• カテゴリー別アーカイブ 027_モロッコ
  • 噓つきの国

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    12月19日(木)東京出発194日目、モロッコ27日目(西サハラ4日目)、モーリタニア1日目 バルバス~シャミー 走行距離 285km

    この日は遂にモロッコからモーリタニアに入国する日です。

    朝、ルイスさんに挨拶をします。すると一緒に記念撮影をしようじゃないかとお誘いくださいます。

    宿の方にお願いして一緒に記念撮影をしました。

    記念撮影!

    バルバスからモロッコの国境までは90km弱ですので、一時間程度で国境に到着しました。

    たくさんのトラックが並んでいますが、普通自動車とバイクは前に行くように促されます。

    どこに行けば良いのかわからずフラフラしていると周りにいた係の人が丁寧に案内してくれました。

    とりあえずバイクを停めると、前にいた自動車の黒人が何やら話しかけてきます。フランス語なので何を言っているのかわからないのですが、どうやらドライバー(ねじ回し)を持っていないか?と聞いているようでした。

    私は荷物を降ろしてサイドケースの中に入っている工具箱を取り出し、そこからドライバーセットを彼らに渡しました。

    すると近くにいた係の人がパスポートに出国印はもらったのか?と聞いてきたのでまだだと答えると、あそこで貰って来いと言います。

    工具を渡したままここを離れたら持っていかれてしまうのでは無いかと心配だったのですが、彼らもまだまだ時間がかかりそうな雰囲気だったのでその間に行くことにしました。

     

    出国印をもらう場所にはたくさんの人で溢れかえっていて並んでいないのでどうしたものかと思っていたのですが、近くにいた男性が「パスポートは窓口に出したのか?」と聞いてきたので、パスポートを手に持ってまだだと答えると、それを取って代わりに窓口に出してくれました。

    彼らは並んではいませんでしたが、窓口に積まれているパスポートの山の一番下に自分のパスポートを置いて行く仕組みのようです。

    誰もズルをすることなくきちんと順番を守っています。

     

    たくさんの人がいたので時間がかかるかと思っていたのですが、一人一人の処理自体はそれほど時間がかからず、ほんの数分で私の番になりました。

    しかし何故か私の番になると手続きが全然進みません。

    何か私に問題があるのかと不安になっていたのですが、どうやらネットワーク障害が発生したらしく、手続きができなくなってしまったようです。

    ここからが大変でした。いくら待てど暮らせど一向にネットワークが復旧する気配がありません。

    途中、係の人が作業を開始したので復旧したのかと思ったのですが、やっぱりダメだという風に係の人が首を振りました。

    ただでさえ人で溢れていたその場所が、このような事態になり大変なカオス状態になっていました。

    他の人もどうなっているのか気になるようで窓口の中を覗きに来るので、もう窓口に近付くことすらできなくなりました。

    しばらくするとネットワークが復旧したようで作業が開始されたようです。私のパスポートはやっと処理されたようですが窓口に近づくことができず取りに行けません。

    しかし、日本人はその場に私一人だったので、バケツリレーの要領で私の手元にパスポートは届けられました。

     

    さて…。工具を貸した彼らはどうなったでしょうか?だいぶ時間が経ってしまったので、もしかしたらもういないかもしれません。

    場合によってはそのまま工具を持っていなくなってしまったかもしれません。

    そんな風に彼らを疑っていたのですが、バイクの所に戻るとなんと彼らは私のことを待ってくれていました。

    そして「ありがとう。助かったよ。君はセネガルまで来るかい?僕らはセネガル人だからセネガルで何か困ったことがあったら連絡頂戴」と言って貸していた工具を手渡すと去って行きました。

    疑っていた私が恥ずかしくなりました。

    あとから見たら貸していた工具のうち一つが無くなっていたのはご愛嬌ではありますが…(こういうのは一つなくなるといざというときに不便なんですけどね…)

     

    あとはモロッコ入国時にもらったオートバイの名刺大の一時通行証にサインをもらうだけです。

    係の人が見当たらなかったのですが、ここも周りにいる人がサポートしてくださり手続きを終えることができました。

    モロッコ入国前は散々モロッコの悪い話を聞いていましたが、観光地に行かない限り親切な人も多く、私にとってはなかなか過ごしやすくて大変良い国だったなぁという感想です(特にメルズーガからトドラ渓谷にかけてはノリコさんのサポートがあったことが大変大きかったのは間違いありません)。

     

    さて、モロッコの国境を超えるとたくさんのガイドが声を掛けてきます。

    ルイスさんには誰に頼んでも変な奴はいないから大丈夫だよと言われていたので、最初に声を掛けてきたガイドにお願いすることにしました。

    すると車で先導するからここで1分だけ待っていろと言います。

    すぐにそのガイドは車に乗って来て後ろを走ります。

    確かにこのモロッコとモーリタニアの緩衝地帯は道がなくなったのですが、モーリタニアの国境に向かう車はたくさん走っているので、そのあとをついて行けば間違って地雷原に入ってしまうようなこともないでしょう。

    私の場合、前を走るガイドが大変低速で走るため、深いサンド(砂地)などはむしろガイドがいるほうが邪魔くさく感じました。

    約3kmほど走るとモーリタニアの国境に着きます。

    するとガイドがパスポートとバイクの登録証を寄越せというので手渡すとどんどん手続きをしてくれます。

    ただこのとき私が失敗したのはこのガイドを完全に信用して任せてしまったことです。

    書類作成と保険加入においては必ずすぐそばにいて自分で手数料や保険料を支払うようにするか、きちんと領収をもらうようにするべきでした。

    確かにガイドがテキパキと手続きを進めてくれるので楽ではあったのですが、事件は最後に起こりました。

     

