• カテゴリー別アーカイブ 005_ロシア2回目
  • 花をくれた少女

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    8/3(土)東京出発56日目、ロシア2回目7日目、カザフスタン1日目 ルプツォフルスク~セメイ 走行距離 124km

    バルナウルでアンドレに大変お世話になり、心からのありがとうを伝え、8/2にはカザフスタンの国境に一番近い町ルプツォフルスクに入りました。

    私のバイクは現時点ではイランに入れない(今年の4月から250cc 以上のバイクがイランに入れなくなり、ツーリストを困らせています)ため、状況次第ではパミールハイウェイに行った後に私はロシアに戻る可能性はあるのですが、アシムと洋介さんはこの町がロシア最後となります(ビザの関係上、二人はこの旅ではロシアに戻ることはできません)。

    本当に素敵な国だったので感慨深いものがあります。

    日が明けて8/3になり、この日はカザフスタンへの国境越えをします。

    走り始めてしばらくすると小さな小屋の前でアシムが停車します。

    どうやらここでカザフスタンの自動車保険に加入するようです。

    赤い髪の素敵なお姉さんが対応してくれます。

    保険屋の素敵なお姉さんと一緒に\(^_^)/

    手続きをしていると、後からロシア人おそらくロシア人と思われるファミリーがやって来ました。

    小学生くらいの男の子とまだ小学校には上がっていないだろうと思われる女の子がいます。

    上の男の子はバイクに興味があるのか私たちを見て親しみを込めた笑顔を見せてくれます。

    我々もそれに応じます。

    女の子の方にもこんにちはと言って笑顔で手を振ってみたところ、どこからか花を摘んできて私にくれました。

    女の子がお花をくれました(>_<)

    周りの大人たちがおぉ(^o^)と笑ったのに反応して何度も私に花をくれます。

    この女の子が私に花をくれたのは特段深い意味はなかったと思います。

    でも、私はとても嬉しく、そして優しい気持ちになりました。

    子供は自分たちの行動や存在に特別な意識を持っていないでしょうが、周囲の大人からしてみればとても微笑ましいものなのです。

    子供は存在そのものが希望であり、未来なのです。

    私は子供が好きです。

    日本にいて、電車の中などでたまに子供が泣いたりしてお母さんが困っている状況を目にすることがあります。それを見て中には舌打ちをするような大人もいます。

    でも、全ての大人が同じような幼少期を経て大人になっているのです。

    未来であり希望である子供たちをもっとみんなで大切にできる世の中であって欲しいと思います。

    日本に帰って困ってるお母さんがいたら、「大丈夫ですよ。泣くのも子供の仕事ですから」ってきちんと伝えてあげられるような大人になりたいです。

    そして、世の中みんなで子供を育てていける社会になると良いですね。

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  • アンドレという男

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    7/29(月) 〜31(水)東京出発51、52、53日目、ロシア2回目3、4、5日目 ラッカクラウディオからバルナウル 走行距離309km

    ラッカクラウディオからバルナウル

    川のほとりで目を覚ますと、あたりはすごい霧でテントもバイクカバーもびしょびしょでした。私たちがテントを張っていた場所はちょうど木陰で日が当たらない場所だったので、テントをたたみ、日の当たる場所に移動してテントを乾かしてから出発することにしました。

    朝もやはひどかったな(-_-#)
    もやが晴れたらやっぱりキレイ\(^_^)/
    絵本の中でしか見たことないような景色\(^_^)/

    この日はアシムがタイヤを手配している大きな都市バルナウルを目指します。

    前日とは打って変わって綺麗な景色から単調なハイウェイを走ります。

    途中大きな麦畑やひまわり畑などがありました。6月の上旬の大雨の中、東京を出発して、朝晩は冷え込むロシア、モンゴル(標高の高い西モンゴルから2度目のロシアに入ったばかりの時は昼でも寒い)を経て来ていたので、季節の感覚が全く狂ってしまっていたのですが、この大きなひまわり畑を見て、季節は夏になっていたんだということを知らせてくれました。

