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  • モンゴルビザ情報(モンゴルはビザ不要です)

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    表題の通り日本人はビザなしでモンゴルに入国可能です。ただしビザなしで滞在できる日数は最大30日までです。

    その他のモンゴルの総括については「モンゴル編 総括」という記事にて投稿しています。

    【ビザ】
    不要
    ※ただし、30日以内の滞在に限る

    【その他】
    30日を超えての滞在が必要になる場合は、ウランバートルにて延長手続きが可能なようです。ウランバートルの味戸さんのゲストハウスで知り合ったイタリア人のルイージさんは西モンゴルで転倒して怪我をしたため、長めの滞在をしていました。

    私が滞在しているときにウランバートルに延長の手続きをしに行っていましたが、延長はしなかったようです。理由は不明です。手続きが煩雑だったのか、想定外に高額な費用がかかるからなのか?

    私の場合は味戸さんのゲストハウスにバイクの整備も含めてトータル10日間(はじめ1週間とゴビ砂漠から戻って3日間)、ゴビ砂漠まで観光に行って往復1週間、西モンゴルは一週間ほどで抜けたのであと一週間ほど余裕を持ってモンゴルを抜けることはできました。

    ここ数年、モンゴルも夏の期間にスコールのような大雨が降ることが増えてきているようなので、そのようなことがあると数日足止めを食らうことがあると思います(特にモンゴルの西側は大雨が降ったら移動しないことを強くお勧めします。私はそれで散々な目に遭いました)。

    30日間あればゴビ砂漠に行っても余裕を持ってモンゴルを横断することは可能ですが、天候状態を鑑みて常に余裕を持って行動することをお勧めします。

    ※特にモンゴルの西側は通るルートと天候によっては過酷な状況に陥ります。この区間で大怪我をしたりバイクのトラブル(川にバイクを水没させてしまったなど)の話はたくさん聞きました。

    くれぐれも油断せずにモンゴルの大自然を皆さんがご堪能されることを願っています。

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  • ロシア-モンゴル国境 その1 (キャフタ-アルタンブラグ)

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    ロシア-モンゴル間の国境情報その1です。

    ウラジオストクから出発してモンゴルのウランバートルを目指す方の多くは、キャフタ(ロシア側国境)-アルタンブラグ(モンゴル側国境)を通過する人が多いと思います。

    その時の様子は「初めての国境越え!」というタイトルでも記事をあげています。

    【手続】
    ■国境越えに要した時間
    2時間半(ロシア側、モンゴル側トータルで)
    国境に着くとたくさんのトラックが並んでいますが、バイクはその脇を通って前に出て良いそうです。私はすぐ隣のトラックの運転手がそのことを教えてくれたのでそのまま前に行きました。それを知らずに並んでしまって、国境越えに7時間かかったという人の話もききました

    ■国境10km手前地点
    信号機があり、その隣に小さな建物があります。警棒を持ち軍服を着た職員がいるのでわかると思うのですが、ここでパスポートの提示が必要です。私は前のトラックが徐行して素通りしたのでそのまま停車せずに通過してしまいました。結局国境で戻るように言われてここまで戻ることになりました。

    パスポートを見せるだけでドキュメント類の提出や受け取りはありません。

    ■通関、イミグレーション
    建物がたくさんあってどこに行けば良いのかわかりにくいですが、国境に入ってそのままバイクでゆっくり進んで行くと、そのあたりにいる人がみんなで声を掛けてくれ、どこに行けば良いのかを教えてくれるのでどうにでもなると思います。声を掛けてくれる人たちが金銭の要求をしてくることも無いので安心して大丈夫です。

    ■荷物検査
    ロシア側の通関処理が終わって建物から出てきたところを私は二人組の職員に荷物の中身を見せるように言われました。英語は通じませんでした。サイドケースの蓋やバッグのファスナーを開けるように言われますが、中身を掻きまわしてまで見るようなことはしません。上から覗くだけです。その際に薬の錠剤は持っているのかを聞かれましたが、風邪薬や正露丸、常備薬などを持っている人は素直に見せれば問題ないです。

    たまたま私が声を掛けられただけで、全員が要求されるわけではないかもしれません。

    ■職員や斡旋業者の腐敗度
    全くもってクリーンです。賄賂の要求など一切ありません。周りで国境越えをしようとしている人たちも大変親切でいろいろと助けてくれます。また、アフリカなどで多い国境手続きを助けてくれると言って声を掛けてくる人もいないのでここで金銭を要求されるようなことはないでしょう。

    英語はほとんど通じませんが問題無いと思います。

    ただ、モンゴル側の国境のパスポートコントロールで待っているときに声を掛けてきた職員に1USDの支払い(ルーブルでの支払いでも大丈夫だと思います)を要求されました。近くにいた他の職員に聞いても払うように言われたので必要なものだと判断しました。しかし言葉が通じず、何の費用なのか不明でした。

    【モンゴル国境の外】
    ■モンゴル自動車保険
    モンゴルの国境を出てすぐ左に自動車保険に加入します。ゲートが閉まっているので気づかずに通過してしまうということは無いと思います。ここで保険に加入しないとゲートも開けてくれないので強制加入になります。ルーブルでの支払いも可能です。

    ■simカード
    そのゲートを抜けるとすぐ左手にモンゴルの通信業者(たしかMTCだったと思います)があるのでここでsimカードを買っておくと良いかもしれません。担当のお姉さんは英語は話せないと言っていましたが、それでも英語で話したら全然理解してくれました。

    ■アルタンブラグの宿
    国境を出たすぐの町アルタンブラグには宿もいくつかあります。国境越えで時間がかかってしまった場合、ここからウランバートルまでは350kmほどですのでこの町に宿泊しても良いと思います。国境から100kmほど行った場所にダルハンという比較的大きな街もあるのですが、ここで安宿を探すのは大変そうです。アルタンブラグでは一泊20,000~25,000トゥグルグ(約800円~1,000円。モンゴルの宿の相場としては安い方です)程度で宿を見つけられました。ただしシャワーはありません。

    ■両替
    バイクでモンゴルに入る人は、そのまま中国に抜けることはできないので、必ずロシアに戻る必要があります。両替を繰り返せば当然手数料分損をするので、この時点では両替はしない方が良いでしょう。モンゴル側の国境を出たところに両替商のおばちゃんたちがたむろしていて声を掛けてきますが断りましょう。モンゴルの通貨トゥグルグはアルタンブラグのATMで引き出し可能です。国境を出て500mほど直進した突き当りにATMがあります。

    【その他】
    一部の情報によると、チタより少し手前のボルジャという町から南下して別の国境からモンゴルに入る道もあるようなのですが、そちらの道は「一人では絶対に行くな」「雨が降ったら絶対に行くな」と言われるような大変な悪路だそうです。ただしこちらの国境は通過する人も少なく手続きも簡単ということです。オフロード走行に自信があり、アドベンチャーを目指す方はこちらのルートを選択するのも一つかもしれません。

    キャフタ国境まではウランウデからそのままメイン道路を南下していけば到着しますので道に迷うこともないかと思います。また他の国を見ていると国境付近の道は悪路になることが多いのですが、この区間の道路は綺麗に整備されています。

