3月19日(木)~22日(日)東京出発283~286日目、アンゴラ7日目 ルアンダ~ケニア・ナイロビ~カタール・ドーハ~日本・成田 飛行機移動
昨夜、大統領令が発せられ3月19日一杯で空港を含むすべての国境が閉鎖されることが決定しました。
これをもって私の9か月に及ぶ旅の終わりが確定したのです。
しかし一つだけ問題が残っています。バイクをどうするかということです。
当然今から日本への輸送の手配なんてしている時間はありません。
カビンダでお世話になったシルバさんがルアンダに来るということで、クリスが昨夜から連絡を取っていたのですが途中でその連絡が途絶えてしまっていました。
夜中の3時まで待っても連絡が無ければこの日は諦めて、次の日に再度連絡をしてみようということにしました。
しかし3時になっても連絡は取れず、就寝することにしていたのです。
一方でクリスは責任感が強く、明け方も早い時間からスマホを気にして起きていたのを私も認識していました。クリスはほとんど眠っていなかったでしょう。
朝8時に起床しようと昨晩は話し合っていましたが、8時5分ほど前にシルバさんから連絡があったようで
クリス:「シルバさんから連絡があったよ。今すぐに自宅まで来て欲しいってさ」
シルバさんはいつでも突然ですが、そういう人だというのはわかっていたので特に驚きもしませんでした。
私とクリスはすでに起きて準備をしていましたが、リョウさんはグゥグゥ寝ていたのですぐに起こしてそのまま出発することにしました。
カビンダにもお屋敷があり、首都のルアンダにも大きな豪邸を持っているシルバさんは大変なお金持ちだということがわかります。しかしシルバさんが言うには、やはりルアンダの治安が良くないためルアンダにいることは少ないそうです。今回もカビンダから飛行機でルアンダまで来て、そのままルアンダから更に南に500kmのロビトに滞在する予定だと言っていました。
シルバさんが我々のバイクをコロナ騒ぎが収まるまで預かってくれることになりました。このお屋敷でしたら安心して置かせてもらうことができます。
私の飛行機は15時20分発でケニアのナイロビとカタールのドーハを経由して成田に到着します。ナイロビまではクリスも同じ便です。
この日もまたシルバさんにお昼をご馳走になってしまい、空港まで送ってくださいました。アンゴラではシルバさんに最初から最後までお世話になってしまいました。
15時20分に出港するというナイロビ行きの飛行機は全然出港することが無く、結局飛行機が出航したのは2時間以上遅れた17時40分でした。
ナイロビでの乗継便が日付が変わった0時45分発ということで、ここで2時間以上遅れてしまうとどう考えてもその乗継便には間に合いそうにありません。
17時を回った時点で私はケニア航空の職員に乗り継ぎに間に合わないのではないか?と確認に行くのですが「大丈夫。間に合う」の一点張りです。
ナイロビはルアンダと時差が2時間あることをちゃんと把握したうえで言っているのか?と聞いても、「わかっている。問題ない」と言います。彼らが大丈夫だと言うのであれば私はそれ以上何も言えないので黙っているしかありませんでした。
実際にナイロビに飛行機が到着したのは0時を少し回ったところでした。
ナイロビ空港に到着してトランジットであっても全員コロナチェックのために問診票に記載と体温検査があります。どう考えても乗継便の時間には間に合いません。
しかしルアンダ空港で大丈夫だと言われたので信じるしかありません。
クリスとはここでお別れなのですが時間が無いためきちんと挨拶もできずにお別れとなりました。
走って乗継便のゲートに行きます。
しかしそこにはもうほとんど人影は見当たりませんでした。ゲートにいた職員にチケットを見せてこの飛行機はどうなったかと聞くと、「さっき出港したわ」と言います。
なんだとー!
ふざけるんじゃねぇよ!
私:「何言ってるんだ!ルアンダから出港した飛行機が2時間以上遅れたんだ!ルアンダの空港で確認した時も乗継には問題ないって言われたんだぞ」
ゲートの職員:「そんなの知らないわ」
マジでなめんじゃねえよ。
近くにケニア航空のカウンターがあったのでそちらに行って話をします。初めはこちらの話を聞いても小馬鹿にしたような態度で接してきます。
本当に腹立たしいです。自分たちが同じように扱われたらどう思うのでしょうか?
結局この日に乗れる便はないということで、更に次の日の夕方の便に振り替えてもらうことになりました。結果この空港の床に2泊することが決まりました。
その二日間の間も飛行機に積んだ荷物がどこにあるのかを確認しても、職員ごとに言っていることが違ったり、一人一人が本当にいい加減で腹立たしいことこの上ない二日間でした。空港の床に寝ていてもやってくる清掃職員が「カネカネ」と言ってきます。
最後の最後までイラつかせてくる奴らです。
ナイロビ-ドーハ間の飛行機も減便しているようで、本当に私が乗る飛行機が飛ぶのかどうかもギリギリまではっきりしないのも不安の種でした。空港の職員に聞いても「そんなの知らない」とか平気で言います。中には「大丈夫です。飛びます」という人もいるのですが全然信用できないのです。それにそもそもちゃんと乗れなかった便からこちらの便に振替られているのかさえも信用できないでいました。
しかし出港の2時間前に手続きが開始されることになり、無事チケットも発券されました。
そこからはスムーズなものでドーハにも時間通りに到着し、成田までもスムーズに帰国するすることができました。
帰国の途につくときはどんな気持ちになるのだろうか?感慨深いものはあるのだろうか?と思っていたのですが、感慨にふけるなんてとんでもないことで、「めんどくせぇなぁ」しかない帰り道であったことはここまで書いてきて通りです。
そんなこんなで私の約9か月に渡る長い長い旅路は幕を閉じるのでした。
とにもかくにも…、ただいま…