    最後の清算のときに、この馬鹿ガイドはお金を吹っ掛けてきたのです。

    私は事前に国境越えでかかる費用を調べていたのでそれが嘘の金額であることはすぐにわかったのですが、この馬鹿ガイドは認めません。

    「領収書を出せ!」と言うと「そんなものは無い!」と言います。

    しかも、こいつは周りに仲間を引き連れてきて私のテーブルを囲んできました。

    こんなんでこっちがビビると思っているのでしょうか?あまりにもなめているのでこちらもムカついて、この馬鹿ガイドに日本語でキツめに少し大きめの声で抗議します。さらには周りにいるこいつの仲間も睨みつけてやります。

    どうせこいつらはそこまで揉めるのは嫌なのです。すると周りを囲んできたやつらは自分は関係ないといった感じで周りのテーブルに座りました。

    それで諦めたのか馬鹿ガイドは書類作成料は正規の金額に訂正しました。しかし保険料は倍の金額のままです。

    「俺は保険料もきちんと調べて知っているんだ!いい加減にしろ!この金額だっていうなら領収書を出せ!」というと、保険書類に書かれている金額(モーリタニアの通過ウギアで記載されています)を足し上げて「確かにこの金額で正しい。これは嘘じゃない」と言います。

    確かに書かれている金額らしきものを足し上げてみるとこの馬鹿ガイドが言っている金額となります。

    私は「本当だったな。悪かったな」と言って言われた金額を払いました。

    するとこの馬鹿ガイドは「いや、別に良いんだよ。あとは両替が必要だろ」と言ってきます。

    これでこいつは墓穴を掘りました。私がお金を払った時点でそのまま去っていれば私はこいつに余計なお金を払っておさらばだったのですが、このとき私がもう一度保険の書類に目を通すとやはりこの馬鹿が嘘をついていたことに気付きました。

    さきほどこいつが足し上げた金額は明細部分の金額を足した後にさらにトータルの欄に記載されていた金額も足し上げていたので倍の金額を取っていたのです。

    「てめぇ!さっきの金額、明細とトータル足しているから倍の金額になっているじゃねぇか!余計に払った分を返しやがれ!!」

    この馬鹿ガイドは不機嫌な顔になり何か言い訳を始めましたが、とにかく私は余計に払った分を返せとだけ言います。

    この男は狡いことをしてくる割にはこうなると意外と素直です。

    余計に払った分はモーリタニアの通過ウギアできちんと返してくれました。

    私が席を立つとこの馬鹿ガイドは恨めしそうに私を睨みつけていましたが、私は「ありがとう」とだけ伝えて立ち去りました。

     

    保険屋の建物の外に出るとすぐ隣にある銀行のATMでモーリタニアの通過ウギアを下ろします。最初このATMがエラーを吐いてお金が引き出せないと思ったのですが、たまに英語表記にすると下ろせないATMがあると聞いたことがあったので試しにフランス語表記のまま操作を行うと見事に現金を引き出すことができました。

    一旦バイクのところに戻りこのあとどうしようかと考えていると、また一人の男が両替はどうか?と声を掛けてきました。

    面倒になっていた私は「ATM」とだけ言ってATMの方を指さし基本は無視をします。

    するとその男は「あのATMはカード使えないよ」と言います。

    先ほどの馬鹿ガイドの件でイラついていた私はこの男も嘘をついてきたことに無性に腹が立ち「てめぇ、嘘つくんじゃねぇ!俺は今さっきそこのATMでお金を引き出してきたんだ!」というと近くにいた男が通訳してくれたようで、声を掛けてきた男はしょんぼりして去って行きました。

    この男の嘘はほとんど実害があったわけではないので、このように怒鳴りつけてしまったことに申し訳なくも思ったのですが、嘘をついて人を騙してお金を取ろうとするこの国の人たちが腹立たしくて仕方なかったのです。

    この国のやつらは噓つきだらけじゃねぇか!と思い、このときこの国のやつらを一切が信じられなくなりました。

    でも、まあアフリカの中では十分マイルドな方なのでしょう。これから先はもっと大変なことがたくさんあるだろうことを覚悟しないといけませんよね。

    そして私はこの先、このモーリタニアという国に触れていくにつれ、もう少し優しくしてあげても良かったのかもしれないと後々思うようになるのでした。

     

     

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  • ルイスさん

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    12月18日(水)東京出発193日目、モロッコ26日目(西サハラ3日目) バルバス

    この日は予定していた通り、ホテルバルバスにて一日ゆっくりすることにしました。

    朝食を済ませると水を買いに近くに商店が無いか探します。滞在しているホテルバルバスの環境が良いため、外に出るまで気づかなかったのですが、この辺りは酷く乾いた砂漠の大地であることが見て取れました。

    乾いた大地

    私が外を歩いたときはそれほどでは無かったのですが、バイクで走っていた時に感じていたように風も非常に強いのでしょう。木が斜めに育っています。

    木が斜めに育っています

    瓦礫の山だらけの町中を歩くと何軒かの商店を見つけました。果物などが売っているとありがたいのですが、やはりこの辺りでは食べ物は保存のきくチョコレートやビスケットがほとんどです。

    私の目的は水ですので、水が買えただけで十分でしたが。

     

    宿に戻ってブログを書き書きしていると気づけば夕方になっていました。

    何やらホテルの中庭からバイクの音が聞こえます。誰かライダーが来たのかと思って部屋から出てみると、そこにはBMW GS1200に乗ったライダーの姿がありました。

    早速そばに行って話しかけてみます。

    するとこのライダーは西アフリカを回ってこれからポルトガルの自宅に帰る途中だというでは無いですか!?

