• カテゴリー別アーカイブ 037_コンゴ共和国
  • アンゴラ入国

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    3月13日(金)東京出発278日目、コンゴ共和国6日目、アンゴラ1日目 ポワントノワール~カビンダ 走行距離182km

    この日はコンゴからアンゴラの飛び地であるカビンダへの移動となります。

    ビザを取得するのも面倒だったアンゴラですから入国手続きも面倒そうです。

    朝起きるとあまり体調が良くありません。宿泊していた宿が少し高級でしっかり冷房が効いていたのは良いのですが、そこはコンゴクオリティであって、リモコンが無く、効き過ぎていた冷房の温度調整ができなかったことと、冷房の風が直接私の顔面に当たった状態で寝ないとならなかったことが原因です。

    だるいなぁ、どうしようかなぁなんて思いながらダラダラと時間だけが過ぎて行きます。

    ただここでこうしていても仕方ありません。えいやっと立ち上がり出発することにしました。

    朝10時

    ギラつく太陽は相も変わらずです。

    カビンダの中心部までの距離は140km程度ですので国境越えを考えても十分時間はあります。

    ポワントノワールから国境にかけては空港の西側を南下していくのが一番早そうなのですが、私の地図アプリでは西側のルートは途中で道が途切れていて東側から迂回するように示していています。

    それに従い私は空港の東側に迂回していくのですがそれは誤りでした。

    空港の東側には市場がありコナクリを思い出させるような悪路の大渋滞の中を進んで行きます。

    やっとの思いで市場を抜けたと思うとそこからが大変でした。ガボン-コンゴ間を彷彿させるとんでもない悪路が始まります。私の足首の状態を考えるととてもではありませんが走れるような道ではありません。

    迂回路を必死に探すのですがどこに行っても悪路悪路悪路の連続です。

    どうしたものかと考えます。

    ここを通らない限りアンゴラに行けないのであれば行くしかありません。でも本当にこんな悪路を走らないとならないのでしょうか?

    歩いている人に声をかけてみても英語を話せる人は皆無です。

    私が何に困っているのかすら理解してもらえません。

    するとあるおじさんが英語を話せる若い青年を呼んできてくれました。

    青年:「お前は何に困っているんだ?」

    私:「アンゴラとの国境に行きたいんだ。でもこの悪路だろ。足を怪我していてこんな道を走って行くのは難しいんだ。どうにか整備された道から国境まで行けないか?」

    青年:「なるほどな。こっちからじゃどこに行ってもとんでもない悪路しかないな。国境に続く整備された道まで案内することはできるけど俺には『足』がないんだ。もし俺を必要とするなら、俺がお前を案内する方法を提案してくれないか?」

    私:「ここからそこまでは遠いのか?」

    青年:「そこそこあるな。10kmか20kmか」

    私:「そうか。わかった。俺がタクシー代を払うからそれに乗って先導してくれないか?」

    青年:「それで良いならそうするよ。タクシーを見つけるからちょっと待っててくれ」

    そう言ってその青年はタクシーを見つけてきてくれました。

    ここから国境に続く国道までの往復のタクシー代で4,000XAF(約800円)ということだったので、彼へのお礼を含めてもこの日の国境越えを諦めてもう一泊するよりも全然安いため、彼にお願いすることにしました。

    彼の乗るタクシーの後をついて行くとなんて事の無いことでした。単に私が滞在していた宿から素直に空港の西側のルートに行けばよかっただけでした。

    この青年は大変丁寧な男で、何かあったらいつでも電話してくれと言って、私に電話番号を教えてくれてそのまま去って行きました。

    私の地図アプリでは途中で道が途絶えてしまうのでしたが、こちらの道は綺麗に舗装された道が国境まで続いていました。

    国境に着くとイミグレーションに行く前に体温チェックがあります。

    私の国籍が日本ということと、たくさんの国を通過してきていることからコロナの心配をして、担当医官も嫌そうな顔をします。

    この女性担当医官はブツブツと何か言いながら怪訝な顔をしています。

    私が日本を離れたのは9か月前で、スペインからモロッコに渡ったのも3か月前なのでコロナの流行地には直近ではいないということを伝えるのですが、蔑んだ目で私を見るだけです。

    近くにいるアホどもも「コロナ、チナ(チャイナ)、コロナ、チナ」と馬鹿にしたように言ってきます。

    こいつらは自分たちが差別的な扱いを受けることには敏感なくせに、人を差別するのは平気な民族なのですね。

    イラつくのはイラつくのですが文句を言って揉めても仕方ないので「お前らはストロングだからコロナにはならないんだな」と言うと、「そうだ!俺たちはストロングなんだぜ!」と大盛り上がりになって握手まで求めてくる始末です。

    どうしようもないおサルさんたちだよ、と心な中で毒づくのですが、こんな奴らと争ったところで何も生まないどころか、こいつらと同じになってしまうと思いグッと我慢するのでした。

    この女性担当官もどうにかパスポートを返してくれ(熱もなければコロナウィルスのハイリスク国を通過してきたわけでもないので当然なのですが)、どうにか出国手続きを続けることができました。

    コンゴの出国手続きはとても簡単でイミグレで出国印をもらい、道路を挟んで向かいの税関でカルネにスタンプをもらうだけです。国境での手続きは何度経験してもストレスのたまるものですが、自分のペースで自分で動けることを考えると一人になったことはだいぶ気楽なものでした。

