• カテゴリー別アーカイブ 038_アンゴラ
  • 旅の終わり

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    3月19日(木)~22日(日)東京出発283~286日目、アンゴラ7日目 ルアンダ~ケニア・ナイロビ~カタール・ドーハ~日本・成田 飛行機移動

    昨夜、大統領令が発せられ3月19日一杯で空港を含むすべての国境が閉鎖されることが決定しました。

    これをもって私の9か月に及ぶ旅の終わりが確定したのです。

    しかし一つだけ問題が残っています。バイクをどうするかということです。

    当然今から日本への輸送の手配なんてしている時間はありません。

    カビンダでお世話になったシルバさんがルアンダに来るということで、クリスが昨夜から連絡を取っていたのですが途中でその連絡が途絶えてしまっていました。

    夜中の3時まで待っても連絡が無ければこの日は諦めて、次の日に再度連絡をしてみようということにしました。

    しかし3時になっても連絡は取れず、就寝することにしていたのです。

    一方でクリスは責任感が強く、明け方も早い時間からスマホを気にして起きていたのを私も認識していました。クリスはほとんど眠っていなかったでしょう。

    朝8時に起床しようと昨晩は話し合っていましたが、8時5分ほど前にシルバさんから連絡があったようで

    クリス:「シルバさんから連絡があったよ。今すぐに自宅まで来て欲しいってさ」

    シルバさんはいつでも突然ですが、そういう人だというのはわかっていたので特に驚きもしませんでした。

    私とクリスはすでに起きて準備をしていましたが、リョウさんはグゥグゥ寝ていたのですぐに起こしてそのまま出発することにしました。

    カビンダにもお屋敷があり、首都のルアンダにも大きな豪邸を持っているシルバさんは大変なお金持ちだということがわかります。しかしシルバさんが言うには、やはりルアンダの治安が良くないためルアンダにいることは少ないそうです。今回もカビンダから飛行機でルアンダまで来て、そのままルアンダから更に南に500kmのロビトに滞在する予定だと言っていました。

    シルバさんが我々のバイクをコロナ騒ぎが収まるまで預かってくれることになりました。このお屋敷でしたら安心して置かせてもらうことができます。

    私の飛行機は15時20分発でケニアのナイロビとカタールのドーハを経由して成田に到着します。ナイロビまではクリスも同じ便です。

    この日もまたシルバさんにお昼をご馳走になってしまい、空港まで送ってくださいました。アンゴラではシルバさんに最初から最後までお世話になってしまいました。

    15時20分に出港するというナイロビ行きの飛行機は全然出港することが無く、結局飛行機が出航したのは2時間以上遅れた17時40分でした。

    ナイロビでの乗継便が日付が変わった0時45分発ということで、ここで2時間以上遅れてしまうとどう考えてもその乗継便には間に合いそうにありません。

    17時を回った時点で私はケニア航空の職員に乗り継ぎに間に合わないのではないか?と確認に行くのですが「大丈夫。間に合う」の一点張りです。

    ナイロビはルアンダと時差が2時間あることをちゃんと把握したうえで言っているのか?と聞いても、「わかっている。問題ない」と言います。彼らが大丈夫だと言うのであれば私はそれ以上何も言えないので黙っているしかありませんでした。

    実際にナイロビに飛行機が到着したのは0時を少し回ったところでした。

    ナイロビ空港に到着してトランジットであっても全員コロナチェックのために問診票に記載と体温検査があります。どう考えても乗継便の時間には間に合いません。

    しかしルアンダ空港で大丈夫だと言われたので信じるしかありません。

    クリスとはここでお別れなのですが時間が無いためきちんと挨拶もできずにお別れとなりました。

    走って乗継便のゲートに行きます。

    しかしそこにはもうほとんど人影は見当たりませんでした。ゲートにいた職員にチケットを見せてこの飛行機はどうなったかと聞くと、「さっき出港したわ」と言います。

    なんだとー!

    ふざけるんじゃねぇよ!

    私:「何言ってるんだ!ルアンダから出港した飛行機が2時間以上遅れたんだ!ルアンダの空港で確認した時も乗継には問題ないって言われたんだぞ」

    ゲートの職員:「そんなの知らないわ」

    マジでなめんじゃねえよ。

    近くにケニア航空のカウンターがあったのでそちらに行って話をします。初めはこちらの話を聞いても小馬鹿にしたような態度で接してきます。

    本当に腹立たしいです。自分たちが同じように扱われたらどう思うのでしょうか?

    結局この日に乗れる便はないということで、更に次の日の夕方の便に振り替えてもらうことになりました。結果この空港の床に2泊することが決まりました。

    その二日間の間も飛行機に積んだ荷物がどこにあるのかを確認しても、職員ごとに言っていることが違ったり、一人一人が本当にいい加減で腹立たしいことこの上ない二日間でした。空港の床に寝ていてもやってくる清掃職員が「カネカネ」と言ってきます。

    最後の最後までイラつかせてくる奴らです。

    ナイロビ-ドーハ間の飛行機も減便しているようで、本当に私が乗る飛行機が飛ぶのかどうかもギリギリまではっきりしないのも不安の種でした。空港の職員に聞いても「そんなの知らない」とか平気で言います。中には「大丈夫です。飛びます」という人もいるのですが全然信用できないのです。それにそもそもちゃんと乗れなかった便からこちらの便に振替られているのかさえも信用できないでいました。