    ルイスと名乗るこのポルトガル人ライダーは非常に大きな声でオーバーアクションでたくさんのことを一生懸命教えてくれます。

    ルイスさんと一緒に

    ・モロッコとモーリタニアの緩衝地帯は道が途絶えて荒れ地の中を3kmほど走らないとならないこと。

    ・道を間違えると地雷原になるので、できたらモロッコの国境を出たところでガイドを捕まえた方が良いこと。

    ・ガイドを捕まえれば道案内と書類作成などを代わりにやってくれるので、モーリタニア入国の時間が大幅に短縮できること(自分でやると2~3時間かかるがガイドにお願いすれば30分程度で終わると言っていました)。

    ・モーリタニアは検問が多いので、入国時に作成した書類の情報を手書きで記載したもののコピーを30部ほど用意しておくと検問をスムーズに通過できること(コピーはこのホテルバルバスで1部1ディラハム(約12円)でやってくれました)。これは本当に助かりました。

    ※以下、コピーに載せた情報になります

    ・バイクのメーカーおよび車種(私の場合 YAMAHA TENERE660と記載)
    ・ナンバー
    ・FIRSTNAME FAMILYNAME
    ・国籍
    ・生年月日@出生地(私の場合はKANAGAWAと記載)
    ・パスポート番号→開始年月日、有効年月日
    ・職業

    この手書きのコピーを持っているだけで検問の通過は圧倒的に楽になると思います。

     

    あとは、モーリタニアからセネガルに入るときの国境は絶対にロッソには行かずに、ディアマから越えるようにとアドバイスをくれます。ロッソ国境はメジャーな国境なのですが、悪徳警官やスリなどとにかく酷い有様で有名なため行くべきでないと、この後であったモーリタニア人にも何度も言われました。

     

    上記のようなたくさんの情報を提供していただき、私は本当にラッキーでした。

    そして西アフリカの情報を得やすいようにとfacebookの友達申請をしてくださり、私が南アフリカを目指しているのでアドバイスをしてあげて欲しいという旨の投稿をルイスさんの友人向けにしてくれました。

     

    モロッコまではヨーロッパの田舎町と一緒だという人もいます。ここから先モーリタニアからが本当のブラックアフリカになります。

    さぁ、これからまた新しい旅のステージの始まりです!

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  • 行けども行けども砂漠ばかり2

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    12月17日(火)東京出発192日目、モロッコ25日目(西サハラ2日目) ブジュドール~バルバス 走行距離645km

    この日はどこまで行くか悩みました。ブジュドールから約370km離れたダフラを目指すか、さらにそこから180km先のバルバスという小さな村まで行くか?

    ダフラはリゾート地ということでそこそこ環境は良さそうなのですが、私は人の多そうなダフラで宿探しも大変そうなのと、あまりそのような地域に行くことに魅力を感じていませんでした。

    バルバスはモロッコ-モーリタニアを陸路で通過する場合にモロッコの国境から約90kmの距離ということで、多くのライダーやチャリダーが滞在する場所です。

     

    バルバスにはホテルバルバスという砂漠の中のオアシスのような格安ホテルがあるということなので、時間を見つつ、もし行けそうなら頑張ってバルバスまで行くことにしました。

     

    またこの日もずっと砂漠の中の道を延々と走ります。西サハラに入ってからは50km~100kmおきくらいに検問がありますが、パスポートを見せて、その日の行き先を告げるだけで簡単に通してくれます。

    ダフラへ続く道とそのまま南下してバルバスまで行く道の分岐点に到着したのが14時前であったことから、暗くなる前にバルバスまで余裕で到着できそうだと思い、そのまま南下することに決めました。

    しかし、こんなに早い時間にここまで来られたのには理由があって、普段は燃費やエンジンへの負担を考慮して90km/h巡行で走っているのですが、この日は距離を稼ぎたいということで110km/h巡行で走っていたのです。

    こうなるとテネレさんの燃費は極端に下がってしまうので、無給油でバルバスまで行くのは難しくなってきます。

    この分岐点でダフラ方面に300mほど行った場所にガソリンスタンドが見えていたのですが、脇道に逸れるのが面倒で、この先も何軒かガソリンスタンドはあるだろうと考え給油しないで通過してしまいました。

    これが行けませんでした。

    20km先のガソリンスタンドでも40km先のガソリンスタンドでもガソリンが売り切れ?(そもそも営業していないガソリンスタンド?)だったため給油ができませんでした。

    バルバスまでの道のりでもう一軒ガソリンスタンドがありそうなことは確認しているのですが、もしそこでも給油できなかった場合、最悪ガス欠になる恐れがあります。

    そのリスクを負ってまで先に進む理由も無かったため、非常に面倒ではありましたが、40km戻って先ほどのガソリンスタンドに行くことに決めました。

    それにしても…
    西サハラは町を出るとずぅーっと砂漠ですね(;´д`)

    大変な時間ロスではあったのですが、無事給油も終えて夕方17時半ころにホテルバルバスに到着することができました。

     

    ホテルのレセプションに行くと一泊200ディラハム(約2400円)と言われます!?

    事前に聞いていた情報ですと一泊100ディラハム(約1200円)です。私が「100ディラハムじゃないのか?」と聞くと「100ディラハムだと部屋にトイレとシャワーは無いぞ」という返事でした。

    私はそれで構いません。なぜこいつは100ディラハムの部屋があることを教えてくれずに200ディラハムと言ったのでしょうか?ちょっと不審に感じてしまうのですが、そのあとの滞在期間での彼の対応は大変丁寧だったことを考えると悪い人には感じ無かったのですけれども。

     

    バイクから荷物を降ろし、バイクの整備をしていると地元の人と思われる人たちが話しかけてきます。

    その中の一人が「ようこそ、モロッコへ!」と言った後に他の人が「違う違う、ようこそ西サハラへ!だ」と言います。

    「ここはモロッコではないぞ。西サハラだ!」と続けます。

    先進国の間では独立国家として認められていない西サハラですが、ここに住む人たちからしたらモロッコが経済的に発展していようともモロッコに統治されるのではなく、自分たちで国を治めたいという気持ちがあるのでしょう。

    私は自分が正しいかどうかは今でもわかりませんが、このとき「あぁ、そうだな。ここは西サハラだ」と言いました。他の民族を蔑むようなナショナリズムを持つことは愚かなことにしか思えませんが、彼らにとって自分たちが「西サハラ人である」という民族に対する誇りを持つことは悪いことに思えなかったからです。

     

