• カテゴリー別アーカイブ 030_セネガル
  • ギニア初日の夜はブラックアウト

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    1月8日(水)東京出発214日目、セネガル19日目、ギニア1日目 タンバクンダ~クンダラ 走行距離189km

    この日は遂にギニアに入国します。

    今まで何度も国境越えは経験してきましたが、こればかりは慣れるものでもなく、毎回緊張が走るものです。

    私は認識から抜けていたのですが、リョウさんはギニア国境での賄賂要求があるのではないかとだいぶ緊張していたようです。

    また、リョウさんはユーラシア大陸をロシアをずっと西に抜けてヨーロッパに入っていたため、これまでの旅でダートらしいダートはモーリタニアのディアマ国境付近が初めてだったようで、この日もセネガルの国境にかけて25kmほどのダートがあるということにだいぶ不安を感じていたようでした。

    一方の私はというと、テネレさんという走破性の高い相棒に跨り、西モンゴル、キルギスのソンクル、パミールハイウェイといった比較的厳しめの未舗装路をトータル2,000km以上走って来た経験があったため、未舗装路に対する抵抗感は無くなっていて、このときリョウさんの気持ちを全然理解することができていませんでした。

    事前の情報通り、タンバクンダの町からしばらく走ると赤土のダートが始まります。乾季であるこの時期は赤土の砂埃は舞い上がりますが、地面は締まっていて凹凸も少ないため難なく走ることができます。

    リョウさんの走りを見ていても、慎重にゆっくり走っているなとは感じたものの、全く持って危なげなく走っていました。

    ギニア国境手前、赤土ダート。
    情報通り約25 km続いていました。
    ほぼフラットですので全く問題なく走れます。
    (雨が降ったら大変かもしれません。)

    ダート区間が終わるとすぐにセネガルの国境に到着します。

    12時20分くらいに到着したため警察署の職員は昼食に出ていて、そこには手続きを待つ人が数人並んで待っていました。

    暑い中13時くらいまで待たないとならないだろうと思っていたのですが、12時半くらいには職員も戻って来てすぐに手続きをしてくれました。

    出国の手続きはあっさりしたものでした。

    最初の建物で、入国時に税関で作った一時走行許可証を手渡し、次の建物でギニアビザを確認されパスポートに出国印をもらうだけです。賄賂の要求も一切なく、あまりにも簡単な手続きなため、逆に少し不安になってしまうほどでした。

    セネガルの国境からギニアの国境までの緩衝地帯は約40kmほどあるため、出国手続きをするとしばらく走り続けます。

    地図アプリに表示されている国境よりだいぶ手前で少し大きめの街に入ります。

    ここには商店や食堂が立ち並び、その建物の中にギニアの入国手続きのための建物が入り込んでいるので、我々にはどこで何の手続きが必要なのかわかりません。

    こういったありふれた町の中にギニア入国手続きをする建物が点在しています。

    街の中を走っていると道路にロープが張られている箇所があり、そこで停止すると横の建物から人が出てきて、ここで手続きしろと教えてくれる仕組みです。

    手続きする施設が一か所にまとまってあるわけではないので、我々もこれで終わりかなと思って少し進むとまた同じようなロープが張られていて停められます。

    幾つかの手続きを済ませて街中の食堂で遅めの昼食を摂ります。

    セネガルで散々食べたチェブは無いか?と聞くと、店のおばちゃんに「チェブはセネガル料理だからここにはないわよ」と言われます。

    ふと別の男が、ご飯の上に肉のスープがかけられたようなもの食べていて、これはうまそうだと思い、「マダム、これちょうだいよ」と言いました。

    するとこの男が、「この料理はスプ」って食べ物だと教えてくれました。

    運ばれてきた料理を食べると、ご飯にかけられているスープは抜群に美味しいです。少しピリ辛の出汁のきいたテールスープのようなイメージでしょうか。

    リョウさんはギニアの米が苦手だそうで、スープは確かに美味しいけれど、ご飯のせいであまり好きではないと言っていましたが。

    私はこのスプという料理は結構お気に入りです。
    例によって衛生面は大変な疑問符ですが

    お腹も膨れて、この日は国境を越えた最初の村クンダラに行くだけだと思っていたのですが、この食堂から走ってすぐのところでまたロープが張られていて手続きをしないとなりませんでした。

    ここで要求されたのが自動車の一時輸出を簡易化してくれるカルネと呼ばれる書類です。この書類を日本で取得するのに手間がかかりバイク旅のハードルを上げているなんていう人もいる書類ですが、ようやくここに来て初めて使うことになりました。

    ギニアでカルネが必要になるという情報はほとんど聞いたことが無かったのですが、ギニア国内の検問でカルネの確認をされたという情報を見たことがあったので、私はもしかしたらギニア国境で必要になるかもしれないなと予想はしておりました。

    アフリカは手続き関係は短いスパンでコロコロ変わるので今後もこういったことはいくらでも起こりうるでしょう。現にコートジボワールビザもダカールで簡単に取れるといった情報はたくさんあったのですが、我々は拒否されたわけですし。