    しかし出港の2時間前に手続きが開始されることになり、無事チケットも発券されました。

    そこからはスムーズなものでドーハにも時間通りに到着し、成田までもスムーズに帰国するすることができました。

    帰国の途につくときはどんな気持ちになるのだろうか?感慨深いものはあるのだろうか?と思っていたのですが、感慨にふけるなんてとんでもないことで、「めんどくせぇなぁ」しかない帰り道であったことはここまで書いてきて通りです。

    そんなこんなで私の約9か月に渡る長い長い旅路は幕を閉じるのでした。

     

    とにもかくにも…、ただいま…

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  • アンゴラ大統領の宣言

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    3月18日(水)東京出発282日目、アンゴラ6日目 ソヨ~ルアンダ 移動距離400km

    この日はクリスのこの旅最後のツーリングの日です。

    カビンダでお世話になったシルバさんもこの日ルアンダにいらっしゃるということで、可能であればお会いしようというのもこの日中にルアンダを目指す一つの理由です。

    クリスは125ccの排気量の小さいバイクに乗っていてスピードも出ないということで朝早く出発して行きました。

    私も1時間ほど遅れて出発します。

    昨日の夕方から降っていた雨は止んで綺麗な青空が広がっていましたが、雨に濡れたソヨの町の道路は大変酷いものでした。

    足がまだ完治していない私は不意にバランスを崩して足を着いてしまうと転倒のみならず、怪我の悪化を招く恐れがあるので大変怖いです。

    しかしそんな悪路も最初の30kmほどで、そのあとは大変綺麗な道が続きました。

    検問もごくごく簡単なもので夕方にはルアンダにほど近い場所まで到着しました。ここでクリスを待ち合わせをしてルアンダのライダースクラブの拠点を目指します。

    ルアンダの街は大変発展していますが、一方で海岸沿いにはスラムが広がり貧富の差が大きいのが伝わってきます。

    この格差が治安の悪化をもたらしているのは明白です。ルアンダの治安の悪さはアフリカの都市の中でも指折りで、中には信号待ちをしている車に対して強盗をはたらき、周りの人たちも見てみぬふりというような噂も聞きます。

    17時半頃

    ルアンダにあるライダースクラブの拠点に到着しました。5~6人ほどのライダースクラブのメンバーが出迎えてくれます。

    中には英語も多少話せる人がいたのでその人たちとは会話をすることができました。

    基本的にはクリスがスペイン語で話をしてくれるのですが、いくらスペイン語とポルトガル語が似ていると言ってもクリスの話す内容を相手はすべて理解してくれるようではありません。

    私も彼らの動きを見ていて、どうもクリスとかみ合っていないんだろうなというのを感じ取りました。

    そして、この日はライダースクラブの拠点にバイクを置くことなく、彼らが紹介してくれた格安で環境の良い宿に移動することになりました。

    私:「クリス?彼らはクリスの言ったことを理解してくれたの?」

    クリス:「たぶん伝わってない。スペイン語とポルトガル語だったから細かいことが伝わらないみたいなんだ。今夜シルバさんもルアンダに来るみたいだから、連絡をしてみて可能ならばシルバさんに助けてもらおうと思う」

    宿に併設されている食堂にいると、シャワーを浴びて遅れてきたクリスが開口一番驚きの事実を口にします。

    クリス:「アンゴラも国境閉鎖するみたい。20日0時をもってすべての空路も閉鎖されるらしい」

    私:「20日?!20日ってことは明後日だよね。0時っていうのは19日一杯ってこと?それとも20日一杯ってこと?」

    クリス:「わからない。僕は20日の飛行機を予約してるんだけど、飛ぶかどうかわからない…」

    私:「ちょっと日本大使館に電話して確認してみるよ」

    そう言って私は在アンゴラの日本大使館の24時間対応の緊急連絡先に電話をしてみることにしました。

    私:「私は現在アンゴラにいる日本人ツーリストです。20日0時をもってすべての国境が封鎖されるという話を聞いたのですが本当なのでしょうか?」

    大使館職員:「正式な発表としては我々は受けていません。しかし私たちの所にも同様の情報がいくつかの所から入ってきているのも確かです。今から15分後の20時からアンゴラ大統領の発表があります。もしテレビを見られる環境にいるのでしたらそちらもご覧になってみてください。その情報につきましてはかなり信憑性の高いものだとは思われるのですが、正式発表を受けていない以上、現時点で断定的なことは言えないのです」

    幸いなことにここの食堂にはテレビが設置されていたため、従業員にお願いして国営放送にチャンネルを合わせてもらいます。

    20時

    画面には見るからに大統領だと思われる人が映し出されました。

    やはりクリスからの情報は確かだったようです。そして私のスマホには折り返し大使館から電話がかかってきました。

    大使館職員:「先ほど大統領からの発表がありました。正式に明日一杯ですべての国境が封鎖されることが決まりました。日本行きの最終便は明日の18時15分です。それに乗り遅れないように頑張って飛行機に乗ってください」

    さらに宿の職員からも連絡が入りました。クリスはもともと明後日の飛行機の予定だったため、二日間の滞在を宿には伝えていたのですが、大統領令を受けて、明日の夜の以降の滞在は不可能になったということでした。

