• カテゴリー別アーカイブ 031_ギニア
  • コートジボワール入国

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    1月27日(月)東京出発232日目、ギニア19日目、コートジボワール1日目 ヌゼレコレ~マン 208km

    結局私たちはマイケルときちんとしたお別れをすることができずに出発することになりました。

    この日はコートジボワールへの国境越えが待っています。

    予想としてはだいぶ道路状況は悪いと思っていたのですが、この日も予想に反して道路自体はだいぶ整備されていました。ときおり通過する町中は未舗装路となっていたのですが、深いクラックがあるわけでもなく、そこまで難なく走ることができます。

    ヌゼレコレの町から70kmほど走るとギニアのカスタムがありました。

    カルネを見せるように言われたので鞄から取り出すと、出国の印が無いのでここを通すことはできないと言われます。

    ちょっと待ってくれよ!普通カルネの出国印はここで貰うものなんじゃないのか?!

    するとこのじいさんは、「今日はボスがここにいないんだ。今日ボスはロラという町にいるからそこまで戻ってもらって来い!」と言います。

    地図アプリで調べてみるとロラの町は40kmも手前にあります。我々が通過したときには何も言われませんでした。

    往復80kmの道をもう一度走るのは大変億劫なのでここで何とかしてくれないか?と言うのですが、このじいさんは「ダメだダメだ!戻った戻った!」と言ってどうにもしてくれません。

    仕方がないので我々は再度ロラの町まで戻ることにしました。

     

    ロラの町の出口辺りに確かに事務所のようなものがあったのでそちらに行ってカルネの出国印が欲しいと言うと、「ここじゃないぞ!ここから40kmくらい言ったところにカスタムがあるからそこで貰え」と言います。

    私が「おいおい、我々は今その40km先のカスタムに行ったらロラで貰って来い!って言われたんだ」と言うのですが、新たにもう一人ふてぶてしいやつがやって来て「ここじゃない!」と言います。

    めんどくせぇなぁ。こいつら。

    しかし、最初に話をした担当官が中で確認してくれて、やっぱり今日はここで印が貰えると言って中に通してくれました。

     

    印をもらって再び先ほどのカスタムまで戻ると、今度は先ほどのじいさんがニコニコ顔で「セボン(OK)」と言って道を通してくれました。

     

    その先にギニアのイミグレーションがあってパスポートに出国印をもらうのですが、ギニア人はほとんで英語が話せないので非常に疲れます。

    やっとのことでギニア出国の手続きをすると、国境を越えたすぐの所にコートジボワールの警察の建物がありました。

    ここがコートジボワールのイミグレーションになるのかと思い中に入って行くのですが、中にいた警察官が一旦我々を外に追い出そうとしました。かと思うとすぐに呼ばれて奥の偉そうに座っている男がいる部屋に通されました。

    我々がこの男の前に置いてある椅子に腰かけてもなかなか手続きをしようとしません。

    そして、「ここは警察の施設だ。イミグレーションは我々の仕事ではない。我々はこの目の前の道の道路工事のためにここにいるんだ」と言います。

    ならばなぜパスポートの提示を求める???

    「ここを通る人間がどんな人間なのかを監視する必要がある。」そう言うとのらりくらりとパスポートの情報を書き写しながら我々に質問してきます。

    「職業は何だ?日本の住所と電話番号を教えろ。コートジボワールに来た目的は何だ?今日はどこから来たんだ?今日はどこに行くんだ?」

    本当にのらりくらりと手続きをします。

    あまりにも手際が悪く、手続きが終わってもパスポートを返してくれないので賄賂の要求かと思うほどでした。

    すると、この偉そうな態度の男は我々のパスポートを持ったまま部屋を出ていき我々に着いて来るように言いました。

    そしてある部屋の前で待っているとパスポートを返してくれ、そこにはコートジボワールの入国印が押されていました。

    私が「あれ??ここはイミグレーションですか?」と聞くと「そうだ。イミグレーションだ」と言います。

    最初に自分たちはイミグレーションの仕事をするわけでは無いと言ったのは何だったんでしょうか?私の聞き間違えということは無いと思います。と言うのも最初この男が言っている意味が分からなかったので「ここはイミグレーションではないのですか?」と聞いたら「そうだ。イミグレーションでは無い」とはっきり答えたのです。

    本当に全く意味がわかりません。

    警察署の建物の入り口まで出ると、白衣を着た医師らしい人に来るように言われたのですが、先ほどの偉そうな警察官にその前にバイクの前に立つように言われました。

    何かと思ったらただの記念撮影でした。日本からバイクで来た我々が珍しかったようです。

    その後先ほどの医師らしき人に黄熱病の予防接種の証明書を見せると、無事コートジボワール入国となりました。

    手続き自体は大したことは無いのですが、なんだか非常に疲れる国境越えとなりました。

     

    国境での手続きが予想以上に時間がかかり、この日の目的地であったマンの町に到着したのは午後5時頃でした。

    宿に到着すると中は冷房が効いていました。

    そしてまだ夕方の時間帯にも関わらず電気も点きますし(ギニアは夜7時~朝6時の間しか電気は使えず更には頻繁に停電していました)お湯のシャワーも出ます!!

    しばらくギニアにいた私にとっては感動よりも違和感の方が強かったです。

    確かに快適です。快適ですし嬉しいです。でも…、でもなんか違うって思ってしまうのです…。

    たったほんの100kmほど手前の国境を越えただけで、あの人懐っこくて気のいいギニア人たちはあんなに不便な生活をしていると言うのに…。

    それがコートジボワールに入った私の最初の感想でした。

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  • 少年マイケル2

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    1月27日(月)東京出発232日目、ギニア19日目 ヌゼレコレ~マン 208km

    朝7時頃、部屋をノックする音が聞こえました。

    扉を開けるとそこにはマイケルが立っていました。

    こんな朝早くから元気な奴だなと思って遊んであげたかったのですが、この日は国境越えもあり、早めに準備を整えて出発したかったので、「ごめんな。出発の準備をしないといけないんだ。一時間後に行くからあっち行ってろ」と言いました。

    そういうとマイケルは悲しい顔をするのでした。可哀想なので、リョウさんに余裕があるならリョウさんに遊んでもらおうと思って

    私:「リョウさんのところには行ったのか?リョウさんはどうしてる?」と聞くと

    マイケル:「リョウはまだ寝てるよ。」

    と言いました。

    やっぱり昨日遅くなってリョウさんはまだ寝ているのか?準備は大丈夫かなと思いました。

    しかし準備をして施設の外に出ると、リョウさんはすでにバイクに荷積みをしていました。

    リョウさん:「昨日大変だったんですよ」

    そうですよね。マイケルはリョウさんにまかせっきりだったのでそりゃ大変でしたよねと思ったのですが、話を聞いてみると予想外の話でした。

    ※以下、リョウさんの話です。

    あのあとリョウさんもシャワーを浴びて寝たかったのでマイケルに帰るように言ったそうです。

    するとマイケルが「家に帰ってもみんな寝てるから誰も出ないよ」と言ったそうです。
    リョウさんは「一緒に謝ってあげるから一緒に帰ろう」といってマイケルが自分の家だと言っていたところに連れて行こうとしたところ、そこは僕の家じゃないと言い始めたそうです。じゃ、本当の家はどこ?と聞くと別のすぐ近くの家を指さしたのでそこにつれていきノックをしても誰も出てこなかったそうです。

    途方に暮れたリョウさんは宿泊施設のリビングに行き、管理人のフランス人二人に事情を説明したそうです。するとリョウさんがマイケルを連れて行った建物には人は住んでいないはずなのでそれはおかしいなぁと言ったそうです。

    そして、この二人がマイケルのことはどうにかするので、リョウさんは部屋に戻って良いと言われたのでマイケルのことは二人に任せて部屋に戻ったというのが事の顛末だそうです。

    マイケルとはどういった子供なのでしょうか?全くわかりません。

    私たちがバイクに荷積みをしている間、マイケルは私たちから見えるところで遊んでいたのですが私たちのところに来ることはありませんでした。

    しばらくしてマイケルは誰か大人のバイクの後ろに乗せられてそのままどこかに行ってしまうと、施設の管理人のフランス人女性が私たちのところに来てマイケルのことについて説明してくれました。

    彼女たちもマイケルのことについては全く知らなかったため、仕方なくこの施設の教会のシスターのところに連れて行ったそうです。しかしシスターもマイケルのことを全く知らなく、マイケルの家族のことについて聞いて確かめようとしたのですが、はっきりした答えを得ることができなかったそうです。マイケルはおばさんと一緒に住んでいると言っていたのに、そのおばさんは今はコートジボワールにいると言ったそうで、全く要領を得なかったそうです。

    仕方なくマイケルのことはシスターに任せることにしたので、結局はここの管理人のお二人もマイケルのことは何もわからず終いだそうです。

    私たちの前に現れた聡明で無邪気なマイケルと言う少年はいったい何者だったのでしょうか?

