• カテゴリー別アーカイブ 008_タジキスタン
  • 疲れたぁ…。久しぶりに嫌な1日

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    9/6(金)東京出発91日目、タジキスタン15日目、ウズベキスタン1日目 ドゥシャンベ~サマルカンド 走行距離289km

    ドゥシャンベからサマルカンド

    朝起きると洋介さんからスマホにメッセージが入ってきました。

    洋介さんもパミールハイウェイを走っていて、このときはホログにいるということでした。

    洋介さん:「ヒデさんは、タジキスタンの環境税の有効期限の延長はしましたか?」

    私:「なんですか?それは?」

    洋介さん:「パミールハイウェイで出会ったドイツ人ライダーによると、オートバイで入国した我々は二週間しかタジキスタンにいられないらしいですよ。ホログで延長の手続きができるみたいですけど」

    環境税とはタジキスタンに入国したときに払った10ドルのことですね…。

    不味い(-_-;)私はすでに二週間過ぎてます…。

    書類を確認するとラッキーなことになぜか私の環境税の有効期限が明日(9/7)までになっていたので、ホッと胸を撫で下ろしました。

    もともと今日までイランビザの返信を待って、返事がないようなら明日出発する予定しようとは思っていたのですが。

    ただ、もしこの日にイランビザが下りた場合は週明けに大使館に行って手続きをしないとならないので、環境税の延長をするに越したことはありません。

    しかし調べてみると環境税の延長はホログでしかできず、首都のクセにドゥシャンベでは出来ないということなのです。

    ホログまでどう考えてもオートバイで二日かかります。

    どうしようか多少は迷ったのですが、ダラダラとイランビザを待つ日々が苦痛だったので、イラン入国は諦めて、この日にドゥシャンベを出発することに決めました。

    突然の決定でしたので宿の方も驚いていましたが、笑顔で見送ってくださいました。

    タジキスタンは本当に景色が綺麗です。

    パミールハイウェイは終わったと思っていましたが、パミールハイウェイの延長とばかり素晴らしい景色が続きます。

    しかし、タジキスタンからウズベキスタンの国境に向かう道にはとんでもないトンネルがありました。

    灯りが全く無くて暗闇の中を走るのです。オートバイのヘッドライトでは全く何も見えません。前が見えないだけでなく、横の壁も全く見えません。地面も穴ぼこだらけの場所があります。

    1つ目のトンネルは一瞬何も見えなくなった後にすぐに出口が見えたのでなんとかなりましたが、もしこれがもう少し長いトンネルでしたら簡単に死にます。

    もうこの時点でトンネル恐怖症です。

    短いトンネルが幾つか続いたのですが、私は後から来る車を先に行かせてその車のヘッドライトで走るという作戦に出ました。

    ただ、この国のドライバーはクレイジー過ぎます。あんな真っ暗なトンネルをバカみたいなスピードで突っ切るのです。なので前の車についていけないのです。

    しかも後ろから来た車は平気で追い越しをしていきます。怖くて仕方ありません。

    すると前にスピードの遅いトラックを見つけました。私はハイビームでこのトラックの後ろを照らしながらついて行くことにしました。

    最後には長い長いトンネル。地面も悪くて全く見えない状態でフロントタイヤが暴れます。

    こんなところで転倒したら後続車に轢かれて確実に死ぬでしょう。

    前のトラックのお陰で私は生き長らえることができましたが、怖くて仕方ありませんでした。

    なんとかこの人食いトンネルを抜けて、やっとタジキスタンの国境に着きました。環境税の書類はやっぱり確認されましたが、期日内だったため「ノープロブレム」と言われて通過できました。

    ウズベキスタンの国境では職員さんが大変親切にしてくれます。

    「バイクコロ?」って聞かれて何のことかサッパリわからなく、困っていると、バイクのところまで行って私のオートバイのタンクを指差します。

    言っている意味がわかりました。

    コロ?ってカラーって言いたかったようです。つまり「オートバイの色は何だ?」って聞いていたようです。

    ブルーと答えると、笑いながら「お前は英語もわからないのか?」と言ってきます。

    アホか

    でも、この職員さん大変な親日家のようで、「シネマ、タケシ、オシン」とか言ってきます。

    手続きが完了すると、周りにいた職員さんみんなが「ウェルカム、ウズベキスタン!」と言ってくれます。

    良い国じゃないか!

    しかし、このあと最悪なことがあり、ウズベキスタンがキライになります。

    サマルカンドに到着し宿を探そうとオートバイを停めていると、近くで遊んでいた中学生くらいのクソガキドモ数人がやって来ました。

    するといきなりオートバイによじ登ろうとしたり、スイッチ類を押したり、叩いたりしてきました。

    これにはキツく「ヤメロ」と言ったのですが、今度はヘルメットを引っ張ってきて、更にはヘルメットの上から叩かれました。

    サスガにぶちギレました。

    怒鳴り散らして、全員ぶちのめそうとオートバイから降りると、ビックリしたようで大人しくなりました。

    イヤイヤ、あんなことやっておいて怒られないと思っていたのが信じられません。

    かなり不愉快な気持ちになりながら宿に行きました。

    宿に着くと荷物を降ろし、宿の人に近くに食堂は無いか聞きました。

    1km以上離れた食堂を紹介されたので、もっと近場の食堂を教えてくれと伝えます。

    すると、「彼が車で送り迎えするから大丈夫だよ。乗っていきな」と言われます。

    食事を終えて宿に戻ると、宿の人にいきなり、「車代10ドルだ」と言われました。

    は?

    なに言っちゃってんの、このバカは?

    食事代が2ドルで、1km離れた食堂までの車代が10ドル?

    ふざけるな!というと、「ウズベキスタンでは普通の金額だから」とかぬかします。

    「払うか!」というと「いくらだったら払えるんだ?」だとさ。

    「いくらだったら払えるんだ?」って聞いてくる時点で最初の10ドルは吹っ掛けてきている証拠でしょ。

    ヘラヘラ小バカにしたようにこちらを見ています。

    私、ブチキレましたよ。このバカ垂れを引きずり倒して捩じ伏せてやろうかと思いました。

    私がブチキレたのに対し、車のドライバーをしてくれた人が驚いて、申し訳なさそうに間に入ってきて5ドルくれませんか?と言います。

    彼はほとんど英語が喋れません。

    確かに私がレストランは高くないか?とか、だいたいいくらくらいだ?って聞いているときも、しきりに5ドル5ドルって言っていました。

    もしかしたら彼は、私が車に乗る前から車代は5ドルって何度も伝えようとしてくれていたのかもしれません。

    彼は短い時間でしたけどとても良いヤツということがわかったので、仕方なく彼に5ドルをくれてやって、宿のバカ垂れにはガンくれてやりました。

    ただ、このドライバーは私が5ドル払ったことで気を良くしたのか、「明日は街を案内して差し上げやすで、兄さん」っていうような感じで絡んできました。

    それにはサスガにカチンと来たので、「お前に払う金は無いし、この街キライだから、明日はもう出発するよ」と言うと、言葉は通じたかどうかはわかりませんが、少し悲しそうな顔をしていました。

    ただ、次の日の朝食のときには、また笑顔で話しかけて来たので、コイツ自体は性根の良いやつなのでしょうけどね。

    この日は不快なことや大変なことばかりでしたので写真がありません(;´д`)悪しからず…。

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  • 旅のモチベーション

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    9/5(木)東京出発90日目、タジキスタン14日目 ドゥシャンベ