    私の旅の終わりは自分の意思とは無関係に、残酷にも外部から伝えられる結果となりました。

    私:「クリス…。クリス本当にありがとう。もしクリスが一緒にいなかったら俺は本当に大変な状況に陥っていたよ」

    クリス:「そんなことはないよ。ヒデだって今までずっと困難を乗り越えてここまで来たんだから。きっと僕がいなくても自分の力で乗り越えているさ」

    今回の件については決してそんなことはなかったと思います。クリスはもっと早い段階でこの旅の終着点をルアンダと決めていました。そのおかげでより早いタイミングでアンゴラの国境が19日一杯ですべて閉鎖されるという情報をキャッチすることができました。それがなければ私は国境が閉鎖されるという情報すらキャッチすることなくこの国に閉じ込められることになっていたでしょう。

    この数日のコロナ騒動の影響の伝播の早さを考えれば悠長に構えている余裕なんてなかったはずです。その緊急性をいち早く察知し行動に移しアンテナを張っていたクリスはやはり相当に聡明な男です。

    今回の件については私が愚鈍であったと言わざるを得ないでしょう。もしこのままアンゴラに閉じ込めらていたらそれは私個人だけでなく日本大使館職員を含め多方面に迷惑をかけていた可能性があります。それを考えると大いに反省しないとならないかもしれません。

    さらにラッキーだったことはこの日に首都ルアンダに到着したということです。一日早くついていたらルアンダを離れてしまっていた可能性もあります。この日にいたおかげで明日の飛行機に乗ることができたのです。

    いずれにせよ、この日、私の9か月に渡る旅の終焉を告げる鐘が鳴らされたのは確かなことでした…。

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  • TIA

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    3月17日(火)東京出発281日目、アンゴラ5日目 カビンダ~ソヨ 飛行機移動

    朝7時

    8時出航のフライトに間に合わせるため、私たちはカビンダの空港に来ていました。

    シルバさんに大変お世話になり、この日も車で空港まで送ってくださいました。

    カビンダの空港にて

    シルバさんも明日はアンゴラの首都ルアンダに行くそうです。

    案の定飛行機は1時間ほど遅れて出港しました。

    小さなプロペラ機で大変心許なく、乗っている子供たちは怖いのか大声で泣いている子も何人かいます。しかし、毎日2便本土とこのカビンダを往復しているそうですので問題ないでしょう。

    ところがソヨの空港に着陸が成功すると乗客からの拍手喝采です。

    私:「なんだってみんなしてこんなにも拍手しているんだ?」

    クリス:「そりゃ、こんな小さな飛行機に乗ってみんな怖かったんだよ」

    国内線なのでそのままほとんど素通りで通れるかと思っていたらそうは問屋が卸しませんでした。

    クリスが別室に呼ばれていきます。30分くらい経っても戻ってきません。私とリョウさんのパスポートも取られたまま返ってこないので、仕方なく私は様子を見に行きました。

    すると事務所の職員から椅子に座るように言われます。

    職員:「あなたはたくさんの国に出入りしているようだけど、どういうルートでここまで来たか教えてちょうだい」

    私:「ロシア、モンゴル、中央アジアからトルコを抜けてヨーロッパに入りました。スペインからモロッコに渡り、モーリタニア、セネガル、ギニア…etcといった感じです」

    職員:「スペイン?!スペインの前はどこにいたの?」

    私:「フランスです」

    職員:「その前は?」

    私:「イタリアです」

    職員:「イタリア?!スペインにもイタリアにもいたの?!」

    信じられないわというようなオーバーアクションと大声で周りの職員たちにも訴えています。

    空港で働くような職員なのにどうしてこいつらはこんなにもアホばかりなのでしょうか?コロナ騒動が始まったのはほんの2か月前。ヨーロッパで騒がれるようになってからでも1か月も経っていません。これだけの国を回って来てほんの2~3週間前にヨーロッパにいたわけがないのです。

    自分たちが少しでも差別的な対応をされると大騒ぎするのに、自分たちはアジア人(特に中国人)に対してひどい差別をすることは平気なのです。

    とりあえず私は直近でコロナの流行地域にいたわけでは無いので、そのことを説明しパスポートを返してもらいました。

    それでも時刻はまだ10時を少し回ったところです。船は午後2時~3時くらいに港に到着するということでしたので少し時間はあります。

    近くの食堂で朝食兼昼食を摂ることにしました。

    クリス:「南アフリカに陸路で入るのは絶望的になったらしい。ナミビア、ボツワナから南アフリカに入る陸路の国境はすべて封鎖されてしまったらしいんだ。だから僕は恐らくルアンダ(アンゴラの首都)でこの旅を終わりにすると思う。家族も心配していて帰ってくるように言っているし」

    私:「そうか…。つい数日前まではアフリカはコロナの影響はほとんどなかったけれど、あっという間だったね」

    クリス:「コンゴも国境が封鎖されたらしいよ。僕たちはラッキーだった。コンゴに比べたらアンゴラの方が圧倒的に環境が良いし、アンゴラはまだ封鎖されていないから帰国しようと思えばまだそれも可能だ。コンゴに閉じ込められてしまっていたら最悪だったよ」

    この時点で私がとりあえずのゴールと考えていた南アフリカまで到着することはできないことがわかりました。

    さてどうしたものか?