    そして私は一つの後悔をしていました。

    この日、朝に私の前に現れたマイケルに私は「1時間後に(マイケルのところに)行くから」という意味で「I will go one hour later」と言いました。しかしこれは間違った英語だったのではないでしょうか?

    この場合の「go」は「leave」つまり「出発するからあっち行け」とマイケルに伝わってしまったのではないでしょうか?この場合は「come」を使うのが正しかったのではないでしょうか?

    中途半端な英語が彼を傷つける結果になってしまったのではないかと…。

    だからバイクに荷積みをしている私たちを見てもマイケルはもう私たちのところに来ることはなかったのではないかと…。

    夕食に大きなハンバーガーを食べるマイケル。
    君は一体どこの誰だったんだい??
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  • 少年マイケル

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    1月26日(日)東京出発231日目、ギニア18日目 ヌゼレコレ

    私たちのコートジボワールビザの有効開始日が1月27日だったため、この日は調整のため一日ヌゼレコレに滞在となります。

    昨日はここミッションカトリックという宿泊施設の部屋がいっぱいだったため、我々は敷地内でテント泊をさせていただくことにしました。

    明け方頃はギニア特有の気候で大変冷え込むのですが、日が昇ると一気に気温が上昇します。

    テントの中にいると暑くて仕方ありません。

    私は日が昇るとすぐにテントを片付け始めてこの宿泊施設のリビングに移動しました。

    昨日一緒に遊んだパトリス、ソーリ、セシルのうち、ソーリだけがリビングで何やら一人遊びをしていました。

    恐らくこの三人はある程度裕福な家庭の子供たちなのでしょう。アフリカの子供たちはだいたいが茶色く変色した同じ洋服を毎日身に纏っていますが、ソーリは昨日とは違うこの日もきちんと洗濯された清潔な洋服を着ていました。

    のちほど、セシルもやって来て、二人で中庭で遊んでいました

    私がリビングで溜まっていたブログを書こうとPCを取り出すと、昨日は見なかった子供たちが数人私のところにやってきました。

    こうなるとブログを書いている場合ではありません。

    仕方なく私はPCをしまい、子供たちの相手をします。

    この数人の中の一人の男の子がギニアでは大変珍しく、とても流暢な英語を話しました(こんな風に英語を話せるのは大人でもほとんどいないと思います)。

    彼は自分のことをマイケルと名乗りました。ギニアっぽくない名前なので多少は気にはなったのですが、外国人の名前はよくわからないのでそれほど気に留めることもありませんでした。

    マイケル
    非常に聡明で賢い男の子でした

    マイケルは大変賢く、聡明な男の子でした。

    年齢は12歳で将来は科学者になりたいそうです。学校の勉強でも理科と算数が好きだと言っていました。

    周りの大人たちが話す内容を聞いて喋っているだけなのかもしれませんが、ギニアの社会構造の問題や大統領の政策についての批判など、この年齢の子供とは思えない話をするのです。

    大変流暢な英語を話すので外国に住んでいたことがあるのか?と聞くと、外国には行ったこともないけれど近いうちにアメリカに行くんだと言っていました。

    今年の2月20日からアメリカのワシントンDCに行くと言っていました。

    マイケルが流暢な英語を話せるのでこちらもいろいろと質問するのですが、後々考えてみると少しアレって思うようなこともありました。

    彼の回答の仕方がいつも曖昧なのです。私が質問をしたことに対してそのままズバリの返答をするのではなく、まるで日本人のような言い回しで、どこかはっきりしないのです。

    日本人である私にはそこまでの違和感はなかったのですが、恐らく外国人が彼と話をした場合には違和感を感じるのではないでしょうか?

    しばらくマイケルと会話をした後、今度はリビングに置いてあったチェスをしようと言い始めました。

    私はチェスのルールが分からないと答えると、他の子とやってみせるから見ててねと言います。

    二人がやっているのを見て何となくのルールはわかってきたのですが、マイケルは敢えて負けるようなコマの動かし方をします。

    早く私と対戦したいからワザと負けて早く終わらせようとしているのかとも思いました。

    しかし私と対戦したときも同じようにワザと負けるようなコマの動かし方をするのです。もし、彼はゲストである私を接待するためにワザと負けたのなら驚くべき12歳です。

    そんなこんなしているとそろそろお昼の時間になったので、リョウさんにランチに行きましょうか?と声を掛けました。

    するとマイケルも一緒に来ると言います。

    私たちが立ち上がってリビングを出ていこうとしたときに、この施設を現在管理しているフランス人の男性がマイケルに向かって「あれ?君の名前は何て言うんだい?」と聞いていました。マイケルが自分の名前を答えると「マイケル?!君はギニア人だろ?ギニアの名前は何て言うんだい?」と聞きました。
    私はマイケルが答えたギニアの名前を聞き取ることはできませんでしたが、私はてっきりここにこんな風にいるマイケルのことは施設の人も知っているものだと思って少し訝しく思いました。

    リビングを出ると、リビングで遊んでいた他の子供たちもみんな私たちについてきます。

    何人いるのだろうか?みんなついて来るの?

    多分お金は足りるとは思うのですが、これだけの人数の子供をつれていくのは大変だし、どこかではぐれてしまっても顔も名前もわからない子もいるのでちょっと不安だなぁと思いました。

    しかし、実際は我々が施設の敷地の外に出ていくとわかるとマイケル以外の子供たちはそれ以上はついてきませんでした。

    食堂に向かう途中、歩いているとマイケルが手を繋いできます。子供とは言え、12歳の男の子と手を繋ぐのは日本人である私にとってはだいぶ違和感があり、正直さすがに少し気持ち悪いと思ってしまいました(もっと小さな子供であればそんなことはないんですけどね…)。

    食堂に着いて注文をします。

    マイケルはフランス語も当然話せるので料理を注文するときも大変助かります。

    私とマイケルは同じ料理を注文し、リョウさんだけ違うものを注文しました。

    私とマイケルの料理が先に運ばれてくるとリョウさんが「先に食べてください」と日本語で言いました。

    なので私がナイフとフォークを取ってマイケルに渡そうとすると、「ダメだよ。リョウの料理がまだ来ていない。僕は待つよ」と言います。

    マイケルは本当に12歳とは思えないしっかりものです。

    私は先日捻った左足首がまだ良くなっていなかったので、食事を終えると薬局に包帯と痛み止めの薬を買いに行くことにしました。

    マイケルまで私につきあわせるのも申し訳なかったことと、リョウさんとマイケルが仲良くなるチャンスかなと思ったので、二人には先に戻ってもらうように言いました。

    しかし英語が苦手なリョウさんは「通訳としてヒデさんに一緒にいてもらったほうが良いので一緒に行きます」と言って結局私について来てくれることになりました。

    結果、薬局でもマイケルがフランス語の通訳を買って出てくれたおかげでスムーズに買い物することができたので大変助かったのですが…。

    宿泊施設に戻ると子供たちの相手はリョウさんに任せて私はブログを書き始めました。

    リョウさんには大変申し訳なかったのですが、私の足首の痛みがまだ全然残っていたため、子供たちと遊んで更に痛めてしまうことを避けたかったのです。

    リョウさんも疲れていて休みたかっただろうに大変申し訳なかったです。

    そんな風にしていると、いつも子供に大人気のリョウさんはここでも子供たちに好かれます。
    マイケルも例外ではなく、だいぶリョウさんになついているようでした。

     

    夕方になりマイケルがリョウさんに「テントの張り方を教えてよ」と言ったようです。リョウさんは私のところに来て「マイケルがテントの張り方を知りたいらしいんですよ。俺はすでにテントしまっちゃったからヒデさんお願いしますよ」と言ってきました。

    私は正直面倒くさかったことと、マイケルはリョウさんにお願いしたかったような様子が伺えたので「私は面倒なので嫌ですよ。リョウさんやってあげてください」と答えました。