    麦畑もキレイでした
    ひまわり畑が夏であることを教えてくれました。
    私の一番好きな花\(^_^)/

    日本ではなかなか見る機会のない広大なひまわり畑を横目に遂に目指していた大都市バルナウルに到着しました。

    ウラジオストクからロシアに入って、ウラジオストクハバロフスクブラゴヴェシチェンスクなどロシアの大きな都市は見て来ましたが、ここバルナウルはそれらの大都市と比べても大きく清潔で美しい都市でした。

    広大なロシアですが、本当に同じ国なのかと思うほど生活水準が違います。洋介さんがしきりに「ここは本当にあの呪われた町オブルチエと同じ国なのか!?」と言います。

    次の日の朝、バイクの整備をしていると三菱の電気自動車に乗った男がやってきて何やらアシムと話しをしています。

    誰かも良く分からなく、通りすがりのロシア人かとも思ったのですが、フレンドリーに話しかけて来てくれたので、挨拶をして握手をします。彼の英語はネイティブのように流暢というわけではないですが、一つ一つの単語をしっかりとはっきり言うので非常に聞き取りやすいです。

    どうやら友人が日本で働いているらしく日本に大変興味を持っているようでした。

    しかし、あとで聞くと実はこの男がアシムがタイヤを手配していたロシアのバイカーズクラブのアンドレでした。

    それを知り私もリアタイヤを交換したいこと、サイドケースのステーを修理したいこと、チェーンカバーが飛んで無くなってしまったので代わりになるものを付けて欲しいことを伝えました。するとアンドレは「タイヤはすぐに手配する。サイドケースのステーも私が直そう。でも、チェーンカバーは不可能だ」と言います。「ロシアにはバイクに乗る人が少なく、部品は海外から取り寄せになる。そうなると早くても1〜2ヶ月かかってしまう」ということです。私は「何でも構わないので、何か覆えるものを何かあるもので付けてもらえないか?」とお願いすると「とりあえず何か考えてみるよ」と言ってくれました。

    午後になりアンドレの自宅に行きました。バルナウルの中心地から少し離れた舗装されていない道路脇の花壇に花が植えられているとても美しい通りにアンドレの家はありました。

    花の咲く美しい通りにアンドレの家はありました

    家に着くと中に招いてくれお菓子と紅茶を用意してくれていました。

    アンドレの自宅のガレージでそれぞれのバイクの整備をしてくれます。

    アンドレの家のガレージでバイクの整備をしてくれました\(^_^)/

    私のバイクもまずはサイドケースのステーの補修から始めてくれました。モンゴルで補修した所をアンドレが見ると「誰がやったんだ!このヒドイ溶接は!」と怒りをあらわにします。そ、そうですよね(>人<;)これはいくらなんでもヒドイですよね(>人<;)

    アンドレが丁寧に綺麗に直してくれました。

    こんなひどかった溶接を
    アンドレがこんなにキレイに直してくれました\(^_^)/

    そしてチェーンカバーについては鉄板からイチから作ってくれました。タイヤについては奥様が街に探しに行っているので次の日には届くから、明日交換しようと言ってくれます。

    鉄板から
    アンドレが自作で
    こんなに立派なチェーンカバーを作ってくれました(>_<)

    アンドレは数年前に事故に遭い、右腕に力があまり入らないそうです。

    アンドレは言いました。「事故で仕事もお金も友達だと思っていた人たちもたくさん失った。でも、唯一、本当に友達だと思える人たちが残った。だから事故に遭ったことは悪いことではなかったのかもしれない。」

    本当に強い人だと思いました。

    右腕に力が入らないと言いながらも一生懸命作業してくれました。あまりの手際の良さと丁寧さに心からお礼を言ってお金は幾らか?と聞きました。

    するとアンドレは答えました。「バイカーズクラブの壁にはこういう張り紙がある。ツーリストが来たら助けてやれ。でも、部品代以外のお金は請求してはならない。と」

    この日、アンドレは私たちのために仕事は午前中までにして切り上げて、私たちのバイクの整備をしてくれました。そして次の日も。

    私はとりあえずタイヤの代金を渡し、それでも財布の中に残っていた1,200ルーブル(約2,000円。これしか手元になかったことが悔やまれます)をアンドレに追加で渡すと、深々と頭を下げて「ありがとう、ありがとう」と言うのでした。