    アンゴラの入国手続きに入ると予想していた通り大変面倒です。

    私が日本人であるということを知ると私一人だけ別の場所に行くように言われます。そこで紙を渡されて通過してきた国を書けと言います。

    コノヤロウとは思うのですがやるなら徹底的にやってやろうじゃねぇか!と思い、日本出国からアンゴラ入国までの全ての入国日と出国日、陸路なのか船なのか飛行機なのかをすべて記載して出してやりました。

    すると嫌がらせなのか何なのか「続きが無い」と言って突っぱねてきます。

    続きってなんだよ!お前らの目的は何なんだ?あ?自国にウィルスを持ち込んでほしくないからこうやって調べてるんじゃないのか?

    適当に南アフリカから日本に帰るまでの今後の予定を追記して再度提出すると「待っていろ!」と言われてそのまま放置されました。

    1時間経っても2時間経っても放置されたままです。職員の中に一人ご年配の男性がいて、その方だけは私と目が合うとニコっと笑ってくださっていました。そういう人が一人いるだけでイライラであったり不安はだいぶ解消されるものでした。

    一方でこのとき私が一番心配していたのが、夜暗くなってからの移動が嫌だなというものでした。

    どこまで信用できるものなのかはわからないのですが、外務省が出している渡航安全情報によるとここから向かうカビンダの治安に多少の不安があったのです。

    カビンダはアンゴラ内において面積としてはあまり大きくはありませんが、石油が産出され、アンゴラにとっては非常に重要な地域だそうです。一方でカビンダの人たちはアンゴラからの独立も目指していてそのあたりの意識により治安が不安定になっているということでした。

    17時を過ぎても手続きが終わらない場合はここでテントを張って明日の出発にしようかとも考え始めていました。

    手続きを開始して3時間ほど経過し時刻は16時ちょうどを指した頃でした。ようやく職員に呼ばれ

    「パーフェクト(完璧だ)。ノープロブレム(問題ない)」

    と言われ、やっとパスポートに入国印を押してもらえました。

    そして今度は税関でのバイクの一時通行許可書の発行です。こちらもなかなか面倒な手続きと聞いていたのですが、思ったよりも難しいことはなく、税関に併設されている銀行に6337クワンザ(約1300円)を支払い、バイクの写真を撮影して所長の印をもらうだけで終わりました。

    時刻は16時半を少し回ったところですので、ここから約100km先のカビンダの中心地までは日没までには十分行けそうです。

    アンゴラは資源が豊富に産出され経済的にも豊かであるとは聞いていたのですが、田舎の方はまだまだ発展しているとは言い難いようでした。

    日没の少し前にどうにかカビンダの中心街に到着すると綺麗に整備された街並みは大変落ち着いていて治安の悪さはあまり感じるような雰囲気ではありませんでした。

    実際に宿の人たちに聞いてみても、「この辺りは治安はだいぶ良いよ。心配するようなことはほとんどないと思う」という返事でした。

    外務省もすべての地域に実際に行って調査することは不可能でしょうし、事件や事故を未然に防ぐ意味でも厳しめの評価をせざるを得ないと思います。ですので、実際にはどうなのかというのははっきりとした情報が無い限り、自分の目で見て確かめるしかないのだろうと思います。

    さて、私はここカビンダに隣接しているコンゴ民主共和国(旧ザイール)のビザを持っていません。そのためカビンダから南下していくにはアンゴラ本土に向けての船を探さないとなりません。それについては国内船ですし、そこそこ情報があるのでそこまで困難なものだとは思ってはいないのですが、西アフリカのルートはバイクで走っているよりもそういった事務作業ばかりになってしまうのでウンザリします。

    それでもアンゴラに入ったという安心感は私の中では大きいものでした。

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  • 再出発

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    3月12日(木)東京出発277日目、コンゴ共和国5日目 ドリジー~ポワントノワール 走行距離176km

    3日間ゆっくりしたドリジーを離れ、この日はアンゴラの飛び地カビンダとコンゴとの国境にあるポワントノワールを目指します。

    私の足首もだいぶ回復して普通に歩く分には問題ありません。舗装路をバイクで走るのも問題ないでしょう。

    マイケルはアンゴラビザを取得する必要があるということで私とは反対のドリジーから東に400kmほどのところにある首都ブラザビルを目指すとのことでした。

    マイケルを見送るとリョウさんが声を掛けてきました。

    リョウさん:「少しお話良いですか?」

    私:「構わないですよ」

    リョウさん:「昨日は大変申し訳ございませんでした。こちらも頭に血が昇ってしまってついああいう言い方になってしまって…。今までたくさん助けていただいて本当にありがとうございました。」

    多分、こういう所が私とリョウさんの違う所なのだと思います。というよりも世の中の多くの人がリョウさんのような対応をすることで社会性を持って生きているのでしょう。

    今更私の中ではリョウさんに対する感情は何も無いので特別に何かを感じることは無いのですが、こういう場面で謝罪をするというのはどういう感情が働いてのことなのだろうかと不思議に思って聞いていました。

    申し訳ないことをしたなと思ってなのか?許して欲しいと思ってのことなのか?自分自身の中でのけじめなのか?

