2022年8月5日(金)、8月6日(土)日本(成田)~アラブ首長国連邦(ドバイ)~アンゴラ1日目(首都ルアンダ)
8月5日(金)22時半の便にてアンゴラに向かう私。
成田空港のエミレーツ航空のチェックインカウンターは予想以上に多くの人が並んでいます。まだまだ海外に向かう人はそれほど多くはないと思っていましたが、おそらくヨーロッパ方面に向かうのであろう白人の家族連れを多く目にしました。
ヨーロッパはもうほとんどコロナ前の生活に戻っているという話を聞いてはいたので、そういうことなのだろうと思います。
チェックインを済ませたのが20時過ぎ。何か食べようと思い空港内のレストラン街に向かいましたが、なんと空港内の飲食店の多くが昼食時の営業のみであったり、夜も19時までや20時までの営業と時短営業をしているお店がほとんどでした。選択肢として残っているのが、マクドナルド(20時半まで)とコンビニ(23時まで)、あとは階下にあった吉野家でした。
しばらくは暖かいお米を食べる機会もないだろうと思い、吉野家に行くことにしました。
並盛一杯650円のとろろ牛丼を食べ、吉野家も高くなったもんだなーと思っていましたが、ちょうどそのころ現在北欧を旅している洋介さんとLINEでやり取りしており、「650円ならこっちでは500mlのペットボトルのコーラとほとんど同じ値段ですよ(笑)」って言っていました。
洋介さん曰く、北欧でちょうど立ち寄ったバイク屋さんの清掃員として働いているタイ人の中年女性の月収が60~70万円/月くらいって言っていたそうで、すでに日本は世界的に見て全く裕福な国では無くなってきているのだろうと感じます。
ドバイ行きの便はほぼ満席で、約11時間のフライトを経てドバイ空港に到着します。
乗継までに6時間ほどの時間があるので、シルバさんに予定通りに旅程は進んでいることを報告したりブログを書いたりしつつ時間を過ごします。
ふと帽子を持ってくるのを忘れたことに気付きます。
空港内にアディダスのショップがあったので入ってみると、ライダースジャケットにライダースブーツを身に着けた私に店員が話しかけてきます。
店員:「君はバイク乗りかい?どこに行くんだい?バイクはどうするんだい?」
私:「そうです。これからアフリカに行ってバイクに乗るんです。バイクはアフリカにおいてあるんですよ」
次にシルバさんへのお土産に免税店でお菓子の詰め合わせを買いに行き、レジに並んでいると、別の列のレジの人が私を呼びます。
レジ店員:「へい。君。こっちで会計しなよ。君はバイク乗り?どこに行くんだい?バイクはどこにあるんだい?」
同じような質問です。日本ではライダースジャケットにライダースブーツの男が街中にいるとちょっと浮いた存在ですが、海外ではこうして気さくに声をかけられることが多いです。
朝食を済ませたり買い物をしたりしている間に気付けばアンゴラ行きの搭乗ゲートが開く時間になりました。
アンゴラ行きの飛行機はさすがにすいています。私も4座席の列の端の席を予約していましたがその列には私一人でした。
飛行機の中でwifiは繋がるものだと思っていたのですが、成田-ドバイ、ドバイ-ルアンダ(アンゴラの首都)いずれもwifi接続はできず、日中のフライトは時間を持て余します。
仕方なく映画でも見るかと思い、以前アマゾンプライムで配信されていて気になっていた「OLD」という映画を見ました。
後悔しました。
内容は話しても仕方ないので省略しますが、アンゴラ入国が果たして本当にできるか不安になっているときに、この精神的にダメージを与えるホラー映画は見てはいけなかったですね。普段自分の年齢なんてさほど気にしませんが、潜在的に人間は年を取ることを恐れるのでしょうね。
約6時間のフライトを経てやっとのことでアンゴラの首都ルアンダに到着します。
アンゴラは南半球に位置するので8月である今はどちらかと言えば冬にあたります。ただ、前回帰国時に日本大使館の方に確認したら8月でもそんなに気温が下がるようなことは無いと言っていたので、私は勝手に30℃オーバーは当たり前だと思っていました。
しかし、実際に空港に降り立つとちょうどいい気温。飛行機の中で見た外気温は24℃となっていたので思っていたよりも全然涼しいです。
さてさて、出発前夜にあれだけ大騒ぎした検疫への事前承認を得ていない私ですが、無事入国できるのでしょうか?
飛行機を降りると全員バスに乗せられ、屋外の広いスペースにたくさんの医療従事者がいる場所に連れていかれます。
一人ずつ順番に鼻の奥に綿棒を突っ込まれPCR検査を受けます。
日本で鼻腔のPCR検査を受けたときはずいぶんと奥の方をグリグリーっとされて痛かったのですが、ここではそこまで奥に突っ込むこともなく、強くもほじられないのでそこまで痛くはありません。
ほんの15分~20分程度で結果は出て、名前を呼ばれた人から順番にパスポートコントロールに向かいます。
私も問題なくクリアです。
パスポートコントロールでは私のビザを見て担当官は怪訝な顔をし他の職員を数人呼んで話し合っています。バイクがどうのって一瞬聞こえたような気がしたので(ポルトガル語なのでわからないですが)、長期間バイクを置きっぱなしにしていることが問題ではないのか?と話しているのではないのかと思いヒヤヒヤします。
しかし呼ばれた他の職員は問題ないだろうっていうようなことを言っているのがなんとなく伝わってきました。
担当官だった男は表情を一切変えることなく「ウェルカム。フィニッシュ」とだけ言うとパスポートに判を押し、返してくれました。
あれだけ心配していた検疫も大したことなく、無事入国できたことは大変幸いでした。
さてここからが問題です。空港内ではwifiが使えるかと思っていましたがそれもできませんでした。
どうやってシルバさんと連絡を取るか?