    イランビザをインターネットで申請してから約一週間経ちますが、何の音沙汰も無く、PCで承認状況を確認しても「waiting for valification(確認待ち)」のまま進展がありません。

    月曜日にダニエルとアルティナを見送った日から3日目ですが、その間この日まで何をしていたかと言うと、実は本当に何もしていませんでした。

    ビザの受け取りをここドゥシャンベにしているため身動きも取れないのです。

    そして、素晴らしすぎたパミールハイウェイを走り終え、ダニエル、アルティナ、マイケル、アントニオとお別れをしてからというもの、一種の燃え尽き症候群のような状態になってしまったのだと思われます。

    オートバイに乗ってどこか近場を観光しても良かったのかもしれませんが、交通量が多く、所々で警察が取り締まりをしているドゥシャンベの街を走ることが大変億劫というのもありました。

    そして私が滞在していた宿はドゥシャンベの中心地から少し外れているということもあり、低価格帯であるにも関わらず、大変清潔で朝食も豪勢でした。3人部屋の1つのベッドに滞在でしたが、一週間のうちで他のベッドが埋まったのも1日だけということで大変居心地が良かったというのも、私がダメ人間になってしまった要因の1つでもありました。

    このときの私はこんな状態でした
    (写真提供:洋介さん)

    更にはこの旅でとても楽しみにしていたのが、苦しんだ西モンゴルと最高だったパミールハイウェイであり、その二つを走り終えてしまった私には次なる目標が無くなってしまっていたのです。

    よし、それではイランに行こう!ということでイランビザの申請をしているのですが、一向に返事が来ません。

    イランビザを取得したとしても、そのあとには更なる難関、トルクメニスタンビザの取得が待っています。

    ダニエルとアルティナが泊まっていた宿にいたオランダ人の男性はトルクメニスタンビザの取得に3週間かかったと言っていました。

    早い場合はトルクメニスタンビザも1週間くらいで取得できた人もいるようなのですが、こればかりはなんとも言えません。

    そして待っていたからといって、確実にビザが取得できるとも限らないのです。

    ここにそんなに長く滞在していたら冬がやって来てしまいます。

    でも、自分ではどうにも出来ない…。

    後から来た宿泊客をただただボケっと見送るだけの日々。

    ここまでの旅の日々を思い返すと、ずっと刺激的な日々でした。

    大雨の中、神奈川の自宅を出発して、名古屋で洋介さんと合流して楽しいばかりの境港までの道のり。

    フェリーではこんなに頭のイカれた人っているの?って思うような奇人変人ばかりの日本人ライダーたちと一緒にウラジオストクまで一緒に過ごしました。

    ウラジオストクに到着してからは期待よりも不安ばかりで、単独ハバロフスクを目指しました。

    ハバロフスクで再度洋介さんと合流して走った東ロシアは、初めての海外ツーリングでドキドキしながらも、目新しいことばかりで楽しかったです。

    ウランウデで一人になって、そこからモンゴルのウランバートルに向かいました。ウランバートルでは日本人メカニックの味戸さんに大変お世話になり、ここで再度洋介さんと大澤さんと再会したんでしたね。

    更にはここではイタリア人ライダーのルイージさんとその奥様スーザンさんにも大変優しくしていただきました。

    兵庫出身のセロー乗りの宮崎さんと出会ったのもここででしたね。

    そこから単独西モンゴルを走って、大雨が降って寒くて苦しくて怖くて逃げたくて帰りたくなって、やっとこさウルギーに辿り着いて、アシムと洋介さんに会ったときはどれだけホッとしたことか…。

    ここから約2週間カザフスタンのアルマトイまで3人で走った日々は、食事のときも宿でふざけてるときも楽しくて楽しくて、やっぱり一人になるよって二人に伝えたときはツラかったことを思い出します。

    その後ビシュケクのさくらゲストハウスではたくさんの日本人ツーリストとフランス人のレジスさんにとても大きな勇気をもらいました。

    延々と続く山道を走ったソンクルでは月明かりの眩しさに驚かされ、ここに来て本当に良かったなぁって心から思ったものです。

    そしてオシュでダニエル、アルティナと、サリタシュでマイケルと、カラクルでアントニオと出会って一緒に走ったパミールハイウェイは脳天を突き抜けるような感動と、私にとって本当にかけがえのない楽しい日々をくれました。

    ずっとずっと鼻血が出るような強烈な刺激が続いていたので、少し疲れてしまったのかもしれませんね。

    粕谷さんが「パミールハイウェイが終わって気持ちが抜けてしまった」と言っていたのも良くわかります。

    こんな駄文読みたくないよという読者の方もいらっしゃるでしょう。ただこのブログは良いときも悪いときもそのときどきの私の気持ちを大切に正直に記録として残そうと思っているのでどうかご勘弁ください。

    ただし、あくまでも今は海外にいるのです。こんなときこそ事故や事件に巻き込まれないように気を引き締めていかないといけませんね。

    という、今日はただの暇人の戯れ言でした。

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  • 本当のさよなら

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    9/2(月)東京出発87日目、タジキスタン11日目 ドゥシャンベ

    ダニエルとアルティナはこの日ドゥシャンベを離れます。二人を見送るため朝食を済ませた後、2人が宿泊している宿に行きます。

    宿に到着すると私が連絡する前にアルティナが出てきてくれました。

    「オートバイの音がしたからヒデだと思って」と、本当につくづく彼らの気遣いには関心してしまいます。

    宿の庭に行くとダニエルがアフリカツインのフロントタイヤのパンク修理をしています。

    フロントタイヤを外して
    パンク修理をしているダニエル

    チューブを見るとパンク修理の跡だらけです。確かキルギスタンとタジキスタンの国境の間で再会したときもフロントタイヤのパンクを修理するために2回も出直したと言っていました。

    本当は新しいチューブを買いたいらしいのですが、ここタジキスタンではバイク用のタイヤチューブを手に入れられなかったそうです。

    ダニエル:「ヒデ、ちょっと待っててくれないか?近くにラグマンとプローフの美味い店があるらしいんだ。時間あるなら、これ直した後に一緒に食べに行かないか?」

    2人は今日出発なのだから本来なら早めに出たいはずなのに、私のために時間を作ってくれるその気遣いが本当に嬉しいです。

     

    ダニエルがパンクの修理を終えると一緒に近くにある食堂に歩いていきます。

    ダニエル:「マイケルとアントニオはお腹の調子がだいぶ悪いみたいだけど、ヒデは大丈夫なのか。俺もタジキスタンに入ってからずっとお腹の調子が良くないんだよ。」

    私:「俺は今のところ大丈夫かな。」

    アルティナ:「さすがは日本人。普段から生魚食べてるから何食べても大丈夫なのね」

    ダニエル:「生魚じゃないよ。ヒデはフグ食ってるから何食っても大丈夫なんだよ」

    この旅でこんな風に冗談を言い合える仲間が洋介さん以外にもできるなんて思ってもいませんでした。本当に素敵な仲間に巡り合えたことを心から感謝します。

     