    私とアシムのバイクは次の日にタイヤ交換をするので、アンドレの自宅にバイクを預けて車で宿泊している所まで送ってくれました。

    帰りの車の中でもアンドレは日本の話ばかりします。この街に来るまではアンドレとはアシムがずっとメールでやり取りをしてくれてくれていたのに、アンドレは日本の話ばかりするのでなんだかアシムに申し訳ない気持ちにもなってしまいます。

    ロシア人は本当に日本と日本人に対する思い入れが強いように感じます。

    我々はロシア人のことをあまり良く知りません。なので冷たく怖い印象を持ってしまいがちですが、彼らは本当に親切で勤勉で仕事も丁寧です。科学、芸術、スポーツなどあらゆる分野で世界を代表する人を多く輩出するのも頷けます。皆さんもイメージするようにロシア人は男女ともに容姿も淡麗で美しい人が多いのですが、決して人種差別をするようなこともなく、我々が買い物などで言葉が通じず困っていると、たくさんの人が助けようとしてくれます。

    ロシア人は日本人をとても尊敬してくれていますが、今の日本人の姿を見たら同じように尊敬してくれるでしょうか?少なくとも私という人間は彼らに尊敬されるほどの人間だとは思えません。反省しないといけませんね(>人<;)

    帰りの車の中でアンドレが言います。「何て言ったっけ?日本の伝統的な古くからあるバイクチームの名前は?大きな旗を掲げて彼ら独自のファッションで走るチームは?」

    日本のバイクチーム??(*´-`)私はそういうのは疎いし有名なバイクチームがあっても知らないなぁと思ったのですが、待てよ…と気づきます。それってもしかして「暴走族??」と聞くと、「Yeh!!BOSOZOKI!!」と言います。

    そして「今、ロシアではそのBOSOZOKIを真似したバイクチームがあって活発に活動しているよ(*´ω`*)」と楽しそうに話します。

    日本を尊敬してくれるのは嬉しいけれど、暴走族は人様にたくさん迷惑もかけているのであまり良いものではないと教えてあげないといけなかったのかもしれません(>人<;)

    強く誠実で優しいロシア人には日本の悪いものは真似して欲しくはないです。

    一度宿泊先に戻ってから、アンドレは今度はこの街にあるバイカーズカフェに連れて行ってくれたり、街中を車で案内してくれたり、本当に心からのもてなしをしてくれました。

    ロシアのバイカーズカフェ

    私もちゃっかり足跡を残させてもらいました(^o^)/

    私もアンドレのように強く優しい誠実な人間になりたいと思うのでした。

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  • 繊細で雄大なロシアの大地

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    7/28(日)東京出発50日目、ロシア2回目2日目 コシアガシュからラッカクラウディオ 走行距離228km

    コシアガシュからラッカクラウディオ

    モンゴルで散々苦しめられ、久しぶりに戻ったロシア。

    初めてウラジオストクから走り始めたときは多くの不安もありましたが、再び戻ってきたロシアはとても優しい大地に感じました。

    ロシアの大地は繊細で優しいものでした

    前々日の夜にモンゴル最後の町ウルギーで洋介さんとアシムと合流し、前日国境を越えてとりあえず大き目の都市バルナウルを目指します。

    私は当初の予定としてはロシアに入ってもすぐに西を目指してカザフスタンに入る予定でした。しかし、アシムがバルナウルにいるロシア人のバイカーズクラブの方にタイヤの手配をしていてそこでメンテナンスをするという話をしていました。

    私も西モンゴルでサイドケースのステーが折れてアルタイで雑な修理をするに留めていたこと、チェーンカバーが飛んで無くなってしまったこと、リアタイヤが予想以上に減っていたことから、アシムに便乗させてもらうことにしました。

    ヒドイ溶接に
    ドライブチェーンカバーと無くなって(;´д`)

    バルナウルへ続くこの道はワインディングカーブが続きスピードはそこまで上げられないのですが、雄大でどこか繊細なこの旅で今までなかった大変美しい景色が続きます。

    ワインディングカーブが続きますが、繊細で美しい景色が広がります

    前を走るアシムが写真を撮るために停車していたのを気付かずに追い越していました。

    その先で私が休憩を取るために停車していると、その少し前に追い抜いていたKTM 1290 super adventureに乗ったイタリア人ライダーが追いついて来たので、彼と話す機会がありました。

