9/13(金)東京出発97日目、カザフスタン2回目3日目 ベイナウ〜アティラウ 走行距離458km
本来なら前日の9/12にそのままベイナウからアティラウに行く予定でした。しかし、パミールハイウェイを走り終えてから気持ちが緩んでしまったのか、どうも疲れが取れないことが多く、1日休養を挟んで出発することにしたのでした。
しかし、このことがまたもや思いがけない偶然を運んでくれました。
9/13(金)起床して宿の窓から外を見るとなんとそこにはKTM adventure 690が停まっているではありませんか!?
まさかと思い外に出てナンバープレートを確認してみるとスイスのものであることがわかりました。
間違いない!アントニオだ!
この町にもいくつもの宿があるのに何という偶然でしょう!私のテネレさんは宿のバックヤードに置かせてもらっていたため、アントニオが私のオートバイを見てここに来たとは考えられません。
早速アントニオのスマホにメッセージを送り、宿に併設されているカフェにいることを伝えます。
するとすぐに、出発の準備を整えたアントニオがカフェに来て目を丸くして驚いています。
「なんてこった!どういう偶然なんだ!」
アントニオが叫びます。
「アントニオこそトルクメニスタンに行ったんじゃないの?」
「トルクメニスタンの国境には行ったんだよ。でも期日に行ってもまだビザはできていないと言われて、いつできるのか確認してもわからないと言われるだけだったから諦めて西に進むことにしたんだ。ヒデはカスピ海をロシア側から迂回するんだろう?私はフェリーに乗ることにしたよ。」
やっぱりトルクメニスタン通過はなかなか難しいようです。アントニオも冬を迎える前にスイスに戻らないとならないことからも致し方ない決断だったと思われます。
アントニオが続けます。
「ヌクスの宿で出会ったドイツ人が、YAMAHAのオートバイに乗ってアフリカを目指しているって言う日本人に会ったって言うんだ。ヒデのことに違いないと思って興奮したよ。」
ドイツ人と出会った記憶はなかったのですが、おそらくどこかで話しかけられてそんな話をしたのかもしれません。
でもこうして旅人同士が繋がっていくのはとても楽しい気持ちにしてくれます。
アントニオはフェリーでアゼルバイジャンに渡った後、イランを旅してトルコに入るとのことでしたので、再度トルコかヨーロッパのどこかで会おうと約束してそれぞれの道を進むことにしました。
アントニオ!
また近いうちに会いましょう!
アティラウに続く道で対向車線から来たパトカーが前の車を追い越して対向車線をはみ出して来ました。パッシングして来たのですが当然こちらが優先なので少し避けてそのまま進みました。
するとそのパトカーがUターンして追いかけてきます。私は速度もしっかり守っていますし違反はしていないのでそのまま普通に走り続けたのですが、そのパトカーは在ろう事かサイレンを鳴らして私に停車するように呼びかけます。
オートバイを停めるとパトカーから降りて来た警察官がふてぶてしい態度で「ドキュメント!」と言ってきます。
ドキュメントって言われてもいろいろあるので、「運転免許証ですか?オートバイの登録証ですか?それとも他の何かですか?」と聞くと、この警察官は声を荒げて「ドキュメント!」と叫ぶのです。
コイツ、英語もわからないで(とは言っても私の英語も大したことはありませんが)偉そうになんなんだと思いつつ、とりあえず運転免許証を出すと引ったくるように奪います。
そしてオートバイを指差してさらに「ドキュメント!」と言います。
オートバイの登録証を出すとこっちに来いというジェスチャーをして自分はパトカーの中に乗ります。
まさか連行する気じゃないだろうなと多少心配になったのですが、運転席の別の若い警察官が「英語は喋れますか?」と聞いてきます。
こちらの警察官の態度は多少柔和ではあります。
「英語なら大丈夫ですよ?私は何か違反をしましたか?スピードも守っていましたし、特に標識や信号はなかったと思うのですが」と言ったのですが、この警察官も自分で英語は喋れますか?なんて聞いておきながら、自分が英語を喋れないようです。
もう一度「私は何か違反をしましたか?」と聞くと、もう一人のふてぶてしい態度の警察官が「黙れ!」と叫びます。
どうせコイツは私が何を言っているのかわかってないくせに、私が何か言い訳をしていると勘違いしているのでしょう。なんて恥ずかしい男なのでしょうか?
もう一人の柔和な態度の警察官が両手を目の前でグーパーグーパーとします。
おそらくお前は何でパトカーがパッシングしたのに道を譲らなかったんだと言いたいのでしょう。本当にバカたれです。パトカーなら緊急時で無くても交通ルールが特別扱いだって思っているのでしょうか?
それならこっちに非がないことは明らかなので、どうせ理解できないだろうと思いつつ何度も英語で「私は何か違反をしましたか?」と聞きます。
この警察官はそれでもアホみたいに手をグーパーグーパーするのです。
わからない振りをしていると免許証と登録証を返してくれ、もう行って良いと言われました。
本当にどうしようもないヤツらです。自分たちが偉いとでも思っているのでしょうか?