    この日滞在したホテルバルバスはシャワーとトイレは共同でしたが予想していたよりも大変清潔で過ごしやすい宿でした。

    この先モーリタニアを通過してセネガルに入っていくにあたり、ダカールの日本人宿「シェ山田」に行くまではあまり良い環境ではない予想していたため、一泊多く滞在してブログの更新などしてしまおうと決めました。

    そして、この決断がまたまた私に幸運をもたらしてくれることとなったのでした。

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  • チャリダーの苦悩

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    12月16日(月)東京出発191日目、モロッコ24日目(西サハラ1日目) タルファーヤ~ブジュドール 走行距離290km

    朝起きて外に出ようと思ったのですが、がっちりと閉ざされた格子の付いた扉がどうやっても開きません。

    どうしたものだろうと思い宿の屋上に上がって外を見たりしたのですが人気も無く、このまま他に誰か起きるまでどうにもならないかと思っていたのですが、宿のあの人懐っこいおじさんが気づいてくれたようで扉を開けてくれました。

    特段鍵がかかっていたとかではなく、単に扉が硬かっただけのようです。

    宿の一階部分がカフェになっていたので、ここで朝食を摂ります。

    この宿の一階部分はカフェになっていました

    おじさんが「もう行ってしまうのか?少しゆっくりしたらどうなんだ?」と寂しそうな顔をします。

    そんな顔しないでくださいよ。切なくなってしまうではないですか…。

    でも、ここに長く滞在する理由も無いのでこの日出発することを伝えます。

    すると、歩いてすぐのところにサン=テグジュペリ博物館があるから行ってみたらどうか?と提案してくれます。

    朝食を食べ終えてもまだ9時前なので博物館もオープンしていないだろうと思ったのですが、この日はそこまで長い距離を移動する予定ではなかったので、星の王子様好きの私としては、せっかくなのでぜひ行ってみようと思いました。

     

    とりあえず荷物だけはまとめて出発できるようにはしておき、少し散歩をします。サン=テグジュペリ博物館はまさに宿から歩いてほんの200mほどのところにあり、堅く扉が閉ざされてはいたのですが、近くを歩いている人に聞いてみると10時オープンだと教えてくれました。

    サン=テグジュペリ博物館はまだ閉まっていました

    一旦宿に戻るとおじさんが、海岸もすぐ近くにあって、古い建物が海の中に建っていて面白いから見てきたら良いと言ってくれます。

     

    サン=テグジュペリ博物館のオープンまでの時間つぶしにもちょうど良いと思い、海岸にも歩いて行きます。

    海岸を歩いていると一人の欧米系の青年とすれ違い、お互いに「やあ」とだけ挨拶をします。

     

    海の中にある建物は非常に興味をそそられたのですが、少しずつ潮が満ちてきているのがわかったので、無理に中に入ることはしませんでした。

    海の中の建物
    近くまで行ったのですが、潮が満ちてきているのがわかったので、中に入るのはやめておきました(;´д`)
    海辺にはサン=テグジュペリに関連するのであろう飛行機のモニュメントもありました

    そろそろ10時くらいかなと思ってサン=テグジュペリ博物館の方に向かっていると先ほどすれ違った青年がこちらに向かって歩いてきます。

    青年:「君もサン=テグジュペリ博物館に行くのかい?10時オープンって言っているけど、まだ開いていないよ。近くを歩いている人に聞いたら、いつも10時半とか11時くらいに開くんだって」

    まだ10時を少し過ぎたところでしたので、この青年と少し立ち話をします。

    彼はフランスからのチャリダーだと言っていました。この先のルートを今すごく悩んでいるそうです。まず西アフリカの環境が厳しいので自転車で横断することに不安があるということでした。なので、このまま東アフリカに飛行機で飛ぼうかどうか迷っているようでした。

    モロッコをこのまま南下するとすぐに西サハラと呼ばれる地域に入ってきますが、ここがチャリダーにとっての鬼門であると教えてくれました。

    西サハラは南北に約1,000km続くにも関わらず、きちんとした町らしい町はラユーン、ブジュドール、ダフラの三つしかありません。

    その間はひたすら砂漠地帯が広がるため、チャリダーはテント泊を余儀なくされます。しかし、今から約2年前に女性チャリダーの二人組が西サハラで強盗に遭って殺害されたことから、軍や警察の取り締まりが厳しくなってしまったそうです。

    そのためテント泊をしようとしても軍や警察にやめるように言われてしまうので、人目の付かない道路から奥まった場所でテント泊をしたいのだが、西サハラはメイン道路から外れると地雷が埋まっているエリアも多いため、それも危険だと言っていました。

    私は今までチャリダーであれば最悪公共の乗り物に自転車を乗せたり、宿もバイクと違って駐輪場の有無などを気にせず泊まれることから、精神的な負担はバイク旅よりかは多少は緩和されるものかと勝手に考えていました。

    しかし、西サハラのように町の区間が離れてしまっているような危険地帯を通過する場合の精神的負担は、彼と話をして、相当に大きいだろうことを感じました。

    そんな話をしていると近くにいたおじさんがサン=テグジュペリ博物館が開いたことを教えてくれます。

     

    中に入って行くと全てフランス語で書かれているため、私には展示物を読むことができませんでした。そのフランス人の青年は私を見ると「英語での解説があればあなたも読めるのに残念ですね…」と本当に残念そうな顔をしています。

    サン=テグジュペリ博物館。
    全てフランス語での説明文

    確かに展示物を読めないことは残念ではありますが、サン=テグジュペリの飛行機の模型や、サン=テグジュペリが飛んだエリアの地図などを見られたのは私にとっては楽しい経験でしたので、なんら問題はありませんでした。

     

    一通りの展示物を見て、青年に別れを告げると宿に戻ります。宿のおじさんもカフェのおばちゃんも大変寂しそうな顔をして見送ってくれ、その優しさに胸が熱くなりました。

    部屋のトイレの水が流れず、朝したう○こが便器の中に残されているのを見てこのおじちゃんおばちゃんがどのように思うのかは大変心配なところではあったのですが、私にはどうすることもできなかったので、「ごめんなさい」とそっと心の中で呟いて立ち去るしかありませんでした。

