• カテゴリー別アーカイブ 010_カザフスタン2回目
  • またまた酷い悪路

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    9/15(金)東京出発99日目、カザフスタン2回目5日目、ロシア3回目1日目 アティラウ~アストラハン

    この日は3回目のロシア入国になります。

    ロシアビザについてはシングル、ダブル、マルチ(そして観光ビザやビジネスビザ、期間などの組み合わせになります)など幾つかの種類があり、私は今回のようにトルクメニスタンに入国できなかった場合のことを想定してマルチビザを取得していました。

    もしこれがダブルビザだった場合はカスピ海をフェリーで渡るしか方法は無くなってしまうのですが、このカスピ海のフェリーがすこぶる評判が悪く、乗るのに一週間待たされたとか、波が非常に高くて二度とあのフェリーには乗りたくないなんて言う噂も聞いていたので、今回マルチビザにしていて本当に良かったと思うのです。

    しかし、このカザフスタンからロシアの国境へ向かう道は大変な悪路と聞いていました。

    そして実際に走ってみると噂に違わず酷い悪路です。ウズベキスタンからカザフスタンに向かう道と同じくらい酷い道でした。

    これを考えるとアティラウでサイドケースのステーを直しておいて本当に良かったと思います。

    朝、早い時間にも関わらず粕谷さんが見送りに出てきてくれます。粕谷さんは次の日の飛行機で日本に帰国するとのことでしたので、気持ちの整理も付いているようでした。

    この日はアティラウの街を出てすぐに悪路になりました。

    悪路の走行は本当に疲れます。前を走る車も対向車もアスファルトに空いた穴を避けながら蛇行しながら走るため、追い越しやすれ違いのタイミングで急ハンドルを切るバカタレもいますし、自分自身もある程度そういったを穴ぼこを避けながら走らないと車体にダメージを与えてしまいます。

    途中、砂漠の中にお墓のようなものを見つけました。
    悪路を走っているとイチイチバイクを停めて写真を撮るのは非常に億劫です。

    国境手前の130kmくらいがそんな道でしたので、国境が現れた時も走ることに気を取られていたため、気づいたら国境についていたという感じで非常に疲れていました。

    ただし国境自体はここも特に厳しいということはなくいつも通りの手続きをして通過します。

    そしてロシアに入ると一気に道が良くなります。モンゴルからロシアに入った時も感じた安堵感。ロシアはこれだけ国土が広くても幹線道路はきちんと整備されているところを見ると、やっぱり大国なのだなと感じます。

    そしてあの懐かしい景色に懐かしい雰囲気。中央アジアにいたころは悪徳警官の存在も、例え出会う頻度は少なくとも常に頭の片隅にあり、なんだかんだでストレスになっていたので、そのストレスからもある程度解放されます(とはいってもロシアにも少なからず悪徳警官がいると話も聞いてはいますが)。

    ここからジョージアまでは1000キロ弱ですので、2~3日もあれば通過できます。

    この旅でロシアを走るのは本当にこれが最後になるでしょうから、この景色と雰囲気を目に焼き付けておこうと丁寧に走ります。

    国境からアストラハンの街まではあっという間でした。途中、有料の橋(オートバイは50ルーブル)を渡らないといけなかったのですが、事前に確認していたので、ルーブルも国境で両替していて問題なく通過できます。

    この橋で50ルーブル(90円くらい)払いました

    アストラハンの宿に着き、この辺りでエンジンオイルの交換をしたいと思い(キルギスのビシュケクで交換してから約4,800kmほど走行していました)、荷物を置いて事前に調べておいたオートバイ用品を扱っている店に行ってみると、そこはなんと廃墟となっていてエンジンオイルを手に入れることができませんでした。

    うーん…、ジョージアの首都トビリシまで行けばオートバイ用品を扱っている店がいくつかあるようなので、あと1,000km我慢して走るしかないかなぁと考えました。

    アストラハンの街は大変綺麗な街並みではあったのですが、長居しても仕方ないと思い、次の日には出発しようと考えていました。

    宿に戻って次の目的地をどこにしようか確認し、グルズヌイという都市まで行こうと思ったのですが、よく見るとそこはチェチェン共和国となっています。

    私くらいの年代より上の方であれば耳にしたことはあると思います。

    ここは15年くらい前までロシアからの独立を目指して激しい紛争があった地域です。

    これ、大丈夫か…?