    途中ですれ違ったイタリア人ライダー

    彼は実は私たちとは反対にロシアからモンゴルに入り東を目指すと言っていました。なのになぜか私たちと同じ方向に走っているので理由を聞いたところ、前日にすでにロシア側の国境に近い町コシアガチまで行っていたそうです。しかし前日は天気が良くなかったため、天気の良いこの日にもう一度この道を走りたくて戻って来たそうです。

    そのくらいこの道は綺麗な道でした。

    あまりにも景色が綺麗で休憩を多く取っていたこと、ワインディングカーブが続いてスピードを上げられなかったことから、思ったように距離を稼げていませんでした。

    イチイチキレイな景色が広がります
    本当にイチイチキレイで感動しっぱなしで疲れてしまいますよ(>_<)
    ムカつくけどモンキーが絵になっていたので撮ってしまいました

    こんな綺麗な場所なら今夜は町まで行かずにどこかで野営したいななんて考えていたまさにそのとき、アシムから同様の提案がありました。

    二つ返事で快諾すると、あとちょうど50kmほど走ったところに川があって野営するのに良さそうな場所がありそうなので、そこまで行こうということになりました。

    実際にその場所に行ってみると、やはり以前にもキャンプをした人がいたであろう焚き火の跡を見つけます。

    いい場所見つけてテネレさんも映えるねぇ\(^_^)/

    ここは良さそうだということで早速テントを張り夕食の支度をします。

    アシムもガソリンバーナーは日本製のSOTOのMUKAストーブを使っていました。SOTOの製品は品質が良いのですが、海外ではあまり売られていないと聞いていました。でも、海外のライダーもSOTOのガソリンバーナーの燃料タンクをガソリンの予備タンクとして使っている人を見かけるので、最近はそんなこともないのかもしれません。

    アシムが一生懸命ポンピングして火を起こします。

    アシムが一生懸命ポンピングします

    綺麗な景色の中で食事をし、自然と笑顔が溢れます。

    食事も楽しい\(^_^)/

    アシムと目が合ったときに、私は適切な表現がわからなかったので思いついたままに「I‘m happy」と言いました。

    言葉にしてみるととてもしっくり来ました。

    I’m happy!

    日本語に訳せば「幸せだ」ですが、日本語の「幸せ」と英語の「happy」はどうもニュアンスは完全には一致しませんので、「幸せだなぁ」と日本語で言ってしまったらどこかチープな感じを与えてしまい兼ねないところを、英語で「I’m happy」と言ったことで、このときの私の気持ちを的確に表現してくれたように思います。

    日本語で「幸せ」という表現を使う機会はあまり多くなく、安易にこの言葉を使ってしまうと安っぽくなってしまいますが、英語圏の人は「happy」という単語を好んで使っているように感じます。

    アシムもピザを食べては「happy」、暖かいシャワーが使えるだけでも「happy」と言います。

    日本語で「ハッピー」というのもどこか軟派な印象を与えてしまいますが、英語を使うのが自然な場所で「I’m happy」というのは心地の良い響きを残し、そのときの気持ちを的確に表現してくれます。

    ゆったりと素敵な時間を過ごし、日が沈んできたので就寝します。

    日が沈んで来たので就寝しました

    夜が更けて星空を見ようと外に出てみました。モンゴルで見た満天の星空と違い、霞みがかった空にはそれほど星は見えませんでした。後から聞いた話によると、このときシベリアで大規模な山火事がありロシアやモンゴルでは空が霞みがかってしまっていたそうです。

    夜はやっぱり冷えました。アシムもしっかり防寒対策

    どの程度の被害が出ているのかは定かではないですが、極力小さな被害であることを願います。

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  • モンゴルから再びロシア 二度目の国境越え

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    7/27(土)東京出発49日目、モンゴル23日目、ロシア2回目1日目 ウルギー~コシアガシュ 走行距離