    ウラジオストクからウランウデまでは針葉樹林の広がる北の大地イメージそのままの景色が続きますが、ウランウデを南下して20kmほど走ると一気にモンゴルを彷彿させる景色に変わります。あまりにも景色がガラっと変わってしまうので驚いてしまいますが、数十キロおきに町もありガソリンの補給もできるので問題ありません。

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  • ロシア ビザ情報

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    今まではこのブログでは旅行記という形で私の見たものや感じたことを記録してきました。

    本日からはこれからバイクで海外を旅をしたいもしくはしようと考えている人のために、2019年度時点の私が訪れた国のビザ情報や国境情報などの旅の情報を残していこうと思います。

    今までは毎日日本時間の19時にブログが上がるようにしていましたが、こちらにつきましては不定期になることをご容赦ください。

    まずは私が最初に訪れた国、ロシアからです。

    こちらにつきましては旅行中もロシア編 総括として一度ブログをあげていますが、ビザ情報などは抜けていたため補足となります。

    道路状況、物価、食事事情、治安などについては以前のブログ記事をご参照ください。

    【ビザ】
    ■ビザ申請国
    日本(ロシアビザセンターを通じて取得しました)

    ■取得したビザの種類
    観光6か月マルチビザ

    ■ビザ代金(ロシアビザセンターの手数料込み)
    33,000円(2019年5月時点)

    ■ビザ申請から取得までにかかった時間
    約2週間(その間パスポートはホールドされます)

    ■詳細
    個人でもビザの申請は可能なようです。しかし多くの人が「ロシアビザセンター」に依頼するのではないでしょうか?

    私が旅先で出会った日本人ライダーは全員ロシアビザセンターを通じてロシアビザを取得していました。

    というのもいくつかの種類のビザの取得にはロシア側からの招待状が必要になったりと個人でビザを取得するには大変高いハードルがあるためです。

    特にロシアからモンゴルや中央アジアに入国する方は何度かロシアに出入りすることになるので少なくともダブルビザ、モンゴル及び中央アジアの両方にに行く予定のある方はマルチビザを取得しておくと良いと思います。

    中央アジアからはロシアに戻らなくともトルクメニスタン→イランと経由してトルコにやアゼルバイジャンに抜けることも可能なのですが、トルクメニスタンおよびイランのビザは運が悪いと取れないこともあり、取れたとしても長い時間を要することがあります。

    私はイランビザを申請しても一向に返信が来ず、ビザ取得場所のタジキスタンの滞在期間を過ぎてしまったので泣く泣く諦めました。同じようにイラン大使館からの返信が全然来ないというツーリスト何人かに出会ったので、結構な確率で起こることなのかもしれません。

    そのため上記のルートが取れなくなり、私はカスピ海をフェリーで渡るかロシアに再度入国するかの二択となりました。すでにモンゴルから再度ロシアに戻っていたので更に中央アジアからロシアに戻ると3度目の入国です。

    私はロシアに戻る道を選択したのですが、理由としてはカスピ海を横断するフェリーの評判がすこぶる悪かったからです。一週間以上待たされることもざらにあり、波が高いと地獄だという噂です。

    私は幸いにもマルチビザを持っていたため再度ロシアに戻るという選択をすることができました。

    ちなみにロシアビザは第三国(日本以外の国)では取得不可だそうですので、必ず日本で必要な種類のビザを取っていくようにしてください。

    私がビザを申請した時には「観光6か月マルチビザ」というものがロシアビザセンターのホームページでは見つけにくいところにあったのですが、現在は観光ビザのページに普通に記載されているので見つけられると思います。もし見つけられなかった場合は直接電話で問い合わせてみても良いかもしれません。

    私個人としては金額との兼ね合いを考えても、この「観光6か月マルチビザ」がおすすめですが、ご自身の旅のプラント照らし合わせて申請してください。

    ロシアスタートととなる場合、5月後半から6月前半に出発される方が多いと思われますが、5月は日本のゴールデンウィークやロシアの大型連休があるため、ビザの発行に時間がかかることがあります。出発の1か月半くらい前から余裕を持って申請されることをお勧めします。

    現在、鳥取の境港からロシアのウラジオストク行きのフェリー(DBSフェリー)が日韓関係の悪化により運航停止してしまっているため、これから海外ツーリングをされる方は必ずしもロシアスタートとはならないかもしれません。

    しかし、ロシア(特にロシア人)は大変素敵な人が多く、訪れる価値のある国だと思います。

    ロシアの東側は観光するような場所が特段あるわけでもないですが、旅行という観点を除いても、ロシア人という強く優しく誇り高い民族に触れるというだけでも大変素敵な経験になるのではないでしょうか?

    誇り高く優しいロシア人に出会い、私はこの旅で訪れた国の中で最も好きになった国はロシアかもしれません。

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  • 冒険の扉

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    日本に帰国して早2週間が経過しました。世間はコロナ騒動一色で特に何ができるわけでもなく、役所関係の届け出をする程度であっと言う間に2週間が経過してしまいました。

    つい先日、パミールハイウェイを一緒に走った私のとても大切な友人であるロシア人のアルティナが連絡をくれました。落ち着いたらこちらから連絡をしようと思っていたのですが、このコロナ騒動を受けて心配してくれたアルティナの方から連絡をもらってしまったのです。

    とりあえず、私はこのコロナ騒動により結局はアンゴラから帰国して今は日本にいることを伝えました。そんなアルティナは私にこんな風に伝えてくれました。

    アルティナ:「アンゴラまで行ったって本当にあなたはすごいわ!南アフリカまではあとちょっとじゃない!あなたはあなたの旅に勝利したのよ!誇るべきことだわ」

    ありがとう。アルティナ。

    「どこまで行った」「どこに行った」それはそれでそこに価値を見出す人もいるのかもしれません。でも私にとって本当に大切なことは「何をしてきた」のかだと思います。

    私はいったいこの旅で何をしてきたのでしょうか?

    今はまだそんなことを考える必要はないのかなとも思っています。別にこの旅が成功だったとか失敗だったとかは考える必要はないしそこには大きな意味はないかなと思っています。

    でも、一つはっきりしていることは、私はこの旅に出て良かったって思えることです。

    たくさんのことを見て、たくさんの人に出会い、たくさんの人の優しさに触れ、その度に涙し、怒って、笑って、心から悲しいこともありました。
    間違いなく一生懸命走り抜けた9か月間だったと思います。

    もし私はこの旅に出ることが無ければ一生後悔していたでしょう。

    一方でもうこれらのことは私にとっては過去の出来事です。「あのときは楽しかったね」なんていう過去の幻想に囚われ続けるのであれば、私にとってこの旅はとたんに価値を失うものになるのだと思います。

    美化される過去に囚われるよりも、これから歩む人生に私は光を当てたいと思います。

    約3年前、ふと思いついたバイクによる世界旅。10年後くらいかななんて思っていたのが、すぐにバイクの教習所に通い、免許を取得してみたらあれよあれよと言う間に気付いてみたら私はフェリーにバイクを載せて大陸を走り始めていました。