    お店に着いて食事が出てくるのを待っていると、ふとしたことから私の年齢を聞かれました。

    私:「38だよ。」

    アルティナ:「そう、じゃ私たちとほとんど同じね。」

    私:「え、マジで。二人は俺よりずっと若いと思ってた。」

    アルティナ:「私は今29歳で今年30歳よ。ダニエルは今年29歳。ほとんど変わらないでしょ。」

    私:「俺、28歳じゃないよ!38歳だよ」と言って手で3と8を作ります。

    ダニエル、アルティナ:「…」

    ダニエル:「日本人っていうのは何歳になったら白髪が生えるんだ?ロシア人で38歳っていったら禿げてるか白髪かのどっちかだぜ。」

    アルティナ:「私のお姉ちゃん今年32歳だけど、もうほとんど全部白髪よ。」

    私:「そんなの人によるでしょ。確かに日本人は若く見られがちかもしれないけど」

    私自身は日本にいるときは特別若く見られることも老けて見られることもあまりありませんが、欧米人から若く見られる理由はなんとなくわかります。

    一つ目は体格が彼らに比べて小さいこと。

    二つ目は私の覚束ない英語がまるで小さな子供が喋っているように感じさせてしまうこと。

    三つ目が世間知らずで彼らのように旅慣れていたりオートバイに詳しかったりしないこと。

    そんなことから私は実年齢よりも若いというより、だいぶ幼く見られてしまうのだと思います。

    アルティナ:「ヒデが、大学卒業したてで、働きに出る前に世界を見ておこうって言って旅に出た25歳って言われても信じてしまうわ」

    なるほど、ダニエルとアルティナが私にいろいろと気を使ってくれていたのは、きっと危なっかしい弟のように思っていたかなのだろうとこのとき思いました。

    だとしてもこの二人の気遣いは本当に素敵だなと思うのですが。

    するとダニエルが私が年上だとわかったからなのか、ちょっと別の難しめの質問をしてきます。

    ダニエル:「ちょっと重たい内容になってしまうかもしれないから、答えたくなければ答えなくても良いんだけどさ。ずっと日本について疑問に思っていたことがあるんだ。聞いても良いかな」

    私:「もちろん。俺に答えられることなら」

    ダニエル:「今って日本とアメリカって同盟国で仲良くしてるよね?でもさ、日本は第二次大戦で原子爆弾などアメリカに酷いことたくさんされたよね。それなのにどうして仲良くできるの?恨みとかはないの?」

    私:「恨みとかはないかな。多くの日本人は戦争については戦争そのものが悪かったって考えていて、アメリカだけが悪いとは思っていないんじゃないかな。アメリカよりもむしろ当時の日本の軍部が悪かったっていう考えの方が多いと思うよ」

    そう答えていてふと思いました。私自身も特段アメリカに対して恨みとかは全くありません。もちろん原子爆弾や焼夷弾による空襲などは民間人を巻き込んだ大量虐殺であり、肯定して良いものではないとは思っていますが。

    この私の考えの根底にあるものは単に日本の教育がそうであるからだけなのだと思います。

    小さいころに、戦争をしたのは日本の軍部であり、日本があそこまで大きな被害を受けたのは当時の日本の軍部が悪かったからという風に教え込まれたからだと思います。

    もちろん、「アメリカは最低なことをやった。絶対に許してはいけない」なんていう教育が正しいとは思いません。恨んだところで何も生みません。

    一方で、なんでもかんでも日本が悪かったっていう教育も絶対に正しいとも思わないのですが。

    ただ、やっぱり教育っていうのは恐ろしいと感じます。第三者であるロシア人から見ても、日本がアメリカを恨んでも仕方ないと思うようなことも、当事者である日本人がアメリカに対してそれほど大きな感情を抱かないというだけの意識を教育というものは植え付けてしまうのですね。

    教育は感情にまで影響を及ぼしてしまうということが本当に怖いことだと思います。

    私の回答にダニエルはどう感じ、何を思ったのかわかりません。そもそも納得したかどうかも。

    ただ、ダニエルは本当に日本について大変な興味を持っているということだけはわかりました。

     

    食事を終えて二人が宿泊していた宿に戻ると、ついに本当のお別れのときです。

    前回は心の準備もないままに不意打ちをくらったようにお別れを言わなければなりませんでしたが、今回は私の中できちんと受け止めてお別れができます。

    ダニエルとアルティナとがっちり握手をしてお別れを言います。

    この素敵なカップルが未来永劫仲良く助け合って生きて行ってくれることを心から願って。

    笑顔で両手を大きく振る私と爽やかな風を残して、この素敵なカップルは再び二人の旅路を走り始めるのでした。

    心から、ありがとう
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  • アナとマーティン

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    9/1(日)東京出発86日目、タジキスタン10日目 ドゥシャンベ

    8/31(土)は宿でイランビザの申請をしていました。トルクメニスタンビザを取得するにはトルクメニスタン通過後に入る国のビザが必要で、私はイランに入国するためにタジキスタンを通過したいと思っていたので、当然イランビザを取得します。

    同じ宿に泊まっていたアナとマーティンというスイス人チャリダーの二人が私にすごく優しくしてくれます。

    大変お世話になったアナとマーティン

    彼らもパミールハイウェイを自転車で走った後にこのドゥシャンベに来ていて、これからウズベキスタンを通過してトルクメニスタンとイランに行くそうです。すでに彼らはイランビザを取得済みで、トルクメニスタンビザも申請済みということで、私にいろいろと教えてくれます。

    彼らはチャリダーではありますが、自国スイスではオートバイに乗っているそうです。彼らも日本車が大好きです。

    朝食の時にドイツ人と一緒に話をしていたにも関わらず、車もオートバイもドイツのものよりも日本車の方がずっと良いと平気で言っていました。

    私もオンラインでイランビザを申請したので、ここからはただ単にビザがおりるのを待つだけというだけの非常に退屈な時間が待っていました。

    9/1(日)の朝に、ドゥシャンベから車で30分ほど行ったところに遺跡があり、二人は今からそこに行くから、もしやることがないなら一緒に行こうと誘ってくれました。

    この遺跡がなんなのかもわからず(シルクロードのちょうど中心と言っていました)、そこが場所的にもどこなのかもわからずに単に付いていった私はなんと愚か者なのでしょうか?

    ここがどこで何なのかもわからずに単についていった愚か者(;´д`)
    アナが、ここはシルクロードの丁度中間地点だった場所よと教えてはくれましたが…

    でも彼らの優しさには本当に心からの感謝です。

    そして実はもう一つ、前日(8/31)の夜に嬉しい連絡が私のところに来ていたのです。

    なんとダニエルとアルティナからです(この二人とのやりとりの時はアルティナが窓口になってくれます)。

    アルティナ:「ヒデ、今どこにいるの?」

    私:「ドゥシャンベだよ」

    アルティナ:「私たちも今日(8/31)ドゥシャンベに着いたところよ。明後日(9/2)出発予定だから明日一日はドゥシャンベにいるわ。ところでマイケルとアントニオはだいぶお腹の調子が悪いみたい。ヒデは大丈夫?薬持ってたりする?」

    私:「俺は大丈夫だよ。ごめん。お腹の薬は持っていないなぁ。」

    アルティナ:「大丈夫なら良かったわ。マイケルとアントニオはお腹の薬持ってるわよ。ヒデが薬持っていないなら持って行ってあげるって意味で言ったの。でも大丈夫なら良かった」