    私にはそういった感覚が一切わからないというのが社会性の欠如なのかもしれません。

    私:「まぁ、それはお互い様ですし。ここから先は難所と思われるような場所も無いと思うので無事に旅を続けてください」

    リョウさん:「はい。ヒデさんも」

    そういうと、出発前にリョウさんはもう一度私のところに挨拶に来て出発して行きました。

    少し遅れて私もポワントノワールに向けて出発しました。

    久しぶりのソロツーリング。

    ここからは単に南アフリカを目指すだけです。

    出発してすぐに道端に見慣れたHONDA XL125が停まっているのを見つけました。

    あれ?!クリス??

    何かトラブルでもあったのかと思い、慌ててUターンしてクリスの元に行きます。

    私:「クリス!なんかあったの?大丈夫?」

    クリス:「わお。ヒデ!いやいや、景色が綺麗だから写真撮ってただけだよ。僕のバイクは遅いから気にしないで先に行って良いよ」

    トラブルでなくて良かったです。

    そう、バイクは自由な乗り物です。マスツーリングはマスツーリングの楽しさもありますが、ソロツーリングはソロツーリングの楽しさがあります。

    ドリジーからポワントノワールまでは170km程度ですので余裕を持って走ることができます。

    前輪が側溝に嵌まって動けなくなってました。
    引き上げるのを手伝ったのですが、「お前誰だ?」って顔してました
    トラックも横転してました。
    こんなキレイな舗装路でどうしてこんなにアクシデントが起きるのでしょうか?

    しかし、ポワントノワールに入ってからが大変でした。

    突然のスコールでびしょぬれになり、目星を付けていた宿も見つかりません。地図上では確かにその宿の場所を差しいているのですが実際に行くとただの民家であり、たくさんの人に囲まれてしまいました。

    英語を話せる人が一切おらず、結局何もわからず終いでした。

    仕方なく他の宿を探すことにしたのですが、ポワントノワールの宿は高い宿ばかりです。

    やっとのことで見つけた比較的安い宿(とは言っても高いです)に入るとwi-fiに繋げました。

    するとクリスからメッセージが1時間以上前に来ていました。

    クリス:「ヒデ。今夜はどこに滞在するの?」

    私:「目星を付けてた宿が見つけられなくて、結局ちょっと高級な宿に泊まることになっちゃったよ(+_+)」

    クリス:「そうなんだ。僕はなんとか安めの宿を見つけれらたよ。でも、ヒデはこの国の経済に貢献したと思えばそれはそれで悪いことじゃないんじゃないかな?」

    さすがはクリスです。フォローの仕方も知的で素敵です。私はこの男のこういう所が好きだなと思います。

    コンゴでは本来走りたかった道をトラックでバイクを運ぶことにしてしまい後悔の念が無いとは言えませんが、それでも私にとってはこのクリスという素敵なスイス人の若者と出会えたこの国は大切な国の一つになったことは間違いありません。

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  • 口論

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    3月11日(水)東京出発276日目、コンゴ共和国4日目 ドリジー 

    私の足の回復のためと休養およびその他バイクの整備などのためにもう一日この日もドリジーに滞在します。

    マイケルとクリスももう一日ドリジーに滞在するようです。

    ここの宿では洗車もさせてもらうことができるとマイケルが言っていて、本当は前日に洗車をさせてもらおうと思っていました。

    しかし前日は午後から雨が降ってきたため荷物の整理などをするに留めておりました。そのときにはリョウさんと「雨が降ったら洗車もままならないなぁ」なんていう話をしていました。

    この日、午前中から宿の裏で水道を使ってマイケルが洗車をしていて、ブラシもバケツも洗剤も洗車に必要なものはすべてここにあるからバイクをここに持って来ればそのままここで洗車できると教えてくれました。

    私が宿の中庭でのんびりしていると洗車を終えたマイケルが戻って来たので少し会話をします。

    その間にリョウさんは部屋に戻ってヘルメットを持って黙ってそのまま洗車場に行きました。

    私はこのときのリョウさんの行動を腹立たしく思いました。

    前日に「雨が降ったら洗車もままならないよね」という話をしていて、雨季であるコンゴではいつ雨が降ってくるかもわからないです。先に洗車してもらう分には構わないのですが、「先に良いですか?」の一言くらいあっても良いのではないかと思ったのです。

    更にしばらくしてリョウさんは洗車を終えたようですがそのことを私に伝えてくれることもありませんでした。

    今まで私はリョウさんとの人間関係をうまく築けてくることができていなかったことが大きな問題だったと思います。

    決してリョウさん自体にそんなことは無いとは思うのですが、私の中でリョウさんに対するある偏見があったのも確かです。アフリカの生活では日本ではあまり普段経験しないようなことに直面することがあります。そんなときにリョウさんは躊躇うだろうなと思うような場面がある場合は私が先に率先して体験するようにしていました。私はそこでお互いに躊躇して時間を取られるのが嫌だったので私が先に勝手にやっていました。

    私がやった感想を聞いてリョウさんがそれをするかしないか判断することがあったのですが、このときの私は「自分がやりたくないことは人に先にやらせて、自分を優先したいときはコソコソ自分だけ先にやるってとんでもない卑怯者だな」と思いました。