    今の状況を考えれば時間が経てば経つほど状況は悪化するのは目に見えています。

    この時間のない状況でバイクを日本に輸送する手続きをするのはまず難しいでしよう。そうなると私がこれから考えることはいかに安全な場所にバイクを保管してもらって、どこから日本に帰国するかです。

    クリスはルアンダでシルバさんから紹介してもらったバイカーズクラブの人の所にバイクを置かせてもらって帰国する予定だそうです。

    私のバイクもそこに一緒に置けるのかをクリスに確認してもらったところ、十分なスペースがあるのでそれは大丈夫とのことでした。

    あとは実際にどのような場所なのかを見させてもらって、大丈夫そうならそこで私の旅を終えることも視野に入れないといけないなと考え始めました。

    午後2時

    私たちは船が到着するという港に行きました。

    そこは日本人がイメージするような港とは違って、ただの砂浜にたくさんの船がひしめいて着岸し、たくさんの人が行き交う大変汚い場所でした。

    言われていた3時を過ぎても船は一向に現れる気配が無かったのでクリスが船会社の職員に電話をしてくれます。

    すると

    クリス:「1時間後に着くって」

    とのことでした。

    しかしさらに1時間待っても船が着く気配が無かったので再度クリスが電話をすると

    クリス:「1時間後だって」

    ということでした。

    このときクリスがある言葉を教えてくれました。

    「TIA」

    This Is Africa(これがアフリカだ)

    の頭文字を取って「TIA」というそうです。これは2006年公開のレオナルドディカプリオ主演「ブラッドダイヤモンド」の映画で出てきたフレーズだそうです。シエラレオネのダイヤモンド産業の闇を追ったサスペンス映画だそうです。

    「TIA」…

    アフリカに来て感じたことは都市部の目覚ましい発展と、その裏にある格差社会です。富がうまく分配されれば苦しむ人の数も減るだろうにと思います。
    それが今の「TIA」なのかもしれません。

    しかし一方で教育を受けられる子供の数も飛躍的に伸びていると思われます。アフリカにいても朝や午後の時間帯には制服を着て登下校する子供たちの姿をたくさんみかけます。アフリカだけの統計はわかりませんが、世界全体として95%以上の子供たちが学校に通えるようになり、女の子だけでみても90%以上の子供たちが現在学校教育を受けているという話も聞いたことがあります。

    今の子供たちが大人になるころには、「TIA」がまた別の良い意味に書き換えられる未来になっていることを願ってやみません。

    午後4時を過ぎたあたりから降り出した雨は激しくなり、午後5時過ぎ、ようやく私たちのバイクを載せた船がやってきました。

    また船の従業員が「金を払え」と言ってきます。すでにカビンダにいたときにバイクを受け渡し時にはお金はかからないという話を聞いているのでクリスが船会社に電話をして、さらにその内容を近くにいた警察官に聞いてもらい、警察官からこの船の従業員にお金の要求はしないようにと言ってもらいました。

    それでも中にはこっそり私のところにやって来て「金をよこせ」と言ってくる輩がいます。

    最初は黙って無視をしていたのですが、いざ私のバイクを下ろす段になると、なんと私のバイクのミラーを引っ張られて両方とも取れてしまっていました。

    実際は折れてしまったわけでは無いのですぐに付け直せるものではあったのですが、あまりにも「カネカネ」うるさい奴らがいるので、

    私:「うるぁぁ!見ろコレ!折れてるじゃねぇか!あぁぁ!こらぁ!おめぇら全員カネ払えや!オラァ!カネ払えよコノヤロー!オラァ!カネ払えや!」

    とカネカネうるさい奴らに言うと、みんな苦笑いはするもののスゴく嫌そうな顔をしていました。

    どうだコノヤロー!カネカネ言われるとすげぇ嫌な気持ちになるってわかったか!てなもんでした。

    無事バイクを受け取り、宿に戻ります。

    明日、我々は首都のルアンダを目指します。

    昨年の9月にスイスを出発したというクリスの旅において、明日が最後のツーリングになります。

    私もいつ最後のツーリングの日を迎えることになるのか今は全く状況がみえません。ただ、このとき決断の時期を見誤らないことが大切なことだけはわかっていました。

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  • 小さなボート

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    3月16日(月)東京出発280日目、アンゴラ4日目 カビンダ

    3月15日は日曜日のため船の手続きもできなかったので、シルバさんのご自宅でのんびりと過ごさせていただきました。お昼には車で少し離れた港にある魚料理のお店に連れて行ってくれご馳走してくださいました。

    3月16日(月)