    あのとき踏み出した一歩が今のかけがえのない人生につながったのです。

    きっとそんな冒険の扉は人生のいたるところにあるのだと思います。

    何も海外に行く必要なんてないんだと思います。今まで踏み出せなかった一歩を踏み出すだけで誰でも冒険の扉を開くことができるのです。

    3年前にこの旅をふと思い立ったと言いましたが、実はきっと私の人生の転機は今から9年ほど前にあったのだと思います。

    何も無い自分、何もできない自分に打ちひしがれて人生に絶望を感じていたあの頃。でも、今目の前にあることを一生懸命頑張ろうって思ったあの日から私の人生は変わり、それが今につながったのだと思います。

    大それたことをする必要はないのです。今まで興味はあったけどできなかったことをやってみるでも良いと思います。面白そうだなと思った人に思い切って声を掛けてみるとか、やってみたかった習い事を始めてみるとか…。

    もしかしたらそれで傷つくこともあるかもしれません。冒険ですもの、当たり前じゃないですか。転んで痛い思いをして泣きたくなるようなこともあるかもしれません。それでも頑張ってもう一度立ち上がれば良いんですよ。歯を食いしばって顔を上げている限り、人は前に進めます。

    一歩踏み出したその勇気はいつかきっとあなたを支えてくれるはずです。その勇気はいつかあなたの人生の応援歌となっていつもあなたの背中を押してくれるはずです。

    顔をあげていればきっと見えるはずです。誰の人生にもすぐそばで冒険の扉が開いて待っているのです…。

    2020年4月4日 ヒデ

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  • 旅の終わり

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    3月19日(木)~22日(日)東京出発283~286日目、アンゴラ7日目 ルアンダ~ケニア・ナイロビ~カタール・ドーハ~日本・成田 飛行機移動

    昨夜、大統領令が発せられ3月19日一杯で空港を含むすべての国境が閉鎖されることが決定しました。

    これをもって私の9か月に及ぶ旅の終わりが確定したのです。

    しかし一つだけ問題が残っています。バイクをどうするかということです。

    当然今から日本への輸送の手配なんてしている時間はありません。

    カビンダでお世話になったシルバさんがルアンダに来るということで、クリスが昨夜から連絡を取っていたのですが途中でその連絡が途絶えてしまっていました。

    夜中の3時まで待っても連絡が無ければこの日は諦めて、次の日に再度連絡をしてみようということにしました。

    しかし3時になっても連絡は取れず、就寝することにしていたのです。

    一方でクリスは責任感が強く、明け方も早い時間からスマホを気にして起きていたのを私も認識していました。クリスはほとんど眠っていなかったでしょう。

    朝8時に起床しようと昨晩は話し合っていましたが、8時5分ほど前にシルバさんから連絡があったようで

    クリス:「シルバさんから連絡があったよ。今すぐに自宅まで来て欲しいってさ」

    シルバさんはいつでも突然ですが、そういう人だというのはわかっていたので特に驚きもしませんでした。

    私とクリスはすでに起きて準備をしていましたが、リョウさんはグゥグゥ寝ていたのですぐに起こしてそのまま出発することにしました。

    カビンダにもお屋敷があり、首都のルアンダにも大きな豪邸を持っているシルバさんは大変なお金持ちだということがわかります。しかしシルバさんが言うには、やはりルアンダの治安が良くないためルアンダにいることは少ないそうです。今回もカビンダから飛行機でルアンダまで来て、そのままルアンダから更に南に500kmのロビトに滞在する予定だと言っていました。

    シルバさんが我々のバイクをコロナ騒ぎが収まるまで預かってくれることになりました。このお屋敷でしたら安心して置かせてもらうことができます。

    私の飛行機は15時20分発でケニアのナイロビとカタールのドーハを経由して成田に到着します。ナイロビまではクリスも同じ便です。

    この日もまたシルバさんにお昼をご馳走になってしまい、空港まで送ってくださいました。アンゴラではシルバさんに最初から最後までお世話になってしまいました。

    15時20分に出港するというナイロビ行きの飛行機は全然出港することが無く、結局飛行機が出航したのは2時間以上遅れた17時40分でした。

    ナイロビでの乗継便が日付が変わった0時45分発ということで、ここで2時間以上遅れてしまうとどう考えてもその乗継便には間に合いそうにありません。

    17時を回った時点で私はケニア航空の職員に乗り継ぎに間に合わないのではないか?と確認に行くのですが「大丈夫。間に合う」の一点張りです。

    ナイロビはルアンダと時差が2時間あることをちゃんと把握したうえで言っているのか?と聞いても、「わかっている。問題ない」と言います。彼らが大丈夫だと言うのであれば私はそれ以上何も言えないので黙っているしかありませんでした。

    実際にナイロビに飛行機が到着したのは0時を少し回ったところでした。

    ナイロビ空港に到着してトランジットであっても全員コロナチェックのために問診票に記載と体温検査があります。どう考えても乗継便の時間には間に合いません。

    しかしルアンダ空港で大丈夫だと言われたので信じるしかありません。

    クリスとはここでお別れなのですが時間が無いためきちんと挨拶もできずにお別れとなりました。

    走って乗継便のゲートに行きます。

    しかしそこにはもうほとんど人影は見当たりませんでした。ゲートにいた職員にチケットを見せてこの飛行機はどうなったかと聞くと、「さっき出港したわ」と言います。

    なんだとー!

    ふざけるんじゃねぇよ!

    私:「何言ってるんだ!ルアンダから出港した飛行機が2時間以上遅れたんだ!ルアンダの空港で確認した時も乗継には問題ないって言われたんだぞ」

    ゲートの職員:「そんなの知らないわ」

    マジでなめんじゃねえよ。

    近くにケニア航空のカウンターがあったのでそちらに行って話をします。初めはこちらの話を聞いても小馬鹿にしたような態度で接してきます。

    本当に腹立たしいです。自分たちが同じように扱われたらどう思うのでしょうか?

    結局この日に乗れる便はないということで、更に次の日の夕方の便に振り替えてもらうことになりました。結果この空港の床に2泊することが決まりました。

    その二日間の間も飛行機に積んだ荷物がどこにあるのかを確認しても、職員ごとに言っていることが違ったり、一人一人が本当にいい加減で腹立たしいことこの上ない二日間でした。空港の床に寝ていてもやってくる清掃職員が「カネカネ」と言ってきます。

    最後の最後までイラつかせてくる奴らです。

    ナイロビ-ドーハ間の飛行機も減便しているようで、本当に私が乗る飛行機が飛ぶのかどうかもギリギリまではっきりしないのも不安の種でした。空港の職員に聞いても「そんなの知らない」とか平気で言います。中には「大丈夫です。飛びます」という人もいるのですが全然信用できないのです。それにそもそもちゃんと乗れなかった便からこちらの便に振替られているのかさえも信用できないでいました。

    しかし出港の2時間前に手続きが開始されることになり、無事チケットも発券されました。

    そこからはスムーズなものでドーハにも時間通りに到着し、成田までもスムーズに帰国するすることができました。

    帰国の途につくときはどんな気持ちになるのだろうか?感慨深いものはあるのだろうか?と思っていたのですが、感慨にふけるなんてとんでもないことで、「めんどくせぇなぁ」しかない帰り道であったことはここまで書いてきて通りです。

    そんなこんなで私の約9か月に渡る長い長い旅路は幕を閉じるのでした。

     