    これでやっとすべての手続きが終わりました。

    ここから10kmほど走行してギニア最初の村クンダラに到着しましたが、やはりギニアはセネガルと比べるとだいぶ発展の度合いは遅れているという印象でした。

    クンダラで目星をつけていた宿に到着しましたが、ギニアは夜の19時までは基本的に停電していて、そこから電気が使えるようになります。

    我々がギニアに入った初日は一度夜になり電気が使えるようになったのですが、すぐにまた停電してしまったため、真っ暗闇の室内で過ごす必要がありました。
    更には電気が止まっているため水をくみ上げるポンプも動いていないようで水道もシャワーも使えません。

    ギニア入国の手続きが思いの他めんどうで(賄賂の要求などはないためその面でのストレスはありませんでしたが)多少疲れたことと、夜は電気が使えないことから特にやることもないため、この日私は20時くらいに就寝するのでした。

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  • セネガル最後の日

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    1月7日(火)東京出発213日目、セネガル18日目 タンバクンダ

    セネガル最後の町タンバクンダで買い物をします。

    タンバクンダは少し大きめの町とは言え、少しメイン道路を外れてしまうと広い道であってもあまり人気はありません。
    なんとなくこの町の印象は、テレビや映画で見た、戦後直後の復興前の日本といった感じでした。

    メイン道路をちょっと外れただけで、戦後の復興前の日本のような寂れた町並みになります

    ダカールでも効果の高い虫よけスプレーを購入してはいたのですが、少し多めに持っておいた方が安心なので、この町でももう一度探します。
    また、私は寝間着としてるズボンは半ズボンしかないので、蚊よけのためにも長いスウェットを購入したいと考えておりました。

    リョウさんと手分けして虫よけスプレーが売ってそうな店を探していると、リョウさんから少し大きめの薬局を見つけてそこに売っていそうだとの連絡をもらいました。

    早速その薬局に駆け付けると、リョウさんの見立て通り、我々の求めていたDEET30%の効果の高い虫よけスプレーを購入することができました。

    さらにマラリアの検査キットも持っていると良いだろうということで薬局の人に確認したのですが、残念ながらそれは置いていませんでした。

    薬局を出て、少し歩くと露店でスウェットのパンツが売っているのを見つけたので値段を聞いてみます。

    真っ赤な派手なスウェットの値段を聞くと4,000CFA(約800円)と言います。値段としては全くもってお手頃なのですが、少し派手すぎます。

    すると店主が奥から黒いTOMMY HILFIGERのパチモンのスウェットパンツを出してくれました。こちらのお値段は3,000CFA(約600円)と言います。

    私としては値段も含め十分満足できるものでしたので一切の値段交渉をすることなく、そのままこの値段で購入することにしました。

    その他、この日は灯油ポンプ(大容量タンクを備えたテネレさんから、万一の場合にリョウさんのNC700にガソリンを分けることができるように)とダカールでも買えなかった蚊帳を探したのですが、これらは見つけることができませんでした。

    このまま近所の食堂で昼食を済ませると宿に戻り、この先いつ洗濯ができるかもわからないので宿で洗濯をして明日の国境越えに備えることにしました。

    セネガル料理はなんだかんだで美味しいんだよな(>_<)

    シェ山田で2週間過ごし、クリスマスと年末年始を挟んで3週間近く滞在したセネガルとも遂にお別れです。

    次に訪ねるギニアは私にとってはほとんど馴染みのない国のため多少の緊張感を持ちつつ、この日は眠りに就くのでした。

    出発前の体調不良からも完全復活して、ビールも飲んでます\(^_^)/
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  • 突きつけられた私の本性

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    1月6日(月)東京出発212日目、セネガル17日目 カオラク~タンバクンダ 走行距離279km

    カオラクの宿では簡単な朝ごはんがついていました。

    朝ごはんを調理する場所が外にあるため、そこで朝食を受け取るときに、地元の子供たちが宿の前にたくさんいて、我々宿泊客に何か頂戴と要求しています。

    朝食を食べ終えるとリョウさんがタバコを吸うためにその子供たちがいる近くに行ったので私もそれに付いていきました。

    本当ならこの子たちに飴でもあげたかったのですが、生憎荷物はすべて部屋に置いて来てしまっていたため何もあげることができませんでした。

    でもこの子たちはとても明るく笑っているので、私がおしりを振ったりしておどけて見せると、それを真似して一緒になっておしりを振って笑い転げています。

    この子たちはしつこく物をせびってくるわけでもなく、我々がその場所を離れる時も手を振ると、笑顔で手を振ってくれました。

    荷物をバイクに積み込むときにあの子たちがいたら飴をあげようと準備をして行ったのですが、荷造りを終えて駐輪場に行くとすでにそこに子供たちの姿はありませんでした。

    ただ、ちょうど荷物の積み込みをしていると一人の男の子がやってきて、何か頂戴と手を出してきたので、その子に飴をあげました。

    サン・ルイで子供たちにチョコレートをあげたときと同じように、この子もまた飴の包み紙を地面に捨てました。

    私は慌ててこの子を叱りつけます。

    私:「コラ!ゴミを地面に捨てるんじゃない!」

    するとその子も慌ててゴミを拾おうとしたのですが、風でそのまま包み紙は飛んでいってしまいました。

    後でリョウさんに聞いた話によると、私が子供にゴミを地面に捨てたことを叱りつけている姿を見て、この宿のおばちゃんは微笑ましく見ていたそうです。

    この国の大人がゴミをそこらへんに捨てることは良くないと認識し、きちんと自分たちもマナーを守って子供たちにも教育してほしいと思うのですが、そういったことほど時間と労力がかかる難しいことなのだろうと思います。