    宿の同室の労働者風の男に地図を見せながら聞いてみます。

    「明日、グルズヌイに行こうと思うんだが。チェチェン共和国のようだが大丈夫かわかるか?」

    男:「ムスリム。ガン。ダダダダダダダ!デンジャー。ビーケアフル。」

    この男はほとんど英語が喋れませんでしたが、言っていることはわかります。

    ネットで調べてみてもロシアで最も危険な地域と出てきます。

    まさかここに来てこんな落とし穴があるとは…。

    明日出発しようと思ったのですが、再度ちゃんと情報を集めてから行く行かないの判断をして、場合によってはルートを変える必要もあるかもなと思い改めました。

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  • ライダースクラブの優しさ

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    9/14(土)東京出発98日目、カザフスタン2回目4日目 アティラウ

    前日、私を宿まで案内してくれたアティラウのバイカーズクラブの方がお昼ごろに宿に来てくれました。

    というのもウズベキスタンからカザフスタンに向かう道でまた私のサイドケースのステーが折れてしまっていたので、それをなんとかしたいと彼らに相談していたからです。

    またもやサイドケースのステーが折れてしまいました。
    今度はこんなところが(;´д`)

    粕谷さんのオートバイが壊れてしまったときもいろいろと奔走してくださったようなのですが、粕谷さんは彼らに対して非常に手厳しいです。

    「彼らは時間も何も適当だから。平日の昼間からいろいろ手伝ってくれたけど、どうせ仕事放っぽり出して来てるんだよ。仕事も何も緩いんだよ。」なんてことを言います。

    本当にクソヤローです。

    隣に彼らがいても平気で日本語で悪口を言います。
    本当にクソヤローです。
    この格好でウズベキスタンを歩いていたら警察に捕まったそうです。
    自業自得です。

    ※こんな風に粕谷さんのことを悪く言ってみましたが、きちんと時間をかけてこの男の人となりを知れば、全く悪気の無い人だと言うことがわかります。単に思ったことを口にしてしまうだけなのです。むしろ正直に「孤独だった」とか「不安だった」とかも口に出したりもするので憎めないのです。だからこそ、洋介さんも私も粕谷さんのことはなんだかんだで気にかけていたんでしょうね(^_^)

    私も彼らが昼くらいに宿に来てくれると言っていたのに、なかなか来ないことに業を煮やして、「昼飯食いに行きましょう。戻って来ても彼らが来なければ自分で適当に溶接してくれるところを探して行っちゃいます。」なんて恩知らずなことを言ってしまいました。

    今考えれば、本当にとんでもない恩知らずですね…。

    粕谷さんと昼食を取って宿に戻ると、ちょうどそのタイミングでライダースクラブの方が来てくれました。

    よし、それでは行こうとなったのですが、私が事前に調べていた溶接工場とは違う場所に向かいます。

    どうやら自動車の工場のようです。

    彼らの仲間の一人がここで働いているようで、ここで溶接をしてくれるようです。

    ここで働いている彼はアメリカの大学を卒業したそうで、英語は大変堪能です。

    アメリカの大学を卒業したそうです。
    オートバイに乗ってるくらいですから相当なエリートなのでしょう

    彼も私のオートバイを見て羨ましいと言います。そして、もしできることならば自分もオートバイで世界中を回ってみたいけれど、そんなお金も時間も無いから自分には無理だと言います。

    私はこの旅をしていて世界中を走るたくさんのライダーに出会っていたので、自分が特別なことをしているという感覚が薄れていましたが、普通に考えてみれば実際にそれができる人間なんて世界中のほんの一握りの人だけなのだと改めて気づかされました。

    特に彼らはオートバイを手に入れることすら非常に困難です。例えオートバイを買うお金を持っていたとしても、そもそもオートバイを取り扱っているお店が無いので買うことができないのです。

    彼らはオートバイに関わるものの全て(本体だけでなくパーツもウェアも)をインターネットで一生懸命探してやっとこさ手に入れているようです。

    そして自身のオートバイを指さし(彼はスズキのジェベルに乗っているようでした)、「日本のオートバイは本当にすごいよ!まるで泳ぐみたいにスイスイ走り回るんだ」って目を輝かせて話します。

    日本にいれば日本のオートバイを買うことはお金さえ出せればすぐにでもできますが(もちろん状態の良い中古車を探そうとすればそれなりに大変ですが、彼らの大変さの比にならないと思います)、彼らにとっては本当に貴重なものであり、だからこそライダー同士一生懸命助け合うのでしょう。