    とにもかくにも…、ただいま…

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  • アンゴラ大統領の宣言

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    3月18日(水)東京出発282日目、アンゴラ6日目 ソヨ~ルアンダ 移動距離400km

    この日はクリスのこの旅最後のツーリングの日です。

    カビンダでお世話になったシルバさんもこの日ルアンダにいらっしゃるということで、可能であればお会いしようというのもこの日中にルアンダを目指す一つの理由です。

    クリスは125ccの排気量の小さいバイクに乗っていてスピードも出ないということで朝早く出発して行きました。

    私も1時間ほど遅れて出発します。

    昨日の夕方から降っていた雨は止んで綺麗な青空が広がっていましたが、雨に濡れたソヨの町の道路は大変酷いものでした。

    足がまだ完治していない私は不意にバランスを崩して足を着いてしまうと転倒のみならず、怪我の悪化を招く恐れがあるので大変怖いです。

    しかしそんな悪路も最初の30kmほどで、そのあとは大変綺麗な道が続きました。

    検問もごくごく簡単なもので夕方にはルアンダにほど近い場所まで到着しました。ここでクリスを待ち合わせをしてルアンダのライダースクラブの拠点を目指します。

    ルアンダの街は大変発展していますが、一方で海岸沿いにはスラムが広がり貧富の差が大きいのが伝わってきます。

    この格差が治安の悪化をもたらしているのは明白です。ルアンダの治安の悪さはアフリカの都市の中でも指折りで、中には信号待ちをしている車に対して強盗をはたらき、周りの人たちも見てみぬふりというような噂も聞きます。

    17時半頃

    ルアンダにあるライダースクラブの拠点に到着しました。5~6人ほどのライダースクラブのメンバーが出迎えてくれます。

    中には英語も多少話せる人がいたのでその人たちとは会話をすることができました。

    基本的にはクリスがスペイン語で話をしてくれるのですが、いくらスペイン語とポルトガル語が似ていると言ってもクリスの話す内容を相手はすべて理解してくれるようではありません。

    私も彼らの動きを見ていて、どうもクリスとかみ合っていないんだろうなというのを感じ取りました。

    そして、この日はライダースクラブの拠点にバイクを置くことなく、彼らが紹介してくれた格安で環境の良い宿に移動することになりました。

    私:「クリス?彼らはクリスの言ったことを理解してくれたの?」

    クリス:「たぶん伝わってない。スペイン語とポルトガル語だったから細かいことが伝わらないみたいなんだ。今夜シルバさんもルアンダに来るみたいだから、連絡をしてみて可能ならばシルバさんに助けてもらおうと思う」

    宿に併設されている食堂にいると、シャワーを浴びて遅れてきたクリスが開口一番驚きの事実を口にします。

    クリス:「アンゴラも国境閉鎖するみたい。20日0時をもってすべての空路も閉鎖されるらしい」

    私:「20日?!20日ってことは明後日だよね。0時っていうのは19日一杯ってこと?それとも20日一杯ってこと?」

    クリス:「わからない。僕は20日の飛行機を予約してるんだけど、飛ぶかどうかわからない…」

    私:「ちょっと日本大使館に電話して確認してみるよ」

    そう言って私は在アンゴラの日本大使館の24時間対応の緊急連絡先に電話をしてみることにしました。

    私:「私は現在アンゴラにいる日本人ツーリストです。20日0時をもってすべての国境が封鎖されるという話を聞いたのですが本当なのでしょうか?」

    大使館職員:「正式な発表としては我々は受けていません。しかし私たちの所にも同様の情報がいくつかの所から入ってきているのも確かです。今から15分後の20時からアンゴラ大統領の発表があります。もしテレビを見られる環境にいるのでしたらそちらもご覧になってみてください。その情報につきましてはかなり信憑性の高いものだとは思われるのですが、正式発表を受けていない以上、現時点で断定的なことは言えないのです」

    幸いなことにここの食堂にはテレビが設置されていたため、従業員にお願いして国営放送にチャンネルを合わせてもらいます。

    20時

    画面には見るからに大統領だと思われる人が映し出されました。

    やはりクリスからの情報は確かだったようです。そして私のスマホには折り返し大使館から電話がかかってきました。

    大使館職員:「先ほど大統領からの発表がありました。正式に明日一杯ですべての国境が封鎖されることが決まりました。日本行きの最終便は明日の18時15分です。それに乗り遅れないように頑張って飛行機に乗ってください」

    さらに宿の職員からも連絡が入りました。クリスはもともと明後日の飛行機の予定だったため、二日間の滞在を宿には伝えていたのですが、大統領令を受けて、明日の夜の以降の滞在は不可能になったということでした。

    私の旅の終わりは自分の意思とは無関係に、残酷にも外部から伝えられる結果となりました。

    私:「クリス…。クリス本当にありがとう。もしクリスが一緒にいなかったら俺は本当に大変な状況に陥っていたよ」

    クリス:「そんなことはないよ。ヒデだって今までずっと困難を乗り越えてここまで来たんだから。きっと僕がいなくても自分の力で乗り越えているさ」

    今回の件については決してそんなことはなかったと思います。クリスはもっと早い段階でこの旅の終着点をルアンダと決めていました。そのおかげでより早いタイミングでアンゴラの国境が19日一杯ですべて閉鎖されるという情報をキャッチすることができました。それがなければ私は国境が閉鎖されるという情報すらキャッチすることなくこの国に閉じ込められることになっていたでしょう。

    この数日のコロナ騒動の影響の伝播の早さを考えれば悠長に構えている余裕なんてなかったはずです。その緊急性をいち早く察知し行動に移しアンテナを張っていたクリスはやはり相当に聡明な男です。

    今回の件については私が愚鈍であったと言わざるを得ないでしょう。もしこのままアンゴラに閉じ込めらていたらそれは私個人だけでなく日本大使館職員を含め多方面に迷惑をかけていた可能性があります。それを考えると大いに反省しないとならないかもしれません。

    さらにラッキーだったことはこの日に首都ルアンダに到着したということです。一日早くついていたらルアンダを離れてしまっていた可能性もあります。この日にいたおかげで明日の飛行機に乗ることができたのです。

    いずれにせよ、この日、私の9か月に渡る旅の終焉を告げる鐘が鳴らされたのは確かなことでした…。

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  • TIA

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    3月17日(火)東京出発281日目、アンゴラ5日目 カビンダ~ソヨ 飛行機移動

    朝7時

    8時出航のフライトに間に合わせるため、私たちはカビンダの空港に来ていました。

    シルバさんに大変お世話になり、この日も車で空港まで送ってくださいました。

    カビンダの空港にて

    シルバさんも明日はアンゴラの首都ルアンダに行くそうです。

    案の定飛行機は1時間ほど遅れて出港しました。

    小さなプロペラ機で大変心許なく、乗っている子供たちは怖いのか大声で泣いている子も何人かいます。しかし、毎日2便本土とこのカビンダを往復しているそうですので問題ないでしょう。