     

    この日は西サハラ三番目の町、ブジュドールを目指していきます。

    この日も延々と続く砂漠の中を走るのですが、前日までとは違って曇り空に加わって濃い霧で視界が悪いです。

    西サハラでこのような天気ですとこの時期は寒いようです。

    スペインにいたころの冬の装いでちょうどいいくらいでした。

    しかし、ブジュドールの町に近づくにつれ天気も良くなり気温も上昇して、今度は暑くて不快です。朝晩の冷え込みと日中の気温上昇でなかなか着るものの調節が難しいです。

     

    ブジュドールの町に到着するとお昼ご飯を食べに出かけ、海辺を散歩しました。

    屋台飯
    これで25ディラハム(約300円)なので大満足です

    道路も綺麗に整備され、人々も穏やかに生活しているのが見て取れます。砂漠の中の厳しい環境のように思うのですが、ものや食べ物が不足しているという感じはありませんでした。

    この辺りの地域はモロッコとの問題もあり、情勢もそこまで安定はしていないとは思うのですが、ここに暮らす人々が権力者のいざこざに巻き込まれることなく、穏やかに過ごしてくれることを願うことしか私にはできませんでした。

    海辺は大変整備されていました
    西サハラは大変厳しい環境ではありますが、道路や町は整備され、人々が穏やかに生活しているのが見てとれました。
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  • 行けども行けども砂漠ばかり

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    12月15日(日)東京出発190日目、モロッコ23日目 ティーズニート~タルファーヤ 走行距離455km

    前日の接触事故は私の中でもっと重く受け止めておかないといけないことだと思うのですが、何事もなくことが済んでしまったことから、それほど気にすることもなく、この日も出発しました。

    ティーズニートの町は少しゴミゴミしていて治安面に不安を感じるような場所ではあったのですが、宿の目の前には警備のおじさんが監視していて、しかも一生懸命仕事をしてくれていました。

    昨日の夕方に宿に到着した後、宿の前で私がバイクの整備をしていると一人のすごい悪臭を放つホームレスが私に絡んで来たのですが、すぐにその警備のおじさんがやってきて、そのホームレスを説得してどこかに追っ払ってくれました。

    その宿の駐輪場は宿の前の公共スペースだったため、駐輪することに多少の不安があったのですが、宿の方も警備のおじさんもとても親切で、「この位置ならカメラに写って24時間監視しているからこちらに置きなさい」と教えてくれました。

    私が宿を出発する時も宿の方とこの警備のおじさんが笑顔で見送ってくれます。モロッコは観光地ではめんどうな客引きがたくさんいますが、田舎の方に行くと、親切で優しい人が多いのかもしれません。

     

    この日も順調にバイクを走らせて行きます。

    この辺りになってくるとずっと代わり映えのない景色が続いて行きます。

    行けども行けども砂漠ばかり(*´Д`)

    行けども行けども
    砂漠ばかり(;´д`)

    しっかり道路も整備されていて、車通りもそこそこあるので何も問題ないのですが、ひたすら同じ景色の中を走るので苦痛に感じる人は苦痛かもしれません。

    道路は整備されているので問題無いです\(^_^)/

    夕方になり、タルファーヤという西サハラ(実質モロッコに支配されているため、日本をはじめとする先進国のほとんどは国家として認めていません)に入る直前の町に到着しました。

    目星をつけていた宿に到着するのですが誰もいないようです。

    他の宿を探すかどうしようかと考えていたところ、一人の欧米人が自転車でやってきました。

    どうやらこの宿の宿泊客のようで、ノルウェーからの旅行者のようです。

    ありがたいことにこの方が宿の人に電話をしてくださり、中に入れてもらうことができました。

    宿の入り口は鉄格子のガッチリとした扉が付いていて、バイクもこの宿から数十メートル離れた建物の倉庫に置かせて貰えました。

    確かにこの町は寂れていてどの家も裕福ではなさそうなことは見て取れたのですが、町行く人々の表情を見ているとそれほど治安が悪いようには感じませんでした。

     

    この宿のおじさんは英語は全く解せないようで、文字も読めないようです。どうやってコミュニケーションを取ろうかと思ったのですが、このおじさんはタブレット端末を使って翻訳アプリで音声認識させていろいろと伝えてくれます。

    何度私が「日本人です」と言っても、韓国語や中国語で翻訳してくるのもご愛嬌ですね。

    しかしとても人懐っこい可愛らしい笑顔でいろいろと話しかけてくれるので、大変心が和みます。

    この宿ならゆっくり安心して眠れそうだと思い、この日の長距離移動の疲れを取るのに十分な熟睡をすることができました。

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  • 接触事故

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    12月14日(土)東京出発189日目、モロッコ22日目 ワルザザート~ティーズニート

    今日はワルザザートからモロッコの西海岸のアガディールを抜けてできるだけモーリタニアに近い南方まで行けるように出発します。

    2週間ぶりに乗ったテネレさんもすこぶる調子が良く、快調に歩みを進めていきます。

    途中、警察に先導されて大きな軍隊の車の大群とすれ違います。

    先頭のパトカーが私に何か言ったようなのですが意味を理解できませんでした。

    少し進むと、数台の車が路肩に停まっています。

    もしかしたら軍隊を優先するために一般車両は端に寄って停車しないとならないのかもしれません。

    それを確かめるために停車している車から降りている人に、私は走りながらこのまま行っても良いのか?とジェスチャーで聞いてみます。
    すると何かしらのアクションをくれたのですが、前方を見ると大きな軍隊の車がやって来たので慌ててそれを避けようとしたところやってしまいました(*´Д`)

    停車している車に思いきりサイドケースを接触させてしまったのです。

    そのままフラフラと数メートル走って安全な場所にバイクを停めます。転倒しなかったことは不幸中の幸いではありますが、結構激しく接触したため、ぶつけてしまった車にも傷は付いてしまったのは間違いありません。