    もちろんリョウさんの中ではそんなつもりは全くなかったでしょうし、嫌なことは私が先にやっているという認識なんてあるはずもなかったと思うのですが。

    イライラが頂点に達していた私はツカツカとリョウさんのところに向かうと、きつい口調で

    私:「なんで洗車をする前に一言『先に良いですか?』くらい聞かないんですか!?洗車が終わったら一言『終わりました』くらいあっても良いんじゃないですか?!」

    と言いました。それに対するリョウさんの返事は

    リョウさん:「はぁ?なにが?」

    でした。

    この一言で私はもうさすがに無理だなと思いました。

    私:「そんなこともわからないってリョウさんって本当に終わってますね。私はもう無理です。これで終わりにしましょう。私はリョウさんとこれ以上一緒にいるのはもう嫌なので」

    リョウさん:「そうですね。俺も嫌なのでそうしましょう」

    今まで私とリョウさんとの間で意見の違いがあったときに別々に行こうと言わなかったのは何もリョウさんのためではありませんでした。一人になることにためらいの無い私と、一人になることに不安を感じているリョウさんとではどうしても立場的に私が強くなってしまうのは当然のことです。

    そして最初にアフリカを一緒に走ろうと誘ったのは私でした。

    その状態で別々に行こうというのは私の中では大変無責任なことでした。私はリョウさんがかわいそうだからとか大変だろうからとかではなく、単に無責任な卑怯者になるのが嫌だったのでそうしていただけで、これまでリョウさんのことを考えるなんていうことはありませんでした。

    そしてドリジーまでたどり着いた今、この先南アフリカのケープタウンまでは走る上での難所があるという話は聞いたことがありません。

    近いうちに別々に行くことになるのはお互いに何となくは認識していたところではありました。それが今このタイミングになったということでした。

    クリスと一緒に洗車\(^_^)/
    この日は四人で近所で美味しい魚料理を出してくれる食堂に行きました
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  • 言葉より大切なもの

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    3月10日(火)東京出発275日目、コンゴ共和国3日目 ドリジー

    私はここで出会ったクリスというスイス人がとても好きになりました。知的で優しい物腰のこの男と話しているととても安心します。

    聡明で優しいスイス人ライダー、クリス

    実際にクリスは大変なエリートなのだと思います。スイスでは司法試験に合格し今は就職前のバケーションを楽しむためにアフリカ大陸縦断の旅に出たそうです。

    彼は6種類の言語を操ります。スイスドイツ語(ドイツで話されるドイツ語とはだいぶ違うみたいです)、ドイツ語、英語、フランス語、スペイン語、中国語。

    スペイン語を話せるのでポルトガル語もだいたいわかるそうです。

    そんなクリスが私に聞きました。

    クリス:「ヒデは日本語と英語とあと他に話せる言葉はあるの?」

    私:「それだけだよ。英語だってヘタクソだし」

    クリス:「俺の知っている日本人の中ではヒデが一番英語上手だよ」

    それを聞いて私は少し安心しました。安心したというのは私の英語は少しはマシだって言ってもらえたことではありません。私の英語がヘタクソなのは私自身が良くわかっています。発音も酷いですし、感情を伝えたいときは文法無視で話します。ただ単にコミュニケーションを取るのに困らないという程度のレベルです。

    私が安心したというのは過去に少し嫌な話を聞いたことがあったからです。

    昔の日本人は英語ができなかったのであまり積極的に発言することはなかったけれども、たまに発言するその内容がキラリと光るものが多かったので「日本人は賢い」と言われることが多かった。しかし、最近はワーキングホリデーや語学留学で単に英語圏に行って生活をして英語を話せる日本人が増えた一方で、ペラペラと中身の無い話ばかりする日本人が多いので「日本人は中身が無くてバカばっかりだ」と言われるようになった

    というものです。

    そして私も以前、上記のようなことを感じるような場面に出くわしたことがあるのです。語学留学をしていた人やワーキングホリデーに行っていた人たちが英語を忘れないようにと英語を話すサロンに参加したときです(といっても私は海外生活をしたことは一度も無いのでその中では異質でとりわけ英語がヘタクソな人でした)。

    彼らはとにかく自分たちが英語を話せるということだけがアイデンティティであり、そのことだけで自分たちは他の日本人よりも優れていると考えているようでした。そして海外生活をしていた自分たちは特別な経験をしていて人とは違って優れていると思っていたようです。

    クリスは海外にもたくさんの友人がいて日本人の友人も何人かいるようなのですが、そういった「英語は話せるけれども中身の無い日本人」に出会っていないということに安心したということです(クリスはたくさんの言語を操り、話す内容もジョークもとても洗練されていてめちゃくちゃ魅力的な男です)。

    もちろん私も英語はできないよりかはできた方が良いと思いますが、一方で英語を本当に必要とする日本人は限られた職業に就いている人もしくは就きたい人だけだと思います。

    なのに何故か日本人は英語コンプレックスがあり、目的も無いのに単に英語の勉強を優先的にしている人が多いように見受けられます。

    私も今回の旅で英語でのコミュニケーションが取れたおかげで幾つかの場面で楽に旅をすることができたことは否定しませんが、結局は語学って小手先の技術にしか過ぎないと思うのです(それに世界で英語が通じる地域なんて日本人が思っている以上に少ないです)。

    また、ほとんどの日本人は中高の6年間英語の勉強をしていて、街中にも外来語が溢れているのですから、必要に迫られればコミュニケーションを取れるくらいの英語なんてほとんどの人がそれほど時間をかけずとも話せるようになると思います。

    語学は結局は「どのように」伝えるかという手段でしかなく、私はそれよりも「何を」伝えるかの方がよっぽど大切だと思うのです。

    例えば私のカンボジアの大切な友人であるチャイリェンと仲良くなれたのは、言葉でのコミュニケーションがうまく取れなかったからこそ余計に仲良くなれたと思っています。

    例えばギニアでリョウさんが少年マイケルにしてあげたことって、言葉で何かを伝えるよりもよっぽど素敵で価値のあることだったのではないでしょうか?