    特にアフリカではどこの町や村に行ってもゴミが散乱して悪臭を放っています。
    この不衛生な環境が健康被害を誘発し、とりわけ子供たちの成育に悪影響を及ぼしているだろうことを考えると、なんとかならないものかと思うのです。

     

    バイクを走らせ午後になるとお腹が空いてきました。しかし、セネガルでは今まで走って来た国と違っておいそれと簡単に食事が摂れるような場所が見つかりません。

    ガソリンスタンドに併設されている商店に入っても品揃えが非常に悪いので何か買って食べるのも一苦労です。

    この日は途中の村に屋台が何軒かあるのを見つけたのでそこで昼食を摂ることにしました。

    この屋台のオヤジも例に漏れず、ウンコをしても手を洗っていそうにありません。

    でもダカールの屋台のおばちゃんと違って、素手で具材をわしづかみするのではなくちゃんとおたまを使って具材をご飯にかけてくれます。

    私はシェ山田で一度食あたりを起こしているので少し臆病になっていました。

    セネガル料理のチェブ。
    味はなかなかですが、衛生面はかなり疑問符が付きます(;´д`)

    でもやっぱりダカール料理であるチェブはなかなかの美味です。
    ダカールの食事は量が多いので私もリョウさんもいつも少し残すことが多いのですが。

    この日も少し残してしまっていたのですが、この食堂の近くでずっとこちらを見ていた子供たちが、私たちがご飯を残しているのを見て、オヤジの隙を見計らうと、サッと我々の前に置かれたお皿を持っていきその残った食事を夢中で貪っていました。

    この子たちはこうしてこの食堂のお客さんが残した料理を食べて飢えをしのいでいるのでしょう。
    しかしこの様子がここのオヤジに見つかるとすごい剣幕で怒られていました…。ただ、このオヤジも子供たちを厳しく叱り付けているように見えても、叩いたり激しく追っ払ったりするようなことはしないので、心のどこかで容認しつつ、何か感じることがあるのかもしれません。

    この国で出される料理は量が多いので、現地の人たちも残す人が多いのです。そうやって残ったものが無駄になるのではなく、残飯が出ないようにして、少しでもこういった子供たちに行き渡るようにできないものか考えてしまいます。

    私たちがバイクに戻り出発の準備をしていると食堂の近くにいた子供たちは私たちの所に来て、「何か頂戴よ」と手を出してきます。

    今までも中央アジアやトルコ、東ヨーロッパで同じように物乞いをしてくる子供たちはいたのですが、ここの子供たちは今まで見た物乞いの子供たちに比べても特段やせ細っていて、身なりも大変汚く、疲れているのか目も虚ろです。

    数があまりにも多く、飴でも取り出そうものなら大勢の子供たちが集まって来て収拾がつかなくなりそうだったため、ここではそれは断念しました。

    と、このときはそう自分に言い聞かせていたのですが、実際はそうでは無かったと思います。

    この子供たちの恰好があまりにも汚かったので、私は心の奥底ではこの子たちを嫌悪していたのだと思います。

    中央アジアやトルコ、東ヨーロッパの子供たち、それからカンボジアの孤児院の子供たちのように、身なりがそこまで綺麗ではなくても、もともとの見た目が大変美しい子供たちが、もしも涙を流しながら私に何かを求めてきたら何も躊躇することなくギュッと抱きしめることができるでしょう。

    でも、もしここの子供たちが同じ状況だった場合に、恐らく私は「嫌だな、少し離れて欲しいな」と思ってしまうと思います。

    どんなに綺麗ごとを並べても結局は私はその程度の人間なのです。
    世の中にはこれよりもさらに悲惨な状況はあるのでしょうが、本当に悲惨な状況には目を背け、逃げ出すのが私という人間なのだと思います。

    安全で清潔な場所からきれいごとを並べて偉そうなことを言うのが私という人間ですけれども、弱くて下卑た私のような人間であってもできることはきっとあるはずです。

    弱くて下卑た人間であることを他者から非難されたとしても、そんな自分も受け入れて、自分にできることを全うできる程度の強さくらいは少なくとも持っていたいと思うのです。

     

    昼食を終えてこの日は日が沈む前までに順調にタンバクンダの町までたどり着くことができました。

    蟻塚の写真を撮るリョウさん

    このタンバクンダの町はギニアとの国境までの最後の大きめの町です。
    ギニアに入ってしまうとセネガル以上に物を手に入れることが難しくなると思われるので、我々はここで一日余計に滞在し、必要なものを買いそろえることにし、ついでにしっかりと休養と取って久々の国境越えに備えることとしたのでした。

    宿から見たタンバクンダの町
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  • 出発!シェ山田

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    1月5日(日)東京出発211日目、セネガル16日目 ダカール~カオラク 走行距離235km

    私の体調も完全回復し、遂にこの日、シェ山田を出発します。
    前日の夜に、朝10時くらいには出発するために8時には起床しましょうとリョウさんを話をしていました。