    このようにダニエルとアルティナはいつも私のことを気にかけてくれます。本当になんてお礼を言ったらいいのやら。

    私:「ありがとう。元気だから大丈夫だよ。ところで今ドゥシャンベにいるなら明日(9/1)の夜ご飯みんなで一緒に食べようよ。マイケルとアントニオもいるしさ」

    アルティナ:「もちろん」

    ということでこの日(9/1)はみんなで夕飯を取る予定でした。

    しかし、ダニエルのアフリカツインが急なトラブルのため修理をするということでこの二人は夜ご飯に参加できませんでした。

    そしてマイケルとアントニオはお腹の調子が悪いということで夜ご飯はほとんどスープだけで済ませるというなんともお粗末なディナーにはなってしまいました。

    しかし、しばらくビザ取得のためにここドゥシャンベに滞在する私とは違って、この二人はオートバイと体の調子次第で次の日にでもドゥシャンベを離れる状態です。

    その前に二人と会ってきちんとお別れを伝えることができて良かったです。

    今度はこの二人にもちゃんとお別れを伝えることができました\(^_^)/

    そしてダニエルとアルティナは明日(9/2)ドゥシャンベを出発するということで、さらにこの日も二人には会うことができなかったので、明日の朝見送りに行くよと言うと、2人が滞在している宿を教えてくれました。

    今度はきちんと二人にお別れを伝えられるということが私にとってはとても嬉しいことでした。

    明日の朝、私は私の大切な大切な友人にきちんとさよならを伝えます。彼らが無事にモスクワまで帰り、そしてまたいつの日か会えることを楽しみにして。

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  • やっぱり俺たちは!

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    8/30(金)東京出発84日目、タジキスタン8日目 ドゥシャンベ

    パミールハイウェイを走り終えた私は本当にこの先どうするのかを決めていませんでした。

    取り敢えずはもう一日ここドゥシャンベに滞在しようとは思ってはいたので、この日決めることにしました。

    私はもう一度旅の原点に戻ってみることにしました。

    私はこの旅で綺麗な景色を見ることや観光地に行くことはもちろん楽しみではあったのですが、何よりもいろいろな人たちに会っていろいろな価値観に触れたいということを一番大切にしたかったので、人が皆親切だというイランに行こうと決めました。

    ここから西に行くルートは大きく分けて3つありました。

    1つ目がウズベキスタンからカザフスタンに戻り、更にロシア経由でカスピ海を迂回するルート。

    2つ目がウズベキスタンからカザフスタンに戻り、フェリーでカスピ海を渡るルート。

    そして3つ目がウズベキスタンからトルクメニスタンを通過してイランに入るルート。

    この旅に出発する前までは3つ目のトルクメニスタンからイランに行くルートで考えていたのですが、出発直前になり、250cc以上のオートバイがイランに入れなくなったという情報が舞い込み、ここから先のルートが白紙に戻っていたのです。

    それがこのつい数日前に250cc以上ルールが破棄されたという嬉しいニュースが舞い込み、ならばイランに行こうという思いに至ったわけです。

    取り敢えず決心だけして、あとはビザの取得について調べないとならなかったのですが、パミールハイウェイでかなりの負担を受けたテネレさんのメンテナンスを先にしてあげたいと思い(ビザの申請にこんなに時間がかかるなら先にそっちからやるべきだったと後で後悔するのですが)、先ずは自分でできるメンテナンスを宿でしてあげます。

    このあとにドゥシャンベ唯一のバイクを扱っている工場に持っていってエアフィルタをエアコンプレッサーで掃除してもらおうと思っていたのですが、交通量の多い街中をバイクで走るのが億劫で、何だかんだでバイク屋に持っていったのが夕方16時くらいになってしまいました。

    しかし、これが思いもよらない偶然を生むのでした。

    バイク屋に入ると、そこに見慣れた先代テネレがいるではありませんか?!

    あれ?!この青い先代テネレさんはもしかして?!

    「マイケル!!」

    「ワォ!ヒデ!!」

    なんとそこにはホログで別れた(私が置き去りにした)マイケルがいるではありませんか!必ずもう一度どこかでマイケルには会えるはずって思っていましたが、まさかこんなにも早く再会できるとは思っていませんでした。

    私:「もうドゥシャンベに着いたの?バイクは大丈夫なの?」

    マイケル:「実はさ、ホログじゃやっぱりバイクの修理は不可能ってことで、昨日バイクをトラックに積んでちょうど今ここに着いたところなんだよ。昨日の14時にホログを出て26時間ノンストップでここまで来た。全く悪夢だよ」

    私:「そうだったんだ。大変だったね(;´д`)。アントニオはどうしたの?」

    マイケル:「一昨日の時点で俺のバイクの修理が不可能ってわかったから、アントニオには先にホログを出発してもらったんだ。今ちょうどドゥシャンベに向かってるはずだよ。今日にでも着くはずだ」

    まさかそんなことになるとは全く想定していませんでした。アントニオには一人ぼっちにはしないなんて言っておきながら結局一人にしてしまいました。

    きっと不安なまま出発したことでしょう。幸いだったのが想定していたよりもホログからドゥシャンベまでの道がそこまで酷くなかったということです。

    マイケル:「ヒデ。このあと時間はあるか?もし良かったら飯でも食おうじゃないか。この目の前にある食堂がなかなか美味いらしいぞ。オートバイはここに停めておいて良いって言ってくれてるし」

    もちろんということで、マイケルと二人目の前のレストランに行くことにしました。

    アントニオにはドゥシャンベにあるバイクハウスというオートバイを扱っている工場の目の前の食堂にいると連絡だけ入れておきます。

     

    ちょうど我々の食事が終わった頃、聞きなれた陽気な声が聞こえてきました。

    「へーい!パミールチーム!」

    「おお!アントニオ!!」

    アントニオが無事ここドゥシャンベに到着しました。

    マイケルとアントニオ!
    まさかこんなに早く再会できるとは!

    裏切るような形でホログを離れてしまい、もう一度ちゃんと二人には会いたいと思っていたのがこんなにも早く実現するとは思ってもいませんでした。

    少し心配なのがマイケルもアントニオもここしばらくお腹の調子がずっと悪く、アントニオに至ってはこの日も食事はスープを昼に摂っただけで、夜はいらないと言っていたことでした。

    でも何はともあれ無事三人ともパミールハイウェイを走り切り、ここドゥシャンベで再会できたことは本当にうれしい限りです。

    あとは体調不良のまま出発していったダニエルと相方のアルティナがどこでどうしているのかは心配ではありましたが、彼らの力強さならきっと無事に素敵な旅を続けていると信じてこの日は終わっていくのでした。

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  • ただ珍しいものが欲しいだけなの

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    8/29(木)東京出発83日目、タジキスタン7日目 カライクム~ドゥシャンベ

    マイケル、アントニオと別れたその日はカライクムの町に宿泊しました。

    事前の情報ではホログからカライクムまでの間がこのパミールハイウェイの中で一番道路状況が悪いということだったのですが、実際に走ってみるとそこまで酷いということはなく、難所らしい難所もありませんでした。

    そして次の日、カライクムから30km ほど走るとそこはほとんどキレイな舗装路になり、パミールハイウェイも終わりに近づいていることを知らせてくれます。

    本当に素晴らしかったパミールハイウェイ。名残惜しさもあり、そして何よりも素敵な仲間たちとの別れが私の心を切なくさせていました。

    タジキスタンの中でも大きな街クリャープをちょうど昼過ぎに通過したため、ここで昼食を取ることにしました。

    この国の人たちも非常に優しく、私が食堂で並んでいるときに間違えて前の人を抜かしてしまったかと思って、「すみません。お先にどうぞ」と前に促したところ、その人たちが、「いやいや、異国からのお客様こそどうぞ」と前に入れてくれてしまいました。

    食堂は混雑していたため、席を見つけられないでいたのですが、そこでも私に気付いた人がまだ片付かないテーブルを指差し、店員を呼んで片付けるように言ってくれました。

    席に座ると今度は警察官らしき制服を着た3人組の男たちが、私にフルーツの盛り合わせを持ってきて、親指を立てて去って行きました。

    警察官風の男たちが何故か私にフルーツの盛り合わせをプレゼントしてくれました

    どうして全く知りもしない外国人の私にみんなこんなに優しくしてくれるのでしょうか?

