一方で景色を楽しむこともなくバカみたいにスピードを出して通過してみたり…(-_-#)

    洋介さんとアシムと一緒に走ってやっと気づきました。毎日500kmも600kmも走ることないのです。自分のペースでゆっくりと走って行けば。

    私が洋介さんに「毎日バイクで走って宿の心配をして、それの繰り返しの毎日で、何のために旅に出たのかわからなくなっている」と言ったときに、洋介さんは答えました。

    「それだけだって十分過ぎることなんじゃないんですか?そもそも旅に出るのに理由や目的なんて要りますか?旅をしているうちに何かを見つけるかもしれません。何も見つけられないかもしれません。旅ってそういうものではありませんか?それじゃいけないんですか?」

    こうやって奢らず焦らず時の流れに身を任せてゆったりとにこやかに過ごすから、彼の周りには人が集まるのでしょう。

    私はずっとずっと何かに追われて生きてきたように思います。あれもしなきゃこれもしなきゃ(>_<)

    もっと楽しまなきゃ、もっと経験しなきゃ、…しやきゃ、しなきゃ…(>_<)

    旅に出て一月半、何もできずに何もせずに時間だけが過ぎて、コレのためにたくさんの時間と労力とお金を費やしてきたのに何をやってるんだか(-_-#)って情けなくも思ったりしましたけれど、それでも思い出すだけでもたくさんの人に会えました。

    まだ旅は始まったばかり。これからの旅は否定することから始めるのではなく、肯定することから始めようと思います。

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  • あまりの寒さに泣きが入る:(;゙゚’ω゚’):

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    7/26(金)東京出発48日目、モンゴル22日目 アルタイ〜ウルギー 走行距離665km

    アルタイからウルギーへ

    この日はロシアとの国境に近い町、ウルギーを目指します。本来なら二日間で行くのが無理のない行程ではあるのですが、このとき現在、ウルギーにはオーストラリア人ライダーのアシムと行動を共にする洋介さんが滞在していて、天気次第ではもう一日、このウルギーに滞在するという連絡を受けていました。なので追い付きたいという気持ちがあったのです。

    660kmなら、一日で走れない距離ではないという思惑があっての決断でした。

    このとき滞在していたアルタイも少し標高が高く、昼間でも多少の肌寒さを感じるくらいでしたので、いつもより少し厚着をして出発します。

    少し肌寒さを感じながら走り始めたのですが、日が高くなってくれば気温が上がるという予想の元での決断でした。

    出発直後は晴れて景色もきれいでした

    しかし、その予想は大外れでした。

    走り始めて2時間ほど経ってからでしょうか?猛烈な冷たい雨が私を襲います。モンゴルの西側がこんなにも標高が高いとは思ってもみなかったのです。

    とにかく寒くて寒くて仕方がありません。後で聞いた話によると、この辺りは標高2,500mに達する所もあるそうです。恐らく気温は一桁代でしょう。

    あまりの寒さに泣きが入ります。もう無理だと思い大雨の中停車し、ずぶ濡れになりながら、荷物を解いて日本から持ってきた防寒用のスキーウェアを取り出します。スキーウェアを着ても芯まで冷えた体は寒いままです。何でこんなにも辛い思いをしなければならないのでしょうか(>_<)

    モンゴルの雄大な景色も、雨でモヤがかったこの景色は私にはこの世の果てにしか見えませんでした。この景色は例えるなら、ドラゴンボールで幼少期の神様が不時着したユンザビット高地を彷彿させるような場所です。

    とにかく寒い((+_+))早くウルギーに着きたい。そう思うと余計にスピードを上げてしまいます。するとさらに風を受けて寒くなるのです(>_<)

    しかし、速く走りたいと思うと今度は雨でぬかるんだダートに入ります。

    早く舗装路に戻りたい私は一番舗装路に近い左側の轍を走ってました。

    すると目の前にはテネレで荷物を積んだ状態では厳しいかとも思われるヒルクライムが現れます。

    もう判断力を失っていた私はそのまま突入してしまうのです( ̄□ ̄;)!!

    バランスを崩しながらも丘を登って行きます。轍はどんどん狭くなって行きます。これは不味いと気づいたときには目の前には無人の小型のショベルカー、すぐ右側は切り立った崖になっていました。もう進むことも引き返すこともできません。

    本気で泣いてしまいそうでした。崖の下を見ると、広い轍を車が走っているのが見えました。正しい轍はあっちだったのです。

    この場所ではサイドスタンドを出してバイクから降りることもできません。

    大雨の中、寒くて寒くて凍えてしまいそうで、身動きすら取れなくなってしまったのです。

    すると、工事中の舗装路を車が走っているのが見えました。きっと工事関係者でしょう(>_<)

    とにかく気付いてもらえるように、クラクションを鳴らして、大きく手を降ります。

    すると向こうは笑顔で大きく手を振って応えます( ̄□ ̄;)!!