    私は朝は強いのでこの日も目覚ましをかけずに7時前には起床しておりました。

    8時になるとリョウさんの目覚ましがけたたましく鳴り響き始めましたが、リョウさんは全く起きる気配がありません。

    昨日私が就寝した時間でもリョウさんはまだ荷造りをしていたので、眠いのだろうと思い少しの間、寝かせておくことにしました。

    私は朝食を食べ終えてあとは荷物をバイクに積むだけです。時刻は8時45分です。

    さすがにもう時間的にまずいだろうということで、ドミトリーの部屋の電気を点けるのですが、それでもリョウさんは全く微動だにしません。

    普通、電気が点いたりしたら少しは体を動かしたりするものだと思うのですが…。

    仕方なく呼びかけて軽く肩を叩くと、やっと反応して目を覚ましました。

    ここからなんだかんだと準備をしていくと気づけば10時半過ぎています。

    私のバイクもリョウさんのバイクもシェ山田の隣の家の玄関の中に置かせてもらったりしていたので、スイカを持って挨拶に行ったり、山田さんともお別れの挨拶と少し立ち話をしたりしたために、完全に出発できるようになったのは11時半近くになっていました。

    私と山田さんは朝ごはんを食べる時間が同じになることが多く、たくさんくだらない話をして、2人で腹を抱えて笑い転げることも多かったので、山田さんも私が出発することを大変残念がってくださいました。

    クリスマスから年末年始にかけて本当に楽しい時間を過ごさせていただいたシェ山田とのお別れは私にとっても寂しいものでありました。

    山田さんとリョウさんと三人で!
    山田さん!本当にお世話になりました!
    一緒にくだらない話をして腹を抱えて笑った毎日はダカールでの素敵な思い出です\(^_^)/

    いよいよダカールを離れてこの日は東に200km離れたカオラクという町を目指します。

    その前に私がマラリア対策の装備をあまり持っていなかったことがあり、リョウさんが以前バックパックを買ったというダカールの街はずれのアウトドアショップに寄ってもらうことにしました。

    ここで肌につけるDEET30%の効果の高い虫よけスプレーを購入できたことは大きかったです。

    しかし、買い物を終えた時点で12時半を過ぎています。

    この日はダカールの北東40kmくらいの場所にあるラックローズという真っ赤な色をした湖にも寄りたいと考えていました。

    リョウさんが「どうします?ラックローズには行きますか?」と聞いてきます。距離的にも近いので私は「行きましょう!」と言いました。

    途中事故渋滞などもあり、ダカールの中心部を抜けてラックローズに到着したのは14時半頃になっていました。

    明らかな観光地のような雰囲気で物売りもたくさんいます。

    リョウさんはラックローズの湖畔にいる男性に「こっちだこっちだ」と呼ばれるとそのままバイクでそちらの方に走って行きました。

    私はこういう場所では基本的に向こうから話しかけてくれる人は完全に無視するので、一人湖畔の草地に乗り上げてラックローズを見学します。

    そこまでラックローズの風景には期待していなかったのですが、実際に見ると大変綺麗な赤い湖です。

    ラックローズは期待していなかったからでしょうか?
    私はとても満足できる美しい湖でした
    放し飼いの牛もたくさんいました。
    だから、角が危ないって(>_<)

    私が写真などを撮っていると、やはりさきほど呼びかけていた男性は何かの客引きだったようで、リョウさんはこちらにやってきて私のテネレさんのとなりにリョウさんのNC700を停めました。

    当然私たちが湖を見ていればどこからともなくたくさんの物売りがやってきます。

    私は完全無視を決め込みます。

    リョウさんはその優しい性格が災いして、この物売りたちの話を聞いてしまうので、たくさんの物売りに囲まれてしまい大変なことになっています。

    リョウさん:「うわぁ、ちょっとコイツ等どうにかならないですか!?」

    こんな状況を以前にもゴレ島に行ったときに見たのを覚えております。

    私は優しさの欠片もない、性格の悪いクソ野郎なのでリョウさんを助けることもなく、自分一人脱出することを考えます。

    一人バイクを出そうとすると、私のバイクの荷台に肘をあてて頬杖をついている物売りのおばちゃんがいます。

    私:「もう行くからその手をどけてくれないか?」

    おばちゃん:「何言ってんの?ここはセネガルよ。そして私はセネガル人。あんたが勝手に人の国にやってきたんでしょ。私がここで何をしようが勝手なのよ。あなたが私に命令をする権利なんてないわ」

    このクソババアは馬鹿なのでしょうか?私が一切無視を決め込んで彼女たちに優しくしないことが気に食わないのでしょうけれども。

    ここがセネガルでこのクソババアがセネガル人だったとしてもこの土地はこのクソババアのものではありませんし、このクソババアが肘を付いているバイクは紛れもなく私のバイクです。