    リョウさんも面倒だったようですが、そこは心根の優しいリョウさん。マイケルのためにテントの立て方を教えてあげたようです。

    リョウさんはマイケルのためにテントを建ててあげたようです

    そして更にしばらくするとまたマイケルが私のところにやってきて「ヘルメット貸して」と言ってきます。

    私:「構わないけど何に使うんだ?」

    マイケル:「リョウと二人でバイクに乗るんだ」

    私:「おいおい。気を付けるんだぞ」

    マイケル:「大丈夫。わかってるよ」

    そういうと私のヘルメットを持ってマイケルはリョウさんの所に行きました。

    リョウさんの運転するNC700の後部座席に乗って敷地内を走るマイケルは本当に楽しそうでした。

    バイクに跨がり嬉しそうなマイケル
    後ろに載ってるのはパトリス

    日も沈みリョウさんと一緒にまた夕飯を食べに行こうとすると、当然のようにマイケルもついてきます。

    午後の時間でリョウさんとマイケルはだいぶ仲良くなったようで、特にマイケルはリョウさんに大変なついていました。

    するとリョウさんが言いました。

    リョウさん:「こいつと仲良くなったけど、英語がわからないからこいつの言っていることがわからないんだよなぁ」

    それを聞いてマイケルが私に聞いてきます。

    マイケル:「ねぇ。リョウは何て言っているの?」

    私:「彼はあまり英語が得意じゃないんだ。だから君が言っていることを理解するのが難しいって」

    マイケル:「そんなのわかってるよ。だから僕の言いたいことはヒデに説明してるんじゃないか」

    そんなやりとりを傍目で見ていたリョウさんはさらに悲しい顔をしていました。でも、マイケルは最後にこう付け足しました。

    マイケル:「言葉は通じないかもしれない。でも、リョウは僕に僕の知らなかった新しい世界をたくさん見せてくれたよ」

    それを通訳してリョウさんに伝えると、リョウさんは嬉しそうな顔をするのでした。

    言葉なんて道具の一つにしか過ぎないじゃないですか。リョウさんだってマイケル以外の、英語を話せない子供たちとも普段普通に遊んでるじゃないですか。なぜ英語だけは理解できないといけないって思うんですか?

    日本人には英語コンプレックスが根強くありますけど、私はここまで旅をしてきて、海外では予想以上に英語を話せる人は少なかったです。それでも私は全く言葉の通じない人たちとコミュニケーションをとってやってきましたよ。全く英語を話せない子供たちと一緒に遊んできましたよ。リョウさんだって同じはずです。

    マイケルの言った「リョウは僕に僕の知らなかった新しい世界をたくさん見せてくれたよ」という言葉。言葉を交わすよりも二人にとってはずっとずっと大切なことだったんじゃないですか?もちろん仲良くなった子とうまく言葉での会話ができないことはもどかしいのかもしれませんが、私はリョウさんがマイケルにしてあげたことを誇りに思い、大切にしてほしいと思います。

    二日間通い詰めた食堂で食事を済ませると、マイケルがお店の人と一緒に写真を撮りなよと言って写真を撮ってくれました。せっかくだからマイケルも一緒に入った写真も撮りました。

    食堂の人と一緒に
    これは友だちの証のポーズらしいけど、本当??
    適当に変な格好させられてるんじゃないの?!
    マイケルも一緒にみんなで

    明日は私たちはこの地を離れてコートジボワールに向かいます。

    マイケルが帰り道に「ねぇ、僕のお父さんとお母さんはガーナに住んでるんだ。ヒデとリョウのことを話したら近いうちに僕もガーナに行って良いって言われたからガーナでも会おうよ。僕は今おばさんと住んでいて、明日の朝、おばさんからヒデにガーナのお父さんの連絡先を教えてもらうようにするからさ」と言いました。

    ガーナのアクラではアンゴラビザの取得が必要で、なかなか面倒な手続きが必要です。我々のビザの期間を考えると本当にアンゴラビザがその期間で取得できるかも不明なため、ガーナ在住者と知り合えるのは大変ありがたいです。さらにはマイケルのお父さんはガーナで船会社を営んでいるということでした。

    我々はナイジェリア入国がほぼ絶望的なので、ベナンから船でガボンへバイクを輸送しようと考えています。もしかしたらマイケルのお父さんからベナンの船会社を紹介してもらえるのではないかと淡い期待も抱きました。

    夕食の時間が少し遅かったため宿泊施設に戻ったのは21時頃でした。

    マイケルを夜遅くまで連れまわしてしまったので家まで送ると言ったのですが、マイケルは「まだ僕はリョウと一緒にいるよ」と言いました。

    それを通訳するとリョウさんは「えぇー!お前もう帰れよ。俺はもう寝るんだから」と言うのですが、そこは優しいリョウさん。なんだかんだで部屋にマイケルを入れてあげていました。

    私はというと、明日の朝、リョウさんは果たして寝坊しないできちんと起きてくるのか心配しつつゆっくりと一人部屋で眠りに就くのでした。

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  • ギニアのオアシス

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    1月25日(土)東京出発230日目、ギニア17日目 マセンタ~ヌゼレコレ 走行距離140km

    この日は長かったギニア最後の町ヌゼレコレを目指します。

    朝、7時半頃部屋の扉をノックする音が聞こえます。最初はその小さな音から風かな?と思ったのですが、また何度もノックする音が聞こえました。
    ずいぶんと控えめなノックだったのでリョウさんでは無いだろうと思い、宿の人かと思って扉を開け扉の前の目隠しの布をめくってみても、誰の姿も見えません。

    あれ?と思っていると、下の方からキャハハハハという笑い声が聞こえました。

    するとそこには昨日に一緒に遊んだ美人の女の子姉妹が立っていて、私の顔を見るなり部屋に入って来て遊びはじめました。

    昨日遊んだ美人姉妹じゃねぇか(^_^)

    私としては荷物をまとめて出発の準備をするだけなので自由に遊ばせておきます。

    私が荷物の整理をしているのを見ると、モノを取ってくれたり手伝ってくれるので全然邪魔になったりはしませんでした。

    私がバイクに荷物を積み終える頃には、この子たちもお母さんに呼ばれたようで、サヨナラを言えずにお別れとなりました。

    さて、この日は事前情報によるとヌゼレコレまでの約130kmはほとんどオール未舗装路とあります。リョウさんには、「今日はある程度覚悟した方が良さそうですね。頑張って行きましょう」と言って、いつもより朝早い8時半頃に宿を出発しました。

    ギニアは日中は35℃以上の大変暑い日が続いているのですが、朝晩は冷え込み、夜中(特に明け方頃)に寒さで目を覚ますことがあるくらいです。

    8時半に出発するとまだまだ気温は低く寒いくらいです。

    しかしいざ出発してみると、事前情報とは違い大変綺麗に舗装された道が続いています。

    いつもよりも早く出発してしまい、さらにここまで道が綺麗だと予定よりもだいぶ早い時間にヌゼレコレに着いてしまい、宿にチェックインできないかもしれないと思い、どこかで屋台飯でも食べないかとリョウさんに提案しました。

    リョウさんも同じことを考えていたようで、次の集落の外れにあった屋台の前でバイクを停めて何か食べられないか?と聞いてみると、大丈夫だと言って幾つかの調理済みの料理を見せてくれました。

    アフリカ料理は衛生面はさておき、味はなかなか美味しいものが多いです。しかしこの屋台の料理は見た目からしてあまり美味しそうに見えなかったので、我々はここでは食事はせずにそのままヌゼレコレの町を目指すことにしました。

    ヌゼレコレの町は予想以上に大きな町でした。

    目星を付けていた宿は「ミッションカトリック」という名前のキリスト教の施設でした。

    宿に着いたのですが、誰の姿も見当たりませんでした。

    私が大きな声でリビングと思われる場所に向かって「すみませーん」と叫んでいると、外から一人の白人の大変綺麗な女の人が現れました。

    私が「英語でも大丈夫ですか?」と聞くと、その方は素敵な笑顔で「ええ、大丈夫ですよ」と答えてくれました。

    この施設自体はやはりキリスト教の施設のようで、大きな敷地内に教会もあります。ここにはこのフランス人の女性ともう一人、フランス人の男性(この二人が夫婦なのかどうかは不明でした)が管理しているようでしたが、この二人もつい4か月前にここに来て、その前はベルギー人のカップルがここを管理していたと言っていました。

    我々はコートジボワール入国までの時間調整のため、この宿に2泊したいことを伝えたのですが、残念なことにこの日はギニアで一番大きなキリスト教のミーティングが行われるため、部屋は一杯だということで、他の宿を紹介してくれました。