    食事をしていると今度は二人組の男が相席良いかと聞いてきたので、もちろんと答えました。

    この国では珍しく片方の男の方は非常に流暢な英語を話します。

    聞くところによるとこの二人は学校の先生ということで、この方は英語の先生だそうです。そしてもう一人の方は化学と生物の先生と言っていました。

    向かって右側が英語の先生。左側が化学と生物の先生だそうです。

    一人ぼっちになりセンチメンタルになっている私をこの国の人たちの優しさが癒してくれます。

    首都ドゥシャンベまで残り60kmほどになったところで見晴らしの良い展望台を見つけます。

    残りあと少しですが、ここで一旦休憩を取ります。

    すると3人組の女の子がやって来て私の周りをうろつきます。

    顔がそっくりなので姉妹かなと思っていると、一番大きい女の子が「私たち姉妹なの」って英語で言ってきます。

    私たち姉妹なのよ。
    うん、そうだね。顔そっくりだもんね

    興味深そうにオートバイを眺めてサイドケースに触ったりしています。

    「熱い部分もあるから気を付けてね」と笑顔で言うと、向こうも笑顔でうなずきます。

    そして、「ねぇ、何かちょうだい」って言ってきます。

    ねぇ、なんかちょうだい

    「お金ちょうだい」ですと嫌な気持ちになるのですが「何かちょうだい」は嫌な気持ちになりません。

    うーん、この子達にあげられるものはあるかなぁと考えていると、サイドケースに貼られた他の旅人たちのステッカーに興味を示していたので、私のステッカーをあげます。

    すると「もう一枚ちょうだい」って言ってきます。

    ま、良いかと思ってもう一枚渡すと、「ねぇ、もう一枚ちょうだいよぉ」って言ってきます。

    なぜそんなにこのステッカーが欲しいのか?

    「そんなにはたくさんあげられないからこれで我慢して」と言い、チョコレートを持っていることを思い出したので一番上の子に「3人で分けてね」と言って渡します。

    お姉ちゃんはちゃんと下の子達に分け与えてみんな食べていましたが、お菓子にはそこまで執着は無いようです。

    真ん中の女の子が「他に何か無いの?何かちょうだい」って言ってきます。

    おそらくこの子達は外国の珍しいものが欲しいだけのようです。

    うーん、何かあげられるものがあると良いんだけどもと思っていると、近くで見ていた現地の若いお兄さんが現地の言葉でこの子達を叱りつけます。

    私としてはそれほど嫌な思いもしていなかったので、叱るほどのことでも無かったのですが、この子達の元気がなくなってしまったのでかわいそうな思いをさせてしまいました。

    「ごめんね。もう行くね」と言うと、3人とも手を振って見送ってくれました。

    周りに何かあるわけではないこの地域ではたまに訪れる私のような観光客に遊んでもらう以外にこの子達にはやることがないのでしょう。

    今思うと、もう少し遊んであげれば良かったかなと少し後悔しています。

     

    そこから一時間もしないうちに首都ドゥシャンベに到着し、実はここから私にとって長い一週間が始まることとなるのでした。

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  • この旅で流した、初めての本当の涙

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    8/28(水)東京出発82日目、タジキスタン6日目 ホログ~カライクム 走行距離226km

    ホログからカライクム

    朝食を済ませるとマイケルはテスト走行に出かけます。

    私はゆっくりコーヒーを飲んで待つことにしました。

    するとしばらくしてアントニオが私のところにやってきました。

    「ヒデ、マイケルから連絡があって、やっぱりどうもオートバイの調子が良くないらしいんだ。マイケルはこれから紹介してもらったホログにいるオートバイのメカニックのところに行くらしい。でもやってみないと修理にどれだけ時間がかかるかわからないみたいなんだよ。私はマイケルを待とうと思う。でもヒデは先に進みたいと思うなら待たずに行くべきだと思うんだ。」

    私は正直どうしたいのか、自分がどうすべきなのかわからなくなっていました。

    「少し考えるね。」とだけアントニオに言いました。

    ダニエルとアルティナがいなくなって、少しの間一人になりたいと思う時間もありました。一方でトラブルを抱えるマイケルとアントニオを置いていくことに心苦しさも感じます。

    でも本当にそうでしょうか?私たちの得ている情報によると、これから私たちが行くホログから先の道が、このパミールハイウェイの中で一番道路状況が悪いとなっています。

    私はマイケルとアントニオを置いていけないなんて言いながら、自分がこの先の道を一人で行くのに不安を抱えていて、結局は二人に頼ろうとしているのではないのでしょうか?

    アントニオが待つと言っているのであれば、マイケルもアントニオも一人ぼっちにはならないのです。そう考えたら私まで一緒に待つ理由は無いような気がしたのです。

    アントニオのところに行き伝えます。「ごめん。やっぱり一人で行こうと思う…。」

    アントニオは「わかった。それが良い。正しい判断だと思う」と言ってくれました。

    身支度を整えてバイクに荷物を積みます。

    駐輪場で作業をしていたアントニオに挨拶をします。

    「本当に楽しかったよ。ありがとう。」

    するとアントニオが言いました。

    「ヒデ、何かトラブルがあったら遠慮なく連絡してくるんだぞ。いいか、決して無理はするな。とにかくあわてないでゆっくり走るんだ。とにかくゆっくりだ。」

    いつも走っているときは全然頼りないくせに、こんなときになって父親みたいなことを言うんだな。

    そんな風に言わないでくれよ。

    そんな風に言われたら溢れ出てくる涙が止まらないじゃないか…。

    今まで何度か西モンゴルでつらい思いをして半べそかいたなんて話をしてきましたが、この旅に出て本当に涙を流したのはこの時が初めてでした。

    どんなに我慢しても、とめどなく溢れ出る涙をこらえることができませんでした。

    アントニオとハグをしてお別れします。

    ずっと止まらない涙で視界が滲む中一人で走り始めます。

    本当にこの決断は正しかったのかどうかはわかりません。たくさんお世話になったはずのマイケルに挨拶をしないで出発してしまったことを批判される方もいらっしゃるかもしれませんね。

    でも私はこのとき思っていたのです。マイケルにはこの先どこかで必ずもう一度会えるに違いないと…。

    一人になっても雄大なパミールはとても綺麗でした
    もうここまで来ると高度はそれほどでもありません
    道路一杯の羊の群れ。
    羊飼いが道を作ってバイクを通してくれました
    検問所で出会った少女たち
    ヘルメットを取るとアジア人だったことに驚いていたようですが、オートバイに興味津々でした
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  • 子供扱いしないで。小さくたって女なんだから

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    8/27(火)東京出発81日目、タジキスタン5日目 ホログ