    ところがソヨの空港に着陸が成功すると乗客からの拍手喝采です。

    私:「なんだってみんなしてこんなにも拍手しているんだ?」

    クリス:「そりゃ、こんな小さな飛行機に乗ってみんな怖かったんだよ」

    国内線なのでそのままほとんど素通りで通れるかと思っていたらそうは問屋が卸しませんでした。

    クリスが別室に呼ばれていきます。30分くらい経っても戻ってきません。私とリョウさんのパスポートも取られたまま返ってこないので、仕方なく私は様子を見に行きました。

    すると事務所の職員から椅子に座るように言われます。

    職員:「あなたはたくさんの国に出入りしているようだけど、どういうルートでここまで来たか教えてちょうだい」

    私:「ロシア、モンゴル、中央アジアからトルコを抜けてヨーロッパに入りました。スペインからモロッコに渡り、モーリタニア、セネガル、ギニア…etcといった感じです」

    職員:「スペイン?!スペインの前はどこにいたの?」

    私:「フランスです」

    職員:「その前は?」

    私:「イタリアです」

    職員:「イタリア?!スペインにもイタリアにもいたの?!」

    信じられないわというようなオーバーアクションと大声で周りの職員たちにも訴えています。

    空港で働くような職員なのにどうしてこいつらはこんなにもアホばかりなのでしょうか?コロナ騒動が始まったのはほんの2か月前。ヨーロッパで騒がれるようになってからでも1か月も経っていません。これだけの国を回って来てほんの2~3週間前にヨーロッパにいたわけがないのです。

    自分たちが少しでも差別的な対応をされると大騒ぎするのに、自分たちはアジア人(特に中国人)に対してひどい差別をすることは平気なのです。

    とりあえず私は直近でコロナの流行地域にいたわけでは無いので、そのことを説明しパスポートを返してもらいました。

    それでも時刻はまだ10時を少し回ったところです。船は午後2時~3時くらいに港に到着するということでしたので少し時間はあります。

    近くの食堂で朝食兼昼食を摂ることにしました。

    クリス:「南アフリカに陸路で入るのは絶望的になったらしい。ナミビア、ボツワナから南アフリカに入る陸路の国境はすべて封鎖されてしまったらしいんだ。だから僕は恐らくルアンダ(アンゴラの首都)でこの旅を終わりにすると思う。家族も心配していて帰ってくるように言っているし」

    私:「そうか…。つい数日前まではアフリカはコロナの影響はほとんどなかったけれど、あっという間だったね」

    クリス:「コンゴも国境が封鎖されたらしいよ。僕たちはラッキーだった。コンゴに比べたらアンゴラの方が圧倒的に環境が良いし、アンゴラはまだ封鎖されていないから帰国しようと思えばまだそれも可能だ。コンゴに閉じ込められてしまっていたら最悪だったよ」

    この時点で私がとりあえずのゴールと考えていた南アフリカまで到着することはできないことがわかりました。

    さてどうしたものか?

    今の状況を考えれば時間が経てば経つほど状況は悪化するのは目に見えています。

    この時間のない状況でバイクを日本に輸送する手続きをするのはまず難しいでしよう。そうなると私がこれから考えることはいかに安全な場所にバイクを保管してもらって、どこから日本に帰国するかです。

    クリスはルアンダでシルバさんから紹介してもらったバイカーズクラブの人の所にバイクを置かせてもらって帰国する予定だそうです。

    私のバイクもそこに一緒に置けるのかをクリスに確認してもらったところ、十分なスペースがあるのでそれは大丈夫とのことでした。

    あとは実際にどのような場所なのかを見させてもらって、大丈夫そうならそこで私の旅を終えることも視野に入れないといけないなと考え始めました。

    午後2時

    私たちは船が到着するという港に行きました。

    そこは日本人がイメージするような港とは違って、ただの砂浜にたくさんの船がひしめいて着岸し、たくさんの人が行き交う大変汚い場所でした。

    言われていた3時を過ぎても船は一向に現れる気配が無かったのでクリスが船会社の職員に電話をしてくれます。

    すると

    クリス:「1時間後に着くって」

    とのことでした。

    しかしさらに1時間待っても船が着く気配が無かったので再度クリスが電話をすると

    クリス:「1時間後だって」

    ということでした。

    このときクリスがある言葉を教えてくれました。

    「TIA」

    This Is Africa(これがアフリカだ)

    の頭文字を取って「TIA」というそうです。これは2006年公開のレオナルドディカプリオ主演「ブラッドダイヤモンド」の映画で出てきたフレーズだそうです。シエラレオネのダイヤモンド産業の闇を追ったサスペンス映画だそうです。

    「TIA」…

    アフリカに来て感じたことは都市部の目覚ましい発展と、その裏にある格差社会です。富がうまく分配されれば苦しむ人の数も減るだろうにと思います。
    それが今の「TIA」なのかもしれません。

    しかし一方で教育を受けられる子供の数も飛躍的に伸びていると思われます。アフリカにいても朝や午後の時間帯には制服を着て登下校する子供たちの姿をたくさんみかけます。アフリカだけの統計はわかりませんが、世界全体として95%以上の子供たちが学校に通えるようになり、女の子だけでみても90%以上の子供たちが現在学校教育を受けているという話も聞いたことがあります。

    今の子供たちが大人になるころには、「TIA」がまた別の良い意味に書き換えられる未来になっていることを願ってやみません。

    午後4時を過ぎたあたりから降り出した雨は激しくなり、午後5時過ぎ、ようやく私たちのバイクを載せた船がやってきました。

    また船の従業員が「金を払え」と言ってきます。すでにカビンダにいたときにバイクを受け渡し時にはお金はかからないという話を聞いているのでクリスが船会社に電話をして、さらにその内容を近くにいた警察官に聞いてもらい、警察官からこの船の従業員にお金の要求はしないようにと言ってもらいました。

    それでも中にはこっそり私のところにやって来て「金をよこせ」と言ってくる輩がいます。

    最初は黙って無視をしていたのですが、いざ私のバイクを下ろす段になると、なんと私のバイクのミラーを引っ張られて両方とも取れてしまっていました。

    実際は折れてしまったわけでは無いのですぐに付け直せるものではあったのですが、あまりにも「カネカネ」うるさい奴らがいるので、

    私:「うるぁぁ!見ろコレ!折れてるじゃねぇか!あぁぁ!こらぁ!おめぇら全員カネ払えや!オラァ!カネ払えよコノヤロー!オラァ!カネ払えや!」

    とカネカネうるさい奴らに言うと、みんな苦笑いはするもののスゴく嫌そうな顔をしていました。

    どうだコノヤロー!カネカネ言われるとすげぇ嫌な気持ちになるってわかったか!てなもんでした。

    無事バイクを受け取り、宿に戻ります。

    明日、我々は首都のルアンダを目指します。

    昨年の9月にスイスを出発したというクリスの旅において、明日が最後のツーリングになります。

    私もいつ最後のツーリングの日を迎えることになるのか今は全く状況がみえません。ただ、このとき決断の時期を見誤らないことが大切なことだけはわかっていました。

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  • 小さなボート

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    3月16日(月)東京出発280日目、アンゴラ4日目 カビンダ

    3月15日は日曜日のため船の手続きもできなかったので、シルバさんのご自宅でのんびりと過ごさせていただきました。お昼には車で少し離れた港にある魚料理のお店に連れて行ってくれご馳走してくださいました。

    3月16日(月)