    朝早い時間に出発した私たちは国境が開く8:00ちょっと前に国境に到着することができました。

    天気にも恵まれ、ダートでもトラブルなく国境まで来られたのは、アシムと洋介さんの普段の行いのお陰かもしれません。

    モンゴル側の国境ではモンゴルに入国したときと同様にオートバイは先に通してくれます。

    出国手続きではパスポートコントロールをしたくらいで、30分程度で終了しました。

    ここから先30kmくらいはモンゴルでもロシアでもない干渉地帯です。

    ここでゆっくりと休憩を取った後、ロシア側の国境を目指します。

    モンゴル-ロシアの干渉地帯。ホッと一息。ここで休憩を取ります

    洋介さんもアシムも西モンゴルでのダートで大変苦労したことや、食事が合わなかったことなどから、ロシアが相当恋しくなっていたようです。

    モンゴルを抜けて、楽しそうな洋介さんとアシム\(^_^)/

    私も西モンゴルに入ってからは大雨の中のダート走行や寒さなど、モンゴルの洗礼を受けて大変苦しい思いをしましたので、ロシアに戻れるということで非常に安心していました。

    ロシア側の国境に着き手続きを開始したのですが、どうしてそんなに時間がかかるの?って思うくらい紙切れ一枚の処理に時間がかかります。

    アシム、洋介さん、私の前に地元の方と思われる二人が並んでいました。

    すると後から来たふてぶてしい態度の男が割り込みをしてきます。

    アシムが抗議します。

    「私たちは並んで待ってるんだ。あなたも後ろに並びなさい!」

    するとその男は「次は私だ!」と言います。

    どうしてそういう発想になるのか全く意味がわかりません。アシム、洋介さん、私で猛非難します。

    こういうとき洋介さんは偉いなと思うのが、怒っていても英語でちゃんと抗議をするところです。私は怒りに任せて日本語で暴言を吐くだけです。

    「どうしたらそういう発想になるのか意味がわからない。お前頭悪そうな顔してるもんな(`Δ´)恥ずかしい人間は恥ずかしいみっともない顔してるんだな(`Δ´)とにかく顔がムカつく。」

    なんてお下品な言葉でしょう(>_<)怒りに身を任せた私は彼と大差ないのかもしれません。

    何故か前に並んでいた地元の方と思われるおっちゃんはおとなしいです。

    洋介さんが元々前に並んでいたおっちゃんにどこの国の人か訪ねると「カザフスタン」と答えます。

    洋介さん、「カザフスタンの人はちゃんとしてますね」と言います。

    そんな風に和気あいあいとおっちゃんと話していると、ふてぶてしいクルクルパーが話に入ってきて「俺はモンゴルだ」と言います。

    どういう神経をしているのか全くわかりません。

    サスガにイラついていた洋介さんも「お前はそうだろうな(`Δ´)そんな顔してる」と日本語で嫌みを言います。

    私も洋介さんもたくさんのモンゴル人に優しくされてきたのに、この男一人のせいでモンゴル人の印象が悪くなってしまいます。

    ま、私からすればこういうヤツはなに人とかどうでも良くて、私にとってはただのチンパン人でしかないのですけどね。でも、こういうヤツがいるからアジア人が差別の対象になってしまうのも仕方ないよなって悲しく思うのです。

    アシムと洋介さんと私でヤイノヤイノ抗議をしていたら、いつの間にかこの男もいなくなって問題はなかったのですが、胸くそ悪くなったことには変わりありません。

    前に並んでいた気のいいおっちゃんも、そのクルクルパーがいなくなると、親指を首に当てて横に引きます。

    ま、もしあのクルクルパーが割り込みをしたなら俺がケチョンケチョンにしてやったんだけどな(^o^)/って言わんばかりです。

    でも聞くとこのおっちゃん、元ウェイトリフティングの選手だったらしく、50歳手前くらいの年齢かな?って思っていたら、71歳だと言うのです。

    本当に強い男ってのは私のようにピーチクパーチク言わないで、このおっちゃんのように黙ってドンと構えているのかもしれません(>_<)

    そして、私の番になり無事手続きを終えると後ろに並んでいたオーストリア人のイケメンが「welcome to russia\(^_^)/」と言って握手してくれます。

    後半、辛くて仕方なかったモンゴルを抜けてロシアに舞い戻った私は心からホッとするのでした(>_<)