シルバさんからは、シルバさんはルアンダには来られない(シルバさんはルアンダの治安の悪さが非常に好かないのでほとんどルアンダの自宅に来ることはないようです)ので、シルバさんの甥であるフィフィコさんが迎えに来てくれるという連絡はいただいていました。
空港を出ると、まあー、いるいる怪しい男たちが。
ここに長居はしたくないからどうにかしたい。
一人荷物をもって佇んでいるとやっぱり話しかけてくる怪しい男
男:「中国人か?それともベトナム人か?助けてやろうか?」
私:「友達が迎えに来てくれるんだ。だから必要ない」
男:「じゃ、こいつが電話してやるよ。大丈夫だ。任せておけ」
そういうともう一人の男を指さしました。
私もここに長居をするのが嫌だったことと、他に方法も思いつかないことから、いくらかお金を渡せば良いだろうと思いお願いすることにしました。
シルバさんに電話してもらったのですが忘れていました。シルバさんは英語が話せません。とにかく私が「日本人のヒデ」であることを伝え甥っ子さんの名前の「フィフィコ、フィフィコ」を連呼します。
それで理解してくれたようで、しばらくするとその男の電話あてにフィフィコさんから電話がありました。
空港に迎えに行くが、空港のどこにいる?と聞かれます。出口は一つしかなさそうなので、出口をすぐ出たところに帽子を被ったライダースジャケットのアジア人が一人で立っているからすぐにわかると思うと伝えました。
すぐに行くと言ってはくれたのですが、1時間半が経過してもやってきません。うまく伝わらなかったのではないかとだんだんと不安になってきます。
電話をするようにお願いしたやつらも、もっと金を寄越せと延々とたかってきます。ウザいことこの上ない。
するといきなり現れた大男が満面の笑みで「へーい!ブラザー」と声を掛けてきました。
身なりや雰囲気的にもこの人がフィフィコさんで間違いない!
フィフィコさんの車まで電話をお願いした奴らはついてきてお金をせびってきます。フィフィコさんが対応してくれたのですが、こんな奴らにお願いするのではなく、断れても良いので他の旅行者にお願いすべきだったと深く反省しました。
それからしばらく車を走らせてシルバさん宅に向かいます。前回お世話になったときはもっとルアンダの街中にあったと思ったのですが、だいぶ遠くに行きます。なるほど。シルバんさんは引っ越しをしたようです。
だからフィフィコさんも到着までに時間がかかったのですね。
フィフィコさんにこの時期の気温はこのくらいなのか?思ったよりも涼しいという感想を伝えると、「今日はむしろ天気が良いから気温は上がっている方だ。昨日までは曇っていたので少し寒いくらいだったよ。この辺りはまだ気温が高いけれど、もう少し南のルバンゴ辺りは標高も高いので一桁代になるよ」とのこと。
思っていたよりもずっと寒いです。アンゴラでは暑さ対策をどうしたものかと考えていましたが、むしろ寒さ対策を考えないといけなそうです。
フィフィコさんは大変私を気にかけてくださり、腹は減っていないか?と何度も聞いてくださり(私はこの日すでにドバイ空港で朝ごはん、機内食が2食におやつのサンドイッチとお腹いっぱいの状態だったので大丈夫だと伝える)、またもし何かあったら全部彼にリクエストしてくれれば良いからと、この家の守衛の若い男性を紹介してくださりました。
フィフィコさんは実際はこの家には住んでおらず、少し離れた場所にご家族と住んでいらっしゃるそうです。
そして明日にはライダーズクラブの中にいるメカニックをここに呼ぶので、今日は長旅で疲れているだろうからゆっくり休んでくれと言い残し、ご自宅に帰って行きました。
本当に何から何まで大変ありがたいことです。
さてと、シャワーでも浴びようと思ったら水道が出ない…。
すると水は持ってくるからちょっと待ってくれと守衛さん。
お湯が良いか?と聞いてくれるので「お湯が良い」と言うと、井戸から汲んで来た水を少しずつレンジで温めてそれを大きなバケツに入れる。それを何回も繰り返し、生ぬるい水を持って来てくれました。
忘れていました。ここはアフリカでした。本当に首都のど真ん中以外、お湯どころか水道だって出るはずがないのです。しかもこの家には普段守衛さんが一人管理しているだけで、基本的には誰も住んででいないのですから。
日本で便利で清潔な暮らしにどっぷり漬かっていたのに、これから本当にやっていけるのだろうか?
入国が最初の関門として不安でしたが、一つの不安が解消されても新たな不安が…(しかも次の不安はだいぶショボい)。
不安がる人はいつも不安なんでしょうねー。