    朝8時前に起床しシルバさん宅のリビングでクリスと二人でゆっくりとしているとシルバさんがやってきて「時間が無いからすぐに行くぞ」と言います。

    大慌てで準備をして出かけます。

    本当は前日にシルバさんに予定を確認したかったのですが、ご本人が不在で確認できないでいたのです。

    このときリョウさんはすでに2日分の宿代を払ってしまっているということでシルバさん宅には滞在しておらずに別に一人で宿にいたため、すぐに連絡します。

    リョウさん:「すぐには無理です。急ぎますけど」

    そりゃそうだなと思います。いきなり言われても慌てます。

    我々はリョウさんの滞在する宿の隣の食堂に行き、そこでコーヒーを飲みながらリョウさんを待つことにしました。

    一時間ほどしてリョウさんもやって来たので、さっそく港まで行きアンゴラ本土にバイクを送る船の手配をします。

    ここではシルバさんがすべて話をしてくれるので我々は言われた書類を提出するだけで難しいことは何もありませんでした。

    我々はこの船には乗れないので、その後空港に行き本土までの飛行機を予約しました。

    船の金額が34,000クワンザ(約6,800円)、飛行機が14,000クワンザ(約2,800円)と、国内線のため金額も大したことありません。

    そして一旦シルバさん宅に戻るとバイクに乗り換えて港に行き、船にバイクを載せます。

    いやいや期待はしていなかったのですが、まさかまさかこんな小さなボートだったんですね…。

    船って、思ったよりもずっと小さいボートでした

    ベナンからガボンにバイクを輸送するときに使ったCASSANGAって相当な船だったのですね。

    今回も当然人力で担いでバイクを船に載せます。距離としては70kmほどなのですが、果たしてこんな小さな船で無事に本土まで辿り着くのでしょうか?

    人が担いでバイクを船に載せます
    大きい波が来たら簡単にひっくり返りそうな船です
    無事に本土まで来てね\(^_^)/

    ここではシルバさんが一緒に積載を手伝ってくれるので安心ですけど、降ろすときにはシルバさんはいないのでそれも不安です。

    現に今ここでもここで働いている奴らがこっそり私のところにやって来てカネカネカネと言っています。

    本当に面倒くさい…。

    向こうでのバイクの受け取りについてや連絡先などについてはスペイン語の話せるクリスがすべて説明を聞いてくれて対応してくれました。

    シルバさんとのやり取りから船の手続き関係についてはほとんどすべてクリスに頼りっぱなしで大変申し訳なかったのですが、このコロナ騒ぎでいつどうなるかわからない状況のため、時間面を考えてもクリスがいてくれたことは本当にありがたいことでした(それにクリスという人間の人柄が大変素敵で一緒にいてすごく楽しかったです)。

    シルバさんの家で撮影

    明日の午前の便でアンゴラ本土に上陸し、午後にはバイクの受け取りができるそうです。

    こんなにもスムーズにことが進んだのはシルバさんとクリスのおかげです。本当に感謝の言葉しか見当たりません。

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  • 忍び寄る魔の手

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    3月14日(土)東京出発279日目、アンゴラ2日目 カビンダ

    さて、私はここカビンダからアンゴラの本土に向けて船を探さないとなりません。ある程度の情報があることはわかっているのですが、情報を得るためにもインターネットに接続できる必要があるのでsimカードを買いに行きます。

    宿の人にどこでsimカードが買えるかを聞くと、わざわざ案内してくれると言ってくれました。

    ここアンゴラの公用語はポルトガル語で、英語を話せる人は少ないのですが、モバイルショップに行っても周りの人たちが気を使ってくれて助けてくれるので問題なくsimカードを購入することができました。

    アンゴラでは自国の通貨であるクワンザに対する信用があまり無く、USドルを欲しがる傾向にあるようで、闇両替でUSドルをクワンザに両替すると実際の相場よりもだいぶ良いレートで両替してくれるという情報も得ていました。

    街を歩いていると闇両替商っぽい男が話しかけてきます。

    レートを聞くと100USドル=55,000クワンザで両替してくれるというので(一般の相場では100USドル=49,000クワンザ)だいぶお得だと思いお願いすることにしました。

    すると複数人の男たちがやって来て、ここでは警察の目もあるから人目の付かないところに行こうと言います。

    恐らく大丈夫だとは思うのですが、複数の男たちに人目の付かないところに連れていかれるのも良い気がしないので断ります。

    「なんでだ?」

    と聞かれたので、ふざけて「お前らみんなで俺を人目の付かないところに連れて行って殴る蹴るの暴行を加えるだろ?」と笑いながら仕草を交えて伝えると、そんなことするわけないだろって向こうも笑いながら応じていました。

    しかし、こちらの気持ちを汲み取ってくれたようで、周りから見えないようにみんなで囲んでこの場で換金してくれることになりました。

    私が20ドル札と10ドル札の組み合わせで100ドルを渡すと、急に100ドル札では無いからこれなら45,000クワンザだと言い始めます。

    どうしてもクワンザが欲しかったわけでもないので、「だったら両替は必要ない」と言うとそれは困ると言った顔で渋々55,000クワンザを渡してきました。

    向こうがこちらの渡した100ドルを確認すると今度は「2017年発行のお札は良いけど、2009年発行のお札は嫌だ」と言い始めます。

    2009年発行のお札がぼろぼろだったらその言い分はわかるのですが、きれいなお札なのでこちらとしても腑に落ちません。

    それにそれ以外のお札はこのとき持ち合わせていなかったため交換もできないのでめんどくさくなり、すべて断ることにしました。

    最初言ってたことからコロコロ話を変えてきたりイチャモン付けてきたり、本当にめんどうな奴が多くて辟易します。

    ま、手元にはすぐには困らない程度のクワンザがあるので問題ないです。

    さてさて、それでは情報を集めるために一旦宿に戻ろうとすると、なんと私の宿の隣の食堂の前に見たことのあるXL125が停まっています。

    このXL125は!!

    私は歓喜の声を上げて食堂に入り

    私:「クリス!」

    と叫びます。

    クリス:「わぉ!ヒデ!」

    もちろんドリジーからポワントノワールに同日に向かった私たちがここカビンダで再会するのは不思議なことではないのですが、クリスはカビンダからコンゴ民主に抜けて再度アンゴラに入る予定だと聞いていたため、敢えてカビンダの中心部には滞在しないで(人が多いところに行けば当然治安面の不安や渋滞などに巻き込まれる率が上がるので)、中心からは少し外れたところからそのままコンゴ民主に向けて走るものだと思っていました。

    私:「クリスはコンゴ民主に行ってそこからまたアンゴラに入るんだよね?」

    クリス:「その予定だったんだけど、最近のコロナ騒動でコンゴ民主には入れない可能性が高いんだ。実は昨日マイケルから連絡があって、ブラザビル(コンゴ)からキンシャサ(コンゴ民主)への国境は閉鎖されてしまったらしい。コンゴは近いうちに空港も含めた国境を近いうちに全部封鎖するみたいだよ。だからマイケルはブラザビルにバイクを置いてそのままドイツに帰国するらしいんだ」