    しかしこの猛暑と交通量の多い町中の移動が億劫だったため、中庭でテントを張らせてくれないか?と聞くと「それでよければ歓迎します」と迎え入れてくれました。

    しかもこの二人は大変優しく、我々に中のシャワーやコーヒーや飲料水は自由に使って良いと言ってくれました。

    シャワーは水しか出なかったのですが、ここ数日の宿はシャワーすらなかったので、水シャワーであっても大変ありがたかったです。

    ギニアは日中大変気温が上がりますが、湿度が低いため、建物の中に入ると大変涼しいです。

    さっそく水シャワーをお借りし、リビングで休んでいると、管理人の白人男性がコーヒーを淹れてくれました。

    ギニアの宿泊施設はお世辞にも良いと言えるような場所は少なく、連日埃だらけの悪路を走ってシャワーも浴びられなかったことを考えると、この場所はオアシスのように感じました。

    生活水準のあまり高くないギニアで、この場所はまるでオアシスのようでした

    私がリビングでくつろいでいると、三人組の子供たちがやってきました。

    一番体の大きい(恐らく6~7歳)のパトリス。その弟と思われるソーリ。一番小さい女の子のセシルの三人が私の周りをうろちょろ走り回ってときどき私に何やら話かけてきます。

    セシル(小)、ソーリ(中)、パトリス(大)

    パトリスが私のヒザに手を置いて何か訴えるように「アングレ、アングレ」と言っています。

    恐らくフランス語で「ハングリー(お腹減った)」と言っているのでしょう。私は鞄からビスケットを取り出してパトリスに見せると「そうだそうだ」と言ったように頷きました。

    セシルがやって来て今度は私のヒザの上に勝手に座ります。

    おいおい、セシル。勝手に人の膝にすわりやがって┐(‘~`;)┌

    こいつらこうやってお菓子をもらったりヒザの上に座ったり全く持っていい身分です。

    パトリスもお菓子を食べてご機嫌ですね\(^_^)/

    私は昨日に痛めた足がどうにも良くなく、あまり動きたくなかったのでそのままリビングでしばらくゆっくりしていました。

    ふと見ると走り回っているセシルのズボンが股下から酷く濡れています。恐らくお漏らしをしたのでしょう。

    いやいや、私のヒザの上でされなくて良かったですよ。本当に(*´Д`)

    夕方になり、中庭にテントを張ったのち、夕飯を食べに外に出かけました。

    我々は幸いなことにコナクリの長期滞在時には安くて環境の良い宿に泊まることができたのですが、それ以外の場所ではギニアにはゆっくり休めるような宿はほとんどありません。

    テント泊で水シャワーであっても、久しぶりに環境の良い場所に宿泊できたことに私は安堵しました。

    もう一泊ここに滞在したら、ギニアともお別れです。

    お世辞にも環境が良かったとは言えませんが、人懐っこい優しい人たちの多いギニアを離れることに一抹の寂しさを感じつつこの日は安心の中で眠りに落ちていくのでした。

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  • マセンタの子供たち

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    1月24日(金)東京出発229日目、ギニア16日目 キシドゥグ~マセンタ 走行距離170km

    前日、二人で腹を割って話をして私はこれからきっと二人で前を向いて進んで行けることを期待しいていまいた。

    しかし実際のところは私が一方的に思いをぶつけただけで、リョウさんは言いたいことを我慢したのではないかという懸念も無いわけではありませんでした。

    二人の関係において、一人になることに恐怖を感じているリョウさんのことを考えると、どうしても私が優位に立ってしまうのは必然であるわけでして…。

    この日はここキシドゥグからマセンタという町を目指します。

    マセンタに続く道についても当初は二人の意見が分かれていました。

    キシドゥグからマセンタには最短で130kmのショートカットの道があるのですが、そちらのルートはgoogleマップでは表示されないようです。一方でゲケドゥという町を経由していく道がありそちらの方が一般的なようです。しかしそちらのルートを経由すると170kmほどの距離になり、さらにこちらのルートでも40kmほどは道路の状態は非常に悪いという情報があります。

    私は結局道が悪いのであればショートカットの道で行けば良いと思ったのですが、リョウさんはやはり一般的なゲケドゥ経由ルートに行きたいということでした。

    私は「ならば別々に行ってみましょうか?」という提案を一度してみたこともあったのですが、リョウさんは「さすがに怖いから一緒に行きましょうよ」と言っていました。

    実際、私はこの道に対してはそれほど強いこだわりがあったわけではなかったので、前日の夕方に宿の方にどうなのか聞いてみました。

    すると「ここからゲケドゥに行く道もゲケドゥからマセンタに行く道もまっすぐで綺麗だ!そっちから行くと良い」と言っていました。

    それを聞いて私は「地元の人が言うのならばゲケドゥ経由で行きましょう!」と言いました。私自身全くそれで構わなかったのです。しかしリョウさんは「え…、本当に良いんですか?」と申し訳なさそうにしていたことが私にとっては反対に申し訳なく感じてしましました。

    次の日の朝食時にリョウさんがこの日のルートについて何やら言い始めます。

    「google航空写真で見るとゲケドゥの手前から未舗装路になるみたいなんですよねぇ。いやだなぁ」なんてゴニョゴニョ言っています。

    私はそれを聞いて無性に腹立たしくなりました。我々はどちらの道を通るにせよマセンタに行くしか進む道はないわけですし、我々は結果としてもともとリョウさんが行きたいという方の道を選択したわけです。

    それなのにこの期に及んでまだそんなことを言っていることが私は腹立たしかったのです。ここまで来て何事においても覚悟がないリョウさんの優柔不断な態度にいつも腹を立てていました。もう行くしかないのだから腹を括って欲しいのです。

    そのあとも「ギニア-コートジボワールの国境を超える前は誰々のブログを熟読してから行かないと」など言っているのを聞いていて、心の狭い私はついに私のイライラとは違う部分で嫌味を言ってしまいました。

    「誰かのブログを読んで人の行ったところをなぞるだけってつまらなくないですか?そんなことやるなら別に自分で行かなくていいんじゃないですか?家で誰かのブログを読んでれば十分ですよね」

    私だって情報を集めるために他の人のブログを読むことは幾らでもあります。バイクは自由な乗り物のように見えて時間面や安全面を考慮すると実際は走れる道は限られるので、多くのライダーは同じような道を走るのは必然です。それを考えれば見当違いな指摘であるのですが、私は私自身でこのときの苛立ちの原因がどこにあったのかわかっていなかったのでそのようなことを言ってしまいました。

    ここでお互いに少し口論になったのですが、お互いに引きずるようなこともなく、すぐに出発の準備をするといつも通り走り始めました。

    走り始めると、宿の人が言っていたように最初のうちは非常に綺麗に舗装された道だったのですが、ゲケドゥの町に入る手前から激しく損傷して穴ぼこだらけの道になりました。

    途中工事のために片側の通行が停められていました。並んでいていざ出発すると今度は対向車がたくさん停められていて、私はそちらの車の列に気を取られていて前をちゃんと見ていませんでした。

    すると目の前が少し深めのサンドだったようで、バランスを取る間もなくスリップして転倒してしまいました。

    不意のことだったので大変驚きました。

    転倒した際に左足首を捻ったのですが、このときは痛みを感じなかったため大丈夫だろうと思っていました。

    ここからも酷い道路状況です。ここまで荒れた道路は久しぶりというか、もしかしたら今までで一番悪い道だったかもしれません。単純な未舗装路ならば良いのですが、舗装路が壊れた道はガタガタとバイクに激しい振動が伝わりバイクにダメージが加わってしまいます。少しでもダメージが加わらないように慎重に走らないとならないため、大変疲れます。

    あまりの道路状況の悪さにこれはマセンタまでこのままなのではないかと思っていたのですが、幸いなことに事前の情報通り40kmほどで綺麗な舗装路に変わり、無事にマセンタの街まで到着することができました。

    マセンタの町で警察に停められ、目の前の警察署に呼ばれました。
    何か面倒なことでも起きるのかと思ったのですが、パスポートの情報やこの日に泊る宿がどこなのかをいつもより細かく聞かれ、ノートに記載されただけで終わりました。

    ちょっと高圧的な雰囲気もあったのですが手続きが終わると、「宿の場所はわかりますか?わからないようなら誰かにエスコートさせますよ」なんて言ってくれました。

    「自分たちで行けますよ」と言って我々は出発したのですが、目星を付けていた宿であろう場所に着いてそこにいた人に聞いてみると調べていた名前の宿とは違う名前を口にし、ここには泊まれないと言われてしまいました。

    そうなると場所がわからないので、我々は仕方なく警察署に戻り場所がわからないと伝えると、いろいろと聞き取りの担当をしてくれたカッチリとした制服を着た、位の高そうな警察官がバイクで宿まで案内してくれました。

    するとやはりさきほど我々が訪れた場所が、我々が目星を付けていた宿だったようです。

    どういうことなのでしょうか?