    そして私のようなツーリストに対しては、自分たちができない夢のようなことをしていると感じ、精一杯サポートしてくれるのだと思います。

    旅をスタートして3か月が経ち、旅にも慣れてきて(というかパミールハイウェイを終えて燃え尽き症候群気味になってしまい)ダラダラと過ごす日が続いていましたが、もっとこの時間を大切にしなければいけないと改めて感じさせられました。

    溶接をしてくれている間もコーヒーを振舞ってくれたり大変親切にしてくださり、作業が終わってお金は幾らか聞いても、大したことでは無いからお金は受け取れないと言います。

    サイドケースのステーの溶接をしたり
    パミールハイウェイで気付いたらなくなっていたリアウインカーも付けてくれました

    こんなにも優しい彼ら。

    もし彼らが本当に望むのであれば、いつの日か彼らも世界中をオートバイで旅ができる世の中になったら良いなぁと強く感じます。

    そしてそのときになって、もし彼らが日本に来ることがあれば、彼らが私にしてくれたように私も彼らの力になれたらとても幸せなことです。

    ライダースクラブの方と一緒に
    こっちの彼が宿探しから工場までの案内までしてくれました。
    日立のカザフスタン法人に勤めているということでしたので、やっぱりエリートなのでしょう
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  • 風の音

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    9/13(金)東京出発97日目、カザフスタン2回目3日目 ベイナウ〜アティラウ 走行距離458km

    本来なら前日の9/12にそのままベイナウからアティラウに行く予定でした。しかし、パミールハイウェイを走り終えてから気持ちが緩んでしまったのか、どうも疲れが取れないことが多く、1日休養を挟んで出発することにしたのでした。

    しかし、このことがまたもや思いがけない偶然を運んでくれました。

    9/13(金)起床して宿の窓から外を見るとなんとそこにはKTM adventure 690が停まっているではありませんか!?

    まさかと思い外に出てナンバープレートを確認してみるとスイスのものであることがわかりました。

    間違いない!アントニオだ!

    この町にもいくつもの宿があるのに何という偶然でしょう!私のテネレさんは宿のバックヤードに置かせてもらっていたため、アントニオが私のオートバイを見てここに来たとは考えられません。

    早速アントニオのスマホにメッセージを送り、宿に併設されているカフェにいることを伝えます。

    するとすぐに、出発の準備を整えたアントニオがカフェに来て目を丸くして驚いています。

    「なんてこった!どういう偶然なんだ!」

    アントニオが叫びます。

    「アントニオこそトルクメニスタンに行ったんじゃないの?」

    「トルクメニスタンの国境には行ったんだよ。でも期日に行ってもまだビザはできていないと言われて、いつできるのか確認してもわからないと言われるだけだったから諦めて西に進むことにしたんだ。ヒデはカスピ海をロシア側から迂回するんだろう?私はフェリーに乗ることにしたよ。」

    やっぱりトルクメニスタン通過はなかなか難しいようです。アントニオも冬を迎える前にスイスに戻らないとならないことからも致し方ない決断だったと思われます。

    アントニオが続けます。

    「ヌクスの宿で出会ったドイツ人が、YAMAHAのオートバイに乗ってアフリカを目指しているって言う日本人に会ったって言うんだ。ヒデのことに違いないと思って興奮したよ。」

    ドイツ人と出会った記憶はなかったのですが、おそらくどこかで話しかけられてそんな話をしたのかもしれません。

    でもこうして旅人同士が繋がっていくのはとても楽しい気持ちにしてくれます。

    アントニオはフェリーでアゼルバイジャンに渡った後、イランを旅してトルコに入るとのことでしたので、再度トルコかヨーロッパのどこかで会おうと約束してそれぞれの道を進むことにしました。

    アントニオ!
    また近いうちに会いましょう!