    あまりにもムカつくので、私はそのまま強引にバイクを走らせ始めました。

    しばらくするとリョウさんも物売りのクソババアどもを巻いて私のところにやってきました。

    リョウさんもやっと少し落ち着いて写真を撮ったりできました

    この日、いくら走行距離がそれほど長くないとは言ってもすでに14時半を過ぎていますし、物売りのババアどもも鬱陶しいので我々はこのまま出発することにしました。

    カオラクに向けて走行していると途中道路工事のために完全に道が封鎖されています。

    どうしたものかとバイクを停車してリョウさんと話し合っていると、近くで遊んでいた子供たちが不思議そうに私たちのところにやってきました。

    そしてさらには腰に拳銃をぶら下げたアーミーなのか警察官なのかわからない若い男性もやってきました。

    私はこの若い男性に英語は話せるか聞くのですが、英語はわからないと答えます。

    それでも英語以外の言語で意思疎通はもっと難しいと思い、私は強引に英語で話し続けます。

    私:「カオラクに行きたいんだが道路工事であっちの道が通れないみたいなんだよ。どうやって行けば良いかわからないか?」

    するとこの若い男性は「カオラク」という地名と英語で「工事(constraction)」という単語だけは理解できたようで、私の言いたいことを汲み取ってくれました。

    そして、指で方向を示して「あっちから行けるぞ」と教えてくれました。地図アプリを確認すると確かにその男が指さした方向に道があり、抜け道からカオラクに続くメイン道路に入って行けそうでした。

    私が「メルシー(ありがとう)」と伝えると、この男は少しお金を要求するような仕草を見せましたが、私はそれには気づかない振りをして笑顔で握手を求めると、この男も笑顔になって握手をして別れました。

    性格の悪い私は、せっかくこの男が道を教えてくれて笑顔で握手をしてくれたにも関わらず、この男の手が大変湿っていて、ぬちゃっとした感触が私の手に伝わったことに多少不快な気持ちになったのですが、それは表には出さないように努めました。

    この日は出発も遅くなり買い物にいったり事故渋滞に巻き込まれたり道路工事のために道が封鎖されていたりなどしたために目的地であるカオラクに着く前に日が沈んでしまいました。

    カオラク手前40km地点。
    ここで日が沈んでしまいました(;´д`)

    やはりアフリカでの夜間走行は大変危険です。

    というのも西アフリカ諸国の中で比較的発展しているセネガルでさえ半分くらいの車が全くの無灯火で走っているので、その存在に気付きにくいのです。

    ダカール出発の初日とは言え、反省の多い一日になったことには間違いありませんでした。

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  • 出発前夜

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    1月4日(土)東京出発210日目、セネガル15日目 ダカール

    私の体調もすっかり回復し、リョウさんと二人、明日、このシェ山田を出発します。

    本来ならばここダカールでコートジボワールビザを取得したかったのですが、それは見事に撃沈してしまったため、これ以上ここに滞在する理由もありません。

     

    夜になり荷造りを始めます。

    私はどうも億劫でなかなか着手する気になれません。

    リョウさんはせっせと荷造りを始めています。一方の私はyoutubeなど見始めてヘラヘラ笑っているだけです。

    しばらくして私も準備し始めないとなと思い、やっとのことで重い腰を上げました。

    すると今度はリョウさんが少し疲れたようでソファに腰かけ音楽を聴き始めました。

    そのタイミングでたまたま山田さんがやってきました。

     

    「アハハハハ!どういうこと?!ヒデさんはせっせと準備してるのに、リョウ君は何もやってないじゃん!明日はヒデさんだけ出発して、リョウ君はもう一泊することになるんじゃないの?!」と言って大爆笑していました。

     

    それを聞いて今度は私が大爆笑です。今まで何もやっていなかったのは私で、リョウさんはせっせと準備をしていたのです。

    小学校や中学校でよく見る光景です。他の人がふざけているときに真面目に掃除をしていたのに、たまたま自分がふざけたタイミングで先生に見つかって怒られるやつがいるように、リョウさんもたまたま休憩したタイミングで山田さんに見つかっていました。

    リョウさんは約一か月ここシェ山田に滞在していて、なかなかバイクの輸送業者が見つからずしばらくぐうたら過ごしていたようですので、山田さんには余計リョウさんは怠けているように見えたのでしょう。

     

    ただ実際のところ私は滞在中にそれほど荷物を広げていたわけではないので23時頃には荷造りも終了して、日付が変わるころには就寝することができました。

    一方のリョウさんは私が就寝する時間になってもまだ荷造りをしていたので、実際に本当に明日出発できるのか心配ではあります。

     

    さてさてどうなることやら

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  • さよならマサさん

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    1月3日(金)東京出発209日目、セネガル14日目 ダカール

    この日はついにマサさんの出発の日です。

    ちょうど一週間、マサさんと一緒にこのシェ山田で過ごして、本当に楽しくて仕方のない毎日でした。

    マサさんと一緒にこれからバイクで旅行できたらどれだけ楽しいのだろうかと思えて仕方ありませんでしたが、それは贅沢過ぎるというものです。

    私はこの日はまだ体調が復活しておらず、ほとんどベッドで過ごしていました。

    マサさんと過ごす最後の日なのですから、本当ならもっといろいろと話をしたりして一緒に過ごしたかったので本当に残念でなりません。

     

    午後3時半。

    遂にマサさんとお別れのときが来ました。

    リョウさんとマサさんと最後に一緒に記念撮影をします。

    こんな風に仲良く過ごしてくれて本当にありがとうございます。

    マサさん、本当に最後の最後まで楽しかったですよ。
    ありがとうございました\(^_^)/

    マサさんはこれからマリ、ブルキナファソを経由してトーゴに向かいます。

    今、マリとブルキナファソは大変情勢が悪いそうです。山田さんも大変心配されていました。

    生命力に満ち溢れるマサさんならいつでもエネルギッシュに前を向いて困難を乗り越えていくでしょうが、どうか、くれぐれも注意して無事この難所を乗り越えてくださることを心から願っています。

    マサさん、絶対に日本でまた会いましょうね!