    車の所有者がこっちにきます。

    完全にこちらが悪いので、すぐにこちらからぶつけてしまった車の方に行きます。

    車は傷ついてしまっていますが、走行には支障無さそうだったことにまずはホッとします。

    先方も多少は怒っているようですが、大きな声で喚き散らすようなことは無く、「この傷を見ろ」というようなことだけ言います。

    先方は英語はほとんど解せないようで、フランス語で何か言っています。

    私は素直に自分の非を認めていますが、どうにもコミュニケーションが取れません。

    先方が修理代を払えと言っているようなことはなんとなくわかります。

    近くに車を停めていた他の人たちも様子を見に来ます。

    私が車をぶつけてしまった人の同乗者と思われる方が片言の英語でどこから来たんだ?と聞いてきます。

    私は「日本からです。警察を呼びましょう。私は保険にも加入していますのでそこからきちんとお支払いします」と伝えます。

    すると、私が日本人であるということが理由なのか、警察を呼んで保険で支払うと言ったことが面倒に感じたのか、先方は笑顔になり握手を求めてくると、「気にするな。こんなの大丈夫だ」というような仕草をしてそのまま行ってしまいました。

    100%私が悪いわけなので、申し訳なく思うのですがこちらとしては大変ありがたかったです。

    でも本当に大きな事故にならなくて良かったです。
    まだまだ旅は続きます。もう一度気を引き締めなおしていきます!

    サイドケースも凹んでしまいましたけど、この程度で済んで本当に良かった(>_<)
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  • 出発!ノリコズハウス

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    12月13日(金)東京出発188日目、モロッコ21日目 ティンジル(トドラ渓谷)~ワルザザート

    ついに2週間近く滞在したノリコズハウスを出発します。

    いつものように朝食を摂りラジオ体操をします。

    荷物のパッキングをしなければならないのですが、これをやったら出発かと思うとなかなか捗りません。

    お昼頃になりやっと荷物をパッキングし終え、出発の準備が整いました。

    ノリコさんに挨拶をします。

    ノリコさんは「午後からヨガやるから、それをやってから行けば」と言ってくださいますが、行くときに行かないとやっぱりもう一泊ってなり兼ねないので、このまま出発すると伝えました。

    ノリコさんとアンナさんが見送りに外まで出てきてくださいます。

    荷物をバイクに積んで、さて出発しようかと思ったとき、アンナさんが「チェーン外さないんですか!?」と慌てて教えてくれます。

    長期の駐車だったため前輪にチェーンをしていたのですが、危うくそのまま出発しそうになりました。このまま走り出していたら転倒していたでしょう(*´Д`)

    ご愛嬌とばかりに笑いながらチェーンを外していざ出発です。

    と、思ったら今度はノリコさんとアンナさんで「なんか垂れてますよ!」と教えてくれます。

    どうやらサイドケースとステーを固定するストラップが外れていて、タイヤに巻き込まれそうになっていたようです…。

    久しぶりのことだといろいろと忘れてしまいますね。

    後で聞いた話ですと、こんな有様で出発していった私のことをノリコさんは大層ご心配されていたようです。

    まあまあそれもご愛嬌です。

    もちろんバイクは安全が保障された乗り物ではないので気をつけなければならないのは当然なのですが、私も半年間かけてここまでやってきたわけです。
    これからも気を引き締めて乗り越えて行きます!

    ノリコさん、アンナさん!長い間本当にありがとうございました。行ってきます!

    アキト君、キワさん、アイさん!私も遂に出発しましたよ!(ってすでに個別にご連絡は差し上げていましたが)

    お互いに良い旅にしましょうね!

    ワルザザートで一人で夕飯(>_<)
    急に寂しくなってしまいました(;´д`)
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  • バックパッカーを尊敬した日

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    12月12日(木)東京出発187日目、モロッコ20日目 ティンジル(トドラ渓谷)~イミルシル往復 バス

    朝8時半にイミルシル行きのバスがやってくるということで、日が昇る前の7時半にノリコさんは朝食を用意してくれました。

    朝ごはんを食べ終わると、ノリコさんが「バスは来たらクラクション鳴らしてくれるけど待ってくれないから乗り遅れないようにね」と注意してくれます。

    私も準備を整えてさて行こうかと思ったのですが、こんな日でもラジオ体操はやるようです。

    私はすっかり忘れていました。

    いつもはこの宿の三階のテラスでラジオ体操をやるのですが、この日はバスが来たらすぐに乗り込めるように宿の入り口前の踊り場で行います。

    ストイックさに驚いてしまいます。

    この日も無事にラジオ体操を終えることができました。

    8時半に来ると言っていたバスは一向に来ません。

    9時頃になりようやくやってきました。

    ヨセフが昨日から何度も帰りのバスが何時なのかしっかり確認して乗り遅れないように言ってくれます。

    バスが来た時もヨセフが運転手に帰りのバスの時間を確認してくれました。14時にイミルシルを出発するようです。
    乗り遅れたら大変なので肝に銘じておきます。

    バスが出発します。

    バスはのんびり田舎道を走って行きます。このおんぼろバスは上り坂では停まってしまうんではないかと思うほどパワーがありません。

    私はこのとき心からバックパッカーを尊敬しました。

    隣にはアンナさんが座っていて会話もできるのですが、それでも乗り心地最悪なバス移動は苦痛以外の何物でもありません。

    お世辞にも乗り心地の良いとは言えないマイクロバス

    この日はたったの片道3時間です。

    バックパッカーは一日8時間や夜行でこのような乗り心地の悪いバスに乗り続けるのかと思うと尊敬の念しかないです。

    移動も楽しめるバイクツーリングがどれほど恵まれたものなのかを身に染みて感じました。

    お昼の12時ちょうどくらいにバスはイミルシルの町に到着しました。

    ここから湖までは約4kmです。歩いて片道1時間、往復2時間であることを考えると14時出発のバスに間に合わせるためには本当に行って帰ってくるだけになってしまいます。

    途中の雄大な景色の写真を撮りながら行くので結局湖着いたのは13時5分くらいです。

    雄大な景色の中を歩いて行きます。
    俺ってこんな歩き方なんですね(;´д`)
    湖の入り口はもうすぐそこ!