    マイケルとアントニオの体調も回復したらしく前日にはバイクの整備もしたのでこの日は3人で出発することにしました。

    先日、派手な昼食を河原で行ったため、私たちの手持ちの食材も少なくなっていたので、ホログの町にあるバザールに行きます。

    ホログのバザールにて。
    マイケルとアントニオ

    ここでマイケルがパスタや野菜を購入し、今日はどこかでキャンプでもしようか?などと話して盛り上がりました。

    買い出しもして準備も整ったので3人で出発します。

    ホログの町のはずれに大きめのガソリンスタンドがあるので3人でそこで給油をします。

    私とマイケルが給油を終えてアントニオを待っていると、アントニオが大きな声で「マイケル!」と呼ぶ声が聞こえました。

    アントニオのもとに行ってみると、アントニオのKTM adventure 690の前の部分から液体が滴り落ちています。

    とりあえずバイクを端に寄せてカウルを外して確認してみるとどうやらラジエターに穴が空いて冷却水が漏れているようでした。

    さすがにこの状態で走行するのは危険です。マイケルがガソリンスタンドの人にこの町にオートバイの修理をできる場所は無いかと聞きに行ってくれます。

    アントニオが心配そうに言います。「ヒデ、これ見てどう思う??」

    「さすがにこの状態で走るのはマズいと思う。どこかで修理しないと…。」

    すると益々アントニオの顔は不安そうになるのです。なので私は言いました。

    「でもアントニオ。大丈夫だよ。ここはそれなりに大きな町だから。日本にはね、大澤孝将っていう名前のサムライがいるんだ。彼はモンゴルの何にも無い誰もいない山の中でラジエターに穴が空いて冷却水が漏れ出ていても、弱音一つ吐かずに果敢に走り抜こうとしたんだ。それに比べればそこまでアンラッキーなことじゃないよ。ここで必ず直せるって。」

    アントニオが尋ねます。「先に行かないで待っててくれるの?」

    「大丈夫。一人ぼっちにはしないよ。」

    そういうと白髪の良い年したオジサンのアントニオが目を潤ませて私の袖を掴むのでした。

    マイケルがガソリンスタンドの店員にバイクの修理できる場所を聞いてきてくれ、この場所から約5kmほど離れた場所に車やオートバイを扱う修理工場があることがわかりました。

    早速3人で行ってアントニオのバイクを見せるとラジエターの穴を塞ぐためには、町中にオートバイや自動車用品を扱っている店があってそこでラジエターの穴を塞ぐ薬品が売っているから、それで自分たちでできると教えてくれます。

    ということで今度はその町中の店を目指すのですが、今度はマイケルのオートバイが止まってしまいました。

    これはイカンということで仕方なく一旦この日まで泊まっていた宿に戻り二人はタクシーで町中のそのお店に行くことにしました。

    私はというと、前日に整備をしているときに気づいてはいたのですが、モンゴルで折れて溶接して直したサイドケースのステーの反対側の部分が折れていて、ストラップで縛ってはいたので、タジキスタンの首都ドゥシャンベで直そうと思っていたものをこの機に直してしまおうと、一人で溶接しに行くことにしました。

    今度は反対側のステーが折れてしまっていました

    溶接をしてもらってホテルに戻るとアントニオのバイクの修復もちょうど終わるころでした。なんとも言えないのですが、取り敢えず冷却水の漏れはなくなったようです。

    その後テスト走行などもしておそらく大丈夫ではないかという所までなんとかなりました。

    一方でマイケルのバイクですがどうにも良くないようです。駐輪場が狭いため、3人がかりでの作業は反対に効率が悪くなりそうでしたので、マイケルのオートバイの修理の手伝いはアントニオに任せることにしました。

    情けないことにダニエルとアルティナとの別れをこのときになっても引きずっていて一人になりたいというのが正直なところでもあったのですが。

    この日は廃人のように一人昼からビールを煽ってボケっとして過ごします。

    夕方になりハッと我に返り時間がもったいないと思うようになります。

    この宿の周りからは子供たちが遊んでいる声がよく聞こえてきます。子供たちと遊ぼうかと思って外に出てみるとそこで遊んでいたのは女の子たちでした。

    小さな子供の声ですと男の子の声なのか女の子の声なのか聞き分けるのは難しいです。

    私が表に出て子供たちの方に行くと、突然現れた東洋人のおじさんに驚いたのか、遊んでいた子たちは車の陰に隠れてそこからこちらの様子を伺っています。

    するとその中の一人の女の子が出てきて、こちらに来て何かを言っています。言葉が全く分からないので仕方なく「みんなの写真を撮らせて」と言ってスマホを取り出すと隠れていた他の子たちも出てきます。

    カメラを向けるとみんなポーズを取ります。シャッターを押すと今度は私のところに来て撮った写真を見せろと言います。その写真を見て自分の表情やポーズが気に食わないともう一回取れと言ってきます。

    可愛い女の子たち。
    ちゃんと可愛く撮ってよ!って言ってきます

    この子たちはこんなに小さくても女の子ですね!(^^)!

    そんな風にして遊んでいると、どこからか中学生くらいの少し大きい女の子も何人か集まって来て、私たちも一緒に撮ってと言ってきます。やはりツーリストの多いこの地域では子供たちも写真を撮られることに慣れているのでしょうか?

    なになに?
    私たちも仲間に入れてよ

    更にはその中の一人の活発な雰囲気の子が今度は私とツーショットで撮ってよと言ってきます。私のカメラで撮るのにツーショットで撮る意味がこの子にとってどこまであるのかは不明でしたが、そう言ってくれるのであればありがたく一緒に撮ってもらいました。

    ツーショットで撮ってよ

    このときもこの子は自分の表情やポーズを確認して何枚も取るように言ってくるのでした。

    ダメよ。気に食わないからもう一枚よ

    でも、あれですね…。中学生くらいだとだいぶ大きいなと思うのですが、こうしてツーショットで並んで撮ってみると親子くらいの年の差があるんだなとまざまざと見せつけられて少しショックですね。恋人同士には見えなくとも、少なくとも兄妹くらいには見えて良いものかと思ったのですが…(私の首に巻いてるタオルもなんともヤバイですね(;´д`))。

    するとこの中の別の中学生くらいの女の子は英語が話せたため幾つか質問してくれます。

    そして良かったらこれから私の家にお茶を飲みに来なよと言ってくれました。

    この時間からだともしかしたら夕飯までご馳走になれてしまう!?現地のご家族の一家団欒に混ぜてもらえてしまったりしてなんて淡い期待をして「遊びに行っても良いの?」なんて聞いてしまいました。

    しかしこの子が家の人に私を家に招待しても良いか確認したところ、やはり知らない外国人を家に上げるのはだめだと言われてしまったようで、少し元気が無くなってしまい、反対にこの子に申し訳ないことをしてしまいました。

    さらに少しすると今度は男の子たちもやってきてサッカーをしたりバレーボールしたりして遊びます。

    男の子たちも交えて皆で遊びます

    トラブルがあり、結局ホログでの滞在が一日延びてはしまいましたが、子供たちと交流する機会も持てて結果的には意味のある一日になったと思うのです。

     

    宿に戻ってもマイケルのオートバイの修理は続いていました。

    日も完全に落ちてしばらくした頃に一旦作業をそこまでにしてマイケルが言います。「とりあえずやれることはやった。明日の朝テスト走行してみる。もしそれでもダメだったらヒデとアントニオは先に行ってくれ。」