    イヤイヤイヤイヤ(;´д`)そうじゃない(>_<)

    もう、必死で大声で「help!!help me!」と叫びます。

    様子がおかしいことに気付いてくれたようで、助手席から一人降りてきてくれて助けてくれました。

    まずはバイクを支えてもらって私がバイクから降ります。そして、バイクを崖から落ちないように反対方向を向かせます。

    本当に彼がいなければ私はあの場所で凍え死んでいたかもしれません(>_<)

    登ってきた道をそのまま引き返すのもかなり難度が高いので、意を決して崖をそのまま降ることにしました。

    崖と行っても草が生えているので、転んでもそこまでダメージは無いとの判断からです。

    慎重に慎重に、途中現れる大きな岩を避けてなんとか幅の広い、正解の轍にたどり着くことができました。

    ここまで来ればなんとかなると思って走っていると、今度は大雨でチュルチュルヌタヌタの道が現れます。

    こんな道走れるだろうかと弱気にもなりますけど、ここを通過しなければウルギーまで行くことができません。

    時速15~20kmで慎重に慎重に走ります。

    小一時間かけてなんとか走りきることができました。

    正直寒さと疲労から相当泣きが入っていました。つい、もう日本に帰りたい(;´д`)って思ったりもしてしまいました。自分の弱さが情けないです。

     

    なんとかウルギーに到着すると、やはり雨のため、洋介さんとアシムはまだウルギーに滞在していました。

    洋介さんとは久しぶりの再会でしたが、私が洋介さんの滞在するゲストハウスに到着すると、右手を大きく上げて合図をくれた後、すぐに何やら別のものに気をとられています。

    良く見るとそこではヤギが足を縛られ首を切断されていました。

    私はこういうのはもっとスパっと首を落として苦しまないようにしてあげるものかと思っていましたが、中途半端に首は胴体と接続していて、体が苦しそうにビクビクとのたうち回ってました。

    このヤギはすでに絶命しているのか、それともまだ生きているのかわからなかったのですが、生き物を食べるというのはこういうことなんだと頭ではわかっていましたけれど、実感として突きつけられたのはこのときが初めてかもしれません。

    このゲストハウスには他にもたくさんの欧米人やインド人などが滞在していましたが、この光景を興味深く近くで見つめていたのは日本人である洋介さんと、もう一人、20代と思われる若い日本人旅行者だけでした。

    この日本人旅行者は駆け出しの写真家としてアジアを旅行中で、モンゴルにはすでに1ヶ月半滞在しているとのことでした。名前はアラさん。私がこの旅で出会ったバイク乗り以外の日本人ツーリストはハバロフスクで出会ったチアキさん以来、二人目です。

    私は洋介さんとアシムが滞在しているゲルに一緒に滞在させてもらえることになったのですが、アラさんも日本人と話せるとホッとするのか、我々のゲルに来ていろいろと話をします。

    洋介さんとアシムと会えてホッとします。
    でも、到着しても寒くて寒くて仕方ありません(>_<)

    この日は金曜日で、国境は日曜日は休み、月曜日はその反動で大混雑になるということで、明日の土曜日に行かないと火曜日まで待つことになるため、天気関係なく明日は絶対に国境に行こうと話をしていました。

    それを聞いたアラさんは「もう行ってしまうんですね(>_<)」と少し寂しそうでした。

    私はこの日の走行で体が芯まで冷えてしまっていてゲルに到着して厚着をしても寒さが抜けず、鼻水も止まらず本気で風邪を引いてしまうのではないかと不安でした。

    そんな中、メッセンジャーに一つのメッセージが入ります。

    「コケて骨折りました。お気をつけて」

    大澤さんからでした…。

    バイクの故障もあり、焦りもあったようです。転倒してバイクの下敷きになり、足を骨折されたそうです(日本に帰国後検査をしたら手も折れていたそうです)。なんとかバイクの下から脱出し、遠く離れた広い轍まで這っていき、通り掛かった車に助けを求めてヤルーの診療所に運ばれたそうです。

    あの道(ウリアスタイ〜トソンチェンゲル間)でそんなことになり、相当な恐怖と不安が彼を襲ったことでしょう。

    フェリーの中や味戸さんのゲストハウスで中央アジアに対する思いも熱く語っていた大澤さん(>_<)

    筋金入りのオフローダーとして果敢に難所を攻めたきた結果とはいえ、本人にとっては無念だったと思います。私も残念でなりません。

    現在は日本に帰国して手術を受けられるということですが、きちんと回復して、いつの日か、また世界のオフロードに挑戦する「男!大澤孝将」が帰ってくることを願っています!

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  • これ…、俺がやった方がマシじゃないか…?

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    7/25(木)東京出発47日目、モンゴル21日目 アルタイ

    地元の自動車修理工場へ

    この日はとにかくサイドケースのステーの補修をしなければこの先の旅に大きな影響を与えてしまいます。

    昨日出会ったバタさんもアルタイで補修できると言ってましたし、ホテルで聞いてみても近くに自動車の修理工場があるのと教えてくれます。

    アルタイで修理ができると教えてくれたバタさん

    朝、ホテルで教えてもらった自動車修理工場に行こうと出掛けると、隣のホテルにたくさんのオートバイが停まっていました。

    どうやらヨーロッパの旅行者がレンタルバイクでツーリングを楽しんでいるようです。このツーリングを企画している人ならこの町の良い修理工場を知っていると思い尋ねてみると、やはりホテルで教えてくれた自動車の修理工場と同じ所を教えてくれます。

    どうやらこの人たちはイタリアからの旅行者のようです。

    私のテネレさんはやはりヨーロッパでも評価が高いらしく、みんな寄ってきて、しきりに「良いバイクだ」と言います。

    私のサイドケースのステーが壊れているのを見ると、「日本のバイクは壊れない。このステーは恐らくイタリア製だな」と言います(ステーは実際はドイツ製ですが)。

    そのくらい日本のオートバイの評価は高いのです。

    この人たちも同じ自動車の修理工場を教えてくれたので、そこが間違いないだろうと思い行ってみます。

    実際に行ってみるとかなりチープな建物で本当に大丈夫なのかと不安になります。

    かなりチープな建物たが、本当にここは大丈夫なのか(>_<)