    警察の方はここに泊れるというので、我々が建物を指さして宿の人にここに泊れるのか?と聞くと「ここには泊まれない」と言います。

    うん…?どういうことなのでしょうか?

    我々が戸惑っていると宿の人は面倒くさそうに隣の建物を指さしました。「泊まれない」というのはこの目の前の建物の話だったようです。それでさっきは私たちを追い返したのですか??全くもって意味がわかりません。

    宿泊できる建物に案内してもらい、荷物を部屋に運んだ後、バイクの整備をしようと表に出ると、5、6人の子供たちが笑いながら私の方にやってきました。

    最初この子たちとふざけたりして、バイクに跨らせたりしていたのですが、子供たちもなれてくると遠慮なしになってきて収拾がつかなくなってきました。

    一端バイクに跨がらせたら、そのあとは一切の遠慮が無くなり大変でした(>_<)

    私はこのときになり、昼間に転倒して捻った左足首が痛く歩くのも億劫になってきました。どうやら夕方になり患部が腫れてきて痛みが強くなってきたようです。

    これは私一人ではイカンと思い、リョウさんの部屋をノックし、リョウさんにも子供たちと一緒に遊んでもらえるようにお願いしました。

    みんな元気で収拾がつかない(;´д`)

    リョウさんの人柄の良さは子供たちからの評判も良く、大変ありがたいです。

    みんなお目々キラキラです
    美人ぞろいの女の子たち

    日もとっぷりと沈むと子供たちのお母さんと思われる方が迎えに来て、我々はやっと子供たちから解放されました。

    しかし、私の左足の痛みは強くなる一方です。

    しばらくは痛みがほとんどなかったことと歩けていたことからはそこまでは重症ではないと思われますが、一抹の不安を残し、このまま次の日に備えることにしました。

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  • 旅のスタンス

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    1月23日(木)東京出発228日目、ギニア15日目 ファラナ~キシドゥグ 走行距離145km

    ※本日のブログは私の一方的な立場からの話になります。リョウさんはリョウさんで別の考えを持っているけれども、私がそれを汲み取り切れずにいる可能性があるということを認識したうえでお読みください。

    朝食の時間、リョウさんと話をします。まず私がリョウさんに対して思っていることを言いました。

    一つ目は私はもう少し朝早く出発したいことと、毎日何時に出発しようと決めていても必ずそれより遅い時間になってしまうことにストレスを感じているということ。
    そしてもう一つは、多少道が悪いからと言って行きたいところや気になるところに行くことを断念してしまうと旅の幅を狭めてしまうので、リョウさんが極度に未舗装路を嫌がることにストレスを感じていること。

    この二点を伝えました。

    すると、一つ目の朝の時間については頑張れば何とかなるので大きな問題ではないということでした。

    しかし二つ目の未舗装路については考え方が違うというリョウさんの意見を言ってくれました。

    リョウさんとしては別にバイクを使った観光旅行をしているのだけなのだから不用意なリスクを取る必要性を感じていないこと。リスクを取ってわざわざ険しい道を走らなくても、できるだけリスクのない道を走ったところでそれはそれでそこにある楽しい旅行ができるという考えでいるということでした。

    バイクを使った観光旅行というのは私も同じです。私だってリョウさんが考えるような冒険旅行をするだけのスキルも度胸もありません。
    私は単に道がちょっとばかり良くないからと言って旅の選択肢を狭めてしまうことをしたくないというだけなのです。

    ただ、私とリョウさんとの間にリスクに対する考え方(認識)の違いがあるようです。

    私は人が作って地図にも乗っているような道であれば二人でいる以上、そこを走行することにそこまで大きなリスクはないと考えています。もちろん予想以上に大変な道もあることは確かなのでそこは地元の人たちに確認する必要はあるとは思っていますが。

    しかし、リョウさんはバイクを転倒させてしまってバイクが壊れてしまったらそこで旅が終わってしまうと言います。

    私は、私たちのスキルではダートを高速走行することはできないので、転倒したところで走行不能なほどのダメージをバイクに与えることは滅多にないと考えています。転倒したら二人で起こせば良いですし、それが難しい場合には通りかかった人に助けを求めれば良いと考えています。またバイクに多少の損傷を負ったところ(それは大変なことには間違いありませんが)で次の町で修理すればそれで良いと思っています。なのでそれはリカバリ可能なリスクだと認識しています。

    一方で私は夜間の走行こそリカバリが難しいリスクを孕んでいると考えています。

    夜間で地面が見えない状態での走行はそれこそ危険な倒し方をしてしまう恐れがありますし、転倒時に足場の状態も分らなければより大きな怪我をしやすいです。二人で起こせないような倒し方をした場合に救援を求めるとしても夜間になると難易度が上がると思うのです。また治安の悪化も懸念材料になります。なので朝は前日に決めた時間にきちんと出発できるようにしようと主張しているのです。

    クンダラからボケに向かう道で、寝床の確保が難しいと思ったときにリョウさんはあの場所なら道端でテントを張れば良いと考えていたと後に言っていましたが、私はそうではありませんでした。人目に付きやすい場所での道端キャンプは強盗被害の危険が高まります。では、人目を避けるために茂みの中に行くとします。ギニアには猛毒を持つ毒蛇も生息しているそうで、それらの毒蛇に噛まれたときに近くに病院があるかも不明でさらには病院があったとしても血清があるとも限りません(実際にギニアでは毒蛇により四肢の切断や死亡事故のリスクは身近に存在しているようです)。それを考えるとあのときの状況は簡単に考えて良い場面では無かったと思っています。

    これらの被害は確率的には低いかもしれませんが(どれくらいのものなのかはわかりません)、被害に遭ったときのリカバリが難しいという点で、私はできうる限り避けるべきだと考えています。

    一方のリョウさんはそのあたりのリスクヘッジを考えていない(なぜ私がもっと朝早く出ようと言っているのか理解していない)ように思えて、それも私の苛立ちの一つになっていました。

    またリョウさんは南アフリカに行くということが大きな目的のように私には聞こえました。一方の私はその行程が満足のいくものでなければこんなことをやっている意味がないと考えています。

    例えばモンゴルで大怪我をしてリタイアした大澤さんも、カザフスタンでマシントラブルのためにリタイアした粕谷さんも、当初予定していた目的地まで行けなかったとしても、彼らの旅はとても充実していて彼らの旅が失敗だったなんて絶対に言えないと思うのです。。

    そしてリョウさんの言った「正直アフリカにはそれほど興味は無いから無理をしてまで大変なところには行きたくない」という発言が、私は「アフリカを楽しみにしていて、アフリカ旅行を楽しみたい」という考え方と相反するものでした。

    ※もちろんこの発言はリョウさんが自身の考えを強く主張しようとして思わず言ってしまっただけの発言なのかもしれませんが。

     

    それだけスタンスが違うのならば、もう別々に行けば良いではないかという意見もあるかと思います。

    でも私はそれは最終手段だと思っています。

    まず、最初に私からリョウさんに一緒に行こうと誘ったので責任を感じているのもあります。
    そして、実は一度二人の意見が分かれたときに私から、その日は二人別行動にして、目的地を決めてそこで落ち合おうと提案したことがあったのですが、リョウさんは現時点ではどうしても一人で走るのは怖いということでした。なのでここから先は別行動にするというのもあまりにも残酷な判断になります。

    だったらリョウさんが我慢して私に従うしかないのではないかという意見を持つ方もいらっしゃるとは思うのですが、私はそれが正しい答えだとも思っていません。

    もしそれを続けて行けば昨日と同じようにリョウさんのストレスが限界まで達することが頻繁に起こると思います。

    私たちはバイクで旅行をしているのです。一つの操作ミスが大事故に直結するリスクを常に孕んでいるのです。それを考えれば極度のストレスが大変危険だということは想像に難くありません。そしてそれはリョウさんだけでなく私にとってもリスクなのです。