    再びロシアに入り、アシムと一緒に喜びを表現\(^_^)/
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  • 旅の目的…

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    7/27(土)東京出発49日目、モンゴル23日目、ロシア2回目1日目

    ウルギー~コシアガチ 走行距離163km

    ウルギーからコシアガチ

    この日はモンゴルから再度ロシアに入る国境越えです。この日は土曜日で、日曜日は国境は休み、月曜日はその反動で大混雑するという話ですので、この日に行かないと国境越えが火曜日になってしまう恐れがあります。

    我々とは反対方向のロシアからウルギーに来たツーリストの話によるとこの国境で11時間待たされたという話もあったそうです。

    国境で長時間取られてしまうと、通過後に宿探しなどが大変なため、国境が開く8:00までに到着できるように行こうと、朝5:00に起床して出発します。

    まだ日が昇りきらないうちに荷物をバイクに積むと出発します。

    このとき、まだ朝早いにも関わらず、ゲストハウスのおばちゃんが出てきてくれ、洋介さんところに来て笑顔で見送ります。本当にこの男はどこに行っても誰からも好かれて感心するばかりです。

    冬の装いで出発しますが、先頭を走るアシムも手がかじかんでしまい、こまめに休憩を取りながら進んで行きます。

    アシムと洋介さんと一緒に走ってみて、心から二人の走りに感心します。

    二人ともバイクがオフロードを走るように作られていないものですので、ダートに入ると、ゆっくり細心の注意を払って進みます。バイクに負担がかからないようにゆっくりと、そして地面に穴があれば丁寧に避けて走ります。

    舗装路でも決して無理はしません。

    スピードも控え目で、こまめに休憩を挟み、キレイな景色があればバイクを停めて写真を撮ります。

    キレイな景色があると立ち止まって写真を撮ったりします

    コレが彼らの旅のスタイルであり、彼ら自身は無意識のうちに自分たちの旅の目的をきちんと把握しているのでしょう。

    アシムは自身のルーツであるインドまで、洋介さんは旅の最終目的地である南アフリカまで無事に到着することを大切にしています。そのために不要なリスクは取らず、バイクに負担をかけず、決して急がず慌てず、それでいて景色を楽しみながらゆったりと(o^O^o)

    一方の大澤さんは大澤さんで海外のオフロードを走るという明確な目的を持って大陸に渡り、結果は途中リタイアを余儀なくされてしまいましたが、それは自身の目的のために果敢に攻め続けた結果であり、首尾一貫して旅の目的を貫き通していたと感じます。

    私は全てが中途半端でした。

    オフロードを走り始めると楽しくなり始めて、テネレに無駄な負荷をかけていたり、一方で景色を楽しむこともなくバカみたいにスピードを出して通過してみたり…(-_-#)

    洋介さんとアシムと一緒に走ってやっと気づきました。毎日500kmも600kmも走ることないのです。自分のペースでゆっくりと走って行けば。

    私が洋介さんに「毎日バイクで走って宿の心配をして、それの繰り返しの毎日で、何のために旅に出たのかわからなくなっている」と言ったときに、洋介さんは答えました。

    「それだけだって十分過ぎることなんじゃないんですか?そもそも旅に出るのに理由や目的なんて要りますか?旅をしているうちに何かを見つけるかもしれません。何も見つけられないかもしれません。旅ってそういうものではありませんか?それじゃいけないんですか?」

    こうやって奢らず焦らず時の流れに身を任せてゆったりとにこやかに過ごすから、彼の周りには人が集まるのでしょう。

    私はずっとずっと何かに追われて生きてきたように思います。あれもしなきゃこれもしなきゃ(>_<)

    もっと楽しまなきゃ、もっと経験しなきゃ、…しやきゃ、しなきゃ…(>_<)

    旅に出て一月半、何もできずに何もせずに時間だけが過ぎて、コレのためにたくさんの時間と労力とお金を費やしてきたのに何をやってるんだか(-_-#)って情けなくも思ったりしましたけれど、それでも思い出すだけでもたくさんの人に会えました。

    まだ旅は始まったばかり。これからの旅は否定することから始めるのではなく、肯定することから始めようと思います。

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