    この工場のメカニックと思われるおじさんが出てきたので、この破損したステーは直せるかと聞きます。すると、そんなの朝飯前だと言う風に頷きます。

    何やら日本人のバイク乗りがやって来たと言うことで、どんどんギャラリーが集まってきます。

    私があのオヤジを信用して良いものなのかと不安になっていると、近くにいた化粧の濃いオバさんが「彼はグッドメカニックだ」と言ってきます。

    実際に溶接の作業が始まっても不安で仕方ありません。折れた部分が溶接されるとギャラリーたちはスタンディングオベーションです。

    オヤジ…、頑張ってやってくれてはいるが…(-_-#)

    この辺りにこのようなことをできる人がいないのでしょう…(-_-#)

    その溶接の仕事を見てみると、私が人生で今まで見たこともないようなヒドイ雑な仕事です。

    いくらなんでも、コレ、雑過ぎでしょ(-_-#)

    溶接をしたことはないですが、正直これなら自分でやった方がまだましなのではないかと思うほどヒドイ出来ばえです。

    作業が終わると、このオジサン、俺がやればこんなもんだと言わんばかりの偉そうなふてぶてしい態度です。

    周りのギャラリーたちは英雄を称えんばかりの拍手喝采です。

    とりあえず溶接はされたので、ロシアに戻ったら直せば良いと自分に言い聞かせ、安いのか高いのかわからない(一応目的は達成されて金額としては安いのですが、この質の仕事を考えると高いとも言える)工賃を払いホテルに戻りました。

    実際はダートを走っている間にどこかに飛んでしまったドライブチェーンカバーも何とか代用品で作って欲しかったけれど、ここでお願いするのはやめました

    この数日の疲れを取るためにこの日は一日ホテルに滞在することにしました。

    するとある知らせを受けることとなりました。

    オーストラリア人ライダーのアシムと一緒に行動している洋介さんは、このとき現在、ロシアとの国境に近い町、ウルギーに滞在していて、もし次の日が雨ならば道路状況が厳しいので、さらにその次の日に国境越えをすると言うのです。

    このアルタイからウルギーまで約660km。一日で行けない距離ではありません。もし、洋介さんたちの国境越えが雨で一日遅れるなら追い付くことが可能です。

    この日はゆっくりアルタイに滞在して、次の日一日でウルギーを目指すことを決意しました。しかし、この決意が私に更なる試練を与えることをこのときは知る由もなかったのです。

    そして、もう一つ、私のスマホに一件のメッセージが入りました。

    それはウランバートルの味戸さんのゲストハウスでお別れをした大澤さんからでした。

    「いまウリアスタイにいます。振動でラジエーターに穴があいてしまい困っています。ウリアスタイからトソンチェンゲルまでの道はどんな感じですか?」

    そう、つい先日私が走った道を大澤さんは逆方向から(南から北へ)走っていたのです。

    しかしラジエーターに穴が空いたとは大問題です。アルタイからウリアスタイまで走ったのならば、道路状況は同じようなものですが、ただ、その区間よりはダート区間の距離は短いことを伝えます。

    そうとはいえ、ラジエーターが破損したまま走行したら、下手をすればエンジンの停止を招いてしまいます。

    あのような田舎では補修のしようが無いように思いますが、私より経験も知識も技術もずっと高い大澤さんに私からアドバイスできるようなことはありません。

    私としては、ただ無事にあの区間を通過してくれることを祈るばかりです。

    このとき、この区間で大澤さんの身に大変な事態が起きることなど夢にも思ってはいなかったのですが…。

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  • 恐怖と孤独と

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    7/24(水)東京出発46日目、モンゴル20日目 ウリアスタイ〜アルタイ 走行距離198km

    ウリアスタイからアルタイ

    昨日から走り始めた永遠とダートが続く西モンゴルの道路。実は味戸さんのゲストハウスに滞在していた陽気なフランス人たちは私とは反対に西側からウランバートルに来ていて、まさにこの道を通って来ていました(道路工事は始まっていなかったため、ヤルーへの迂回路は通っていませんが)。

    彼らは特にこの日私が走ろうとしているウリアスタイからアルタイへの道を「チャレンジングな道」と表現していたという話を聞いていました。

    この日は、前日も100km以上のダートを走ってきていたので、出発前に簡単なオートバイの整備をしていました。するとあの元気で優しいホテルのおばちゃんが出てきて、お弁当を持って行きなさいとパンとゆで卵を包みに入れて持って来てくれました。

    大変嬉しくありがたいことだったのですが、味戸さんから、モンゴルではいつ取れたかわからない古い卵が平気で売られていて、例え火を通していても食中毒を起こすことがあるので、卵は極力食べないようにという話を聞いていました。せっかくのご厚意でしたが、お腹が一杯なので大丈夫です、と丁寧に辞退して出発をしました。

    この日の道路はチャレンジングと聞いていたので、気合いを入れます。

    走り始めると天気も良く、適度なダートが私のテンションを高めます。スピードも上がり、この日は控えようと思っていた動画撮影まで始めます。

    この程度のダートであれば十分に楽しみながらアルタイまで行けるとタカを括っていました。

    はじめのうちは綺麗な景色と楽しいダートにテンションが上がっていました

    しかし、ウリアスタイを出発して50kmほど走ったときでしょうか?