    アティラウに続く道で対向車線から来たパトカーが前の車を追い越して対向車線をはみ出して来ました。パッシングして来たのですが当然こちらが優先なので少し避けてそのまま進みました。

    するとそのパトカーがUターンして追いかけてきます。私は速度もしっかり守っていますし違反はしていないのでそのまま普通に走り続けたのですが、そのパトカーは在ろう事かサイレンを鳴らして私に停車するように呼びかけます。

    オートバイを停めるとパトカーから降りて来た警察官がふてぶてしい態度で「ドキュメント!」と言ってきます。

    ドキュメントって言われてもいろいろあるので、「運転免許証ですか?オートバイの登録証ですか?それとも他の何かですか?」と聞くと、この警察官は声を荒げて「ドキュメント!」と叫ぶのです。

    コイツ、英語もわからないで(とは言っても私の英語も大したことはありませんが)偉そうになんなんだと思いつつ、とりあえず運転免許証を出すと引ったくるように奪います。

    そしてオートバイを指差してさらに「ドキュメント!」と言います。

    オートバイの登録証を出すとこっちに来いというジェスチャーをして自分はパトカーの中に乗ります。

    まさか連行する気じゃないだろうなと多少心配になったのですが、運転席の別の若い警察官が「英語は喋れますか?」と聞いてきます。

    こちらの警察官の態度は多少柔和ではあります。

    「英語なら大丈夫ですよ?私は何か違反をしましたか?スピードも守っていましたし、特に標識や信号はなかったと思うのですが」と言ったのですが、この警察官も自分で英語は喋れますか?なんて聞いておきながら、自分が英語を喋れないようです。

    もう一度「私は何か違反をしましたか?」と聞くと、もう一人のふてぶてしい態度の警察官が「黙れ!」と叫びます。

    どうせコイツは私が何を言っているのかわかってないくせに、私が何か言い訳をしていると勘違いしているのでしょう。なんて恥ずかしい男なのでしょうか?

    もう一人の柔和な態度の警察官が両手を目の前でグーパーグーパーとします。

    おそらくお前は何でパトカーがパッシングしたのに道を譲らなかったんだと言いたいのでしょう。本当にバカたれです。パトカーなら緊急時で無くても交通ルールが特別扱いだって思っているのでしょうか?

    それならこっちに非がないことは明らかなので、どうせ理解できないだろうと思いつつ何度も英語で「私は何か違反をしましたか?」と聞きます。

    この警察官はそれでもアホみたいに手をグーパーグーパーするのです。

    わからない振りをしていると免許証と登録証を返してくれ、もう行って良いと言われました。

    本当にどうしようもないヤツらです。自分たちが偉いとでも思っているのでしょうか?

    ま、何もなかったですし、そもそも私は悪いことをしていないので関係ないですけどね。

    ちょうど休憩でも取ろうと思っていたところだったので別に構いませんし、噂通りカザフスタンの警察もクソだということがわかりました。

    気を取り直してこの日の目的地であるアティラウを目指します。

    アティラウに到着して宿探しのため街中をグルグル走っていると一人のライダーが私の横に付け、こっちに停まれと合図をしてきます。

    停車すると「何か困っているのか?」と聞いてくれたのですが、彼も英語を解せないようで英語を話せる友人を呼んでくれるというのです。

    別に大して困ってもいないのですが、ロシアでもカザフスタンでもバイカーはオートバイのツーリストの力になろうと一生懸命になってくれるのです。

    ヤマハのドラッグスターに乗った彼の友人が到着して私のオートバイを見るなり「このオートバイは私の夢なんだ!」と叫びました。

    彼もいつかテネレさんに乗って世界中を走ってみたいのだとか。

    彼に宿を探していると伝えると、安くていい宿があるから任せろと言ってくれます。

    そしてこう言うのです。「日本人でスズキの400ccのバイクに乗ってる日本人が昨日までいたんだよ。確か63歳とか言ってたな。オートバイが壊れてしまって昨日の飛行機で日本に帰ったけど。」

    粕谷さんだ!粕谷さんも彼らと接触してたようです。年齢は65歳ですけど。

    こうして彼に付いて行って宿に到着して部屋に入るとそこには見知った風貌の男がいるではありませんか!

    「粕谷さん!」

    「あぁ、やっと来たんだね。そろそろ来る頃じゃないかとは思ってたんだけど。」

    「彼に聞いたら昨日の便で日本に帰ったって聞いたんですけどまだいらしたんですね。」

    「昨日飛行機の予約をしただけだよ。それで勘違いしたんだろうけど、まぁ彼らはなんでも適当だから。」

    相変わらず人を見下した喋り方です。

    相変わらず人を見下したしゃべり方です

    でも、久しぶりに日本人と出会って粕谷さんもホッとしたようです。その後延々と夜まで喋り続けます。

    3ヶ月だけであったけど、困難も多く、それでも走り抜けたこの旅はとても充実していたとおっしゃっていました。粕谷さんはこの3ヶ月を「闘い」と表現されていました。

    あまりにも文化の違う旧ソ連圏はスマートフォンを使うことにも苦労されていた粕谷さんにはとてもご苦労が多かったそうです。40年前に北米からメキシコまでを走ったときよりもずっと辛かったと。

    オートバイが壊れてしまったこの一週間は本当に精神的にも参ったそうですが、なんとか気持ちの整理がついたそうです。

    ミッションが壊れてしまったという粕谷さんのDRZ400

    きっとそれなら大丈夫でしょう。オートバイ大好きな粕谷さんのことです。日本に戻って少し落ち着いたら、また新たな挑戦に向けて動き出すのではないでしょうか?