    私:「え?本当に?!あ!!クリス!これ見て。ガボンはすべての国境を封鎖したって!ンデンデ-ドリジー間もダメみたいだよ。たった5日前に我々はここを通過して、そのときは何でもなかったのに…」

    クリス:「本当にこれはマズいなぁ。コートジボワールも完全に封鎖だって…。それからヒデはマックスのことは知ってるんだっけ?マックスは今カメルーンにいて全ての国境が封鎖されてしまったから身動き取れなくなってしまったらしいんだ。幸いにも現地の人と仲良くなってその人の家に泊めてもらっているらしいんだけど。僕たちも急がないと大変なことになってしまうかもしれないよ…。ヒデはこの先どうするんだっけ?」

    私:「俺はコンゴ民主のビザが取れなかったからここからアンゴラの本土に向けて船にバイクを載せるしかないんだ。ちょうど今から船を探そうとしていたところなんだ」

    クリス:「僕もちょうどコンゴ民主に行くか船でアンゴラ本土に送るか迷ってたところなんだ。情報集めもしたいから、一緒に船会社に行く?僕のバイクの後ろに乗って良いよ」

    私:「ありがとう!それは助かるな」

    そういうとお会計を済ませて我々は早速船会社の事務所を訪ねることにしました。

    クリス:「うーん。船会社はこの辺りだと思うんだけどどこも閉まっちゃってるな…。そうか!今日は土曜日だからやってないのかも…」

    私:「そうか!今日は土曜日だった。あと俺の知っている情報だとアンゴラのライダースクラブのジュリオ・シルバさんという人がカビンダに住んでいるらしいんだ。その人がカビンダから本土に向けてバイクを送る手伝いをしてくれるかもしれないっていう話だよ。その人の家の場所も分るから行ってみない?」

    クリス:「ぜひ行ってみよう」

    カビンダは中心部にほとんどすべてのものがそろっているので移動が少なくて大変助かります。シルバさんの家もすぐ近くにありました。

    高い外壁に囲われたお屋敷がシルバさんのご自宅でした。

    インターホンを鳴らしてスペイン語のできるクリス(アンゴラの公用語はポルトガル語ですが、ポルトガル語とスペイン語は大変似ているようでお互いにかなり理解できるようです)が事情を説明してくれます。

    中に入れてもらうとシルバさんはどうやら仕事中だったようですが、我々の話を聞いてくれました。

    シルバさんの書斎にはバイクの模型が飾ってありました。
    これはYAMAHA YZ250
    こっちはHONDA XR400
    シルバさんは日本車が好きみたいです。
    現在はHONDA Africa twinとYAMAHA Super Tenereに乗っているようです。
    日本には世界中のライダーが憧れるバイクがたくさんあるのに、日本では規制規制規制でどんどんこの産業が苦しくなってしまっているのが悲しい限りです。
    実際に日本ではバイクに乗る人も全然少ないですしね(>_<)

    まずはクリスがコンゴ民主の現状を聞くと、やはりマイケルの言ったようにコロナ騒動で今から入国するのは大変だと思うということでした。それを受けてクリスもカビンダからアンゴラの本土に向けて船を使うことに決めたようです。

    クリス:「そういえばリョウはどうするって言ってたっけ?」

    私:「彼も同じ船を使ってアンゴラ本土にバイクを送るはずだよ。ポワントノワールで病院に寄ってからこっちに来るって言ってたから、今日か明日にはカビンダに来るんじゃないかな?」

    クリス:「リョウは体調でも悪いの?」

    私:「耳垢を取ってもらうために病院に行くみたいだから大丈夫だと思うよ」

    クリス:「すぐに来るんだったら一緒に運んでもらった方が良いよね?」

    私:「シルバさんの手間を考えてもそっちの方が良いと思う。クリスは時間的に待ってて大丈夫?」

    クリス:「僕は大丈夫だよ。それに今日は土曜日だから、手続きができるが月曜日以降みたいだから」

    私:「OK。じゃ、俺からリョウさんには連絡するよ」

    そう言って、私はリョウさんのメッセンジャーに「カビンダからの船にバイクは一緒に載せたほうが良いからカビンダに着いたら連絡ください」とのメッセージを残しました。

    シルバさんはポルトガル語しか話せないため、私はほとんど会話をすることはできませんでしたが、カビンダに滞在している間はこの家で寝泊まりして良いよと言ってくださいました。

    しかも食事もいつもご馳走してくれるのでした。

    一旦宿に戻り荷物を整理してシルバさんの家に行こうと思ったのですが、広げてしまった荷物を慌ててパッキングするのも億劫になり、この日はもう一日この宿に滞在することにしました。

    昼寝をして、起きると時刻は夕方になっていました。

    ふとスマホを見るとリョウさんから返信が来ていました。

    リョウさん:「先ほどカビンダに到着しました。同じ宿にいます。気づいたら連絡ください」

    部屋から出て見るとちょうど私の部屋の正面がリョウさんの部屋だったようで、部屋の前でタバコを吸っていました。

    リョウさんにはシルバさんのことを伝え、月曜日以降に手続きを開始することと、その間はシルバさんのご自宅に滞在可能なことを話しました。

    世界的に広がるコロナ騒動。ついに、そして急速にその魔の手はアフリカにも広がり始めています。

    この先、私の旅はどうなってしまうのでしょうか?

    今後難しい状況判断を迫られるときが来ることは間違いないと思われます。冷静に状況を見て、しかるべきタイミングではしかるべき判断ができるように、今このときから考え始めないといけない時期にきているのかもなと思い始めました。

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  • アンゴラ入国

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    3月13日(金)東京出発278日目、コンゴ共和国6日目、アンゴラ1日目 ポワントノワール~カビンダ 走行距離182km

    この日はコンゴからアンゴラの飛び地であるカビンダへの移動となります。

    ビザを取得するのも面倒だったアンゴラですから入国手続きも面倒そうです。

    朝起きるとあまり体調が良くありません。宿泊していた宿が少し高級でしっかり冷房が効いていたのは良いのですが、そこはコンゴクオリティであって、リモコンが無く、効き過ぎていた冷房の温度調整ができなかったことと、冷房の風が直接私の顔面に当たった状態で寝ないとならなかったことが原因です。

    だるいなぁ、どうしようかなぁなんて思いながらダラダラと時間だけが過ぎて行きます。

    ただここでこうしていても仕方ありません。えいやっと立ち上がり出発することにしました。

    朝10時

    ギラつく太陽は相も変わらずです。

    カビンダの中心部までの距離は140km程度ですので国境越えを考えても十分時間はあります。

    ポワントノワールから国境にかけては空港の西側を南下していくのが一番早そうなのですが、私の地図アプリでは西側のルートは途中で道が途切れていて東側から迂回するように示していています。

    それに従い私は空港の東側に迂回していくのですがそれは誤りでした。

    空港の東側には市場がありコナクリを思い出させるような悪路の大渋滞の中を進んで行きます。

    やっとの思いで市場を抜けたと思うとそこからが大変でした。ガボン-コンゴ間を彷彿させるとんでもない悪路が始まります。私の足首の状態を考えるととてもではありませんが走れるような道ではありません。

    迂回路を必死に探すのですがどこに行っても悪路悪路悪路の連続です。

    どうしたものかと考えます。

    ここを通らない限りアンゴラに行けないのであれば行くしかありません。でも本当にこんな悪路を走らないとならないのでしょうか?