    また私がストレスを溜め続けることも同様に然りです。

    そう考えるとなんとかうまく二人で折り合いを付けてやっていくことが求められると思うのです。

    ただ、このとき腹を割って話し合ったおかげで一つのことが見えたのは本当に良かったです。

    まず私の乗るテネレさんは未舗装路で高い走破性を発揮します。そして私もこの旅で2,000kmを優に超える未舗装路を走ってきたためだいぶ未舗装路の走行に慣れてきていました。

    そこまで未舗装路で高い走破性を持ち合わせていないNC700に乗るリョウさんは、未舗装路を走った際にゆっくり走ってしまうと私にストレスを与えてしまうのではないかと不安だったそうです。しかし速い速度で走るのは転倒の恐れがあり、そこが未舗装路を走る際に大変なストレスになっていたということでした。

    ゆっくり走っても良いということであればリョウさんとしても未舗装路を走ることはそこまで嫌ではないということでした。

    そこはモンキーに乗る洋介さんとGSXに乗るアシムと一緒に走ったときも同じことだったので私にとっては全く問題ありません。

    今は二人の旅のスタンスに大きな隔たりはありますが、こうしてときには腹を割って話し合っていくというのは本当に大切なことですね。

    こうして腹を割って話すというのは大変なことですが、そこから逃げ続けてしまうといつまで経ってもお互いにストレスだらけになってしまいます。

    この日、思い切ってリョウさんに私の感じていることを伝えたことは良いことだったと思っています。

    そしてこのことが二人の旅に光明を差し込む結果になることを期待しています。

    ※何度も申し上げますが、本日の内容につきましては私の一方的な意見に過ぎないこと、あくまで私とリョウさんとの間に旅に対する考え方に隔たりがあるだけで、リョウさんという人間自体は優しい人間であるということは付け加えさせていただきます。

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  • リョウさんブチ切れる

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    1月22日(水)東京出発227日目、ギニア14日目 マムー~ファラナ 走行距離195km

    朝起きて外に出てみると、リョウさんがタバコを吸っていました。

    体調は大丈夫なのか聞くと、たくさん寝てすっかり良くなったと言います。

    多少心配ではあったのですが、スケジュールの問題もあったので、決して無理はしないようにと伝えて出発することにしました。

    この日の移動距離はそこまで無かったため、安全運転でリョウさんのペースで走るように伝えます。

    50km/h巡行で走っても午後2時には目的地のファラナには到着するので、途中休憩を挟んだりしたとして16時くらいにファラナに着くペースで行きましょうと伝えます。

    そうは言ったのですがいつもよりも速いペースでリョウさんは走ります。

    もしかしたら体調不良で一日遅延したことを気に病んで気を使って無理なペースで走っているのではないかと心配になります。

    私は一人で走っているときはガソリンスタンドに寄ったり昼食を摂る以外で休憩を取ることは滅多にないため、長時間走行もそれほど苦にはならないのですが、リョウさんは定期的に休憩を挟みます。

    なので休憩のタイミングはいつもリョウさんにお任せしているのですが、この日は全然休憩も摂らずに走り続けていました。

    ファラナの町まで残り50km付近の町中でリョウさんが停止し、ここで休憩を取ろうと言いました。

    しかし、この町の人たちがたくさん我々のところに集まってきてしまい、さらには一人の年配の女性が歌いながらやってきてお金をせびってきます。

    あまりにも鬱陶しかったため、私は「ここで休憩するのはやめて一旦脱出しましょう」と言いました。

    リョウさんはそれに従いそのまま走り続けたのですが、ファラナ直前10km付近で停車すると「水を飲んで良いですか?」と私に聞きました。

    そんなのは当然構わないですし、もしかして私に気を使って我慢していたなら大変申し訳なかったなと思いました。

    ファラナの町に入るといつも通りガソリンスタンドに寄って給油します。

    この国の人は並ぶということを知りません。

    リョウさんの後ろに私が並んでいたのですが、やってくるバイクみんなが割り込んで来ようとします。

    最初にやってきた若い少年のようなバイタクのお兄ちゃんが割り込んできたので、「私が先ですよ。後ろに並びなさい」と言うと素直に従います。

    しかしそのあとにやってくるバイタクのアンちゃんたちがどんどん割り込んで来るのでその都度私は後ろに並ぶように注意しました。

    この国の人たちは並ぶ習慣はない代わりに、きちんと伝えると素直に従うのです。

    私の給油が終わると、またみんな割り込んで我先に給油しようとするのですが、一番最初にやってきた少年のようなお兄ちゃんが外に追いやられていたので、「私の次は彼だよ。みんな割り込むんじゃない」と言うと、それにもみんな素直に従いました。

    全く持って不思議です。

    給油を終えたリョウさんのところに行くと、リョウさんはここで冷たいものでも買って休憩を取りたかったのかもしれません。

    一方の私はこの日目星をつけていた宿まで5kmほどのところまで来ていたので、早くチェックインして落ち着きたかったため、「このまま宿まで行きませんか?」と言うと、リョウさんは「わかりました」と返事をしました。

    このときの返事の仕方にいつものリョウさんとは違う少しトゲがある言い方に感じたので「アレ?」とは思ったのですが、このとき私はそれほど気にかけていませんでした。

    目星をつけていた宿に向かう途中、あとちょっとの所で検問をしていました。

    例のごとくパスポートを見せると、次に「予防接種の証明書を見せろ」と言うようなことを言ってきます。

    しかし彼らも全く英語を解せないため、あまりうまく意思の疎通が取れません。

    なんとなく黄熱病の予防接種の証明書を見せるのですが、何やら文句を言ってきます。

    今年は2020年だというようなことを言っていて、私たちの予防接種の証明書に記載された年号が2019年だからダメだと言っているようでした。

    私が何度英語で「黄熱病は一度接種すれば一生涯有効ですよ」と言っても全然伝わりません。

    そんな風に押し問答していると、近くにいた町人らしき人が多少英語がわかるようで通訳してくれました。

    するとこの警察官たちは難なく「セボン(フランス語でOKの意味)」と言って解放してくれました。

    あれだけ強硬にダメだダメだと言っていたのに、通訳してもらって黄熱病は一回打てば一生有効だって言ってもらっただけでOKってどういうことなのでしょうか?

    本当に疲れます。

    このときのやり取りもリョウさんをイラつかせていたようでした。

     

    そこからほんの1kmほど走ると、目星をつけていた宿に到着しました。

    この宿は敷地が広く、バイクで入って行くと奥の方に走っていくように言われます。

    奥まで進んで行くとそこにいた女性の職員がすぐそこにバイクを停めるように伝えてきたため一旦そこにバイクを停めたのですが、後からやってきたこの宿のオーナーと思われる白人男性にバイクを別の所に持っていくように言われます。

    すると、珍しくリョウさんが声を荒げて「何なんだよ!本当にめんどくせぇな!」と言いました。

    そして指示されたようにバイクを更に別の場所に移動させたのですが、宿の従業員の指示で、ずいぶん狭い場所に停めるように言われました。

    だいぶイライラしていた様子のリョウさんはかなり雑な運転になっていて、そのままバイクを転倒させてしまいました。

    するとリョウさんは今までに無い剣幕で日本語でその宿の従業員に怒鳴り散らします。

    「何でこんな狭い場所に停めさせるんだ!こっちの手前の広い場所で良いじゃねぇか!?なんなんだよ!ふざけるんじゃねぇぞ!」

     

    ダカールを出発して約2週間。私とリョウさんの間に旅のスタンスの違いがありました。

    そのことで私もストレスが溜まって来ていたのは確かです。しかし私は遠慮しつつもリョウさんに最低限言いたいことは伝えていたので少しは大丈夫だったのでしょう。

    一方のリョウさんは、年齢が年上で気が強くて口の達者な私に遠慮して、これまでほとんど言いたいことを言えなかったと思います。

    そして積もりに積もったストレスがここで爆発してしまったのかもしれません。

    後ほどこのときのことを少し聞いたところ、宿の従業員に腹を立てただけとは言っていましたが、リョウさんの本心はわかりません。

    私の勝手な想像でリョウさんの気持ちを代弁するのは間違っていると思うのでこれはあくまで私の予想でしかないということを伝えておきます。

    ただ、きっと私の態度や物言い、その他意見の違いなども含めてここまでストレスを溜めきたのだろうと私は想像しています。

    それがこのような形で爆発してしまったのではないかと…。

     