    私は答えようがなかったので「そうなったらそのとき考えるよ」と伝えて、その日は就寝しました。

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  • 突然の別れ

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    8/26(月)東京出発80日目、タジキスタン4日目 ホログ

    ほとんど眠ることができず朝になり、朝食を取るために宿の食堂に行きました。

    マイケルとアントニオがお腹の調子が良くないと言っています。なのでアントニオだけでなくマイケルもこの日は宿でゆっくりするということでした。

    アルティナも食堂に来たのですがダニエルが来ません。

    どうもダニエルも体調を崩してしまって部屋でまだ寝ているというのです。心配ではあるのですが、そういうことならこの二人も今日の出発は無いだろうと思い少しホッともしました。

    アルティナが「ヒデはどうするの?」と今日出発するのかどうかを尋ねてきます。

    寝不足で疲れも取れていないことから「疲れが取れていないから今日は俺も宿でゆっくりするよ。バイクのメンテナンスもしたいしね。」と答えました。

    それを聞いてアントニオが「男性陣はみんな体調を崩して弱いけど、女性はやっぱり強いな」と言います。

    それを聞いたアルティナは「昨日のお昼にダニエルが買ったクッキーがいけなかったのよ。みんなはあれを食べていたけど、私はあれ食べなかったから」と言います。

    私はお腹の調子は悪くないことから、そのクッキーが原因ではないと思われますが、そのことは黙っていました。

    この日はゆっくりできるということで、午前中はブログを書いたりして過ごします。しかし、後に私はこのことを大いに後悔します。

    いつみんなと離れ離れになるのかもわからないのだから、ブログを書くなんていう一人の時間を過ごすのではなく、みんなともっと話をして一緒に過ごす時間を作るべきだったと思うのです。

    少ししてダニエルもやってきました。そして、このとき私の気づかないうちに知らない話がされていたことを後から知り、大変後悔するのです。近くでブログを書いていた私にも聞こえていたと思い、彼らも私に秘密にしていたということは決してなかったのですが。

    午後になり私とマイケルとアントニオはバイクの整備をしていました。

    そこにダニエルとアルティナもやってきました。ダニエルの体調もだいぶ良くなったようです。

    2人でどこかに出かけるようです。私はダニエルに「バイクでどっか行くのかい?」なんて間抜けなことを聞きます。

    ダニエルがアフリカツインを外に出せるように私のテネレを避けて二人が出てくるのを待ちます。このときになって間抜けな私は初めて気づきました。

    ダニエルとアルティナはこの時間からでも出発することを決めたようです。恐らく私がブログを書いているときにそのことを話していてマイケルとアントニオは認識していたようです。

    突然のことで私は動揺が隠せません。

    「え、え、え…。」と思っているうちに彼らの準備は整い表に出てきました。

    ダニエルが言います。「ヒデ、決して無理はするんじゃないぞ。もしモスクワに来ることがあったら必ず連絡くれな。街を案内してやるから。」

    アルティナも「ヒデの旅の物語が無事完結することを願っているわ。旅が終わったら必ず報告してね。」と言います。

    え…、これでお別れ…??

    「お、おう…。二人も日本に来るときは連絡くれな…。」

    すると二人は私を強く抱きしめてくれました。

    オシュで二人に出会ったのが約1週間前。そしてたった3日間だけ一緒に走った仲です。でも私にとってはこの3日間が1年も2年もずっと一緒に語り合ったかのような凝縮された時間でした。

    強く優しく誠実なこの二人は私の感じたロシア人のイメージそのままに爽やかな風を残して走り去っていきました。

    心からありがとう…

    2人がいなくなってしまい、私の心はここにあらずの状態になってしまいました。

    明らかに元気がなくなってしまったのですが、そのような姿をマイケルとアントニオに見せるのも申し訳なく、寝不足を言い訳に簡単な夕食を済ませると一人部屋に戻り、そのまま就寝するのでした。

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  • ダニエルの勘違い

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    8月25日(日)東京出発79日目、タジキスタン3日目 ランガー~ホログ 走行距離217km

    ランガーからホログ

    朝起きて、アントニオの足の具合を確認します。昨日よりは多少腫れも引いて、なんとか行けそうだということでした。いずれにせよランガーのような小さな町よりもこの日目指すホログなら町自体も大きいですし、休養を取るにしろ何かするにしろホログまで行けるなら行ったほうが良いのは間違いありません。

    幸い昨日走ったムルガブからランガーまでよりも、この日走るランガーからホログまでの方が道路状況も良さそうです。

    この時期はパミールハイウェイを走るチャリダーやバイカーの数も多いので私たちの存在はこの地域でそれほど珍しい存在ではないと思うのですが、それでも宿の子供たちは興味深そうに我々のことを見つめています。

    興味深げに私たちを見つめます。
    男の子の左手のバンドをカッコいいねと誉めると、ツーリストがくれたと自慢気に見せてくれました。

    女の子たちはよく家の手伝いをしているようです。本当に感心します。

    小さい子の面倒や
    洗い物など、女の子は本当によく家の手伝いをしています。

    子供たちに手を振り出発します。

    事前情報通りこの日走った道は前日よりもだいぶ走りやすいです。しかし一つだけ困ったことがありました。

    水が買えないのです。ランガーの町にあったお店に行ったのですが、水を置いていないというのです。昨日の残りが多少あるのですぐに困るというわけではないのですが、水がないというのは不安です。

    それでも仕方ないのでこのまま進むしかありません。

    しばらく行くとガソリンを給油できる場所にきました。怪しいおじさんがバケツからガソリンを入れてくれます。

    ダニエルがこのおじさんから聞いた話によると、このおじさんが使っている目盛りのついたバケツは旧ソビエト時代に作られたものだというのです。

    このバケツは旧ソ連時代に作られたものだとか…(>_<)

    大変貴重だけれど、品質は最悪だなとダニエルが言います。

    でも陽気で楽しいおじさんに挨拶をして出発します。

    陽気なオヤジ1(アントニオ)と陽気なオヤジ2(ガソリン売りのオヤジ)

    この日はだいぶのんびりと走ることができました。途中町を通過すると遊んでいる子供たちが笑顔で手を振ってくれます。途中の町で無事水を手に入れることもできました。

    この地域の子供たちは男の子も女の子も大変美しいです。旅行者が多いので、通過するライダーやチャリダーに手を振るのがこの子たちの楽しみの一つでもあるのでしょう。

    男の子も女の子も大変美しいです。
    最初ははしゃいで手を振っていましたが、スマホを向けたら緊張して一気に笑わなくなりました(;´д`)

    途中で水を買うために立ち寄った町のお店でバイクを停めて休憩していると、子供たちが遠くから何かこちらに向かって叫んでいます。単に旅行者である私たちにちょっかいを出しているだけだと思われます。

    私は最初は普通に笑顔で手を振って応えていたのですが、突然思いっきり全力でダッシュをしてその子たちを追いかけるとみんなビックリしたようで一目散に逃げていきました。私はいきなり全力で走ったものだから足がもつれて前のめりに転んで砂だらけになります。

    それを見てダニエルもアルティナもマイケルもアントニオも大声で笑っていました。

    昼食は途中にあった道端のカフェで摂ります。タジキスタンの伝統的なスタイルでは椅子に座ることなく地べたに座って、食事も地面にクロスを敷いてその上に置くのですが、これに対してダニエルが「日本も椅子に座らないで床に直接座って食事を取るんだろ?タジキスタンのスタイルと似ているのか?」と聞いてきます。

    そう言われてみると最近は日本でも畳に直接座って食事を取っている家庭も減ってきているような気がします。

    サザエさん一家は夕食は椅子に座っていませんし、クレヨンしんちゃんの野原家でさえも椅子に座っていないなぁとは思うのですが、現在では多くの家庭が椅子に座って食事を取っているのではないでしょうか?