    歩いている人に声をかけてみても英語を話せる人は皆無です。

    私が何に困っているのかすら理解してもらえません。

    するとあるおじさんが英語を話せる若い青年を呼んできてくれました。

    青年:「お前は何に困っているんだ?」

    私:「アンゴラとの国境に行きたいんだ。でもこの悪路だろ。足を怪我していてこんな道を走って行くのは難しいんだ。どうにか整備された道から国境まで行けないか?」

    青年:「なるほどな。こっちからじゃどこに行ってもとんでもない悪路しかないな。国境に続く整備された道まで案内することはできるけど俺には『足』がないんだ。もし俺を必要とするなら、俺がお前を案内する方法を提案してくれないか?」

    私:「ここからそこまでは遠いのか?」

    青年:「そこそこあるな。10kmか20kmか」

    私:「そうか。わかった。俺がタクシー代を払うからそれに乗って先導してくれないか?」

    青年:「それで良いならそうするよ。タクシーを見つけるからちょっと待っててくれ」

    そう言ってその青年はタクシーを見つけてきてくれました。

    ここから国境に続く国道までの往復のタクシー代で4,000XAF(約800円)ということだったので、彼へのお礼を含めてもこの日の国境越えを諦めてもう一泊するよりも全然安いため、彼にお願いすることにしました。

    彼の乗るタクシーの後をついて行くとなんて事の無いことでした。単に私が滞在していた宿から素直に空港の西側のルートに行けばよかっただけでした。

    この青年は大変丁寧な男で、何かあったらいつでも電話してくれと言って、私に電話番号を教えてくれてそのまま去って行きました。

    私の地図アプリでは途中で道が途絶えてしまうのでしたが、こちらの道は綺麗に舗装された道が国境まで続いていました。

    国境に着くとイミグレーションに行く前に体温チェックがあります。

    私の国籍が日本ということと、たくさんの国を通過してきていることからコロナの心配をして、担当医官も嫌そうな顔をします。

    この女性担当医官はブツブツと何か言いながら怪訝な顔をしています。

    私が日本を離れたのは9か月前で、スペインからモロッコに渡ったのも3か月前なのでコロナの流行地には直近ではいないということを伝えるのですが、蔑んだ目で私を見るだけです。

    近くにいるアホどもも「コロナ、チナ(チャイナ)、コロナ、チナ」と馬鹿にしたように言ってきます。

    こいつらは自分たちが差別的な扱いを受けることには敏感なくせに、人を差別するのは平気な民族なのですね。

    イラつくのはイラつくのですが文句を言って揉めても仕方ないので「お前らはストロングだからコロナにはならないんだな」と言うと、「そうだ!俺たちはストロングなんだぜ!」と大盛り上がりになって握手まで求めてくる始末です。

    どうしようもないおサルさんたちだよ、と心な中で毒づくのですが、こんな奴らと争ったところで何も生まないどころか、こいつらと同じになってしまうと思いグッと我慢するのでした。

    この女性担当官もどうにかパスポートを返してくれ(熱もなければコロナウィルスのハイリスク国を通過してきたわけでもないので当然なのですが)、どうにか出国手続きを続けることができました。

    コンゴの出国手続きはとても簡単でイミグレで出国印をもらい、道路を挟んで向かいの税関でカルネにスタンプをもらうだけです。国境での手続きは何度経験してもストレスのたまるものですが、自分のペースで自分で動けることを考えると一人になったことはだいぶ気楽なものでした。

    アンゴラの入国手続きに入ると予想していた通り大変面倒です。

    私が日本人であるということを知ると私一人だけ別の場所に行くように言われます。そこで紙を渡されて通過してきた国を書けと言います。

    コノヤロウとは思うのですがやるなら徹底的にやってやろうじゃねぇか!と思い、日本出国からアンゴラ入国までの全ての入国日と出国日、陸路なのか船なのか飛行機なのかをすべて記載して出してやりました。

    すると嫌がらせなのか何なのか「続きが無い」と言って突っぱねてきます。

    続きってなんだよ!お前らの目的は何なんだ?あ?自国にウィルスを持ち込んでほしくないからこうやって調べてるんじゃないのか?

    適当に南アフリカから日本に帰るまでの今後の予定を追記して再度提出すると「待っていろ!」と言われてそのまま放置されました。

    1時間経っても2時間経っても放置されたままです。職員の中に一人ご年配の男性がいて、その方だけは私と目が合うとニコっと笑ってくださっていました。そういう人が一人いるだけでイライラであったり不安はだいぶ解消されるものでした。

    一方でこのとき私が一番心配していたのが、夜暗くなってからの移動が嫌だなというものでした。

    どこまで信用できるものなのかはわからないのですが、外務省が出している渡航安全情報によるとここから向かうカビンダの治安に多少の不安があったのです。

    カビンダはアンゴラ内において面積としてはあまり大きくはありませんが、石油が産出され、アンゴラにとっては非常に重要な地域だそうです。一方でカビンダの人たちはアンゴラからの独立も目指していてそのあたりの意識により治安が不安定になっているということでした。

    17時を過ぎても手続きが終わらない場合はここでテントを張って明日の出発にしようかとも考え始めていました。

    手続きを開始して3時間ほど経過し時刻は16時ちょうどを指した頃でした。ようやく職員に呼ばれ

    「パーフェクト(完璧だ)。ノープロブレム(問題ない)」

    と言われ、やっとパスポートに入国印を押してもらえました。

    そして今度は税関でのバイクの一時通行許可書の発行です。こちらもなかなか面倒な手続きと聞いていたのですが、思ったよりも難しいことはなく、税関に併設されている銀行に6337クワンザ(約1300円)を支払い、バイクの写真を撮影して所長の印をもらうだけで終わりました。

    時刻は16時半を少し回ったところですので、ここから約100km先のカビンダの中心地までは日没までには十分行けそうです。

    アンゴラは資源が豊富に産出され経済的にも豊かであるとは聞いていたのですが、田舎の方はまだまだ発展しているとは言い難いようでした。

    日没の少し前にどうにかカビンダの中心街に到着すると綺麗に整備された街並みは大変落ち着いていて治安の悪さはあまり感じるような雰囲気ではありませんでした。

    実際に宿の人たちに聞いてみても、「この辺りは治安はだいぶ良いよ。心配するようなことはほとんどないと思う」という返事でした。

    外務省もすべての地域に実際に行って調査することは不可能でしょうし、事件や事故を未然に防ぐ意味でも厳しめの評価をせざるを得ないと思います。ですので、実際にはどうなのかというのははっきりとした情報が無い限り、自分の目で見て確かめるしかないのだろうと思います。

    さて、私はここカビンダに隣接しているコンゴ民主共和国(旧ザイール)のビザを持っていません。そのためカビンダから南下していくにはアンゴラ本土に向けての船を探さないとなりません。それについては国内船ですし、そこそこ情報があるのでそこまで困難なものだとは思ってはいないのですが、西アフリカのルートはバイクで走っているよりもそういった事務作業ばかりになってしまうのでウンザリします。

    それでもアンゴラに入ったという安心感は私の中では大きいものでした。

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