ま、何もなかったですし、そもそも私は悪いことをしていないので関係ないですけどね。
ちょうど休憩でも取ろうと思っていたところだったので別に構いませんし、噂通りカザフスタンの警察もクソだということがわかりました。
気を取り直してこの日の目的地であるアティラウを目指します。
アティラウに到着して宿探しのため街中をグルグル走っていると一人のライダーが私の横に付け、こっちに停まれと合図をしてきます。
停車すると「何か困っているのか?」と聞いてくれたのですが、彼も英語を解せないようで英語を話せる友人を呼んでくれるというのです。
別に大して困ってもいないのですが、ロシアでもカザフスタンでもバイカーはオートバイのツーリストの力になろうと一生懸命になってくれるのです。
ヤマハのドラッグスターに乗った彼の友人が到着して私のオートバイを見るなり「このオートバイは私の夢なんだ!」と叫びました。
彼もいつかテネレさんに乗って世界中を走ってみたいのだとか。
彼に宿を探していると伝えると、安くていい宿があるから任せろと言ってくれます。
そしてこう言うのです。「日本人でスズキの400ccのバイクに乗ってる日本人が昨日までいたんだよ。確か63歳とか言ってたな。オートバイが壊れてしまって昨日の飛行機で日本に帰ったけど。」
粕谷さんだ!粕谷さんも彼らと接触してたようです。年齢は65歳ですけど。
こうして彼に付いて行って宿に到着して部屋に入るとそこには見知った風貌の男がいるではありませんか!
「粕谷さん!」
「あぁ、やっと来たんだね。そろそろ来る頃じゃないかとは思ってたんだけど。」
「彼に聞いたら昨日の便で日本に帰ったって聞いたんですけどまだいらしたんですね。」
「昨日飛行機の予約をしただけだよ。それで勘違いしたんだろうけど、まぁ彼らはなんでも適当だから。」
相変わらず人を見下した喋り方です。
相変わらず人を見下したしゃべり方です
でも、久しぶりに日本人と出会って粕谷さんもホッとしたようです。その後延々と夜まで喋り続けます。
3ヶ月だけであったけど、困難も多く、それでも走り抜けたこの旅はとても充実していたとおっしゃっていました。粕谷さんはこの3ヶ月を「闘い」と表現されていました。
あまりにも文化の違う旧ソ連圏はスマートフォンを使うことにも苦労されていた粕谷さんにはとてもご苦労が多かったそうです。40年前に北米からメキシコまでを走ったときよりもずっと辛かったと。
オートバイが壊れてしまったこの一週間は本当に精神的にも参ったそうですが、なんとか気持ちの整理がついたそうです。
ミッションが壊れてしまったという粕谷さんのDRZ400
きっとそれなら大丈夫でしょう。オートバイ大好きな粕谷さんのことです。日本に戻って少し落ち着いたら、また新たな挑戦に向けて動き出すのではないでしょうか?
粕谷さんの話を聞いていて、一つ驚いた事実がありました。
今から25年前、粕谷さんがモンゴルをオートバイで走るツアーに参加した時のことです。そこに耳の聞こえない女性も参加されていたそうです。
それってもしかしてSさんという名前ではなかったですか?と聞いたところ、名前は覚えてていないということでしたので、フェイスブックのSさんの写真を粕谷さんに見せました。
すると「確かに面影がある!彼女に違いない!」ということでした。
このSさんという女性なのですが、私が初めてメタボンさん(つい先日南アフリカまでの旅を完結されました)とお会いしたときに連れて行っていただいた、海外をオートバイで走った人やそれに興味のある人たちの集まりに参加されていました。
この集まりで洋介さんとも出会ったのですが、Sさんは毎回のようにこの集まりにご参加されていて、ご自身も世界中をオートバイで駆け回っている方でした。
しかしSさんは残念なことに昨年、山での事故により帰らぬ人となってしまいました。
耳が聞こえないですが、表情豊かで明るく非常にエネルギッシュな方でした。
粕谷さんも25年前のことなのにSさんのことは鮮明に覚えていらっしゃるそうです。
その時Sさんは粕谷さんにこう尋ねたそうです。「風の音ってどんな感じなんですか?」
Sさんには音の記憶がありません。
私たちライダーにとって風はときに厳しく、ときに爽やかで気持ちよく、様々な顔を持ちます。きっとSさんは耳が聞こえない分、肌でありったけ風を感じていたのでしょう。だからこそ風の音がどんななのか気になられたのでしょうね。
私は今は毎日のように風の音を感じて走っています。Sさんが知りたがった風の音。私はこれから大切に耳を傾けて行こうと思います。
力強くエネルギッシュに駆け抜けたSさんの人生。あなたのきらめきに満ちた生き様は、この粕谷泰治という一人の熱き男のハートの中にも、今でも確かに燦々と光輝き続けています。
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