    朝8時前に起床しシルバさん宅のリビングでクリスと二人でゆっくりとしているとシルバさんがやってきて「時間が無いからすぐに行くぞ」と言います。

    大慌てで準備をして出かけます。

    本当は前日にシルバさんに予定を確認したかったのですが、ご本人が不在で確認できないでいたのです。

    このときリョウさんはすでに2日分の宿代を払ってしまっているということでシルバさん宅には滞在しておらずに別に一人で宿にいたため、すぐに連絡します。

    リョウさん:「すぐには無理です。急ぎますけど」

    そりゃそうだなと思います。いきなり言われても慌てます。

    我々はリョウさんの滞在する宿の隣の食堂に行き、そこでコーヒーを飲みながらリョウさんを待つことにしました。

    一時間ほどしてリョウさんもやって来たので、さっそく港まで行きアンゴラ本土にバイクを送る船の手配をします。

    ここではシルバさんがすべて話をしてくれるので我々は言われた書類を提出するだけで難しいことは何もありませんでした。

    我々はこの船には乗れないので、その後空港に行き本土までの飛行機を予約しました。

    船の金額が34,000クワンザ(約6,800円)、飛行機が14,000クワンザ(約2,800円)と、国内線のため金額も大したことありません。

    そして一旦シルバさん宅に戻るとバイクに乗り換えて港に行き、船にバイクを載せます。

    いやいや期待はしていなかったのですが、まさかまさかこんな小さなボートだったんですね…。

    船って、思ったよりもずっと小さいボートでした

    ベナンからガボンにバイクを輸送するときに使ったCASSANGAって相当な船だったのですね。

    今回も当然人力で担いでバイクを船に載せます。距離としては70kmほどなのですが、果たしてこんな小さな船で無事に本土まで辿り着くのでしょうか?

    人が担いでバイクを船に載せます
    大きい波が来たら簡単にひっくり返りそうな船です
    無事に本土まで来てね\(^_^)/

    ここではシルバさんが一緒に積載を手伝ってくれるので安心ですけど、降ろすときにはシルバさんはいないのでそれも不安です。

    現に今ここでもここで働いている奴らがこっそり私のところにやって来てカネカネカネと言っています。

    本当に面倒くさい…。

    向こうでのバイクの受け取りについてや連絡先などについてはスペイン語の話せるクリスがすべて説明を聞いてくれて対応してくれました。

    シルバさんとのやり取りから船の手続き関係についてはほとんどすべてクリスに頼りっぱなしで大変申し訳なかったのですが、このコロナ騒ぎでいつどうなるかわからない状況のため、時間面を考えてもクリスがいてくれたことは本当にありがたいことでした(それにクリスという人間の人柄が大変素敵で一緒にいてすごく楽しかったです)。

    シルバさんの家で撮影

    明日の午前の便でアンゴラ本土に上陸し、午後にはバイクの受け取りができるそうです。

    こんなにもスムーズにことが進んだのはシルバさんとクリスのおかげです。本当に感謝の言葉しか見当たりません。

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  • 忍び寄る魔の手

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    3月14日(土)東京出発279日目、アンゴラ2日目 カビンダ

    さて、私はここカビンダからアンゴラの本土に向けて船を探さないとなりません。ある程度の情報があることはわかっているのですが、情報を得るためにもインターネットに接続できる必要があるのでsimカードを買いに行きます。

    宿の人にどこでsimカードが買えるかを聞くと、わざわざ案内してくれると言ってくれました。

    ここアンゴラの公用語はポルトガル語で、英語を話せる人は少ないのですが、モバイルショップに行っても周りの人たちが気を使ってくれて助けてくれるので問題なくsimカードを購入することができました。

    アンゴラでは自国の通貨であるクワンザに対する信用があまり無く、USドルを欲しがる傾向にあるようで、闇両替でUSドルをクワンザに両替すると実際の相場よりもだいぶ良いレートで両替してくれるという情報も得ていました。

    街を歩いていると闇両替商っぽい男が話しかけてきます。

    レートを聞くと100USドル=55,000クワンザで両替してくれるというので(一般の相場では100USドル=49,000クワンザ)だいぶお得だと思いお願いすることにしました。

    すると複数人の男たちがやって来て、ここでは警察の目もあるから人目の付かないところに行こうと言います。

    恐らく大丈夫だとは思うのですが、複数の男たちに人目の付かないところに連れていかれるのも良い気がしないので断ります。

    「なんでだ?」

    と聞かれたので、ふざけて「お前らみんなで俺を人目の付かないところに連れて行って殴る蹴るの暴行を加えるだろ?」と笑いながら仕草を交えて伝えると、そんなことするわけないだろって向こうも笑いながら応じていました。

    しかし、こちらの気持ちを汲み取ってくれたようで、周りから見えないようにみんなで囲んでこの場で換金してくれることになりました。

    私が20ドル札と10ドル札の組み合わせで100ドルを渡すと、急に100ドル札では無いからこれなら45,000クワンザだと言い始めます。

    どうしてもクワンザが欲しかったわけでもないので、「だったら両替は必要ない」と言うとそれは困ると言った顔で渋々55,000クワンザを渡してきました。

    向こうがこちらの渡した100ドルを確認すると今度は「2017年発行のお札は良いけど、2009年発行のお札は嫌だ」と言い始めます。

    2009年発行のお札がぼろぼろだったらその言い分はわかるのですが、きれいなお札なのでこちらとしても腑に落ちません。

    それにそれ以外のお札はこのとき持ち合わせていなかったため交換もできないのでめんどくさくなり、すべて断ることにしました。

    最初言ってたことからコロコロ話を変えてきたりイチャモン付けてきたり、本当にめんどうな奴が多くて辟易します。

    ま、手元にはすぐには困らない程度のクワンザがあるので問題ないです。

    さてさて、それでは情報を集めるために一旦宿に戻ろうとすると、なんと私の宿の隣の食堂の前に見たことのあるXL125が停まっています。

    このXL125は!!