    あと一時間弱でまた戻らなければなりません。

    結局5分ほど湖の景色を堪能して引き返すことになりました。8時半に来るって言っていたバスが9時に来たせいで湖で過ごす時間はほとんどありませんでした。

    美しい色をした湖でしたが堪能している時間はあまりありません(>_<)
    もう行かないと(;´д`)

    アンナさんが「これじゃ湖の記憶はほとんど残らないなぁ」なんて言いますが、行ったけど結局5分しか居られなかったってのも楽しい思い出です。

    帰りは速足で戻ります。

    14時に間に合わせるために走ったりもします。

    14時ちょうどにバス乗り場に到着すると、まだ誰もいません(*´Д`)

    行きのバスの中にいた係のお兄さんが「うんうん、バスは14時」と言いますけど、他に客もいないのですぐに出発する気配はありませんでした。

    とりあえずバスに乗って待たせてもらいます。

    14時40分くらいになりやっと出発しました。

    帰りも苦痛です。

    アンナさんは隣で寝ていますが、私はこんな乗り心地の悪いバスでは到底眠れるはずもなく、早く着かないかなぁと思うだけの苦痛な3時間を過ごしました。

    宿に帰ると、この日から3泊するという日本人女性が来ていました。ヨガが大好きで毎年半年近くインドで生活しているそうです。
    ご本人もヨガのインストラクターの資格を持っているそうで、せっかくなのでこの宿で教えてくれるということでした。

    私は部屋に戻ってこの先のことを考えます。

    天気予報を調べると、明日出発しないとこの先行くアガディール辺りで雨になってしまいそうです。それを避けるには明日出発するか、あと3日ここに滞在するかのどちらかです。

    さらに、なんとセネガルのダカールで日本人宿をやっている山田さんがご連絡くださっていました。

    実はこの時点で日本人ライダーの方が山田さんの宿に来ているそうです。この方は今回の旅は一旦はダカールまでにして日本に帰国されるということでしたので、一緒に走る機会は無いと思われますが、せっかくなので可能であればお会いするだけでもお会いしたいと思いました。

    急な展開ですが、きっかけとしては十分過ぎる要素が出揃ってしまったので、この時点で私は次の日に約2週間お世話になったこのノリコズハウスを出発することに決めました。

    リビングに降りると、アンナさんが筋肉体操をやると言っています。ヨセフもやる気満々です。
    ここで過ごすのは今夜が最後。そう思うと頑張ってやらないわけにはいきません。

    そしてこの日の夕飯は、初めてこのノリコズハウスにやってきたときと同じ唐揚げ定食でした。

    これがこの宿最後の夕食かと思うと泣けてきます(>_<)

    この心安らぐノリコズハウス。明日離れると言ってしまえば終わりなのが分かっています。
    なかなか言い出せないでいましたが、言わないことにはどうにもなりません。

    夕食の時間にまずはアンナさんに伝えます。

    そして夕食を終えるとノリコさんにも伝えました。

    ノリコさんは「せっかくヨガの先生も来たのだから、少なくとも2~3日やってから行けば良いのに」と言ってくださいます。
    本当に嬉しい限りです。

    私はダカールに日本人ライダーがいることを伝え、「ラジオ体操はいろいろな土地でやって広めて来ますから」と言い、やはり明日出発することにしました…。

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  • 伝授!変なおじさん

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    12月11日(水)東京出発186日目、モロッコ19日目 ティンジル(トドラ渓谷)

    この日、遂にアイさんも出発してしまいました。

    アンナさん、アキト君、キワさん、アイさんと一緒に過ごした楽しい毎日が遠い昔のことのようです。

    もともと12月10日頃には私も出発しようかなと思っていたのですが、どうしても出発しなければいけない理由も見つからず12月10日も過ぎてしまいました。

    とりあえず川に洗濯に行き、お昼はキワさんが出発する直前にみんなで行ったカフェで摂ることにしました。

    この場所でボーッとゆっくりランチを取ります

    アンナさんと二人でランチを取りましたが、みんないなくなってしまい、二人とも上の空でした。

    先日アイさんがトドラ渓谷を歩いているとお土産物屋のお兄さんにジュラバ(モロッコの伝統衣装)を50ディラハム(約600円)でどうだと言われたそうです。

    ジュラバは風通しが良い一方で保温効果もあり、昼夜の寒暖差の激しい砂漠性気候のこの地では非常に優れた衣類だと思います。

    相場としては300ディラハム~400ディラハム(約3,500円~5,000円)程度と聞いていたので50ディラハムは破格です。
    もちろん生地や丈などいろいろな種類があるのであまり期待できるものではないのはわかっているのですが、もし本当にその価格なら買っても良いかと思いアンナさんと二人でトドラ渓谷のお土産物屋の辺りをウロチョロします。

    この辺りをウロチョロしていると客引きが話しかけては来るのですが、あまり営業はしてきません。

    こちらから幾らか聞くと高い金額を吹っ掛けられそうなので聞くに聞けない状況です。

    うーむ、困りました。

    よし!ということで、こいつらにこんな営業されたら日本人は話聞いてしまうよ!って思うような方法を教えてやろうと「変なおじさん」踊りを教えてあげます。

    体の前でこぶしを作った両手を交差させたり開いたりしながら「あ、変なおじさ~んだから変なおじさん」と歌いながら実演してみます。

    変なおじさん踊りを教えたおじさんはなかなか見事に変なおじさんを再現するのですが、踊っているおじさんがそれほど楽しそうに踊っていません。

    だから、それじゃ客のハートは掴めないぞ!と思うのですが、本人にやる気がなければ仕方ありません。

    こちらもそれほどモチベーションがあるわけではないのでそこまでにしておきました。

    ジュラバもどうしても欲しいものでも無かったのでそのまま宿に戻ります。

    宿に戻る前に、いつも買い物をする商店に行くと、商店の前で男の子が掃除をしています。

    お店の手伝いをしてエライ!って言ってお菓子をあげるととても嬉しそうでした。

    お店の手伝いをしてエライなぁ\(^_^)/

    宿に戻っても特にやることが無いので、なんとなくアンナさんと筋肉体操をやることになりました。って本当にこの宿はどうなっているんでしょうか?やることが無いからって筋トレするって間違っていると思います。