    文字通り雲行きが怪しくなってきます。明らかに少し先の空には雨雲があり雨が降っているのが見えます。

    これは不味い(-_-#)

    不味い(-_-#)
    雨雲が現れて、向こうでは雨が降っているのがわかる(>_<)

    激しく降られてしまったらかなり危険な状況になりかねません。このような状況になってすれ違う車もほとんど見かけません。

    屋久島でガイドの経験のある洋介さんが言っていました。雨の多い屋久島では地元の人ほど雨の恐さを知っているので、気象ニュースを注意深く見て雨が降ったら動かないそうです。私はこのときも冷静な判断を欠いていました。とにかく雨の区間を早く抜けたくて急いでしまったのです。

    雨はどんどん激しくなります。ぬかるんだ地面が転倒の恐怖を煽ります。周りに何もない大平原に出てから雷も激しくなり始めました。大平原にポツンとバイクに乗る私…(>人<;)。落雷の恐怖も襲ってきます。

    とにかく走らなきゃ(>人<;)

    無我夢中で走ります!

    一旦雨が落ち着いて来たところで冷静さを取り戻し、停車して休憩を挟みます。…、ムムム( ̄◇ ̄;)テネレ…、お前何かおかしくないか…?

    よく見るとサイドケースがおかしな方向を向いています。あれ…、サイドケースをバイクに固定するステーは片側の3カ所で固定されているのですが、右側は3カ所のうち2カ所が折れています。つまり1カ所だけで支えている状態になっているのです( ̄◇ ̄;)

    ここと
    ここがポッキリ折れてる( ̄□ ̄;)!!

    左側も1カ所折れているではないですか…。アルタイまで残りまだ100km以上のダートが続きます。

    ダートを走るのが楽しいとか、雨が降ってきて怖いだとかで、テネレの負担も考えず、ダートをガンガン走って激しい振動を与えてしまっていた結果です(>人<;)

    もうずっと車を見ていません。もしステーの残りのカ所も折れてしまったら、最悪私は荷物を捨ててアルタイを目指さないといけないかもしれません。とにかく私にできること、まずはステーへの負荷を軽減するためにサイドケースを直接ストラップで縛ってバイク本体と固定します。とは言っても鉄の頑強なステーがポッキリ逝ってしまうくらいですから、このストラップがどこまで耐えられかもわかりません。

    そして、今まではテネレがその走破性を遺憾なく発揮していることに甘えて車体への振動を考慮せずに走っていましたが、ここからはゆっくり振動をなるべく与えないように走らなければなりません。

    雨が降りしきる中、先を急ぎたい気持ちを精一杯抑えて丁寧な運転を心がけます。このときの私に昨日の転倒の恐怖が蘇ります。

    激しい雨の中、雷も鳴り、荷物もいつ捨てなければならないかもわからない状況で、私の視界から一切の人工物が消えて久しいです。とにかく不安で不安で仕方ありませんでした。

    遠くにブッシュが見えると、その影を車と勘違いしたりしました。とにかく人に会いたい…。ただし唯一救いだったのが、水とガソリンは十分に残っていることでした。最悪道路状況が悪くて先に進めなくなったとしても、数日ならば野営をして天気が回復するのを待つことができます。そのためには、もしサイドケースのステーが壊れたときに、テントの入ったサイドケースを捨てて先に進むか、そこに留まり野営をするかの判断を迫られることになるのですが…。

    とにかく慎重に慎重に…。

    どうにかこうにかアルタイまで残り20kmのところまで来ました。あと少しです。

    すると反対車線の路肩に一台のバイクが停まっています。あれはどう見てもBMW GS ダカール(>人<;)現地の遊牧民が生活のために乗るバイクとは違い、走ることを趣味とするバイクです。でも、その所有者のフォルムがなんかおかしい…。それでも久しぶりに見た人\(^o^)/嬉しさのあまりわざわざUターンして反対車線に行きます。

    どうしてかよくわからないですが、彼はこんな場所で骨付き肉を食べていました。モンゴル人のようですが英語も話せるようです。私のサイドケースの破損カ所を見せると一瞬驚いた表情を見せますが、アルタイまで行けば修理できる場所があると教えてくれます。そして残り20kmだから頑張れ!とも。

    なぜか骨付き肉を食べてたバタさん
    こんなにも人に会えて嬉しいと思ったことはありませんでした(>_<)

    人に会えるのがこんなにも嬉しいものなのか(>人<;)

    残り20kmのダートも最後まで気を抜かずなんとかアルタイまでの道を走り切ることができました。

    前日の転倒がずっと私の頭にこびり付いていて、この日は恐怖とストレスの中の走行を余儀なくされていました。ホテルに着くと、この旅で今までになかったくらいの安堵感に包まれました。

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  • 刻まれた恐怖体験

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    7/23(火)東京出発45日目、モンゴル19日目トソンチェンゲル〜ウリアスタイ走行距離223km

    トソンチェンゲルからウリアスタイ

     

    前回車通りの無い道路で転倒し、足がサイドケースと地面の間に挟まり身動きできなくなっている私…。一体どうなってしまうのでしょうか?