    私は歓喜の声を上げて食堂に入り

    私:「クリス!」

    と叫びます。

    クリス:「わぉ!ヒデ!」

    もちろんドリジーからポワントノワールに同日に向かった私たちがここカビンダで再会するのは不思議なことではないのですが、クリスはカビンダからコンゴ民主に抜けて再度アンゴラに入る予定だと聞いていたため、敢えてカビンダの中心部には滞在しないで(人が多いところに行けば当然治安面の不安や渋滞などに巻き込まれる率が上がるので)、中心からは少し外れたところからそのままコンゴ民主に向けて走るものだと思っていました。

    私:「クリスはコンゴ民主に行ってそこからまたアンゴラに入るんだよね?」

    クリス:「その予定だったんだけど、最近のコロナ騒動でコンゴ民主には入れない可能性が高いんだ。実は昨日マイケルから連絡があって、ブラザビル(コンゴ)からキンシャサ(コンゴ民主)への国境は閉鎖されてしまったらしい。コンゴは近いうちに空港も含めた国境を近いうちに全部封鎖するみたいだよ。だからマイケルはブラザビルにバイクを置いてそのままドイツに帰国するらしいんだ」

    私:「え?本当に?!あ!!クリス!これ見て。ガボンはすべての国境を封鎖したって!ンデンデ-ドリジー間もダメみたいだよ。たった5日前に我々はここを通過して、そのときは何でもなかったのに…」

    クリス:「本当にこれはマズいなぁ。コートジボワールも完全に封鎖だって…。それからヒデはマックスのことは知ってるんだっけ?マックスは今カメルーンにいて全ての国境が封鎖されてしまったから身動き取れなくなってしまったらしいんだ。幸いにも現地の人と仲良くなってその人の家に泊めてもらっているらしいんだけど。僕たちも急がないと大変なことになってしまうかもしれないよ…。ヒデはこの先どうするんだっけ?」

    私:「俺はコンゴ民主のビザが取れなかったからここからアンゴラの本土に向けて船にバイクを載せるしかないんだ。ちょうど今から船を探そうとしていたところなんだ」

    クリス:「僕もちょうどコンゴ民主に行くか船でアンゴラ本土に送るか迷ってたところなんだ。情報集めもしたいから、一緒に船会社に行く?僕のバイクの後ろに乗って良いよ」

    私:「ありがとう!それは助かるな」

    そういうとお会計を済ませて我々は早速船会社の事務所を訪ねることにしました。

    クリス:「うーん。船会社はこの辺りだと思うんだけどどこも閉まっちゃってるな…。そうか!今日は土曜日だからやってないのかも…」

    私:「そうか!今日は土曜日だった。あと俺の知っている情報だとアンゴラのライダースクラブのジュリオ・シルバさんという人がカビンダに住んでいるらしいんだ。その人がカビンダから本土に向けてバイクを送る手伝いをしてくれるかもしれないっていう話だよ。その人の家の場所も分るから行ってみない?」

    クリス:「ぜひ行ってみよう」

    カビンダは中心部にほとんどすべてのものがそろっているので移動が少なくて大変助かります。シルバさんの家もすぐ近くにありました。

    高い外壁に囲われたお屋敷がシルバさんのご自宅でした。

    インターホンを鳴らしてスペイン語のできるクリス(アンゴラの公用語はポルトガル語ですが、ポルトガル語とスペイン語は大変似ているようでお互いにかなり理解できるようです)が事情を説明してくれます。

    中に入れてもらうとシルバさんはどうやら仕事中だったようですが、我々の話を聞いてくれました。

    シルバさんの書斎にはバイクの模型が飾ってありました。
    これはYAMAHA YZ250
    こっちはHONDA XR400
    シルバさんは日本車が好きみたいです。
    現在はHONDA Africa twinとYAMAHA Super Tenereに乗っているようです。
    日本には世界中のライダーが憧れるバイクがたくさんあるのに、日本では規制規制規制でどんどんこの産業が苦しくなってしまっているのが悲しい限りです。
    実際に日本ではバイクに乗る人も全然少ないですしね(>_<)

    まずはクリスがコンゴ民主の現状を聞くと、やはりマイケルの言ったようにコロナ騒動で今から入国するのは大変だと思うということでした。それを受けてクリスもカビンダからアンゴラの本土に向けて船を使うことに決めたようです。

    クリス:「そういえばリョウはどうするって言ってたっけ?」

    私:「彼も同じ船を使ってアンゴラ本土にバイクを送るはずだよ。ポワントノワールで病院に寄ってからこっちに来るって言ってたから、今日か明日にはカビンダに来るんじゃないかな?」

    クリス:「リョウは体調でも悪いの?」

    私:「耳垢を取ってもらうために病院に行くみたいだから大丈夫だと思うよ」

    クリス:「すぐに来るんだったら一緒に運んでもらった方が良いよね?」

    私:「シルバさんの手間を考えてもそっちの方が良いと思う。クリスは時間的に待ってて大丈夫?」

    クリス:「僕は大丈夫だよ。それに今日は土曜日だから、手続きができるが月曜日以降みたいだから」

    私:「OK。じゃ、俺からリョウさんには連絡するよ」

    そう言って、私はリョウさんのメッセンジャーに「カビンダからの船にバイクは一緒に載せたほうが良いからカビンダに着いたら連絡ください」とのメッセージを残しました。

    シルバさんはポルトガル語しか話せないため、私はほとんど会話をすることはできませんでしたが、カビンダに滞在している間はこの家で寝泊まりして良いよと言ってくださいました。