    もちろん語学留学やワーキングホリデーを否定はしませんが(そこで語学よりももっと他のことにも積極的に経験するのであれば価値のあることだと思いますが、語学だけを目的にするのであればちょっともったいないかなぁとは思ってしまいますけど)、私はそれよりもよっぽど「何をして」「何を考えて」「何を表現するか」という人間としての感性を磨くことの方が大切だと思うのです。

    それって別に海外に行く必要どころか、極端に言ってしまえば家から一歩も出なかったとしてもできることではないでしょうか?

    例えば「オタク」と呼ばれる人たちが自分が心から好きだと思うことを徹底的に追究していたら、その人ってその分野においてとても深い知見を持ち、人としての深みがありおもしろいと思います。

    誰かにスゴイねって言われたいとか、英語が話せるとかよりも、「私はコレが好き」って言って楽しそうに笑っている人の方がよっぽど魅力的だと思います。

    目的が明確になっている勉強なら(例えばこの仕事をするためにどうしても英語が必要という明確なものがあるということ)十分に価値はありますが、そこがはっきりしない(単に英語が話せるようになりたいって聞くと何のため?って思います)のであれば、私は今目の前にあることやそれにつながることに全力で取り組むことや、自分が本当に好きだと思うことに時間を割きたいと思うのです。

    そっちの方がよっぽど楽しい人生で、そういう魅力的な人になりたいと思うからです。

    好きなこと、興味があること、自分が楽しいと思うことを笑いながら、歯を食い縛りながら思いっきりやっている人は素敵ですよね。

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  • 心から笑うために

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    3月10日(火)東京出発275日目、コンゴ共和国3日目 ドリジー 

    ドリジーの宿で私は足の怪我の回復を図るために2~3日ここに滞在する予定です。昨日会ったドイツ人ライダーのマイケルとスイス人ライダーのクリスもドリジーで洗車をしたり休養を取ったりするために2~3日滞在するようです。

    私の隣、クリス
    リョウさんの左隣、マイケル

    宿でマイケルにあの地獄と天国が入り混じったようなンデンデ-ドリジー間の写真と動画を見せてもらいます。

    ンデンデからの70kmは彼らにとってはまさに地獄のような体験だったようです。

    マイケルが言います。

    マイケル:「この区間なんか俺は何度転倒したことか?恐らく少なくとも12~13回は転倒したんじゃないか?その都度バイクを起こして大変だったよ」

    そういって汗だくになり苦しそうな表情のマイケルの写真を見せてくれます。

    この区間はマイケルとクリスで助け合いながら乗り越えたようです。マイケルもクリスも泥だらけです。その泥だらけの服を着たまま休憩ポイントで笑いながら水浴びをしている姿は私の眼には神々しくさえ見えました。

    二人の弾けるような笑顔は眩いばかりでした。

    マイケルだって10回以上も転倒したんです。私ごときは20回でも30回でも転倒すればいいじゃないですか。都度起こして進めば良いんですよ。私はそれすらもできませんでした。何度転倒しても良いんです。でも怪我だけはしてはいけませんでした…。

    マイケル:「お前が転んで怪我をした場所ってどこだったんだ?」

    と聞いてきたのでそのときの写真を見せるとすぐに

    マイケル:「ここか!ここはンデンデから15kmの地点だな!ここはさすがにやばかったな!」

    と言って、マイケルにも印象に残る難所であったということがわかったのは、多少は私にとっては救いではありましたが、そんなものは実際には何の意味も持たないものでした。

    マイケルもクリスも私たちのことを「日本からここまでやってきたクレイジーライダー」として賞賛してくれます。それは大変うれしくもありありがたいことです。

    でも私にとってはこの旅最難関のガボン-コンゴ間から逃げてしまったことはどうしても心残りです。

    マイケルとクリスの心からの弾ける笑顔。

    あの笑顔は困難に立ち向かいそれを乗り越えた人だけから溢れ出るものです。

    全力で立ち向かい全力で生き抜いている人だけが心から笑うことができるのではないでしょうか?