    どうかご無事で!そして素敵な旅を続けてください!

    去り行く誇り高き旅人の後ろ姿
    どうかくれぐれもご無事に。そして素敵な旅を
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  • コートジボワールビザ申請へ

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    1月2日(木)東京出発208日目、セネガル13日目 ダカール

    前日の準備を経て、やっと年も明けたので、この日はリョウさんと一緒にコートジボワールビザ申請に行きます。

    だましだましやってきましたが、先日の体調不良から回復しきれず、この日も朝からだるくて仕方ありません。

    しかしあの寝込んだ日とは違って熱っぽさはないので、このままシェ山田にいる間にごまかしごまかしで自然と回復するだろうとタカを括っていました。

     

    コートジボワール大使館から数百メートル離れた写真屋で必要書類のコピーをしてもらい、コートジボワール大使館まで歩いて行きます。

     

    だるくて仕方ありません…。

    したがってリョウさんの歩くペースについていけないのです。

    今まで宿の人たちに悟られないようにしてきましたがついにこのとき、「すみません。体調が悪いのでゆっくり歩いてもらっても良いですか?」とリョウさんに言うことにしました。

    リョウさん:「えっ…。早く言ってくれれば良いのに…」

     

    なんとかコートジボワール大使館に到着して、さきほど写真屋でコピーをしてもらったビザの申請所に事前に必要事項を記入します。

    ちょうど我々が申請書への記入が終わったくらいに大使館の扉が開き、中から強面の軍服を着た男がこちらの様子を伺っていました。

    ビザの申請に来たことを伝えると、鞄類はすべてロッカーに入れるように言われ、まるで空港の搭乗手続きのように金属探知機のアーチの中をくぐらされます。

     

    ギニア大使館と違ってかなり厳重な警備です。

     

    大使館の中に入ると、入ってすぐのソファで待たされます。

    事務室からスーツを来た見るからにエリート風の男性に別の奥の事務室に行くように促されました。

     

    そちらの事務室の一番奥の机で年配の女性が作業をしていて、どうやらこの女性にビザの申請をお願いするようです。

    この女性の前に座ると、何やらフランス語で言われます。全くフランス語のわからない我々がキョトンとしていると、この女性はだんだん不機嫌そうになりながら同じことを繰り返し聞いてきます。

    すると近くにいた若い男性が通訳に入ってくれました。

    どうやらダカール在住か聞いているようでした。

    私:「いいえ。私たちはダカールには住んでいません。ただのツーリストです」

    通訳の男性:「ここではセネガル在住者にしかビザの発行はできないのです」

    私:「ちょっと待ってください。私たちはすでにオンラインで申請もして、お金も払っているんですよ」

    通訳の男性:「それでもダメです。このオンラインの申請はセネガル在住者か空路で入る人用のものです。陸路で渡る人にはビザの発行はできないのです」

    私:「そんなことはどこにも記載されていませんでしたよ。それならお金は返金してくれるのですか?」

    通訳の男性:「手続きはできません。返金できるかどうかはここではわからないので、ホームページから直接問い合わせをしてください」

    私:「うーん。どうにか陸路でツーリストがコートジボワールに入る方法はわかりませんか?」

    通訳の男性:「陸路で入国するには在日本のコートジボワール大使館でビザを取得するしかないと思います」

    私:「そんな。例えばギニアやマリにあるコートジボワール大使館で申請してもダメなのですか」

    通訳の男性:「それはわかりません。やってみてください」

     

    マ、マジか…。

     

    もうすでに手続きをしてくれるだろう女性はそっぽを向いていて、私たちの顔を見ると「もう終わり終わり。邪魔だから帰っておくれ」というように両手で私たちを追っ払う動きをしました。

    呆然と事務室をあとにし、入り口付近のソファを見るとアジア人のカップルがいました。

    私が「英語は喋れますか?」と聞くと男性の方が「大丈夫ですよ」と返事をしてくれました。

    私:「あなた方はセネガル在住者ですか?」

    男性:「そうですよ。3年近く住んでいます。」

    私:「…、そうですか…。」

    男性:「私たちは中国人です。あなた方は?」

    私:「日本人です」

     

    彼らはセネガル在住者なので、ここで問題なく手続きできるのでしょう。

    リョウさんが、セネガル在住だって嘘ついて後日申請できないか?と言いましたが、後程ネットで調べると在住者IDの提示を求められるのでそれも無理だということがわかりました。

     

    仕方なく、我々はそのまま大使館を後にし、シェ山田に戻ることにしました。

     