     

    焦っても何も良いことは無いと自分に言い聞かせると、挟まれているのはかかとであり、つま先側は多少動くことに気づきます。転倒時に走った膝の痛みも今は感じません。

    少しずつ少しずつ挟まれた左足をズリズリとずらしていきます。そしてなんとか抜くことができました(>人<;)

    立ち上がってヒザの状態を確認します。うん、痛みはほとんど無く大丈夫そうです。足首はどうか。少し捻ったようで多少の痛みがありますが、歩けないほどではありません。

    とにかくバイクを起こそうと荷物を一通り下ろし、なんとかバイクも立てることができました。

    するとそこに一人の遊牧民が馬に乗ってやってきました。よく見るとこの周りには家畜がたくさんいます。パニックを起こしかけていた私はそのことに気づいていなかったようです。

    近くに家畜がいてゲルもあります。
    そこまで焦るような状況ではなかったようです

    その遊牧民はジッと私を見つめていましたが、私がバイクに荷物を積み始めると、手伝おうか?とジェスチャーで伝えてきます。積み方があるので大丈夫だよと伝えます。

    それでも何かしようとしてくれているのか私の作業をジッと見ています。私がヘルメットに貼ってある日本の国旗を見せながら「JAPAN」というと、「ヤーポン(日本)(*´ω`*)」と親しみを込めた笑顔を返してくれます。きっと遊牧民の間でも日本に対する印象は良いのでしょう。

    この遊牧民の乗る馬があまりにも綺麗だったのと、遊牧民の民族衣装がカッコいいので、スマホを取り出して、写真を撮って良いかと聞くと、良いと返事をくれます。

    馬の前に立ってくれとお願いすると、驚いた表情で恥ずかしがり、初めは難色を示しました。「貴方の衣装もカッコいいから」と伝えると渋々馬の前に立ってくれます。撮った写真を見せると照れ臭さそうに笑います。

    私の前に突如現れた遊牧民。
    その出で立ちに誇り高き騎馬民族の片鱗を感じます

    私の荷積みが終わると何も言わずにその遊牧民は去って行きました。

    ウリアスタイまでは数十キロ、工事中の道路で予想以上に走りにくいことと、疲れがピークに達していたことからこの区間は思った以上に疲弊しましたが、なんとかウリアスタイに到着することができました。

    ウリアスタイの宿に到着すると、英語は全く解せないけれど、明るくて気さくな優しいおばちゃんが出迎えてくれました。「ホテルの前にバイクを停めておくのは良くないので、ホテルのエントランスに入れなさい」と言ってくれます。

    このホテルにはシャワーが付いていなかったのですが、私がシャワーは無いのか尋ねると、知り合いのおじちゃんに3,000トゥグルク(約120円)でシャワーを浴びられるように話をつけてくれます。

    どうやらこのおじちゃんは施行中のマンションを持っているらしく、そこの一室のシャワーを使わせてくれるみたいです。

    マンションに到着するとシャワールームの電球が切れているようで、買ってくるからちょっと待っていろと言います。しばらくして電球を買ってきて取り付けると、突然おじちゃんはシャワーは5,000トゥグルク(200円)だと言い始めます。

    たかだか80円の差ですが、これには私は黙っていません。最初に3,000トゥグルクだと言ったのですから3,000トゥグルクです。電球代と言いたいのかもしれませんが、電球は私がもらうのでは無く、このマンションのものなので私が払う筋合いはありません。おじちゃんは語気を強めて「ノー!5,000トゥグルク」と言います。これには私もカチンときて、日本語で「最初に3,000トゥグルクって言ったのはそっちだろ!後から変えるのはおかしい!3,000って言ったら3,000だ!」と言い返します。

    おじちゃんも譲らないのですが、だったらシャワーはいらないと言って荷物を取って帰ろうとしたら向こうが折れて、「分かった。3,000トゥグルクで良い」と言いました。正直前日はテント泊、その前はゲル泊で2日間シャワーを浴びていなかったので、シャワーは大変浴びたかったのです。でも約束を守らないことは許せなかったので本気でシャワーはいらないと思って主張したところ3,000トゥグルクで使わせてもらうことができました。

    金額を考えれば別に払っても良いのですが、お金の問題では無く、納得できないものにはきちんと主張しないといけませんね。

    この日はたくさんのことがあり過ぎましたが、やはり大自然の中で転倒し、足が挟まれたことは私の心に大きな恐怖を植え付けていたようです。

    転倒した場所が、あと数kmズレていて、かかとがあと数センチ深く挟まっていたら?と思うと再び強烈な恐怖が襲ってきて、ベッドの中でガタガタと震えながら眠りにつくのでした。

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  • マズイ…。旅が終わる

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    7/23(火)東京出発45日目、モンゴル19日目トソンチェンゲル〜ウリアスタイ走行距離223km

    トソンチェンゲルからウリアスタイ

    トソンチェンゲルで現金の引き出し、水と非常食の購入、ウリアスタイまでの迂回路の聞き込みなど準備を整え、遂にモンゴルで最大の難所と思われるトソンチェンゲル〜アルタイまでの道に挑むことになりました。

    出発するとトソンチェンゲルからテルメンまでの道のりで猛烈なスコールに見舞われましたが、幸いなことに道は舗装路だったために特段困ることもなく進むことができました。もしこれが未舗装路だったら大変です。通常何気ないダートであったとしても雨が降って地面が泥濘むと全く別物の怪物として牙を剥いてくることは往々にしてあることです。

    テルメンを通過し、遂にヤルーへの迂回路に差し掛かったところでちょうどダートが始まりまりました。多少地面は濡れていましたが、全くもって走れないレベルではありません。

    進んでいくと反対側が崖になっていて道路も狭く気を抜けないようなところもありましたが、路面が酷くないため、むしろこの景色の綺麗さに心を奪われるくらいです。

    天気はイマイチでしたけど、それでも出発前にイメージしていたモンゴルの景色に出会えて感動(>_<)