    私もそんな風に生きていたいです。

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  • 敗者の見る風景

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    3月9日(月)東京出発274日目、コンゴ共和国2日目 ニャンガ~ドリジー トラック輸送

    前日の夜に、この日は何時出発するのかを確認し忘れていました。私は普段から6時前には起床することが多いのでいつも通り起床し、荷物をまとめ7時頃には出発できるようにしておきました。

    宿の外に出るとリョウさんもちょうど起きてきたので少し話をしていると、すぐにジャンがやって来てすぐに出発するぞと言います。

    慌ててリョウさんも準備をして出発しました。

    しかし、出発時にも警察での手続きがあります。本当に面倒です。我々が出発したときにはまだモイーズは寝起きで何も準備していなかったので、ここでモイーズとジャンが交代になるのかと思っていました。

    出発前
    モイーズはまだ寝起きだったので、ここ日はジャンと交代かと思ってました。
    記念撮影までしてしまいましたよ

    しかし、警察での手続きをしている間にモイーズもやってきました。私はモイーズの誠実な人柄が大変好きだったので、一緒に来てくれることに大変安心しました。

    ニャンガの村を出発してからはバイクで走ったらとても楽しそうなダートが続きます。

    途中立ち寄る村々の人たちもモイーズのことを知っているようで大変フレンドリーに接してきます。

    途中訪れる村の子供たちも大変フレンドリーです
    私が思い描いていたアフリカがここにはありました
    みんな純粋です
    途中の村にはモイーズの親戚もいるようです

    そんな中、リョウさんが言いました。

    リョウさん:「俺たち、普通のバイク乗りの人たちとは違う経験ができて良かったんじゃないですか?」

    もしそう思えるのであればそれはそれで良いことだと思います。でも私には全くそんな風には思えませんでした。確かにこれは他のライダーとは違った経験かもしれません。でも、私はこの道を自分でバイクを運転して走るという経験の方がよっぽどしたかったです。

    私は自分に負けたのです。

    本当にこの道を走る努力を最後の最後までしたかと言われると、そうだと言えない自分がいます。足を怪我したのは結果論ですのでそれについては仕方ないと思っています。

    それでもギリギリまで粘って回復を待って再チャレンジをしようとなぜしなかったのか後悔が襲います。

    私は異国の地で怪我をして歩くこともままならなかったとき、とても怖かったのです。どうにか早くあの状況から脱出したかったのです。

    私があの道を走るチャンスを得ることはこの先恐らく一生ないでしょう。そもそもガボンまでもう一度バイクを運ぶなんてことはそう簡単にできないですし、もしできるとしてもそれはこの先何十年か先の私が仕事を引退したの後のことになるでしょう。そうなればあの道は今とは違って綺麗な舗装路になっているでしょう。

    この一生に一回のチャンスを私は自らの手でフイにしました。

    自分に負けるということが何よりも悔しいことです。この世の中の敗北のほとんどが自分との戦いでの敗北です。

    たまに勝ったときよりも負けたときの方が学ぶことが多いなんて言う人があますが、私は絶対にそうは思いません。負けることよりも勝つことの方が100万倍価値があります。世の中のほとんどの敗北が相手ではなく自分との戦いでの敗北なのですから。

    私はどうしても苦しい局面で自分に負けてしまうことが多かったから勉強でもスポーツでも中途半端な結果しか残せなかったのだと思います。

    自分に負けたとき、こんなにも悔しい思いをすることをどうして忘れてしまうのでしょうか?だからこそやっぱり人はいつでも自分に勝たないといけないのだと思います。

    私がこのときトラックの窓から見ていた景色は紛れもなく敗者の見る風景でした。

    何度目かの貨物の手続きを終えて、ドリジーまでもう少しのところでまた貨物の手続きがありました。

    いつも通り私たちはパスポートを提示して、モイーズが貨物の通過の手続きをします。

    しかしどうもモイーズの様子がおかしいです。そして心から悔しそうな顔をして絞り出すように言いました。

    モイーズ:「お金を払って欲しい」

    モイーズはこれまで私たちとの約束で、事前に契約した以上のお金の負担は私たちには要求しないという約束を忠実に守ってくれていました。食事代ですら彼は私たちに払わせませんでした。誠実な彼は絶対に約束を守ろうとしてくれていたのです。

    しかし、どうやらここまでの貨物の通過の費用が予想外に大きいもので、おそらく会社から渡されていたお金が足りなくなってしまったのでしょう。

    そのモイーズの顔を見て私は躊躇なくお金を払ってあげようと思いました。彼の今までの仕事ぶりを考えれば私にはそこに一切のためらいはありませんでしたから。

    しかしリョウさんは納得いかない様子でモイーズに対して「賄賂なのか?」「正規のお金で間違いないのか?」と聞いていましたが、現地の言葉もフランス語も話せて、何度もここを通過して警察官とも顔見知りのモイーズが話してもどうにもならないお金です。今までだって貨物の通過の手続きをしたときにはモイーズがお金を払っていました。なのでここは払うしかないのは明白です。

    私は財布を取り出しモイーズに素直にお金を渡してそれで払ってもらいました。ようやく書類にスタンプを押してもらって行こうとしたところ、納得のいっていなかったリョウさんが警察官に食って掛かっています。

    それを見て私はなぜだか大変腹立たしくなりました。なぜここで揉めるのか?モイーズはこれは「正規のお金」と言ったではないか!私はモイーズという男を信じていて、彼が正規のお金だと言ったのだから私は納得しているんだ!モイーズのあの悔しそうな顔を見て、ここで揉めたりしたら彼を余計悲しませるだけじゃないか!今まで忠実に約束を守ろうとしてくれていたモイーズが一番悔しかったんじゃないか!そう思ったらリョウさんのやっていることに大変腹が立ったのです。