    しかも食事もいつもご馳走してくれるのでした。

    一旦宿に戻り荷物を整理してシルバさんの家に行こうと思ったのですが、広げてしまった荷物を慌ててパッキングするのも億劫になり、この日はもう一日この宿に滞在することにしました。

    昼寝をして、起きると時刻は夕方になっていました。

    ふとスマホを見るとリョウさんから返信が来ていました。

    リョウさん:「先ほどカビンダに到着しました。同じ宿にいます。気づいたら連絡ください」

    部屋から出て見るとちょうど私の部屋の正面がリョウさんの部屋だったようで、部屋の前でタバコを吸っていました。

    リョウさんにはシルバさんのことを伝え、月曜日以降に手続きを開始することと、その間はシルバさんのご自宅に滞在可能なことを話しました。

    世界的に広がるコロナ騒動。ついに、そして急速にその魔の手はアフリカにも広がり始めています。

    この先、私の旅はどうなってしまうのでしょうか?

    今後難しい状況判断を迫られるときが来ることは間違いないと思われます。冷静に状況を見て、しかるべきタイミングではしかるべき判断ができるように、今このときから考え始めないといけない時期にきているのかもなと思い始めました。

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  • アンゴラ入国

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    3月13日(金)東京出発278日目、コンゴ共和国6日目、アンゴラ1日目 ポワントノワール~カビンダ 走行距離182km

    この日はコンゴからアンゴラの飛び地であるカビンダへの移動となります。

    ビザを取得するのも面倒だったアンゴラですから入国手続きも面倒そうです。

    朝起きるとあまり体調が良くありません。宿泊していた宿が少し高級でしっかり冷房が効いていたのは良いのですが、そこはコンゴクオリティであって、リモコンが無く、効き過ぎていた冷房の温度調整ができなかったことと、冷房の風が直接私の顔面に当たった状態で寝ないとならなかったことが原因です。

    だるいなぁ、どうしようかなぁなんて思いながらダラダラと時間だけが過ぎて行きます。

    ただここでこうしていても仕方ありません。えいやっと立ち上がり出発することにしました。

    朝10時

    ギラつく太陽は相も変わらずです。

    カビンダの中心部までの距離は140km程度ですので国境越えを考えても十分時間はあります。

    ポワントノワールから国境にかけては空港の西側を南下していくのが一番早そうなのですが、私の地図アプリでは西側のルートは途中で道が途切れていて東側から迂回するように示していています。

    それに従い私は空港の東側に迂回していくのですがそれは誤りでした。

    空港の東側には市場がありコナクリを思い出させるような悪路の大渋滞の中を進んで行きます。

    やっとの思いで市場を抜けたと思うとそこからが大変でした。ガボン-コンゴ間を彷彿させるとんでもない悪路が始まります。私の足首の状態を考えるととてもではありませんが走れるような道ではありません。

    迂回路を必死に探すのですがどこに行っても悪路悪路悪路の連続です。

    どうしたものかと考えます。

    ここを通らない限りアンゴラに行けないのであれば行くしかありません。でも本当にこんな悪路を走らないとならないのでしょうか?

    歩いている人に声をかけてみても英語を話せる人は皆無です。

    私が何に困っているのかすら理解してもらえません。

    するとあるおじさんが英語を話せる若い青年を呼んできてくれました。

    青年:「お前は何に困っているんだ?」

    私:「アンゴラとの国境に行きたいんだ。でもこの悪路だろ。足を怪我していてこんな道を走って行くのは難しいんだ。どうにか整備された道から国境まで行けないか?」

    青年:「なるほどな。こっちからじゃどこに行ってもとんでもない悪路しかないな。国境に続く整備された道まで案内することはできるけど俺には『足』がないんだ。もし俺を必要とするなら、俺がお前を案内する方法を提案してくれないか?」

    私:「ここからそこまでは遠いのか?」

    青年:「そこそこあるな。10kmか20kmか」

    私:「そうか。わかった。俺がタクシー代を払うからそれに乗って先導してくれないか?」

    青年:「それで良いならそうするよ。タクシーを見つけるからちょっと待っててくれ」

    そう言ってその青年はタクシーを見つけてきてくれました。

    ここから国境に続く国道までの往復のタクシー代で4,000XAF(約800円)ということだったので、彼へのお礼を含めてもこの日の国境越えを諦めてもう一泊するよりも全然安いため、彼にお願いすることにしました。

    彼の乗るタクシーの後をついて行くとなんて事の無いことでした。単に私が滞在していた宿から素直に空港の西側のルートに行けばよかっただけでした。

    この青年は大変丁寧な男で、何かあったらいつでも電話してくれと言って、私に電話番号を教えてくれてそのまま去って行きました。

    私の地図アプリでは途中で道が途絶えてしまうのでしたが、こちらの道は綺麗に舗装された道が国境まで続いていました。

    国境に着くとイミグレーションに行く前に体温チェックがあります。

    私の国籍が日本ということと、たくさんの国を通過してきていることからコロナの心配をして、担当医官も嫌そうな顔をします。

    この女性担当医官はブツブツと何か言いながら怪訝な顔をしています。

    私が日本を離れたのは9か月前で、スペインからモロッコに渡ったのも3か月前なのでコロナの流行地には直近ではいないということを伝えるのですが、蔑んだ目で私を見るだけです。