    この道を走るのはたまたま現在道路工事のためであり、この工事が終わってしまったらツーリストがこの道を走ることは滅多にないだろうと思うと非常にもったいないなって思うくらい私はこの道を走れて良かったと思いました。

    この道を走っていてたまにすれ違う車はランドクルーザーやパジェロなどの車高の高い四駆自動車でしたが、一台の赤い小さな普通自動車を途中で追い抜きました。すると助手席の座っていたご年配のご婦人が手を挙げて私を呼び止めます。

    英語も通じず、何が言いたいのかは分からなかったのですが、私がウリアスタイに向かっていることを告げると、気をつけてという風に笑顔で手を振ってくれました。

    しばらく進んで行くと先ほどの雨の影響か思わず立ち止まってしまう川が私の目の前に現れました。これはどうしたものだろうか(;´д`)この川を果たして私はオートバイで渡れるのでしょうか?しかし渡らなければ先には進めませんし、引き返したところで私には行くあてがありません。川の途中で転倒などしてしまえば一大事ですので、ここは慎重に、バイクを一旦停めて、まずは歩いて渡ってみてどのルートを通るのが一番安全なのかを確かめます。

    この川…、私に渡れるのか?!

    実際に足を入れて調べてみて、なんとか渡れそうなルートを見つけました。すると先ほどの赤い乗用車が追いついて来て、やはり運転席のおじちゃんはどうしたものかと困った顔をしています。

    私が実際に川を歩いて見せて、このルートなら行けるよと教えてあげると、おじちゃんは車から降りて来て、何やら私の着ているレインコートの袖をつまんで引っ張ります。意味を解せない私は、「うん、これ着ているから雨降っても大丈夫だよ」と日本語で言いながら、両手で雨の降る仕草をしてみます。するとおじちゃんは首を横に振って、私の胸を指差しながら何やら言っています。どうやらオートバイである私がこの川を渡れるかどうか心配してくれているようです。

    そういうことだったのか(>人<;)先ほどのこのおじちゃんに示したコースをもう一度指差し、私もそこを走るから大丈夫だと伝えます。

    おじちゃんと一緒に邪魔になりそうな石を避けて、まずはこの自動車を先に渡します。無事渡り切ったところで私は頭の上で大きく手を叩いておじちゃんを称えます。

    おじちゃんはその賛美に応えることはなく、そのまま車を降りると車の前にある石ころを退かし始めました。

    よし、今度は私の番とばかりのバイクに跨り発進し、無事川を渡り切ると、おじちゃんにガッツポーズをします。しかし、おじちゃんは車の目の前にある石ころを退かすのに夢中で、私が川を渡ったことには全然興味を示していませんでした。

    ま( ̄O ̄;)無事に川を渡り切ったことですし、助手席のおばちゃんに手を振って私はそのまま先に進んで行きました。

    その後も慎重に走り大きなトラブルに遭うことも無く、迂回路の中継地であるヤルーの村に到着します。建物もありますが、この村の住人で私が目撃した人たちは全員民族衣装を着ていたことから、もともと遊牧民だった人たちが集まって定住した村ではないかと想像しました。

    特にヤルーに何があるわけでもないためそのまま通過し、この美しい景色をしっかりと目に焼き付けようと丁寧に走り続けます。そして遂に迂回路は終了し、ウリアスタイまでの正規のルートと繋がりました。

    この綺麗な景色が終わってしまうのが寂しくて仕方ありませんでした(>_<)

    あの美しい風景が終わってしまうことに一抹の寂しさも感じましたが、時刻は17時を回り日が傾いて来ていることと、ずっとダートを走って来たことから多少の疲れを感じていたことから早く目的地であるウリアスタイに到着したいと気が急いていたのでしょう。

    途中、分かれ道に遭遇してどっちが正しいルートなんだろうかと地図アプリに目を落とした瞬間、盛り土に乗り上げ転倒しそうになります。転ばないように咄嗟に足をついて踏ん張りますがそれがいけませんでした(>人<;)

    かかとがサイドケースと地面の間に挟まりちょうどヒールホールドの形で膝も捻れます(>人<;)膝に痛みが走った瞬間、私の旅はここで終わるのだなと思いました。

    組み技系の格闘技をかじったことがある方ならご存知かと思いますが、ヒールホールドとは少ない力で簡単に相手のヒザ関節を破壊できる非常に危険な技です。私が以前所属していた道場でも、この技で手術と入院を余儀なくされた方を何人か知っています。

    さらに悪いことに転倒時に挟まれた足が抜けません。すでにここまで23時間車とすれ違っていないことから、車通りも多くなさそうです。モンゴルの日も長いため日没まであと23時間ありますが、それでも不安になります。長時間足が挟まれていることも危険ですし、標高の高いこの場所で転倒して足を挟まれた状態で夜を過ごすのはかなり厳しいです。現時点では天気は良好ですが、山の天気は変わりやすく、いつスコールが降って来るかもわかりません。夜になれば車が通る確率もさらに減るでしょう。悪いことを考え始めてしまい、早くこの状況を打開しなければと軽くパニックになります。

    一体どうなってしまうのでしょうか。不安に苛まれて焦るばかりなのですが、状況を打開する手立てが見つかりません…。

    次回に続く

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  • いざ西モンゴルへ!