    私:「なんでここで揉めるんですか!モイーズが正規のお金って言ったんだから私はそれを信じますよ!俺は彼を信じてるんだから!ここで揉めたって誰も得しないじゃないですか!ここで揉めて面倒なことになったらみんなに迷惑がかかるのがどうしてわからないんですか!」

    もちろんリョウさんにはリョウさんの感情があって納得できなかったのだと思います。それは否定してはいけないことなのかもしれませんが、このときの私はどうしても許せなく思ってしまったのです。

    警察の建物を出るとモイーズが吐き捨てるように「クソ!どこに行っても、カネカネカネだ!クソッタレが!」と悔しそうに言うのでした。

    我々はこの後この近くのちょっとしたバーで休憩を取ることにしました。

    すると、昨夜ニャンガにいたハイテンションツーリストであるドイツ人ライダーのマイケルがKTM990Adventureに乗ってやって来ました。

    マイケル:「ふぅ、昨日は地獄のような道だったけど今日は最高に楽しいダートじゃないか!村々の人たちもとても人懐っこくて最高だな」

    そんな風に話していると少し遅れてHONDA XL125に乗ったスイス人ライダーのクリスもやってきました。クリスも昨日ニャンガにいたようですが我々は顔を合わせることはありませんでした。ただ、宿にXL125が停まっていたのは見ているので存在は認識していましたが。

    クリス:「今日はみんなドリジーまで行くんだよね?どこの宿に泊まるの?」

    私たちとマイケルはその少し前に同じ宿に泊まろうという話をしていたのでその宿を伝えます。

    クリス:「わかった。僕のバイクは小さくて走るのが遅いから先に行くね。ドリジーでまた会おう」

    そういって爽やかなクリスは先に走って行きました。

    日が暮れかけたころ、私たちもドリジーの街に到着しました。蓋を開けてみれば事前に聞いていたようにガボンのンデンデから70kmを越えた地点からはそこまで難しい道ではなくなりました。しかしそれは結果論であり今更言っても仕方ありません。

    モイーズともう一人のトラックドライバーのジャンの自宅はドリジーにあるようです。ドリジーに到着するとジャンの奥さんと娘さんたちが迎えに出てきました。

    ジャンの家族
    今日の夕飯かな??

    ドリジーに到着して私にはいろいろな思いが交錯しましたが、一方ではやっぱりホッとしていました。ここで2~3日休養し、足の怪我の回復を図って旅を再開する予定です。

    モイーズもジャンもトラックからバイクを下ろし、我々の荷物を宿まで運んでくれるところまで最後まで本当に丁寧に真摯に仕事をしてくれました。

    本当にありがとう。

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  • コンゴへ…

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    3月8日(日)東京出発273日目、ガボン17日目、コンゴ共和国1日目 ンデンデ~ニャンガ トラック輸送

    この日は雨も降らず、かと言ってカンカン照りでもなく天気に恵まれ、ついにコンゴに向けて出発です。

    出発前にトラックドライバーの入出国手続き用の写真を撮って出国手続きをしたり、ガソリンを入れたりしたためンデンデを出発したのは結局10時過ぎになりました。

    前日の雨の影響か、前回私たちがバイクで走った時よりもさらに水たまりも深く、道路状況は悪いように感じます。

    我々が苦労した場所は四輪のトラックでも大変で、出発して間もないところでスタックしてしまいました。

    後ろから来た車にも助けてもらい、タイヤの下に草を敷いて脱出します。のっけから不安になります。

    そしてさらにしばらく走ると私が転倒して怪我をした地点に到着しました。やはりここはなかなかの難所です。我々が訪れた時点ですでに一台のトラックがスタックしていて、ちょうど別のトラックに引っ張られて引き上げられるところでした。

    我らがトラックドライバーのモイーズはここはなんとかスタックせずに通過することができました。それでも四輪のトラックで走って横転するのではないかと思うほどトラックは傾き、冷や汗を掻いたものです。

    モイーズ:「俺はグッドドライバーだから行けたけど、今のところは難関だったな」

    と言います。

    そして今来た道を振り返ると、今度は対向から来ていたトラックがスタックしてしまい真っ黒い煙を上げながら全力でエンジンを吹かしていますがどうにもなりそうにありません。

    モイーズが見に行きます。
    ヤバそうですけど、周りのトラックが助けるから大丈夫なようです

    モイーズが一旦トラックから降りて様子を見に行きますが、別のトラックが引っ張り上げるようでなんとかなりそうです。

    そのまま我々は先に進むことにしました。

    モイーズ:「お前が転んで怪我したのはどこら辺だ?」と聞くので

    私:「さっきのところです」

    と言うと、モイーズは笑っていました。

    ここから10kmくらいは難所らしい難所もなかったので、あの地点が最難関であって、あそこさえ乗り越えていればそのまま行けたのではないかと思いました。

    しかし、やはりそう簡単なものではありませんでした。

    10kmくらい進むと、今度も大きなトラックが完全にスタックしてしまいどうにもならなそうです。どう考えても我々のトラックで引き上げられるような大きさのトラックではありません。

    完全にスタックしています
    これはどうにもならなそうですね(;´д`)