    粕谷さんの話を聞いていて、一つ驚いた事実がありました。

    今から25年前、粕谷さんがモンゴルをオートバイで走るツアーに参加した時のことです。そこに耳の聞こえない女性も参加されていたそうです。

    それってもしかしてSさんという名前ではなかったですか?と聞いたところ、名前は覚えてていないということでしたので、フェイスブックのSさんの写真を粕谷さんに見せました。

    すると「確かに面影がある!彼女に違いない!」ということでした。

    このSさんという女性なのですが、私が初めてメタボンさん(つい先日南アフリカまでの旅を完結されました)とお会いしたときに連れて行っていただいた、海外をオートバイで走った人やそれに興味のある人たちの集まりに参加されていました。

    この集まりで洋介さんとも出会ったのですが、Sさんは毎回のようにこの集まりにご参加されていて、ご自身も世界中をオートバイで駆け回っている方でした。

    しかしSさんは残念なことに昨年、山での事故により帰らぬ人となってしまいました。

    耳が聞こえないですが、表情豊かで明るく非常にエネルギッシュな方でした。

    粕谷さんも25年前のことなのにSさんのことは鮮明に覚えていらっしゃるそうです。

    その時Sさんは粕谷さんにこう尋ねたそうです。「風の音ってどんな感じなんですか?」

    Sさんには音の記憶がありません。

    私たちライダーにとって風はときに厳しく、ときに爽やかで気持ちよく、様々な顔を持ちます。きっとSさんは耳が聞こえない分、肌でありったけ風を感じていたのでしょう。だからこそ風の音がどんななのか気になられたのでしょうね。

    私は今は毎日のように風の音を感じて走っています。Sさんが知りたがった風の音。私はこれから大切に耳を傾けて行こうと思います。

    力強くエネルギッシュに駆け抜けたSさんの人生。あなたのきらめきに満ちた生き様は、この粕谷泰治という一人の熱き男のハートの中にも、今でも確かに燦々と光輝き続けています。

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  • ここまで連れてきてくれてありがとう

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    9/11(水)東京出発95日目、ウズベキスタン6日目、カザフスタン2回目1日目 ヌクス〜ベイナウ 走行距離553km

    この日はウズベキスタンからカザフスタンへの国境越えも含めて550km近く走行する必要があります。

    というのもこのヌクスから先、国境までの約450kmの区間は砂漠地帯でありほとんど人も住んでおらず、なおかつウズベキスタンではレジストレーションと言ってどこに宿泊したのかをホテルに証明書として発行してもらう必要があり、野宿などもできないためです。

    しかもこの区間はガソリンの補給もできず、多くのライダーが予備タンクとして携行缶を携えて走行するという難所です。さらには先日ガスステーションでお世話になったアントンさんの話によるとウズベキスタン側の国境付近100kmは非常に道路状況が悪いということでした。

    アントンさん
    ロシア語でガススタンドの人にいろいろと聞いてくれます

    道路状況が悪いという区間を夜間走行するのは危険なため、朝も早めに出発します。

    出発の準備をしていると、宿の人に写真を撮らせて欲しいと言われました。
    何故かこんな格好をさせられました。
    他のツーリストも写真を撮られたりしてましたけど、こんな格好をさせられたのは私だけなのですが…(;´д`)
    何故…?!