    正直このような形で立場の弱い宿の従業員に当たり散らすことは良くないとだと思いますし、私はそういうのは大嫌いですが、その原因の一端は私にもあることを考えると申し訳なく思うのです。

    また連日猛暑が続き、宿の環境も良くないところが多いです。ギニアは夜間しか電気が使えないくせに年がら年中停電もします。食事もトイレの衛生状態も大変悪いです。

     

    道路状況も悪い場所が多く、一日に何度も検問を受けてその度にドキドキさせられます。そんな中体調も崩してしまい、一緒にいる日本人である私にも遠慮して言いたいことを言えなければ、反対に私にはときどき厳しいことを言われて、ストレスが溜まってしまって当たり前なのです。

    このとき、どこまで私にできるかはわからないけれども、できるだけ早いうちに腹を割って二人できちんと話をしなければならないと思うのでした。

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  • 宿の人が何かを訴えている…

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    1月21日(火)東京出発226日目、ギニア13日目 マムー

    この日も私は日が昇る前の6時過ぎには目を覚まし、荷物をまとめて、日が昇った7時頃に宿の中庭に出てバイクのチェーンの清掃やエアフィルタの掃除をします。

    この日、もしリョウさんがまた準備に手間取り、約束通りに10時に出発できなかったらガツンと言ってやろうと思っていました。

    私が中庭でバイクのメンテナンスをしていると宿の従業員がしきりに私に何かを訴えています。

    彼らは英語を全く解せないのでイマイチ何を言っているのかわかりません。

    どうやらリョウさんのことを言っているようです。

    最初は「お前の友達はどうしたんだ?寝ているのか?」と聞いているのかと思っていました。

    なので「うん。彼は部屋で寝ていると思うよ」と返事をしていたのですが、それでも数人がしきりに同じ仕草をしています。

    その中の一人が、リョウさんが寝ている建物を指さし、眠る仕草と、額を押さえる仕草をしました。

    どういうことだろうか?

    それでも私は彼らが何を言っているのか理解できず、もしかしてリョウさんが変な場所で寝てしまって頭でもぶつけたのかと思っていました。

    すると、また一人宿の従業員が現れて、彼はほんの少しだけ英語がわかるようだったのでいろいろと聞いてみるとどうやらリョウさんは熱があって寝ていると言っているようでした。

    昨日だいぶダルそうにしていたのはやはり体調不良だったようです。

    それを聞いて私は、コレ(バイクのメンテナンス)が終わったら様子を見に行ってみるよと伝えました。

    引き続きバイクのメンテナンスをしているとリョウさんが起きてきて私のところにやってきました。

    「宿の人に聞きましたけど、熱があるんですか?大丈夫ですか?」と私が聞くと「今は大丈夫です」と言います。

    話を聞くと昨晩遅く体調が悪化して体温を計ってみると38.7℃もあったそうです。

    マラリアなのではないかと不安になり慌てて宿のレセプションに行くと24時間やっている病院が近くにあるということでその人がバイクで病院まで連れて行ってくれたそうです。

    マラリアの検査をすると幸いなことにそれは陰性だったそうで、そこで解熱注射を打ってもらったところ、現在は完全に熱も下がって体調は大丈夫だということでした。

    とはいえ無理をしてまたぶり返したり長引かせてしまうことが最も最悪なことなので、この日は大事を取ってもう一日この宿に滞在することにしました。

    ガーナのアクラでアンゴラビザを申請するのに時間がギリギリだということをリョウさんは気にしていたようですが、このまま出発してもどこかでコートジボワールに入るための日程調整をしなければならないので全く持って問題ありません。

    リョウさんは大変申し訳ないといった感じでしたが、時間面でも全く問題ありませんし、私だっていつ同じように体調を崩すかわかりません。そいういう意味ではお互い様なのです。

    したがって全然気にすることでは無いのです。そのように伝え、ゆっくり休んでもらうことにしました。

    私も部屋に戻ると急激な眠気に襲われます。

    きっと昨日の悪路の走行は予想以上に私も疲弊していたようです。

    私もこの日は丸一日宿で眠り耽って、体力の回復を図るのでした。

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  • 私の愚痴

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    1月20日(月)東京出発225日目、ギニア12日目 コナクリ~マムー 走行距離270km

    コートジボワールビザおよびガーナビザ取得のために10日間滞在したコナクリをやっと出発することにしました。

    細かくブログを読んでくださっている方はアレレ?ガーナに早く行かないとならないのに、1月18日と1月19日は何やってたのさ思われたかもしれませんね。

    これについては理由がありまして、実は私たちはコートジボワールビザの申請時に大きなミスをしていたのです。

    コートジボワール入国日を記載する欄に間違えてコートジボワールを出国する日を記載してしまっていたようで、我々は1月27日までコートジボワールに入れないのです。

    そしてリョウさんの体調も完全では無いことと、コナクリの宿は安価で環境が大変良かったため1月18日、1月19日の二日間は時間調整も兼ねてコナクリに滞在することにしたのです。

    でもこの二日間全く持って何もしていなかったわけではないのです。

    荷物の整理をしたり、洗濯をしたり、そして一番大きいのが煩雑なアンゴラビザ申請用の書類をリョウさんと二人でせっせと作成していました。

    とにかく早い段階で書類を揃えて二人でチェックして一発でOKをもらえるようにしようとの思いからです。

    それはさておき、この日は10日ぶりに移動です。

    この日目指すのはコナクリから約270km北東に向かった町マムーです。

    コナクリに来たときは大変な渋滞と交通マナーの悪さにうんざりしたものですが、この日はそれほど大きな渋滞も無くコナクリを出ることができました。

    しかし大変だったのがそこから先でした。予想以上に道が悪かったのです。

    中央アジアのカザフスタンやウズベキスタンの西側を彷彿させるような穴ぼこだらけのアスファルトです。こういった道が一番バイクにダメージを与えてしまうため慎重にならざるを得ません。

    いちいち穴ぼこを避けながら走らなければならないため、神経も使いますしスピードも上がりません。

    この日は10日間もお世話になった宿の方に挨拶をしたりしてついつい出発も11時頃になってしまったのもよくありませんでした。

    そして途中、警察が反対車線の道端から大きな声で我々に何か訴えている場所がありました。リョウさんは気づかないでそのまま通過しそうだったのですが、私は後々面倒なことになったら嫌だったためこの警察官の指示に従い停車しました。それにならって少し先を走っていたリョウさんも停車しました。

    実際のところリョウさんがしたように無視をして通過するのが良かったのかもしれません。

    この警察官は全く英語は解せないのですが、我々に100,000ギニアフラン(約1,250円)の罰金を払えと言っているようです。

    この警察官のスマホの翻訳アプリで、我々の違反が何なのか聞いてみると「警察官が停止指示を拒否した罪」ということでした。

    何のことだかさっぱりわかりません。

    この警察官が何か叫んでいたので私は素直にそれに従って停車したので拒否したなんていうことは無いと思います。数十キロ手前で検問をしていたのですが、そのときはパスポートも見せることなく通過して良いと言われました。ゲートを管理していた担当官が我々に気付かなかったので我々はゲートの横から通過したため、最初はそのことを言っているのかと思っていました。

    しかしどうやら違うようです。彼が言うには、すぐそこの200m手前で警察官が笛を鳴らして停止を求めたのに我々が止まらなかったというのです。

    冗談じゃありません。200m手前というのですが、もう一人の警察官が立っているのは50mも離れていないところです。我々は停止を求められたなんてこれっぽっちも気づかなかったのです。

    それなのに停車拒否とは納得できるはずがありません。

    しかし、彼は自分が絶対に間違っていないという態度です。特に高圧的というわけではないですが、我々に落ち度があったとは思えないし、こうして今停車しているのですから、停車拒否なんてまかり通るとは思えません。

    私は例のごとくこの警察官に名前とIDの提示を求めます。

    この野郎は余裕があるのか名前は「ヨキ」だと言います。IDは手元にないが肩の腕章がギニア警察を証明しているとも言います。

    私は彼に英語で「今ここで日本大使館に電話して事の顛末を話して支持を仰ぐがそれでも良いか?」と電話をかける振りをして聞きました。

    すると彼はそうすれば良いというようなことを言います。

    ギニアで買った私のsimカードが何故か使えないのでリョウさんにお願いして日本大使館に電話してもらうようにお願いします。

    するとリョウさんがこのバカ警官に向かって単に単語だけで「embasy(大使館)」と言って電話をかけようとすると、大慌てで私にパスポートとバイクの登録証を返してくれ、笑顔で握手を求めると一緒に写真を撮ろうじゃないかと言い始めました。