    すると宿の従業員のヨセフも一緒にやると言ってきました。

    腕立て、スクワット、腹筋、背筋をやります。

    腕立てをやった時点でヨセフが「もう十分だ、俺はもうやらないぞ。残りは明日だ!明日!」と言います。

    しかしアンナさんが「まだ、まだだよ!ヨセフ」と言って許しません。

    何の部活ですか??

    結局ヨセフもすべてのメニューをこなします。

    気分屋のヨセフはすべて終わると「よし!明日もやるぞ!」と言います。

    それを聞くとアンナさんは「ああ言ってるけど、どうせヨセフは明日にならないと本当にやるかどうかわからないからなぁ」と言います。

    でも、アンナさんがいる限りこの宿の朝のラジオ体操と筋肉体操は継続されていきそうなのは嬉しい限りです。

    さて、私はそろそろ本当に明日あたり出発しようかなと思っていたのですが、ノリコさんから「トドラ渓谷から北100kmくらいのところにイミルシルっていう湖の綺麗な場所があるから明日行ってみたら」と提案してくれます。

    バスで片道3時間弱の道のりになるということです。バイクも考えたのですが、標高が高いので雪がある可能性があるということでバスで行ってみようと思いました。
    往復6時間を経験すれば今まで出会ったバックパッカーの方々の気持ちもわかるかなという好奇心もあってのことでした。

    また出発が伸びてしまいますが、せっかくの機会なのでイミルシルに行くことに決めました。

    ダメだぁ(;´д`)
    全然出発できない(>_<)
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  • ハマム

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    12月10日(火)東京出発185日目、モロッコ18日目 ティンジル(トドラ渓谷)

    さて、このノリコズハウスを出発する前に溜まっていたブログをまとめて書いてしまおうと午前中からあくせくブログを書いていました。

    アンナさんはこの日は昨日この宿に訪れた大地さんとロッククライミングに行くようです。

    大地さんはとても物静かにお話をされる方ですが、深みのあるとても魅力的な方でした。

    もう少しいろいろな話をしてみたかったのですが、今回は12日間だけの旅行ということでノリコさんの宿には一泊だけだったのは残念なところであります。

    昼過ぎにアンナさんと大地さんが戻って来て、大地さんはそのまま砂漠の町メルズーガに旅立って行きました。

    昨日、宿の従業員のヨセフが首が痛いからハマム(公衆浴場)に行きたいと言っていました。

    するとアンナさんとアイさんも行きたいということでした。

    実は前日大地さんからモロッコのハマムの話を聞いていました。

    パンツ一丁になると男性はいきなり裸のおっさんにお湯をぶっかけられて最後はパンツも脱いで顔面も含めて強烈な力で全身垢すりで擦られるそれはもう衝撃的な体験だったといっていました。

    私は正直宿のシャワーで十分だと考えていたのですが、ノリコさんに「どうしますか?行きますか?」と聞かれると、興味が湧いてきたので一緒に行くことにしました。

    するとノリコさん「じゃ、ヨセフはお留守番ね」と…。

    最初にハマムに行きたいって言ったのはヨセフなのに大変かわいそうです(*´Д`)

    ハマムに行き、入り口で女性陣と別れます。

    私は大地さんに聞いていたようにいきなりお湯をぶっかけられたらたまらないと思い、入り口のところで服を脱いでいるとやってきたおっさんに、「そこで服を脱ぐんじゃない。中で脱げ」と怒られてしまいました。

    そんなん言われたってしきたりがわからないですし、こっちはちょっとこばかしビビってるんですよ(*´Д`)

    中に入ると至って普通です。もちろんおっさんがおっさんの全身を垢すりで擦っている姿はなんとも筆舌しにくいのですが、体を洗う場所は入り口で渡されたバケツにお湯を入れてあとは普通に頭や体を洗うだけなので特におかしなことはありません。
    私は垢すりはお願いしなかったので単に体を洗うだけです。

    むしろ私が困ったのは誰もパンツを脱いでいないことです。全身を洗うのだからパンツも脱いで洗いたいのですがここで一人だけ全裸になったらムスリムの皆さんに大変な非難を受ける可能性があるので、仕方なくパンツの中に手を突っ込み洗います。

    客観的に見てなんとも自分の姿が間抜けなように思えて悲しくなりました。

    全身を洗いさっぱりしたので上がることにしました。

    脱衣所にて替えのパンツに履き替えようと思ったのですが、ここでも誰もフルチンになっていません。
    まるで小学校のプールの授業のときのようにみんなバスタオルを腰に巻いてパンツを着替えています。

    私はバスタオルなんていう代物は持っていません。

    仕方なく小さいタオルを腰に巻いて着替えるのですが、それは形式だけであり実際には丸出しです。
    知ったこっちゃありませんよ。そんなん言われたってめんどくさい(# ゚Д゚)

    しかしこのことがいけなかったのか、最初ハマムに入ったときには優しかった従業員のおっちゃんが心なしか冷たくなったような気がします。

    本当に文化の違いって難しいですね。

    宿に戻るとアイさんが明日出発すると言います。

    私はどうしようか…。アンナさん一人を残して出発するのも心苦しいなんていう言い訳もしつつ、この日出た炊き込みご飯が私をまたこの宿から離れられなくするのでした。

    こんなご飯出てきたら、また離れられなくなっちゃう(;´д`)
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