    ただ私の場合は旅の相棒であるテネレさんが非常に優れたバイクであり、90km/h程度で走った場合、リッター30km近くの燃費を発揮し、さらにはタンク容量23リットルというビッグタンクのため、うまくすれば連続巡行距離650kmを超えるという、現存するオートバイでは考えられないような素晴らしい旅バイクなのです。

    もちろんスピードを出し過ぎたり、未舗装路の走行などがあるとその燃費もガクンと下がってしまうので気は抜けないのですが、他のライダーたちに比べると圧倒的に有利な条件で走れることは間違いありません。

    ヌクスの街を抜けるとやはりあまり道路は綺麗ではありませんでしたが、それでも悪いというほどではなく、丁寧に運転しても90km/h巡行が可能です。

    朝も早い時間に出発したため気持ちの余裕もあり、とにかく燃費を意識しながら走ることができます。

    昼過ぎには唯一の途中の町ジャスリクを通過することができ、順調に進むことができました。

    ひたすら何も無い砂漠地帯を走り続けます

    しかし、この先が大変でした。聞いていた通り酷い悪路です。穴ボコだらけのアスファルトで酷い振動がテネレさんに加わります。

    このような悪路で粕谷さんのオートバイはパミールハイウェイに入る前のアスタナからアルマトイ(カザフスタン)でフレームに亀裂が入ってしまったのです。

    私がパミールハイウェイを走っているときにも、BMW GS1200乗りのライダーが同じように振動でフレームを損傷して、どうにもならず無念のリタイヤをしたという話を聞いていました。

    頑強なフレームを持つテネレさんだってこれだけの振動が加わり続ければいつそうなってもおかしくありません。

    この道を走っているときでした。

    突如テネレさんがガランガランと嫌な音を立て始めたのです

    なんだろうと思って停車して見てみると、またもやサイドステーの後方部分が折れてしまっていて、垂れ下がったナンバープレートが後輪にぶつかっていたのです。

    またもやサイドケースが折れてしまいました。
    今度はこんなところが(;´д`)

    危うくナンバープレートが吹っ飛んで無くなってしまうところでした。そんなことになったら下手をすればこの先旅を続けられなくなってしまいます。

    慌ててビニールテープでぐるぐる巻きにして補強します。

    国境までの残りの数十キロはなるべく振動が加わらないようの慎重に走ります。

    朝早く出たおかげで冷静な対処ができます。

    やっとの思いで国境に辿り着いたのはなんだかんだで夕方頃になってしまっておりました。

    この国境も厳しいことはなく無事通過することができ、カザフスタンに入りやっと給油できると思い、国境を越えて30kmほどの地点にあるガソリンスタンドに立ち寄りました。

    しかしこのガソリンスタンド酷いのです。

    値段の表示が無く、私が停車するなりいきなり強引にガソリンを入れてこようとしてきたので、まずは金額を確認しました。

    すると私が知っているカザフスタンのガソリンの金額の倍近い値段を言うではないですか!?

    私が断っても無理矢理10リットルだろ!とか訳のわからないことを言ってガソリンを入れて来ようとします。

    私が外国人だから相場を知らないと思ってふっかけてきているのか、それともウズベキスタンからきたライダーならそのくらいの金額でも入れるのが当たり前だとでも思っているのでしょうか?

    すでに無給油で500km以上走っているテネレさんでしたが、燃費を意識した走りが功を奏して、まだまだ余裕で100km以上は走ります。

    とにかくこの強引な店員を振り払って先に進みました。

    この日目指していたベイナウの町に到着すると私が認識していた価格でガソリンが販売されています。

    テネレさんだったからこのような対処ができました。

    西モンゴルでもソンクルでもパミールハイウェイでも、テネレさんだから私は走り抜くことができたと思っています。テネレさんでなければ転倒していただろうことは何度もありました。

    私の実力を超えて私をここまで連れて来てくれたのは紛れもなくテネレさんです。

    もちろん、洋介さんやアシム、フェリーで一緒だったジュンジさん大澤さん粕谷さんハバロフスクで出会ったチアキさんウランバートルの味戸さん、味戸さんのゲストハウスで出会ったルイージさんとスーザンさん夫妻、兵庫出身のセロー乗りの宮崎さん、バルナウルのアンドレ、カザフスタンで出会ったマルチナブライアン、ビシュケクのさくらゲストハウスで出会った清水さん、サチさんを始めとする日本人ツーリストやフランス人のレジスさん、パミールハイウェイを一緒に走ったマイケルアントニオダニエル、アルティナ、ドゥシャンベで優しくしてくれたアナとマーティン、そして日本から励ましのメッセージをくれる方々、その他にもたくさん力を貸してくれたり励ましてくれたりした方々がいたからこそ私はここまで来ることができました。

    そしていつもそばにいてくれて、私の下手くそな運転にも耐えてくれて一生懸命走ってくれているテネレさん。

    ここまで連れてきてくれて、ありがとう。

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