    私が文章で日本大使館に電話をかけるといったのは理解できなかったようで、リョウさんが単語のみで大使館と言ったのを聞いて慌てふためいたようです。

    やっぱりこのバカ警官は自分が悪いことをしているという認識があったようでした。

    急にフレンドリーになり、「安全運電で良い旅を」なんて急に言い始めました。

    そんなトラブルもありマムーの町に着いたのは日が沈みかけた18時30分頃でした。

    目星をつけていた宿に行くと高額な割に全然設備も環境も良くなかったため、そこは諦めてもう一つ別の目星をつけていた宿に行くことにしました。

    清潔感は多少先ほどの宿よりかは劣るものの、価格は先ほどの宿の半額で設備は十分なものだったのでこちらの宿に決めました。

    ホテルアフリカ
    ギニアの宿としては全然悪く無いですね\(^_^)/

    この二つ目の宿に着いた時点で19時を回り、辺りは暗くなっていました。

    私もこの日は暑さのせいもあり、さらに悪路を走ったため久しぶりに疲労を感じていました。

    幸いなことにこの宿の目の前に食堂があったため荷物を部屋に運ぶとリョウさんと一緒に夕飯を食べにこの食堂に行くことにしました。

    食堂に入るとリョウさんが食欲はあまりないと言います。

    とりあえず席に座ってこの日のことを話すとやはり朝の出発時間が遅いことが良くないという話になりました。それは私だけではなく、この日はリョウさんも強く感じたようです。

    私は朝は強いのでいつももう少し早く出発したいと思っているのですが、リョウさんがすこぶる朝が弱いため今のところあまり強くは言っていない状況ではあったのですが、この日も日が沈むころに宿に到着したことからリョウさんももっと朝早く出発するようにしないといけないと感じたようです。

    それを踏まえて私が「じゃ、明日は10時にはバイクに荷物を積み終えて出発できるようにしましょう」と言うとリョウさんが「え…、起きられるかなぁ」と言いました。

    私はこの一言で脳みそにカチンと怒りがこみ上げました。朝の10時にパッキング完了ってそれほど無茶なことは言っていないし、ついさっき自分でももう少し朝早く出発する必要があるって口にしていたくせに何なんだろうか!と思ったのです。

    本来なら私としては朝は8時くらいに出発したいのです。そのくらいの時間に出発できればまだ涼しい時間帯のため体力の消耗も違いますし、午後の早い時間に宿に到着できればそれだけでも体力の回復も計れ、場合によっては到着した町を観光したり一日を有意義に過ごせるからです。

    それに今はまだ大丈夫でしょうが、このさきガボンやコンゴなど今よりも厳しい環境に行ったらそれこそ早い時間帯に動き始めないと致命傷にすらなり兼ねません。

    そしてこの後もリョウさんは、眠いと言って顔を机に伏せたり、背中が痛いとかだるいとかネガティブなことを言っています。

    私が体調が悪いのか?と聞くとそうでは無いと答えます。

    正直私の苛立ちはかなりのところまできていました。

    今までの積み重ねもあったのです。

    私は別に貧乏旅行をして過酷な環境に敢えて身を置いて自分に挑戦しようとは思ってはいません。だから疲れたときは少し良い目の宿に泊まったり少しお金を払ってでもしっかりしたものを食べても良いと思っています。なので極端に苦しいことをしようとは思っていません。

    でも、興味があれば少し脇道に逸れたりしても良いと思っていますし、敢えてあまり他の人が走っていないような道を走ってみるのもおもしろいかと思ったりもします。

    しかしリョウさんは極度にそういったことを嫌います。アフリカの脇道は大変なことになりそうで嫌だと。

    なので、例えばちょっと脇道に入ると宿がありそうだとたったその程度のことでもリョウさんはメイン道路沿いの宿が良いと言って嫌がりますし、そういった部分で私とは旅のスタイルが全く違うのです。

    そしてこの日のリョウさんのあまりにもだらしない態度に私の苛立ちは頂点に達し、もし明日の朝、時間通りに動けないようなら「今からでもダカールに帰りな!このくらいの道なら一人で帰れるでしょ!」と言うつもりでした。

    もちろん本気でそう言うわけではありません。最初にリョウさんに声を掛けたのは私なのですからある程度責任は感じています。

    ただ、今の逃げ腰で何でもネガティブにとらえるリョウさんの態度をいつまでも持ってこられたら私がやっていられないのです。

    怖いのはわかります。不安なのもわかります。私だってそうなのですから。

    だからってなんでもかんでも逃げていては私は旅を楽しめないと思うのです。ちょっとしたことでも可能性を広げようとしないのならば私はこの旅に出た理由を失ってしまいます。

    私とリョウさんの旅のスタイルの違い…。

    二人で南アフリカを目指すと決めたのですからどこかで折り合いをつけて行かなとならないのはわかっています。

    スタイルの違う二人で旅をするということがいかに難しいことなのか、このときひしひしと感じていました。

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  • えっ…、ガーナビザ…

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    1月17日(金)東京出発222日目、ギニア9日目 コナクリ

    この日はガーナビザを受け取りにガーナ大使館に行きます。
    言われた書類は揃えて提出しましたが、本当にビザを受け取ることができるのでしょうか?

    書類提出した時に担当の方が細かく確認してくれたわけではないので不備が無いとは言い切れません。

    多少の不安を抱えつつも、最悪書類の修正や追加提出はあっても、ここで取得できないということは無いだろうと思いとにもかくにもガーナ大使館に行くことにしました。

    ガーナ大使館に到着すると先日迎えてくれた優しい笑顔の男性がまた私たちを中に案内してくれます。

    しばらくすると例の担当の女性がやって来て、私たちにガーナビザの張られたパスポートを返してくれました。

    やった\(^_^)/

    ガーナビザもここコナクリで取得できました!

    と思って喜んだのも束の間、ガーナビザを細かく見るとガーナビザの申請日とビザの有効期間が1か月との記載しかありません。

    この担当の方に確認するとビザの申請日の1月16日から1か月間有効なため2月15日にはガーナを出なければならないということです。

    実はこれは大変困った事態なのです。

    我々はガーナの首都アクラでアンゴラビザを取得予定でいます。
    このアンゴラビザがまたまた曲者でたくさんの煩雑な書類の提出をさせるくせにビザ申請の受付が月火の午前中だけなのです。

    今の我々の予定ですと、最短でもアクラに到着するのが1月31日(金)のため、アンゴラビザ申請に行けるのが2月3日(月)2月4日(火)だと思っていたのですが、2月4日はアンゴラの祝日でお休みで、火曜日が祝日の場合その前日の月曜日も休みになるという情報を得ていました。

    月曜日と火曜日しか申請できないくせに、火曜日が祝日だと月曜日も休みって…。

    そうなると我々が次にアンゴラビザを申請できるのは次の週の2月10日、2月11日になり発行が2月14(金)となります。

    この日に無事ビザが発行されればギリギリ2月15日にガーナを後にすることができるのですが、今までアンゴラビザを申請した人で発行予定日にビザを取りに行ったら提出書類に不備があったので発行は再提出後の週明けになると言われた人もいるそうです。

    そうなった場合、我々は完全にアウトです。

    アンゴラビザ取得目前まで行って諦めないとならないのです。

    こんな綱渡りで申請するのは危険すぎるため幾つかの手を打つ予定ではいるのですが、本当にうまく行くのでしょうか?

    まずは月曜日と火曜日だけ申請可能という話ではあるのですが、一部の情報によると水曜日も受け付けてくれるかもしれないということなので2月5日の水曜日も申請に行ってみます。
    また火曜日が休みだと月曜日も休みという情報も不確かな部分もあるので月曜日にも行ってみます(2月3日月曜日も休みなのかメールでも確認しましたが、返事はありませんでした)。
    それからビザの発行は通常金曜日だということですが、エクスプレス発行を申請(50USDくらい追加で支払う)すると2営業日で発行してくれるということなのでエクスプレス発行で申請する。
    最終手段としてガーナビザの延長ができないかアクラのイミグレーションに掛け合ってみます。

    これだけの打つ手はあるのでなんとかなるだろうと思うのですが、小心者の私はそれでもやっぱり不安なのです…(*´Д`)

    あぁ(;´д`)
    不安だー
    眠いぞー
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