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    7/23(火)東京出発45日目、モンゴル19日目トソンチェンゲル〜ウリアスタイ走行距離223km

    トソンチェンゲルからウリアスタイ

    朝目覚め、テントの片付けをして出発の準備をしていると昨日の家族が私の方に大きく手招きをしています。

    お言葉に甘えて朝食にチャイと焼きたてのパン(パンと言ってもクリスピー状の小麦粉を薄く焼いたもの)をご馳走になります。彼らは全く英語も話せないため、特段私に話しかけることもございませんが、決して私の存在を無視していることはなく、家族が仲良く談笑している中に私の存在も意識していることが伝わって来ます。

    もっと食べろとかもっと飲めとか言ってくるわけでもなく、私の自由意志を尊重してくれる彼らには洗練された人との関係の作り方を感じます。

    朝食を終え、彼らが先に車で出発するのを見送ると私も最寄りの町トソンチェンゲルを目指します。この日の私には幾つかの解決しなければならないミッションがありました。

    この素敵な家族がとても優しくしてくれました(>_<)

    まず一つ目は現金を引き出さないとかなり危うい状況になってしまいます。これまでの町でもATMを探していたのですが、何故か私のカードが使えずに現金を引き出せないでいました。またガソリンの購入やスーパーでの買い物でも私のカードが使えないことが多く、非常に困った状況になっていました。そろそろ本気で現金を引き出さないと八方塞がりになってしまいます。

    それともう一つ大きな問題として、私がこれ目指すルートはトソンチェンゲルから南下してウリアスタイを経由し、アルタイまで目指すのですが、私がウランバートルを出発する直前にトソンチェンゲルの南の町テルメンからウリアスタイまでの区間が道路工事のため1年間の通行止になったという情報が入って来たのです。

    モンゴルをウランバートルから西に抜けるルートは他にもあって、トソンチェンゲルからそのまま西に抜けるという方法もあるのですが、この区間は事前の情報として4輪の自動車でも大変だと聞いていました。なのでどうしても私はトソンチェンゲルからアルタイに向けて南下したいのですが、その迂回路がどこなのかも、またその迂回路の道路状況も全くわからなかったのです。ただ、道路工事をするということはこの道自体に交通量がある程度あるはずですので、必ず迂回路はあると考えていました。

    これもトソンチェンゲルまで行き、この街にいるトラックドライバーなら知っているだろうとあたりをつけています。

    トソンチェンゲルは予想以上に大きな街で、すぐさまATMのある大きなスーパーを見つけます。ホッとしたのも束の間、やはり私のカードが使えません。ATMの前で何度も挑戦している私を見かねて、若い女の店員さんが近くに来て操作を手伝ってくれますが、やはり引き出せません。すると彼女はすぐ近くにもATMのある大き目のスーパーがあるのでそっちに行ってみてはどうかと提案してくれます。

    すぐにATMを見つけるも、なぜかお金を引き出せない( ̄□ ̄;)!!?

    そちらに行ってみますがやはり引き出せません。カード会社に電話で問い合わせてみたもののエラーの履歴がないため、恐らく現地のATMの問題だとの回答を得ます。いよいよ本気でマズイです(>人<;)

    すると近くに銀行があるのを見つけたので、そちらのATMで引き出せないかと試してみますがそれでもダメです(ToT)今度はこの銀行の受付の女性が近くに「ハンバンク」という大きな銀行があるのでそっちに行ってみたらどうかと提案してくれます。ハンバンクを見つけると、確かにウランバートルや国境の町アルタンブラクで現金を引き出したのはこのハンバンクであることを思い出しました\(^o^)/これは期待できそうだということで挑戦してみると見事に現金を引き出すことができました\(^o^)/

    何度も町のメイン道路を行ったり来たりしている私を最初のスーパーのお姉さんは心配そうに見ていたのを知っていたので、現金が引き出せたことを報告すると手を叩いて喜んでくれました。

    このスーパーで1.5Lの水を3本と非常食用のチョコレートバーを購入し、次はテルメンから先、ウリアスタイまでの迂回路を聞き込みしないとなりません。

    ちょうど近くにトラックが止まっていたので、日本から持参したモンゴルの紙の地図を広げて地図上のここが今いるトソンチェンゲルで、私はウリアスタイに行きたいと伝えます。すると私が意図していることをすぐに理解してくれたようで、テルメンから先が工事で通行止になっているので、ヤルーという村を経由するように教えてくれます。

    ウリアスタイに行くにはヤルーへの迂回路を通るとの情報をゲット!

    やはり予想通りトラックドライバーにはすぐに情報が広まっていたようです(モンゴルでは突然工事が始まって通行止になったりするらしく、当日に行ったら通れなくて大混乱になっているなんてことは普通にあるそうです。)

    よし、行く道はわかりました。ただ、この工事が始まったのがつい数日前ということで、このヤルーへの迂回路を通ったというツーリストの情報は当然ながらありません。

    道路状況がどうなのか全くわからない状況で行くのはかなりの恐怖がありましたが、このまま西に行くのは確実に地獄が待っていることを情報として得ている以上、このまま南下するしかありません。

    近くの食堂で朝食兼昼食を済ませると、いざモンゴル最大の難所へ出発です!

    この食堂のおっちゃんは優しかったし、料理も美味しかったな(o^O^o)

    続く

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  • 私は何のためにここに来たのだろうか?