    なので、最近は日本も西洋風のスタイルで椅子に座って食事を取ることがほとんどだと伝えると、そうなのかぁと興味深そうにダニエルは聞いていました。

    トイレに行こうとカフェの裏に行くと一人の大変美しい少女が座っていました
    写真を撮らせてくれと言うと、わざわざこっちまで来てくれて、一緒に写ってくれました

    この日もゆっくりのんびり走っていたため、ホログの町に着いたときには日が沈んでいましたが無事になんとか宿に着くことができてホッとしました。

    ホログの町に入る直前にパスポートチェックがありましたが、係員も非常にフレンドリーで、このときも心配していたようや賄賂の要求などは一切ありませんでした。

    ここの係員が最初私を見て、へらへらと笑いながら小馬鹿にしたように「ニーハオ」と言ってきました。するとダニエルが彼は日本人だ!というと、その係員は目を丸くして「日本人ですか。それは失礼しました。」と姿勢を正しました。

    海外にいると中国人と間違えられることが非常に多いです。我々が欧米人がどこの国の人なのか見ためだけで判断できないように、外国人からしたらアジア人がどこの国の人かわからず、人口が多く海外に進出している比率の高い中国人に間違えられるのも無理はありません。

    相対的に海外にいる数が少なく、高品質な工業製品を輸出している日本人は日本人というだけで少しだけ特別な印象を持っていただけているようです。

    私が同じように日本で育ち日本で教育を受け日本で働いていたとしても、もし国籍が中国籍だったとしたらそれだけで同じようには扱ってはもらえないだろうと思うと大変くだらないことだとは思うのですが、中国人に間違えられることをあまり快く思わない私がここにいます。

    中国人であっても日本人であっても立派な人はいます。私は日本人ではあるけれども立派な人ではありません。そう思うとなんて器の小さい人間なのだろうと思ってしまいます。

     

    噂には聞いていましたがホログの町はこのパミールハイウェイの中でも非常に大きな町なので少しホッとします。

    私も調子に乗って宿に併設されている食堂でビールを購入し中庭で飲もうとすると、そこにはすでにアントニオがビールを一本空けている状態でした。

    このおやじは全くどうしようもないです。足を捻って痛め止めの薬を飲んでいるにも関わらず、さっそくビールの二本目を空けていやがります。

    私もベンチに座ってビールを飲み始めるとダニエルとアルティナが隣に来ました。

    私がヒューガルデンを飲んでいるのを見て、アルティナが言います。

    「ヒューガルデンはベルギービールだけど、実際に作っているのはロシアだったりするのよ。ちょっと見せて。」と言って私の飲んでいる瓶を手に取ると「ほら、製造国ロシアって書いてある」と教えてくれます。

    そんなことってあるんですね。日本のサッポロやサントリーが製造を中国でやっているようなものでしょうか?でも食品はやっぱり日本で作って欲しいなと思ってしまうのは、私自身もどこか日本品質神話を信じている一人だからでしょうか?うーん、でもここまで旅をしてきてロシアで製造だったら全然良いなと思います。彼らなら信頼できます。

    今度はダニエルが私にいろいろと質問をしてくれます。恐らく前日に私がアルティナに「(大変な未舗装路を走ったときは)いつも一人だったから」と言ったことが気になっていたからだと思います。

    「ヒデはここまで旅をしてくる中でつらいこととか大変だったことはなかったの?」

    「いやいや、たくさんあったよ。特にモンゴルの西側を走ったときは転んだりもしたし、大雨が降って前も見えなくて寒くて寒くて仕方なくて。人工物が360°見渡す限り何もないところもあったんだ。怖くて怖くて、あのときは何回も『お家に帰りたい』って思ったよ。」

    それを横で聞いていたアルティナは笑っています。

    でもダニエルは真剣です。

    「そんなに大変な思いもしたのに、それでもヒデはこの先も旅を続けてアフリカまで行こうって思うの?怖くないの?」

    「うーん。確かにアフリカはちょっと怖いって思うこともあるかな。でも何も知らないからね。知らないから怖いってのもあるし、知らないから本当の怖さを知らずに行こうって思うのもあるのかもしれないね。」

    そういうとダニエルは答えました。

    「ヒデ、お前は本当に勇敢な男だよ。なかなかできることじゃない。ま、まさか、ヒデはフグに挑戦したこともあるのかい?!」

    全く勘違いしています…(;^ω^)

    まず私は勇敢でもなんでもありません。ヘタレでビビりのヘナチョコです。西モンゴルだって普通に通過している人はたくさんいるのに、私は一人で半べそかいてお家に帰りたいとか言っていたのです。

    それにフグに挑戦したことがあるのか?って、フグは高いからそれほど食べる機会がないだけで、フグに当たったっていうニュースだって数年に一回あるかないかくらいですし。

    「食べたことあるよ。俺は旨いと思うし結構好きだな」と答えると、「なんでそんな命を懸けるようなことをするんだ!?お前がつくづく勇敢な男であることはわかったけど、とにかく無事に南アフリカまで行ってくれることを心から願うよ。」

    うん。やっぱり勘違いしています。でも、ダニエルは日本の文化に大変興味を持っているようです。

    フグを食べるシチュエーションっていうのはどういう時なのか?と聞かれて「うーん、確かにあまり家族とか友人と一緒に食べに行くってことはそれほど多くはないかな?イメージ的には政治家の会合や、ビジネスマンの接待で使われるイメージが強いかもしれない」と答えると、「日本でビジネスをやるっていうのは大変なんだな。それだけみんな命がけで真剣に仕事をしているってことか。」とまた妙な解釈をしていました。

     

    夜も更けてきてベロンベロンに酔っぱらっているアントニオが言いました。

    「ちょっと体調も良くないから、私は明日は一日ここでゆっくりしようと思う。」

    ま、私も少し疲れているからそれでも良いかなと思ったのですが、ダニエルとアルティナは違ったようです。

    「俺たちは日程もあるし、恐らくみんなとは違ってパミールの北側の湖に行きたいから、明日の体調次第ではあるけど、もしかしたら明日出発するかもしれない」

    少なくともドゥシャンベまではみんなで一緒に行けると思っていたのでショックでした。

    私はダニエルとアルティナと一緒に行きたいという思いもあります。マイケルもバイクの調子次第でもともと予定していたパミールの北側の更に別のルートを走りたいという思いもあるようです。

    私は特段どこに行きたいという意思が無いのにもかかわらず、ダニエルとアルティナ、マイケルまで出発してしまった場合に、怪我をしていて尚且つただでさえこのパミールハイウェイを走るのに苦労しているアントニオを一人残して出発することには心苦しさを感じます。

    ダニエルが「ヒデはどうするんだ?」と聞いてきました。

    優柔不断な私は「うーん。朝起きて体調を見て決めたいと思う。」と答えるのが精一杯でした。

    そしてこの日の夜は、標高が高い場所でビールを飲んで酷く酔っ払ってしまったせいか、それとも明日みんなバラバラになってしまうかもしれないことがよほどショックだったのか、この旅に出て初めて、ほとんど眠れない夜を過ごしたのでした。

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