    その後リョウさんと話し合った結果、我々はこのままギニアを目指し、ギニアの首都コナクリでコートジボワールビザを申請しようということにしました。

    コナクリはコートジボワールを目指すためには遠回りになることと治安面もあまり良くなさそうなので本当は避けたいところなのですが、こればかりは仕方ありません。

    コナクリがダメなら予定には無かったシエラレオネに行き首都のフリータウンで挑戦すると言った風にとにかく周辺国でしらみつぶしにアタックするしかなさそうです。

     

    これが西アフリカのめんどうなところですね…。

     

    そして私はしばらく続いていた体調不良がまた悪化してしまったため、この日このままま再度寝込むことになったのでした。

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  • コートジボワールビザ準備

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    1月1日(水)東京出発207日目、セネガル12日目 ダカール

    新年開けて1月1日となりましたが、旅人にとっては特段何があるわけでもありません。

    むしろお店などが閉まっていて行動に制限がかけられてしまうのでつらいだけです。

    朝、宿の人たちに新年の挨拶をするのもなんとなく違和感がありますが、それ以外に新年らしいことは何一つありませんでした。

     

    私はというと、先日の体調不良から回復しきっていない段階でゴレ島やンゴール島に行き、無理して油の多い食事をしていたため、この日になっても体調は回復していませんでした。

     

    1月2日から大使館なども開くので、この日はコートジボワールビザ取得のための書類の準備と溜まっていたブログをカキカキしました。

     

    コートジボワールビザ申請に必要なものは以下です

    ・オンライン申請書(オンラインで事前に申請し、その手続きが完了したことを証明するページをコピーします)
    ・写真(3.5cm×4cm)1枚
    ・イエローカード
    ・パスポート
    ・イエローカードとパスポートのコピー
    ・オンライン振込証明書(58ユーロ)
    ・ホテル予約確認表(コートジボワール滞在時のホテルの予約が確認できるものを用意する必要があります。我々はbooking.comで各滞在先でトータル5日分のホテルを予約し、ビザ取得後にキャンセルすることにしました。)

     

    準備もほぼほぼ万全なのでこれで良しとは思っているのですが、ネットで調べたところに依ると、ダカールのコートジボワール大使館でコートジボワールビザ申請を断られた人もいるという情報も出てきたので多少心配はしておりました。

    でも、ダカールでそんなに難しくなくコートジボワールビザを取得している人が多いので大丈夫でしょう。

    さてさて実際どうなることやら…。こればかりは行ってみないことにはわかりませんね。

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  • 大晦日

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    12月31日(火)東京出発206日目、セネガル11日目 ダカール

    この日は前日に宿に訪れたタツヤさんという方と、いつも通りのメンバ、マサさん、リョウさんと一緒にダカールのリゾート地と呼ばれるンゴール島に行きました。

    山田さんから、このンゴール島は何をするでもなく一日ぼーっと過ごすだけでも最高に良い場所だと聞いていました。

    週6日ほどサーフィンをしている山田さんはほぼ毎日このンゴール島に行ってサーフィンを楽しんでいるということでしたので、この日はお昼にここで山田さんと合流することにしました。

     

    ンゴール島に行くボートは、乗船時間は2~3分程度なのですが、海にヒザ丈くらいまで使ってボートによじ登らないとなりません。

    靴の中に海水が入ってしまうので、私は乗船前にビーチサンダルを購入してそちらに履き替えて乗船しました。

    ンゴール島に行く船にはみんなライフジャケットを装着して乗り込みます
    タツヤさん\(^_^)/

    あっと言う間にンゴール島に到着し少し島内を歩きます。

    ンゴール島にはタイルアートをやっている外国人の方(何人かは不明です)が住んでいて、ところどころにタイルアートがあります。

    ンゴール島にはいたるところにこういった可愛らしいタイルアートがあります

    小さな島ですのでそれほど時間はかからず島内を見学できたので、ビーチに行って食事をします。ここで山田さんもサーフィンを終えたようで合流しました。本当はもう少しやっていたかったようなのですが、サーフボードが真っ二つに割れてしまったのでこの日はこのままにしたと言っていました。

    このとき私は数日前の食あたりからまだ回復しきっていないため、ほとんど食欲がありませんでした。

    セネガルの食事はボリューミーなものが多く、少しだけ食べるということができません。

    このときも周りの人たちに心配かけないようにポテトや肉がふんだんに挟まった大きなサンドイッチを注文し、ビールまで飲みました。

    それほど食欲があったわけではないのに、無理して飲み食いしました。
    これが良くなかった(>_<)

    食事を終えるとビーチでのんびりと過ごします。

    ロシアを出発してからポルトガルのロカ岬までほとんど観光らしい観光はせずに駆け抜けてきましたが、モロッコとここセネガルではノリコさんや山田さんのおかげでのんびりと穏やかに過ごすことができました。

    ビーチでのんびり\(^_^)/
    みんなで記念撮影
    山田さんはこの波に乗ってサーフィンをするそうです
    ンゴール島の夕暮れ
    音楽に合わせて歩き回るこの子が可愛い(ノ≧▽≦)ノ

    この日は大晦日です。宿までの帰路で山田さんがみんなでケーキでも食べようと提案してくれます。

    宿にいる宿泊客は全員男性ですので少し気持ち悪いですけど、温暖な気候(むしろ暑い)のここセネガルでは大晦日感も全くないので、みんなでそんなことをするのも楽しそうです。