    完全に道も塞がれてしまっているので我々も通ることができません。

    どうなってしまうのだろうかと待っていると後ろから大きなトラックが2台やってきました。

    このトラック2台がかりでこの大きなトラックを引き上げます。

    なんとか引き上げようとみんなで協力します
    もう一台前にいて、二台がかりで引き上げます

    トラックが引き上げられた瞬間、そこにいた人たちの大きな歓声があがりました。

    後に私たちの一日前にここを通過したライダーに聞いた話なのですが、その時点でもすでにあのトラックはスタックして身動きできなくなっていたそうです。ですので少なくとも丸一日はあの場所でああしていたことになります。

    12時半の影の写真。
    赤道が近いのでお昼の頃には影が大変短いです

    この時点ですでに時刻は14時を過ぎていました。10時にンデンデを出発して4時間経過して進んだ距離はたったの25kmです。このペースで行くと国境に到着するのが日が沈むころになってしまいます。

    我々はただ乗っているだけですので大丈夫ですが、この道を運転しているモイーズは本当に大変だと思います。

    このあとも幾つかの難所が現れます。
    他のトラックの協力も求めながらなんとか進んで行きます

    この後もいくつもの難所を越えて行きます。16時半頃にやっとコンゴとの国境までやってきました。

    手続き自体は非常に簡単なものです。ゲートをくぐって左側の小さな建物でパスポートの内容を記載してもらい、そこから20mほど先の2軒並んだ建物がイミグレーションとカスタムで、それぞれの場所でパスポートに入国印とカルネにスタンプをもらって入国手続きは完了です。

    国境を越えてすぐの村で新しいドライバーのジャンが加わります。モイーズは丸一日あの悪路を走って大変疲労していることでしょう。この日はここから更に40km先のニャンガという村を目指します。

    しかし国境を越えてからもしばらくは酷い悪路です。途中、酷く深い水たまりがあり、ジャンが入って深さを確認します。深いところですとジャンの股下まであります。

    ジャンが深さを確認
    股下近くまであるけどこんなところ行けるの??

    本当にこんなところを越えられるのでしょうか?

    モイーズが俺に任せとけと言った顔で「えいや!」と突っ込んでいきます。大きく傾くトラック。

    あわや横転と思われるほどグラつきましたが、そのまま一気に駆け抜けたモイーズ!

    いつものドヤ顔を見せるのかと思いつつ彼の顔を覗き込むと、頭を抱えて冷や汗を掻いています。

    おいおい!そんなギリギリだったのかよ!

    ここを越えるとその先には大きな難所はありませんでした。先日お世話になったフランス人ライダーやあのうさん臭い輸送業者が言っていた通り、ンデンデから先70kmを過ぎるとだいぶ道はマシになるというのは本当なのかもしれません。

    辺りが暗くなった19時過ぎにニャンガの村に到着しました。

    ニャンガの村に到着すると、事前に聞いていた通り警察で貨物の通過の手続きがあります。

    我々はパスポートを提示するだけで、実際の手続きはモイーズがやってくれます。

    始め二人の警察官がいたのですが、そのうちの一人とモイーズがどこかに行ってしまうと残った警察官が我々に言います。

    警察官:「もう一度私にお前らのパスポートを見せろ」

    そう言われたので我々は素直にパスポートを手渡します。すると

    警察官:「このパスポートは俺が預かる。明日の朝6時にここに取りに来い」

    あまりにもヘタクソな英語だったので何度も彼の言っていることを確認しているとリョウさんが、

    リョウさん:「Why?」

    と聞きました。

    するとよくわからない返事です。

    なので私が改めて聞きます。

    私:「どうしてあなたが我々のパスポートを保持する必要があるのですか?」

    警察官:「お前らは今夜この村に滞在するんだろ。だから俺がお前たちのパスポートを持っている」

    全く意味がわかりません。

    私:「今まで訪れた地域でも街でも国でも滞在するからといって警察官が私のパスポートを保持するなんていうことはどこでもありませんでしたよ」

    警察官:「お前たちがこの村に滞在するんだから俺がお前たちのパスポートを持っているって言っているんだ」

    ダメだ。話がかみ合わない。しかもなんだこいつ。目は座っているし呂律も回っていないぞ。おかしいんじゃないか?

    そんな風に押し問答をしているとモイーズともう一人の警察官が帰ってきました。すると我々が押し問答をしているのに気づいたもう一人の警察官がこの意味のわからない警察官をたしなめて我々にパスポートを返すように言ってくれました。

    私は完全にモイーズがいるということで気が緩んでいました。もしリョウさんの「Why?」がなければ私はもしかしたら素直にこの警察官の言う通りにパスポートを渡してしまっていたかもしれません。

    そんなことをしたら大変面倒なことになっていたかもしれないと思うと大変反省しました。例え誰が一緒にいようとも自分の身は自分で守るという緊張感はきちんと持っていないといけないです。

    警察での手続きが終わるとジャンが用意してくれた宿に向かいます。するとその途中BARのようなものがあり、ジャンがそこにツーリストがいると言って中に入って行きそのツーリストとやらを呼んでくれました。

    大変テンションが高くてべろべろに酔っぱらったファンキーな髪形のマッチョマンがやってきました。

    マッチョマン:「おお!お前らも荷物置いたらこっちに来いよ!飲もうぜ!」

    私はわかりましたと返事はしたものの盛り場は好きではないので、宿に荷物を置くと、この日はそのまま眠りに就くのでした。

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