    近くにいるアホどもも「コロナ、チナ(チャイナ)、コロナ、チナ」と馬鹿にしたように言ってきます。

    こいつらは自分たちが差別的な扱いを受けることには敏感なくせに、人を差別するのは平気な民族なのですね。

    イラつくのはイラつくのですが文句を言って揉めても仕方ないので「お前らはストロングだからコロナにはならないんだな」と言うと、「そうだ!俺たちはストロングなんだぜ!」と大盛り上がりになって握手まで求めてくる始末です。

    どうしようもないおサルさんたちだよ、と心な中で毒づくのですが、こんな奴らと争ったところで何も生まないどころか、こいつらと同じになってしまうと思いグッと我慢するのでした。

    この女性担当官もどうにかパスポートを返してくれ(熱もなければコロナウィルスのハイリスク国を通過してきたわけでもないので当然なのですが)、どうにか出国手続きを続けることができました。

    コンゴの出国手続きはとても簡単でイミグレで出国印をもらい、道路を挟んで向かいの税関でカルネにスタンプをもらうだけです。国境での手続きは何度経験してもストレスのたまるものですが、自分のペースで自分で動けることを考えると一人になったことはだいぶ気楽なものでした。

    アンゴラの入国手続きに入ると予想していた通り大変面倒です。

    私が日本人であるということを知ると私一人だけ別の場所に行くように言われます。そこで紙を渡されて通過してきた国を書けと言います。

    コノヤロウとは思うのですがやるなら徹底的にやってやろうじゃねぇか!と思い、日本出国からアンゴラ入国までの全ての入国日と出国日、陸路なのか船なのか飛行機なのかをすべて記載して出してやりました。

    すると嫌がらせなのか何なのか「続きが無い」と言って突っぱねてきます。

    続きってなんだよ!お前らの目的は何なんだ?あ?自国にウィルスを持ち込んでほしくないからこうやって調べてるんじゃないのか?

    適当に南アフリカから日本に帰るまでの今後の予定を追記して再度提出すると「待っていろ!」と言われてそのまま放置されました。

    1時間経っても2時間経っても放置されたままです。職員の中に一人ご年配の男性がいて、その方だけは私と目が合うとニコっと笑ってくださっていました。そういう人が一人いるだけでイライラであったり不安はだいぶ解消されるものでした。

    一方でこのとき私が一番心配していたのが、夜暗くなってからの移動が嫌だなというものでした。

    どこまで信用できるものなのかはわからないのですが、外務省が出している渡航安全情報によるとここから向かうカビンダの治安に多少の不安があったのです。

    カビンダはアンゴラ内において面積としてはあまり大きくはありませんが、石油が産出され、アンゴラにとっては非常に重要な地域だそうです。一方でカビンダの人たちはアンゴラからの独立も目指していてそのあたりの意識により治安が不安定になっているということでした。

    17時を過ぎても手続きが終わらない場合はここでテントを張って明日の出発にしようかとも考え始めていました。

    手続きを開始して3時間ほど経過し時刻は16時ちょうどを指した頃でした。ようやく職員に呼ばれ

    「パーフェクト(完璧だ)。ノープロブレム(問題ない)」

    と言われ、やっとパスポートに入国印を押してもらえました。

    そして今度は税関でのバイクの一時通行許可書の発行です。こちらもなかなか面倒な手続きと聞いていたのですが、思ったよりも難しいことはなく、税関に併設されている銀行に6337クワンザ(約1300円)を支払い、バイクの写真を撮影して所長の印をもらうだけで終わりました。

    時刻は16時半を少し回ったところですので、ここから約100km先のカビンダの中心地までは日没までには十分行けそうです。

    アンゴラは資源が豊富に産出され経済的にも豊かであるとは聞いていたのですが、田舎の方はまだまだ発展しているとは言い難いようでした。

    日没の少し前にどうにかカビンダの中心街に到着すると綺麗に整備された街並みは大変落ち着いていて治安の悪さはあまり感じるような雰囲気ではありませんでした。

    実際に宿の人たちに聞いてみても、「この辺りは治安はだいぶ良いよ。心配するようなことはほとんどないと思う」という返事でした。

    外務省もすべての地域に実際に行って調査することは不可能でしょうし、事件や事故を未然に防ぐ意味でも厳しめの評価をせざるを得ないと思います。ですので、実際にはどうなのかというのははっきりとした情報が無い限り、自分の目で見て確かめるしかないのだろうと思います。

    さて、私はここカビンダに隣接しているコンゴ民主共和国(旧ザイール)のビザを持っていません。そのためカビンダから南下していくにはアンゴラ本土に向けての船を探さないとなりません。それについては国内船ですし、そこそこ情報があるのでそこまで困難なものだとは思ってはいないのですが、西アフリカのルートはバイクで走っているよりもそういった事務作業ばかりになってしまうのでウンザリします。

    それでもアンゴラに入ったという安心感は私の中では大きいものでした。

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