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    7/22(月)東京出発47日目、モンゴル18日目 バットセンゲルからトソンチェンゲル 走行距離297km

    バットセンゲルからトソンチェンゲル

    明け方、当然の如く焚き火ストーブの火は消えていて寒さで目を冷ましました。目を覚ましてしばらくすると、案の定、昨日の旦那さんがゲルにやって来て、「ger . money 」と言ってきます。

    まぁある程度は覚悟していたので、いくらか聞くと、旦那さんは数字があまり良くわからないらしく、「my wife」と言います。

    旦那さんに導かれてその家族が暮らすゲルに行くと、奥さんが「まぁ、座って朝ごはん食べなさいよ」と言ってイスを出してくれます。

    促されるままにイスに腰掛け、パンとパンに塗る何かの乳で作ったと思われる日本では見たことの無い食材とお茶を出してくれます。

    子供たちもそれを食べています。

    とりあえずいただこうかと思ってパンにその謎の物体を付けて食べてみると、これがまぁ不味いのなんの(-_-;)

    頑張ってパン一切れをお茶で流し込むと奥さんが味はどうか?と笑顔で尋ねてきます。

    涙目で親指を立てて「good」と言うと、下の小さいお子さん二人が私の所に来て膝の上に乗ります。

    鼻水垂らして汚いけど可愛いじゃないか(ノ≧▽≦)ノ

    おめぇら、なんて純朴な顔してやがるんだ(>_<)

    奥さんがもっとお食べと促してきますが、お腹いっぱいだと言って丁寧に辞退します。

    すると奥さん、紙に金額を書いて見せてきます。

    前日に調べていた日本の旅行会社が企画するゲル宿泊ツアーに比べれば安いけれど、それでもちょっと高い(-_-#)

    うーむ。交渉できなくもないのでしょうが、このお金がこの子達のご飯になるのかと思うとそんないくらでもないお金を値切ってもあまり意味がないのではないかと思い、渋々払うことにしました。

    野宿していれば払わないで済んだお金を払ったことがどうしてもモヤモヤしてしまいますが、サービスを受けた以上、幾らかは払わない訳にはいかないですし、あれが子供たちのご飯代になるんだと自分に言い聞かせて出発することにしました。

    旅を始めて1カ月半、最近私は考えてしまいます。

    私は果たして何のためにこんなことをやっているのでしょうか?

    日本にいて仕事にはやりがいを感じていましたし、毎週末にキャンプに行ったりバイクに乗ったり美味しい物を食べに行ったり快適で楽しい毎日を過ごしていました。

    旅に出てからはただ毎日のようにバイクに乗り、寝床の心配をして、寝ている最中も荷物やバイクの心配をして…。

    ウラジオストクまでのフェリーが一緒でロシアを一緒に走った洋介さんはモンキーで世界を回るという目標を持ち、現在はオーストラリア人とカナダ人のライダーと一緒に私より先を走っています。

    ジュンジさんはギターでお金を稼ぎながら世界中の人たちと触れ合いギター一本とオートバイで世界を回れるかの挑戦をしています。

    大澤さんは3カ月という限られた時間の中でロシアの骨の道やモンゴルのオフロード、中央アジアの砂漠地帯からパミールハイウェイと、とにかくオフロードとひたすらキレイな景色を求めて走り続けています。

    粕谷さんも定年退職を期にモンゴルの大自然と中央アジアの雄大な景色を目指して走っています。

    私は???

    私は何のためにここに来たのでしょうか?色々な国の色々な人たちの生活や文化に触れて、私自身の人生を見つめ直したいと思って出発したものの、何一つできていません。

    今日どこで寝るのか?実は引き出していた現金がほとんど手元になく、大きな街も見つけられず、ATMでお金を引き出すことすらできていません。この辺りではガソリンスタンドでもカードが使えず、そろそろ本気で水も食料もガソリンも買えなくなってしまうという恐怖も襲って来て、心細くもなって来ているのでしょう。

    昨日の反省とばかり、この日はまだ16時頃でしたが、野営出来そうな川が流れている良い場所を見つけたので、バイクを草地に乗り上げて行きました。

    こんな素敵な場所を見つけました。

    嬉しいことに近くにモンゴル人の家族が車で来ていてテントを張っています。

    近くにテントを張って今夜ここで寝ても良いかと聞くと、あっちの木陰だったら良いよと言われます。

    まだ明るい時間帯でしたがモンゴル人の家族も近くにいることだしと安心してテントを設営しました。まだ明るい時間帯ですのでついでにチェーンの掃除などバイクのメンテナンスもします。

    こんなナイスな場所でキャンプできました\(^_^)/

    ひと段落ついたのでコーヒーを沸かして飲もうとゆっくりしていると、近くの家族の一番小さい男の子が食べ物とお茶を持ってこちらに来ました。どうやら食べてということのようです。

    気持ちが弱っていたときにその優しさが心に沁みました。「バヤララ(ありがとう)」とその男の子に言い、少し離れたところにいる家族にも大きな声で「バヤララ!」と言って手を振ります。向こうも手を振って応じてくれました。

    この素敵な家族がとても優しくしてくれました(>_<)

    夜中、朝に食べた謎の乳製品が悪かったのか腹痛を感じ目を覚まします。

    トイレットペーパーを持ってテントの外に出ると、そこには今まで見たことも無いような満点の星空が光っていました。こんなにもたくさんの星が見えるのに、北斗七星もカシオペアもこれでもかとくっきりとはっきりと光り輝いていました。

    そうだ、帰るのはいつでもできる。まだ何も見つけていないけど、まだ何もしていない。

    この星空の下、テントから少し離れた位置でズボンを下ろてしゃがみ込むと、もう少しこの旅を続けてみようと思うのでした。

     

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