     

    山田さんおすすめのケーキ屋で買い物をします。

    この日は大晦日ということもあったようで、大変な行列ができていました。

    みんなお行儀よく並んでいたので感心していましたが、「こんなところでケーキを買うような人たちはセネガルの富裕層だけだから」と山田さんが言っていました。

     

    宿に戻り夕飯を済ませると、みんなでケーキを食べます。

    大晦日にこのように気の許せる日本人と一緒に過ごせたことは大変ありがたいことでした。

    ケーキ
    まさかセネガルでケーキが食べられるとは!
    みんなでケーキ\(^_^)/

    年が明けて新年の休み(1月1日のみ)が終わればコートジボワールビザの申請に行き、ここダカールともお別れです。

    この先は日本人宿があるという情報も聞いたことがないのでしばらくはこんなにのんびりすることもないでしょう。

    こころ穏やかに2019年の最後を過ごせたのは紛れもなく、山田さん、リョウさん、マサさん、タツヤさんのおかげです。

    本当にありがとうございました。

     

     

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  • あっさり取れたギニアビザ

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    12月30日(月)東京出発205日目、セネガル10日目 ダカール

    朝起きるとモトコさんはこの日出発のようでした。

    モトコさんは年末年始を使っての短期の旅行者ということでしたが、年明けに最後このシェ山田に戻って来てから帰国されるということですので、もしかしたら我々が出発するギリギリにもう一度お会いすることができるかもしれません。

    とは言ってもここでお別れになる可能性もあるのでということで、私とリョウさんの記念撮影をしてくれました。

    寝起きとはいえ、二人とも頭ボサボサだし髭もじゃできたねえなぁ┐(‘~`;)┌
    そろそろ本気で髪切れよ

    さて、この日はギニアビザが出来上がっているくるということでギニア大使館に行きます。

    私が申請書に記載した内容が突っ込まれそうな気もしていたので、そこは口頭で説明すれば大丈夫かなと楽観的に考えてリョウさんと二人、大使館に出発しました。

     

    昨日ゴレ島で買ったアサラトを持って歩きながら練習します。

    ギニア大使館に到着すると前回訪問時と同じように鞄の中身をチェックされるのですが、なぜかアサラトは持ち込み禁止ということで、入り口に預けることになりました。

    中でシャカシャカカチカチ演奏されたら嫌だからかもしれませんね。

     

    事務所の中に入るとすでにビザはできていて何も質問されることなくそのまま渡してくれました。

    こんなにアッサリなんだと驚くくらいでした。

    しかも元々1か月シングルビザとして申請していたのですが、自動的に2か月のマルチにしてくれていました。

    しかし内容を確認してみると私の名前もパスポート番号も記載が間違っています。

    その場で指摘してすぐに直してもらいました。やはりこのようなことがあるので、その場で入念に確認するのは大切ですね。

     

    ギニアビザも無事に取れたので、年末休みを迎える前にこの日できることをやってしまいます。

    まずはシェ山田のすぐ近くにあるバイク屋に行きエンジンオイルの交換、エアクリーナーの掃除をしてもらいます。

    アフリカのバイク屋ということで多少心配ではあったのですが、建物の中にはBMW GSやHONDAトランザルプなどのアドベンチャーバイクも置いてあり、当然私のYAMAHAテネレさんも今まで触ったことがあるということでした。

    エンジンオイルの交換程度ですので大丈夫だとは思うのですが、それでも心配は拭えないので隣で作業をしっかり見ます。

    本当は自分でやるのが一番良いのですが、廃油の廃棄を考えるとどうしてもお願いすることになってしまいます。

     

    無事エンジンオイルの交換とエアクリーナーの掃除をしてもらったので一旦宿に戻ります。

     

    さて、まだこの日は時間がありそうでしたのでヨーロッパ入ったあたりからずっとしなければと思っていた散髪に行くことにしました。

    散髪前にリョウさんが写真を撮ってくれていました。
    アフターは撮っていません┐(‘~`;)┌

    マサさんもリョウさんもどんな風に切られるのか見たいということでついて来てくれました。

    最初に見つけた床屋で切れば良いと考えていたのですが、最初に見つけたのがちょっとおしゃれな美容院でした。

    ここで切っても面白くないだろうと思ったのですが、マサさんもリョウさんも「全然ここで切って良いよ」と言ってくれます。

    歩き回って探すのも面倒なのでこの美容院に入ることにしました。

    街の床屋ですと散髪代金は500~1000CFA(100~200円程度)ということですが、さすがお洒落な美容院です。カット代金5000CFA(約1000円)ということです。

    それでも日本円に換算したらそこまで高いってわけでもないのでここで切ってもらいました。

    しかし、セネガル人のほとんどが黒色人種であり、硬いパーマヘアであることを考えるとどこまでこの美容院に需要があるのか不明です。

     

    アシスタントの女性も2名いて、私が髪を切り終えると洗髪と頭皮マッサージまでしてくれます。

    これで1000円はむしろ安いのではないかと感じました。

    私の出来上がりを見て、リョウさんも切ってもらうことにしたようです。

    二人してさっぱりして、また旅の準備が一つ進みました(^^)/

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